第22話 エピローグ その後の国生み神話

夕陽に染まる海と山影に沈んた海とがコントラストを成し、音もなく地球の影が夜を醸し出していくと一斉に海に漁火が灯る午後七時。

漁火は常世から現世に現れたのか、常世の浜へとついたのか、浜に灯る晴明桔梗は夜光虫の群れとなって渡り来る漁火の明かりを迎えた。

太鼓や鐘の音の響き渡ることしばし、清明桔梗は浜から道沿いを鈴なりに点灯していくと見事な光の川となった。

掛け声は脈打つ血液の歌のようにも聴こえ、祝詞は尽きることのない潮騒の残響にも思える中、夜はさらに濃く、提灯の明かりはさらに数を増やし、銀河に負けんばかりの無数のあかりの中を神木は歌に見送られて豊国八幡の社を目指して流れていく。神木に吹き込まれたみさき様にとってはこの世界、現世こそが常世であるのかもしれない。

それに、聞くところによると今年の神事は特別なのだそうだ。二十一世紀を迎えるにあたり古来の方式に則ったのだという。

幻想的な一夜は格別な記憶を残すこととなった。


 お盆も過ぎた八月の終わり、遠い過去から帰還したような面持ちで人と騒音と情報の坩堝に苦しさを覚えながら、梨佳子と美帆は大学へと戻ってきた。

神事の後には警報が出るほどの豪雨に見舞われ、何もかもを流しさったように感じたのはつい昨日の出来事のようである。ずいぶんと懐かしさを覚える校舎の入口に英介と悠里が待っていた。

「悠里先輩。」と美帆は声を上げ、一礼した梨佳子は「英介さん。ありがとうございました。」と言った。

その言葉尻を捉えた悠里が「英ちゃんでいいよ。あれはよかったな。新鮮な感じがした。こいつの新しい面が出てきそうだ。」と笑い声を上げた。

当の英介は「おいおい。」と声を上げたきり気持ちは別なところにある様子。美帆が悠里の呼び名を聞き出していると英介の口が開いた。

「大雨は大丈夫でしたか。」

「ええ、川の反乱もありましたが被害は少なくてすみました。」

「このところの天候はまるで泣く子スサノヲのようですからね。」

「スサノヲ。」

「ええ。イザナキの左目からアマテラスが、右目からツクヨミが、そして鼻からスサノヲが生まれますが、スサノヲは母のいる根の国に行きたくて大泣きするんですね。それに大暴れをするその姿は大気現象そのものといってもいい。」

息を飲み込む間を置くと英介は再び語りだした。

「あの後古事記を読み返してみました。

日本は農耕の文化ですが、神話のコードを読み解こうとするとこうも読める。葦舟で流された水蛭子(ヒルコ)は常世へ流れ着き、祖母のカミムスヒに育てられてすくすく成長した。成長した水蛭子はヒナから成鳥となり、出世魚のように名を変える。すなわちスクナヒコと名乗る。

水蛭子は足萎えでしたが、スクナヒコは四股をを踏むと岩に足跡が残るほどの偉丈夫。そして常世へと跳躍するほどになる。考えようによっては稲作に関係しているコードを読むことができる。

種籾は水につけられて柔い根を出す。それこそ足萎えです。しかし植物一般がそうであるように、根毛のような柔い根が実に地下を這い、養分を吸収し、頑丈な根が体をしっかりと支えるようになる。どうです。ヒルコからスクナヒコへ。似ていませんか。

神話のコードというものは環境の置き換えでもあるのです。今度レヴィ=ストロースの名著『神話論理学』を読んでみようと思っています。また違う側面が見られるかもしれない。

まあ、概略から言えるのは人間の営みに根ざした現象や数の数え方、一日から四季を巡る一年の数に星座や気象を組み込んで紐解く人間と自然現象との会話、あるいは物語が神話として残っているのかもしれないですね。そう思えます。」

思えば…と英介の思考は沈潜してゆく。

ヒルコとカミムスヒの関係は自分と祖母の関係に似ていなくもない。祖母のことを思い出そうとすると亡くなる頃の姿しか浮かんでこない。幼少の頃の記憶は黄昏向こうの夜の中にある。そこには祖母もいるに違いない。夢の中の出来事のように祖母の言葉が聞こえてくるのは自分の中に隠された記憶があるから…

そのとき英介の思考が切断されたのは梨佳子がこう訊いてきたからだった。

「あの勾玉に変わったものは何だったのかしら。」

「稲はミミナシの女神トヨウケで実々成(みみな)すこととされていますが、マメ科の植物にははじけ飛ぶものもある。きっとその種子のひとつだったのでしょう。穴の空いた勾玉は陰陽の図とよく似ている。耳にも似ているし胎児にも似ている。淡路島や琵琶湖の形にも似ている。コード変換は実に多様だといえる。なにしろ日本は『一途で多様な国』ですからね。」

はぐらかされたと梨佳子は思ったが、悪い気はしなかった。あの時母は私だけに答えてくれたのだ。英介も聞いたのかと思ったのだが口にはしなかった。それでもなぜか英介は母の返事を聞いていたのだろうと思った。

私は母ともう一人の分も生きなくてはならない。

梨佳子は空を見上げた。そしてそっと英介を覗いた。

英介の目が何を映し、その頭脳が何を捉え、思考が何を描こうとしているのか、梨佳子は無性に知りたくなっている自分に驚いた。

実々成す光が空から弾け飛び、梨佳子の心臓で静かにときめきに変わり始めていた。


「なあ英介。俺もこの頃夢を見る。」

「ミサキサマか?」

「いや。関係はないと思う。知らせという点ではミサキサマかもしれないが、似ても似つかないものだ。お前さあ。また夢とか見ないか?」

「どうだろう。すべてを覚えているわけではないからな。ちなみに何の夢?」

「神隠し…」

「かみかくし…胎内巡りじゃないだろうな?あれは底知れない悪夢だ。それこそ終わりがない。そうなのか?」

「わからない。はっきりとしていないが、もしかしたらそうかもしれない。」

英介に夢のあらましを訊くと言葉を写真のように羅列してこう言った。

…駱駝のこぶのような山と、蔵の多い町並み。貨物列車。団地。木造の旅館。洞窟。お堂の前で向かい合うこども達、まあ切れ切れのフィルムのような夢だ。それに…

「それに?」

「…地面の下に何かいる。何かが。」

「それだ、きっとそれだよ。」

そう悠里は言った。

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夢寄生《ゆめやどり》ミサキサマ 夏月 蓮 @beemode57

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