河童封じ地蔵

卯月

河童封じ地蔵

 福岡県北九州市若松区の高塔山たかとうやまの山頂には、とある地蔵尊が鎮座している。正式名称を「虚空蔵こくうぞう菩薩ぼさつ」というが、恐らく「かっぱ地蔵」「河童封じ地蔵」などの呼び方のほうが有名であろう。火野ひの葦平あしへいの小説『石と釘』や、まんが日本昔ばなし「かっぱ地蔵」でも紹介されている。


 昔、高塔山山頂にあった池の水を巡って、河童の群れ同士が、夜になると激しい空中戦を繰り広げた。戦死した河童は地上に落ち、ドロドロの液体となって田畑の作物を腐らせ、麓の村の人々を困らせる。

 そこに、堂丸とうまる総学そうがくという山伏が現れた。他の土地で河童封じの経験があった彼は、村の鍛冶屋に1尺(約30cm)もの長さの鉄釘を作らせ、山頂の地蔵の前で祈祷を始める。急遽和睦した河童たちは、美女や金銀で誘惑して祈祷を邪魔しようとするが、総学は動じない。

 何千度目かに総学が地蔵に触れたとき、背中のたった一か所だけ石が柔らかくなっていた。経文を唱えながら釘を地蔵に打ち込むと、河童たちは一匹残らず地中に吸い込まれ、封じられた。

 現在でも、地蔵の背には釘が刺さっている。



 平成の御世。その地蔵の前で祈祷を続ける、一人の山伏がいた。

 全国行脚の途中にこの地を訪れた彼は、打ち込まれた状態に見える釘が実は一度抜かれ、地中はもぬけからであることに気付いたのだ。数年、あるいは数十年も前か。何者の仕業か、脱出した河童がどこへ逃げたかは知らぬが、このままにはしておけぬ。かつての総学の遺志を継ぎ、金槌かなづちを脇に置いて、一心不乱に経文を唱え続ける。

 どれほどの月日が過ぎたか。ついに、地蔵の背が豆腐のように柔らかくなった!

 山伏は力強く金槌を振り上げ、刺さったままの釘を打ち込む。

 前よりも深く! もっと深く!

 山の四方八方から聞こえる阿鼻あび叫喚きょうかん。全国各地に散っていた河童たちが、錐揉きりもみしながら吸い寄せられてくると、再び高塔山の地中に封印された。



 これが、某有名寿司チェーンの看板から河童の姿が消えた事件の真相である。

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河童封じ地蔵 卯月 @auduki

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