第36話 ようやく並べた

 マリアは顔を真っ直ぐまっすぐに向け、背筋を伸ばした。しかし、その目だけはよく見るとキョロキョロとさまよっている。伸ばしているように見える背も、実はまともに動かないだけだったりする。

 

(兄様に呼ばれて来てみたけれど。いったい、これはどういう状況なのかな)


 扉を開けると、シルクは彼女を待ち構えていた。促されるまま、彼の前に立つマリア。シルクはずっと無言で、どうすることもできずにマリアは部屋の中で立ち尽くす。

 確かにシルクなのだが、まとう雰囲気は彼女の知っているものではない。


(なんか強ばっているというよりも、冷たい?)

 マリアは知らない。それこそが、組織の中で立ち回る時のシルクの姿だと。


 軍人の中ではかなり物腰が柔らかく、ひと目見て温和な空気をまとっているシルクである。上の立場の者と対するとき、彼をなめてかかる者もいた。しかし、シルクは臆さずに堂々と立ち振る舞う。彼の配下に属する者たちまもために。


 マリアは何とかシルクと目線を合わせようとする。しかし、それはかなわずに彼の顔を視線は素通りする。何か品定めをされているみたいで、居心地が悪い。自分の悪いところを全て見透かされているかのようだ。

 すっと横切った目は自然と、シルクの側に立つアゼルと合う。マリアの目は訴えている。何とかならないか、と。

 そんなマリアに向けて、アゼルは肩をすくめる。

(助けを求められてもな、俺には何にもできん)


 アゼルは当然、シルクのこういった面は見慣れている。しかし、なぜ今なのか。

(身内に向ける気合いじゃ無いな。どういうつもりだ、シルク)

 どうやら、アゼルもシルクのスイッチがなぜ入ったのかは見当もつかないようだ。


 マリアの胸に、急な不安が顔を出した。

(何を言われるんだろう)

 シルクに呼ばれたと聞いて部屋に向かっていた時のマリアは、折れること無い強い気持ちを抱えていた。

 もう一度、シルクにしっかりと自分の想いを伝えてやるんだ、と。


 側にいたい、その願いを聞いたシルクはきっと拒絶する。実際、マリアの想像通りの反応だった。これからのことだって、また説得しようとしているに違いない。この場から離れるように、と。

 しかし、そうはいかない。彼女は彼女なりの覚悟を持って、この場所にたどり着いたのだ。本当に、力尽くでなければ自らの意思で立ち去るつもりはない。


 しかし、シルクがマリアを追い返すために実力を行使したらどうなるか。


 そのときは、何もできない。マリアは、そこまで自分を排除しようとするシルクに逆らうことはできない。

 戦場に立つ覚悟も、戦場から排除される覚悟のどちらもしていたのだ。きっと、シルクは自分の世界にマリアが足を踏み入れることを許しはしない。詳しく話さずに家を出て行った、あの日の態度を思い出せば、先のシルクの拒絶は想像できるものだった。

 共に歩む者と庇護ひごされるべき者、そこにはしっかりと線を引く。そして、信頼する相手と一緒に己の全てで護るのだ。

(昔から、そうだった)

 それこそ、マリアが慕っていた兄の姿である。


 だから、もしマリアの願いが断られたとするのなら。それはシルクに責は無い。自分の力不足であり、これが今の自分の限界なのだろうと彼女は思う。

 まだ、届かなかったのだ。彼の背中には。

(……だめだな、弱気になってる)

 まだ決定してはいない。そして、断られたとしても諦めるつもりは無いのだ。たとえ、追い出されても、素直に帰るつもりはない。近くの教会に身を預ける。星神教会であれば、滞在くらいはさせてくれる。その権利を持つくらいには、ここまで努力してきた。そして、再びシルクに接触する機会を狙うつもりである。

(もう、置いて行かれたくない)

 そうだ。幼い頃に願ったのだ。弱い自分の前に立つ、シルクの背中を見て。マリアはいつしか心に刻み込んだ。

 彼にまもられるのではなく、横に並び立って同じものを見たい、と。


「マリア」

「はいっ!」

 ビクッとマリアの背筋が伸びる。シルクの刺さるような呼びかけに、マリアは反射的に高い声で返事をした。


 アゼルは吹き出しそうになるも、何とかこらえた。

(ああいうところは、まだ年相応なんだな)

 アゼルはマリアに微笑ほほえましさを感じつつ、二人の様子を見守っている。


(まぁ、シルクが何でこんな態度なのかは謎だが。きっと、決めてるんだろうな)

 シルクの次に出てくる言葉を想像する。おそらく、こうだろうというのはマリアを呼びに行っている途中で思い至っている。


(今からでも、間に入るか?)


