第3話 Future Dumper
「集矢さんって、どーして心深さんのことが好きなんですか」
私が集矢さんに対してそう唐突に問いかけたのは、まだ昼間だからちゃんとカフェとして営業している『C@fè D.I.V.E.』の店内でのことだった。今日はいつものカウンター席ではなく、たった二つしかないテーブル席の一つを二人で占有している。お客も他に居ないのだし、別に構うこともないと思ったから。
「……未来ちゃん、いきなりどうしたのさ」
面食らった表情で、集矢さんがカプチーノを一口飲んだ。この反応も、当然と言えば当然だ。話がふと途切れたというだけで、私がこんなことを言いだしたのだから。けれど、私は真剣だった。いつもの口調も、まともな言葉にして。
「この際、ハッキリした方がいいと思うんです。二人って、付き合ってるんですよね?」
「どうだろうね……俺はもう付き合ってる状態だって一方的に思ってるけど、心深はツンデレだから。アイツは認めないと思うよ」
「それで、どーして心深さんのことが好きなんですか?」
私はブラックコーヒーに角砂糖を放り込みながら、視線を集矢さんの方へと固定する。凝視されてしばらくは冷や汗を垂らしながら押し黙っていたけど、やがて決心がついたのか集矢さんが口を割った。
「アイツは、俺に恋心を捨ててくれるから」
これだ、さっぱり分からない。私が唯一好きじゃない集矢さんの特徴が、この理解しがたい価値観だ。けれどもこのことを集矢さんは私の視線から読み取ったのか、続けて私にも分かりやすいよう説明を加えてくれた。
「俺の好きなこと、覚えてるよね?」
「……『生の感情を意味のないところへ捨てるのを見ること』」
学校の授業でやった暗記テストのように、私はつまらなくその言葉をそらんじた。
「アイツの場合はね、その生の感情が恋心なんだよ。んでそれを俺に捨ててくれて、俺はその捨てられた感情を直接肌で観測できる。しかも感情だけじゃなく、アイツは身体まで俺に委ねてくれるからね。俺の趣味、というかタイプにアイツはピッタリなんだよ」
「じゃあ、私の恋心を集矢さんに捨てたら――」
「ダメだよ、それは」
急に超然とした顔をされて、私は背筋が凍りつくのを感じた。いつもなら優しいはずの集矢さんが、今はやけに恐ろしく見える。まるで、私を殴るパパのような。
「どーして……私は、集矢さんを好きになっちゃいけないんですか?」
「いいや、それはきっと未来ちゃんの自由だ。けれども俺は、そんな君の恋を叶えてあげられない。そもそも、恋なのかどうかも怪しいけどね」
この集矢さんは、意地悪で言っている訳ではない。そう理解できたことが、辛うじて私の暴走を止めてくれる。テーブルに身を乗り出して胸倉を掴んでやりたくなったけど、冷静な集矢さんの瞳がそうさせないでくれていた。
「私は……私は、優しい集矢さんが好きです。この気持ちだけは、否定しないで下さい。私は集矢さんに殺されたくって――」
「殺されたいって思うのは?」
射抜くような集矢さんの目線が、私の心を突き刺しにかかってくる。それはとても冷たくて、私の答えを期待しない問いかけ。事実、私は答えられなかった。『殺されたい』という願望に、もっと深い理由があるの?
「……前に、似たような質問をしましたよね。集矢さん」
こんな気分を、あの時も感じていた。確か集矢さんと電車に乗っている時、リスカする理由を訊かれた。そんなことをするのに、理由はあるのか。私には、さっぱり分からない。集矢さんが、分からない。けど集矢さんは優しいから、こんな私にも教えてくれる。
「未来ちゃんがリスカをする理由、『スッキリするから』って答えてくれたよね。これってつまりリスカでストレス解消してるってことで、今の未来ちゃんは膨大なストレスを抱えている。お父さん、まだ酷いことをしてくるの?」
「……この前、お腹を一発」
「助けてあげたい気持ちもあるけど、俺が介入したところで何も変わらない。そう言って、前に未来ちゃんは断ったよね」
一回だけ頷く。前に児童相談所のヒトが来たことがあったけど、厳重注意されただけで終わった。何回来ても何回来ても、パパは上手いこと言って追い返してしまう。そんなパパに負ける集矢さんの顔を見たくないから、自宅に招き入れることは一回もなかった。集矢さんと会えるのはこのダイヴの席でだけだし、私の居場所はここにしか無い。
「未来ちゃんは現状、ストレス発散方法をリスカと処方薬乱用でしか知らない。家に帰ればお父さんに暴力を振るわれるし、学校に行ってもクラスメイトは誰一人理解してくれない。そんな人生、未来ちゃんは楽しいだなんて思ってないよね」
「だから集矢さんと一緒になって、そして集矢さんに殺されたいんです!」
「その殺されたがりが、君と付き合えない理由なんだ」
