僕の見た景色

屋根裏

僕の見た景色

 夜の色が、蒼く見えた。

 

 

 花火大会を翌日に控えた今日、僕は小高い丘の頂上を目指して歩いていた。花火ができるだけ綺麗に見える場所を、他のみんなには内緒で陣取るために。

 町の青年団の結成五十周年を祝う記念行事として催された今回の花火大会は、町としても初の試みとなるものだった。普段は人口も少なく静かなこの町だったが、ここ数日は花火大会の準備のために関係者の出入りも激しく、慌ただしさを隠しきれずにいた。

 両親も初の花火大会に対する不安からかピリピリしており、その雰囲気に耐えられなくなった僕は、朝から家を飛び出した。始めは町をブラブラとしていたが、大した娯楽もない小さな町は、子どもの足でもすぐに一周できてしまい、どうせなら翌日の花火大会に向けていい場所を探そうと、町で最も高い丘へと登ることにしたのだ。

 丘とはいっても、ほとんど山のようなもので、背の高い木々に覆われた道などは夕方でも真っ暗になる。道もところどころ舗装されておらず、気を緩めれば滑り落ちてしまいそうなほどだ。

 懐中電灯で足元を照らしながら進むと、数十メートル先にトンネルが見えた。トンネルの存在に多少の疑問を抱きながらも、幼いながらの好奇心に負け、そのトンネルを目指すことにした。

 

 ここまで来たら、思いっきり探検しよう。

 

 そう心に決めて歩みを進めるも、なかなかトンネルには辿り着けない。数十メートルだと思っていた距離は、いつまで経っても縮まらない。既に町を一周歩いていた僕の脚が限界を迎えていたこともあり、一旦休憩をとることにした。大きめの木を背もたれにして座っていると、大きな破裂音がトンネルの向こうから響いてきた。

 

 花火だ。


 驚いた僕は脚の疲れも忘れてしまったかのように走った。あれほど遠く感じたトンネルには、思いのほかすぐに辿り着くことが出来た。頭の中は花火のことでいっぱいだったため、トンネルにすぐ辿り着けたことに関しては、なんか不思議だなぁと感じただけだった。

 トンネルの中は暗く、静かだったが、時折響く爆音が鼓膜を激しく震わせた。そして鼓膜が揺れる度に、僕の心臓も激しく鼓動した。あまり花火を見た経験のなかった僕は、興奮のあまり、町の花火大会が翌日であることを忘れていた。僕はそのまま、トンネルに吸い込まれるようにして奥を目指した。

 やがて出口の光が見えた。向こう側の空が暗い。暗いけれど、全くの黒ではなく、蒼くさえ見えた。そしてその青に落された赤や黄色が弾けると、また爆音が鼓膜を震わせる。言葉も出なかった。圧倒的な花火の感動に、僕は走り出していた。

 

 トンネルを抜けるとそこは、見覚えのある場所だった。

 

 自分が登ってきたのと同じような丘に、そこから一望できる町の景色、見事なカーブを描いて伸びる海岸線。

 

 全てが僕の住む町と同じだった。

 

 鏡に映して見ているような、不思議な感覚に囚われながらも、やはり花火から目を離すことは出来なかった。

 花火が終わる頃になって、ようやく僕は花火大会が翌日であることを思い出した。思い出した途端に、今いる場所はどこなのか、とても不安になった。帰れるのだろうか。一人不安に泣きそうになっていると、声をかけられた。同い年くらいの女の子。

 その女の子は、目に涙を浮かべ、助けて、と呟いた。どうやら迷子らしい。どうしたものか。とにかく、大人を探そう。しかし、そうはいったものの、花火が打ち上げ終わった時点で既に多くの人は帰路につき、明かりの消えた砂浜は真っ暗になっていた。その景色を丘の上から見ていた僕は、とりあえず自分の家に連れて帰ろう、と決心した。彼女の手を引き、トンネルへ向かって歩を進める。彼女は何も言わずについてきた。

 トンネルを中程まで進むと、僕の手はほとんど感覚を失っていた。夜の山の寒さによるものだろうか。ちょっと、と声をかけ、ズボンのポケットで手を温める。そのまましばらく歩き、出口が見えたところでふと後ろを振り返ると、彼女の姿はなかった。

