第6話
三日後、自宅にて新聞を広げていた朝子は驚いた。
お悔み一覧に、真理の母親の名前が掲載されていた。
六十五歳だった。
朝子は彼女の死因が自分の冷たい態度ではないかと気になりだした。
その日のうちに午前中の半休を取ると部下の保育士に伝え、記事に従い葬祭社を訪ねた。
目黒朝子という名前に反応したフロントスタッフは、迷うことなく担当者を紹介した。
朝子より五歳年下、三十歳の涼しい目元の男性だった。
過去のテロを思い出し、初めは異性を警戒した。
けれど真理の母親に対する罪悪感が勝った朝子は、簡単な挨拶を済ませ簡潔に訊いた。
「彼女の死因は何ですか?」
すると男性も言葉を飾ることもなく答えた。
「くも膜下出血とのことです」
一人の女性が二人の間に入ったときだった。
制服に着せられ、アイブロウの輪郭が不自然であることから、高校を卒業したばかりだと推測した。大学を卒業していれば、キャンパスライフとやらの影響で学生時代にあか抜けていたはずだからだ。
その女性が盆に乗せた白い封筒を、男性は滑らかな手つきで朝子に渡した。
「警察の方が、仏壇の隙間から見付けたそうです」
封筒には、目黒朝子様、と筆字で書かれていた。
「これを読まない権利は、私にありますか?」
朝子は尋ねた。男性は無言で首を左右に振った。
仕方がないと思い、封を切った。中には手紙が一枚入っていた。
三つ折りにされた手紙を開いた瞬間、朝子の目に涙が溢れた。
お互い、悲しみから解放されましょう。
あなたは十分、頑張りました。
そして私は謝ります。
あなたからバレエを奪って、本当にごめんなさい。
朝子は初めて、謝罪の言葉が偽りでないことを確信した。
同時に、今は亡き人を冷たくあしらったことを激しく後悔した。
「私どもはこちらのお手紙の内容を存じません。お答えできるのは、この方の死因と、すでにお子さまを亡くしていらっしゃることのみです。また、お聞きすることもございません。ただ、お見受けしたところ、血縁者でもなさそうなあなたさまにお言葉を遺されているということは、よほどの思い入れがおありなのでしょう」
朝子は頷き、手紙を抱きしめた。
去り際の挨拶と自宅に戻ることで精一杯だった。
自宅に戻ると、朝子は一時間大声を上げて泣いた。
溢れるのは、懺悔、自分を許してくれた女性への感謝、そして一人の女性への誓いの言葉だった。
午後一時、園児の昼食時間が終わるころ、朝子は保育園に着いた。
この日も、若い保育士二人が涙目で厳つい男性二人に立ち向かっていた。
見かねた朝子は男性の背中を突いた。
シソンヌ。通常よりも大胆に飛び跳ね、開脚する。
保育士はよく知る顔を目の当たりにすると安堵し、自分たちの間に人間三人分のスペースを確保した。
「ちっ! いたのかよ。だけどお前、黒くないぞ」
「アニキ、でもこのアマ、噂通りおかしな動きをしましたぜ」
大柄な男性の背中に隠れた、もう一人の小柄な男性が指差した。
「お黙りなさい。そして今後一切近付くことを禁じます」
大柄な男が拳を上げるよりも先に、朝子はトゥシューズを履いた足で制した。
さらに、朝子は舞い続けた。
男性二人は放心して顎が外れた。
その反応に構わず、朝子は動きを止めなかった。
止まるはずもない。朝子の脳裏では曲が流れていたのだから。
それも、かつて主演を務めた「白鳥の湖」。
雲一つない青空の下、朝子は心の中で何度も繰り返した。
私はスワン。
だけど昔とは違う。
未熟な私はもう、どこにも存在しない。
私はたった一人のスワン。
私らしく舞い続ける。
これからも、命ある限り。
そのうち、男性二人は静かに後ずさりした。
このままでは精神が侵される、と言い残して。
朝子が舞い終わるころ、男性の姿はなかった。
代わりに保育士と園児が観客と化していた。
「えんちょ先生、さすがです!」
「そのお色も、よくお似合いです!」
その場にいた誰もが朝子に拍手を送った。
「えんちょ! えんちょ! ブラックえんちょ!」
ホワイトスワンになっても、園児たちの間であだ名が変わることはなかった。
今日もスワン、朝子は華麗に舞う(蹴る)。
白のタイトな上下の服と、白のトゥシューズに身を包んで。
そして、取り戻したとびきりの笑顔で。
ブラックえんちょ 加藤ゆうき @Yuki-Kato
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