ブラックコーヒーの水面に、ショックを受けた私の顔が映る。とても酷い顔だった。目は大きく見開かれているし、口元がブルブルと震えている。トリップ中の心深さんよりも、もしかしたら醜いかもしれない。
「未来ちゃんの殺されたがりは、ストレスからの逃避方法だ。こんなに辛い人生は嫌だから、早く死んでしまいたい。けれど今死んだらクソみたいな人生のまま終わってしまうから、せめて好きな人に殺されたい」
「好きな人に殺されれば、私の人生はハッピーエンド……」
「気付いた? 未来ちゃんの願望が、どれだけ好きな人にリスクを負わせているか」
私の口から独りでに出た言葉、そして集矢さんのかけてくれる言葉。この二つがグチャグチャに絡み合って、私の心に重い一発を打ち込んでくる。パパのDVよりも重い、このまま死にたくなるような感覚。
気付いてしまった。私は、ひどく最低な女の子だ。
十六年間生きてきて、嬉しかったことは一つも無かった。ママはパパの手にかけられたし、そのパパは私に対してああだし。学校は皆幸せそうでつまらないし、自分が張り裂けそうになったから不登校になった。フラフラ歩いても誰も私を助けてくれないし、こんな人生は早く終わらせたかった。
けど、ここで終わったらとても哀しい。傷付けられるだけ傷だらけになって、私の人生は何だったの? 何もいいことがないのに、どうして私は生まれてきたの? パパとママの愛の失敗? パパからの暴力を受け止めることで、親の尻拭いをしろってこと? 嫌だ。
死ぬならせめて、最後くらい幸せに死にたい。一番幸せな死に方は、好きな人の傍で死ぬことだ。それには好きな人が私を殺す必要があって、だから私は殺されたがり。
「私……好きな人に、私を殺させてる」
「そう。しかも未来ちゃんの好きな人は、未来ちゃんという好きな人を失うことになる」
私が殺されて幸せになるのは、私たった一人だけだ。
「私の好きな人……集矢さんの手元には、何も残らないんですね」
「だから、リスクが高すぎるんだよ」
私は、もしかしたら集矢さんのことがそれほど好きでもなかったのかもしれない。もし本当に好きなのなら、集矢さんに私を殺してもらうなんて重役を背負わせられない。だから集矢さんの言うとおり、この気持ちは恋と呼べないのかもしれない。
カプチーノを啜りながら、集矢さんがもう一つだけ付け加えてくれる。パパに怒られたことしかない私に、集矢さんは優しく叱ってくれていた。
「そして、未来ちゃんが好きな人に殺される時、未来ちゃんはあるモノを対価として捨てるんだよ。それが、未来ちゃんの持ってる未来の可能性」
ミライ、という響きは新鮮だった。未来。私の名前と同じ字を書くのに、私と最も無縁そうなモノ。けれどもそれは私にだって確かにあって、そして私は未来を捨てる。
「集矢さんは、未来は好きじゃないんですよね。きっと」
「うん、『生ゴミ』じゃないからね」
集矢さんへの気持ちを吹っ切れたからか、今度は何だか分かる気がしてきた。生ゴミはその時その時に覚える現在の感情のことで、そして未来の可能性は現在に存在しえない。
「生ゴミは突発的に生まれた感情で、それは感動だとか失望だとかって言うんだ。例えば心深の場合だと、アイツは常に俺へ嫌悪感を抱いてる。けれども突発的に俺への好意が生まれてしまって、嫌悪感との狭間の中でどうしようもなくなってしまう。だから衝動的にその感情を俺に捨てて、俺はそれを受け止めて収集するんだ」
心深さんの話は、理解できた。もし私がパパのことを好きになってしまったら、途方に暮れてしまうだろう。嫌いなのに、傍に居たい。好意をその相手に捨てるというのは、嫌がっている自分ごと相手に抱き締められるということ。嫌悪感に苛まれながらも、それすら快楽と感じてしまう。そんな愛は、とても強いモノ。きっとこの自分の本性を殺し否定することが、感情を捨てるということなんだ。
「一方で未来を捨てるって言うのは、衝動的な行動じゃない。自分が幸せになるために考え抜いた結論であって、咄嗟の判断じゃないんだよ。しかも死んでしまうってことは、後始末の責任を取らない、リスクを認めないってこと」
分かりやすく言い換えれば、『もうどうにでもなれ』という気分になるのが感情を捨てるということだと思う。突発的に自分を否定して、未来の自分に経緯を委ねる。そこにはどうしようもなくなった虚無の自分だけが残って、集矢さんがそれを拾い集める。リスカやシャブ中が好きなのも、ボロボロになった身体の処理を未来の自分に委ねた女の子が好きだからだろう。
「――集矢さんにとって、未来は無価値だってことですね」
「だからゴメンね、未来ちゃんとは付き合えない」
申し訳無さそうな微笑みで、集矢さんは私にそんな言葉をかけてくれた。好きだった人に振られたのに、不思議と涙は流れない。このヒトを好きでよかったと、清々しい気分になっていた。集矢さんのおかげで、自分が何者なのかが少しだけ分かった気がするから。