 少し戻って探そうとした僕の足を、出口から差し込む光が引き止めた。

 

 夜だったはずの空が、赤く焼けている。朝になってしまったかと焦ったが、そういう訳では無いようだった。遠い空でカラスが鳴いている。真っ赤な夕焼けが木々の間から注ぎ、トンネルの中を照らす。彼女の姿はどこにも見当たらなかった。一旦出口を出てから、もう一度後ろを振り返ると、そこにはもう、トンネルもどこにもなかった。

 途端に怖くなった僕は、暗くならないうちに山を駆け下りた。転びそうになりながらも、せり上がる恐怖から逃げるように走った。

 

 家に帰ると僕は、喉を通らない夕飯をほとんど残し、両親に今日の出来事を話すこともなく布団に潜った。

 

 ただ一人、恐怖と申し訳なさに震え、何に向けてなのかもわからない義務感に頭を抱えながら。

 

 翌朝、いつにも増して慌ただしい両親の足音に起こされた。いつの間にか眠ってしまったようだ。

 この日は夜の花火大会に向けて最終チェックが行われた。昼食では問題もなくチェックを終えた関係者たちが集い、これまでの努力を讃え合うとともに、本番での成功を誓い合った。

 いつもより少し豪華な料理にも、僕はあまり手をつけなかった。心ここに在らずなのは、両親の目にも明らかであったろうが、おそらく花火大会で浮かれていると思っていることだろう。

 

 本番直前、僕と両親は関係者席で待機していた。昨日の夢のような出来事のおかげで、あの丘が花火を見るには最適なスポットであることはわかっていたが、やはり怖かった。僕も両親とともに関係者席から花火を見ることにしたのだった。

 

 花火の打上げは大きな問題もなく順調に進んだ。心地よい爆音が鼓膜を振動させ、血液が沸騰したように身体が熱くなる。目の前で弾ける光が、昨日見た光景と重なり、心臓の鼓動を早める。

 大きな花火が上がる度に海岸の奥から歓声が上がり、スターマインに合わせて拍手が起きた。しかし、僕の耳には、花火の音も、歓声も、拍手も、全てがどこか遠くで聞こえる雑音のようにしか聞こえなくなっていた。上の空のままに、いつしか花火大会はクライマックスとなるスターマインを迎えようとしていた。最高の盛り上がりでラストへバトンタッチしようと、最後から二番目のラッシュが轟音を鳴らす。

連続的に響く轟音に紛れて、

 

 

 助けて。

 

 

 そう聞こえた気がした。聞こえた時にはもう、聞こえることがわかっていたかのように、僕は走り出していた。引き止める両親の声も、僕の耳には届かなかった。

 きっとそうだ。昨日の女の子。昨日のトンネル。昨日の花火。いや、あれは、今日の花火だ。昨日のトンネルは、今日の景色を僕に見せた。他のみんなには内緒で。

 

 僕は丘を登る。脚の疲れも忘れて、駆け登る。

 

 迷子の彼女を親に届けるためか、昨日と今日をつなぐトンネルに置き去りにした彼女を、今日に連れ戻すためか。

 どちらにせよ、僕にしかできないと思った。

 そんな夢のような出来事を信じていられたのは、幼かったからかもしれない。

 

 彼女は、どこにもいなかった。

 

 助けてと涙を浮かべて叫ぶ少女は、どこを見渡してもいなかった。もちろん、トンネルも。

 助けを求める声の代わりに僕の耳に届くのは、最後のスターマインの叫び声だった。このスターマインだけは、昨日見た花火とは違う表情のように感じた。圧巻だった。今まで見た花火の中で最も、そしてきっとこれから先見る花火の中で最も輝いていた。

 

 ここにはいない彼女を、今日につなぎ止めておけたような気がした。

 

 

 夜の色が、青く見えた。

 誰のものなのかわからない声が、煙をはらんだ空に響く。

 

 

 ありがとう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕の見た景色 屋根裏 @Atc_Strtl

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