 本当にそれでいいのか。そう、シルクに問えなかった自分をアゼルは悔いている。シルクが相談してくれれば言いようもあったのだが、おそらくシルクは全責任を自分で負うつもりなのだ。アゼルがたとえ察していても、口に出してくれねば決定事項を覆す権利はアゼルには無い。

(ま、言っても聞かないんだけどな、こいつ)

 こういうところは頑固なのだ。とりあえず、この場は観察するしかアゼルにはしょうがない。


 シルクが言葉を続けたら、もう、後戻りはできない。その後、自分にできることを全うするのがアゼルの仕事である。


「これは、まだ僕だけの意見だと考えてもらっていい。これから、上には働きかける。だから、実現するかは分からない」

(ああ、やっぱそうか)

 予想通りの前置きに、アゼルは表情を変えずに舌打ちをする。まだ状況が読み込めていないマリアは目を丸くしている。


「僕は、君を民間からの協力要員として推薦する。これが通れば、君は、僕の配下として命を受けてもらう立場になる。それについて、君の了承をもらいたい」

「……えっ」

 シルクの回りくどい言い回しにマリアの思考が追いついていない。


「ああ」

 そこで、シルクは自分に力が入りすぎていたことを察する。頭をとんとんと叩いてから、極力柔らかい言葉で続けた。

「君の、その力を貸してほしい。君が良ければ、だけど」

 この言葉は理解できた。マリアの目が大きく見開かれていく。


 そうくるのなら、マリアの答えは決まっている。

「はいっ、喜んで」

 そんな彼女に、シルクは表情をほとんど変えず、ただ「よかった」とだけつぶやいた。


 シルクは立ち上がり、マリアの側に近寄ると右手でその肩を軽くポンポンとたたいた。

「お疲れ様。これからのことは、まだ決まっていないから、ゆっくり休むといいよ」

 それは、マリアもよく知っている彼の優しい声だった。そこで、緊張が途切れたのか、マリアの体にどっと疲れが押し寄せる。それが表情に出ていたのか、シルクはマリアを見て微笑ほほえんだ。


「アゼル、部屋の手配を頼む」

「任された。おまえも、決めたんならしっかりと気張れよ」

 説得するのは骨だぞ、とアゼルはにやりと笑う。シルクは同じように笑い返した。確かに、貴族を嫌う者も多い中、マリアを認めさせるのは酷であろう。


「そんなに難しくは無いと思うよ」

 少なくとも、シルクは自身を交渉カードにすれば勝てると踏んでいる。シルクの身内、それはここまでの戦いの中で、大きな影響力を持っていた。


 シルクが部屋を出た後も、彼の背中が消えた先を呆然ぼうぜんと追っているマリア。複雑な表情を隠さなくなったアゼルは、どう声をかけるべきか思案している。


 しばらく、無音の時が流れた。しかし、目の前でマリアが崩れ落ちたことで突然終わる。

「嬢ちゃん!」

 慌ててアゼルが駆け寄った。そんな彼を、マリアはその細い腕で制した。

「だいじょうぶ、だいじょうぶです」


 緊張が解けたからか、マリアの体から一気に力が抜けた。同時に、なぜあふれてきたのか分からない涙がほおを伝う。拭っても、拭っても、止まる気配が無かった。


「よかった」


 一つ、大きく息を吐くとマリアは胸に手を当てる。

「ようやく並べました」


 あの日、家を捨てる覚悟で遠ざかったシルクの背中。かすんでいたそれが、ようやく見えるところにまで来た。

 マリアは、そんな満足感を感じ取っている。


(……いいのかね、これで)

 ただ一人、そんな彼女を見て不安を感じているのがアゼル。彼女の本願、それを少しは聞いていたからシルクが受け入れてくれたこと自体は好ましいことである。


 しかし、だ。


 同時にシルクには、最後まで突っぱねて欲しかった思いもアゼルにはあった。

(最後の、『聖域』だったろ。この子は。シルクにとって)

 気合いを入れ直して立ち上がるマリアの愛らしい仕草を苦い表情で眺めながら、アゼルは内心で嘆息する。


 シルクの周囲に存在する、ままならない現実。彼の理想の前では障壁でしかない。

 それでも、マリアはシルクがまもっていたかった『現実』だったはずだ。彼女を目の当たりにしたときのシルクの動揺からも、アゼルにはそれがよく分かった。


(確かに嬢ちゃんの力はでかいんだよな。軍にとって。それは分かるんだけどさ)


 それでも、シルクは決断した。マリアを、自らの理想のために費やす同士とすることを。

(逃げ道、無くなっちまったな)

 もともと前にしか道はない状況ではあった。しかし、シルクには縁を切ったと公言しながらも、アルビス家とマリアという存在がいた。いざというときは逃げ出す口実となったろう。

 退路を用意することは悪いことでは無い。むしろ、いざという時に逃げることができるという安心が、大胆な行動をとれる後押しになることもある。

 時と場合によるが。それが、戦場を生き残ってきたアゼルの率直な意見だ。


 しかし、こうなったらシルクは後戻りできない。たとえ、マリアを失おうとしても止まりはしないだろう。

(しっかりと、傷をつくりながら、な) 

「アゼル様?」

 黙り込んでいたアゼルにマリアが話しかける。


 アゼルが何に苦悩しているかは、おそらく分からない。いや、シルクと共に行ける事実への喜びで隠されてしまっていてマリアには考えも付かない。

「悪い。じゃあ、ちょっと案内しようか」

 アゼルは自らのうれいを笑顔に隠し、マリアを部屋の外へと促した。彼女に見えないところで拳を握りしめ、己の役割への決意を新たにしながら。

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幻遊剣士 ~理想と現実の狭間に~ 想兼 ヒロ @gensoryoki

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