「……ありがとうございます、集矢さん」
「どうしたの? 柄でもないよ」
「私の未来に捨てるほどの価値がないって、教えてくれたから」
ブラックコーヒーをぐいっと流し込んで、私は自分の気持ちに踏ん切りをつける。このヒトの傍は楽しいけれど、このヒトに殺されるのは止めよう。もうちょっとだけ今と向き合って、もうちょっとだけ未来と向き合おう。どうせ無価値な未来なのだから、もうちょっとだけ別の恋に燃えてみよう。
けれどもその前に、集矢さんへ一つ聞きたいことがあった。
「でも……集矢さんはどーして生の感情、とゆーか心深さんのゴミが欲しいんですか?」
そもそも、何故集矢さんはガーベージコレクターになったのか。そして何故、集矢さんは心深さんを選んだのか。これらは純粋な疑問だったので世間話程度に訊いただけだったけど、対して集矢さんはカプチーノで喉を潤してから落ち着いたトーンで喋り始めた。
「これは何度も言ってることだけど……俺には、捨てるだけの感情が無いんだよ。具体的には、他のヒトよりも感受性に乏しい」
「例えば、どーゆーのですか?」
「花は美しいと思え。泥は汚いと思え。そんな感じで感性を矯正されて育てられたから、ゴミみたいな感情に惹かれるような歪んだ性格になった」
集矢さんの『捨てるだけの感情が無い』という常套句は、てっきり悪い誘惑を断るために言っているのだと思っていた。けれど集矢さん的にはそうでもないらしく、ということは感受性が豊かだったらリスカにもドラッグにも手を染めていたということなんだろうか。それはそれで、少しだけ見てみたい。
「他のヒトが捨てるゴミ、特に生ゴミは面白いよ。自己矛盾の塊で、望んでいない結果を望んでいる。でも俺は不感症というか、そもそも捨てる生ゴミの感情が生まれないんだ。何もかも効率を考えちゃうし、ネガティヴとポジティヴ両方の感情を同時に持つこともない。この前の終電を逃した失望は珍しく俺の中に生ゴミが生まれた例で、だからそれをリフレインしようと頑張ったんだけどね」
「生ゴミが好きなのに自分はそれを持ってないー、ってことですか?」
「だから、他人の生ゴミを欲しがるんだよ」
自分に欠けているモノを集める。そう表現されると、確かに理にかなった行為のように思えてきた。奇妙なのには、変わりないけど。
「じゃあ、心深さんと付き合ってるのは――」
「俺に感情を捨ててくれるのが、実はアイツだけだったって話」
恥ずかしそうなセリフだけど、集矢さんはあっけらかんと口にした。それはつまり、心深さんが集矢さんにとっての『運命のヒト』だったというだけなのではないのか。恋愛競争も発生せず、二人だけの関係に閉じこもれる。そう思った途端、私の口から言葉が漏れた。
「なんかー、それってイビツですね」
「未来ちゃんが言う? そのセリフ」
集矢さんがけらけらと笑うが、しかしその顔がすぐに引きつってしまう。どうしたのだろうと思って集矢さんの視線の先に目をやると、そこにはウェイトレス姿の心深さんが立っていた。落ち着いた制服にスラリとしたスタイル、そして金髪のショートボブが似合っていてカッコいい。
「未来ちゃ~ん……誰と誰が、イビツな関係だって?」
「こ、心深さんと集矢さんですー……」
「つまり、私が今こんなに怒ってるのもやっぱりコイツが原因だと……」
右手に握り拳を作りながら、心深さんが集矢さんに熱い視線を送っている。この場合は恋い焦がれた相手を焦がすラブビームではなくて、きっと憎しみをぶつける宣戦布告だろう。
「集矢さーん、一体心深さんと何があったんですかー……?」
「この前コイツの家で寝た時、失敗したと思ってコイツが起きる前にトンズラこいた」
「な、何やってるんですかーっ?!」
どうしてわざわざこのヒトは、好きな女に対してそんなことをするのだろう。
「あの後部屋の片付けを私一人でやってねぇ……ただでさえ滅茶苦茶な精神状態だったってのに、よくもまぁぬけぬけと……っ!」
「だってお前、寝起きで隣に俺が居たら絶対に怒って――」
「どっちにしろ、私は今怒ってるってのっ!」
心深さんの強烈な蹴りが炸裂する。客に暴行を振る店員が、一体どの店に居るというんだろう。『喧嘩するほど仲が良い』とも言うけど、多分それはこの二人のためにある。肋骨の折れた音が響いたけど、結局このヒトたちは相性の良い運命のヒト同士なのだ。
そんな二人を眺めながら、私はこう思うのだった。
――『C@fè D.I.V.E.』は、今日も通常営業です。
C@fè D.I.V.E. 柊 恭 @ichinose51
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