五日目

 曲は出来ただろうか……。ウィルミナはそんな思いで、朝からそわそわとして落ち着かない。

 テーブルに置かれた、ティーカップに注がれたカラメルミルクティーを一口啜っては窓を眺める。

 現在時刻は朝の九時。彼女は昨夜、今日という日が楽しみでなかなか寝付けず、今朝も五時に目が覚めた。その目元には薄っすらと隈が浮かんでいる。


「どんな曲になるんだろう」


 窓を見つめながら呟くと、テーブルの脇に無造作に置かれた雑誌を手に取った。世界の様々な場所の情報がまとめられた週刊誌『ワールウインド』

 ウィルミナは、ハウゼルが来るまでこの情報誌を読んで時間を潰すことにした。


 ――それから三時間あまりが経った。

 しかしハウゼルは一向に姿を現さない。ちょうど昼時と言うこともあり、小腹が空いたウィルミナは昼食を摂る事にした。

 温かい紅茶を入れなおし、パン籠からツイストパンを一本取り出すとそれらをテーブルへと運ぶ。そして雑誌を読みながらのランチタイム。

 途中席を立ち、空気を入れ替えるために窓を開けた。そこから入り込む風は水色のカーテンを揺らし、部屋の中へと綺麗な空気を運んでくる。

 彼女はそのついでに、風たちに彼のことを尋ねる。すると風は答えた。

『ハウゼルは今森の中。いよいよ曲作りも大詰めだよ』と。


 それを聞いたウィルミナは手早く昼食を済ませ、いつ彼と会ってもいいように仕度を始める。

 寝癖で跳ねた髪をブラシで梳き、パジャマから風詠の衣へと着替える。それはまるでドレスのように凝った衣装で、空のような美しい青色で染められていた。全体的に真っ白い鳥の羽で装飾され、青と白のコントラストが非常に美しく、彼女が動くたびにそれらはふわふわと踊る。

 普段はあまりメイクをしないが、今日は少しだけおめかししてみる。何故なら今日は、彼と会える最後の日。

 ハウゼルがシルウィードを発つ。だから別れる前に本当の自分を、風詠の自分を見てもらいたい。それと同時にハウゼルの事が気になる、そんな不思議な気持ちを胸に抱いて――。


 そうして彼女が仕度を終える頃、風たちはウィルミナへと告げた。


「……そう。ありがとう。みんなで行こうよ」


 彼がこちらへ向かっていることを風たちから受けたウィルミナは玄関へと向かう。そしてヒールの少し高いブーツを履いて外へ出た。

 外で待機していた風たちをその身に纏うと、着ている衣装がふよふよとそよめく。袖と裾に豪奢にあしらわれた羽の装飾が上下に動き、まるで鳥が翼を羽ばたかせているように見える。


 彼女が丘を下り始めた時、丁度そこへ森の方からハウゼルが現れた。その顔は自信と達成感に溢れており、ゆっくりとした足取りでウィルミナの元へと歩いていく。

 やがて二人は草原中央の切り株前で相対した。


「曲、出来たんだ」

「うん。完璧さ……って、今日はどうしたの? すごく豪華なドレスだね」


 自信を持って頷いたハウゼルは、ウィルミナの装いが普段と違うことを不思議に思った。


「これはね、風詠の正装だよ」

「正装?」

「うん。あなたに本当の私を見てほしくて……。この格好、どうかな?」

「……すごく綺麗だよ。君にピッタリだ」


 ハウゼルは全体を見た後、彼女の目を見つめて言った。ウィルミナは少し照れ臭そうに身をよじる。


「……ありがとう」

「いえいえ」


 にこりと微笑みを返すと、ハウゼルは切り株に荷物を積み上げた。シルウィードのお店で色々買ったのだろう。いつもの荷物の他に買い物袋が数点目に映る。

 ずっと滞在していられればいいのに、とウィルミナは内心思っていたが、そんなことは口に出さない。どう気持ちを表せばいいのか、分からなかったからだ。

 リュートを切り株の脇に立て掛けたハウゼルは切り株に腰を下ろし、ウィルミナもそれに続いてその隣に腰掛けた。


「君にもらった詩に曲をつけて、ようやく歌が完成したから、聞いてくれるかな?」


 ハウゼルは真剣な眼差しでウィルミナを見つめる。彼女はそんな彼に向き直り、目を見つめ返すと静かに頷いた。

 ハウゼルはリュートを手にとっておもむろに構える。そして囁くように声を発した。


「ウィルミナと風に送ります、聞いてください。『Peaceful Wind』」


 言い終わるとハウゼルは弦を爪弾いた。スローテンポのイントロはとても優しく、そよ風に溶けるような曲の入りだった。

 そしてイントロを抜けると彼の美しい歌声が辺りに響き渡る。


「キミが空に描く白い夢のアート

 歌に乗せて紡ぎ出す

 キミの言葉、贈り物


 陽の光に照らされて

 優しい風に包まれて

 空を巡るメロディ、今もこの胸に


 キミがくれた白い花を見てると

 いつもキミに会いたくなる

 風に乗せて届けよう


 この思い、この願い

 いつも側にいるよ


 キミを見守っているから

 泣かないで、笑顔を見せて


 風と共に過ぎる季節のように

 この想いも巡っていく


 キミの思いはきっと届くよ

 やすらかな風に乗って

 あの空に、その向こうに」


 リュートの奏でる美しい旋律。そしてハウゼルの美声。緩やかに流れる風のような音の響きと優しい歌声。

 完成した曲を聴いたウィルミナはその目に薄っすらと涙を浮かべていた。別れの日に聴く最後の曲……。


 やがて弾き終えたハウゼルは、しばらく感慨深げにリュートを見つめる。そして拍手の音と共にリュートを置くと、彼女へと向き直った。


「どう、かな? こんな感じなんだけど」

「すごくよかったよ! ……ハウゼル、ありがとう」

「ウィルミナ……。こちらこそありがとう。もしよかったらこの曲、僕に歌わせてくれないかな?」

「うん。ぜひ!」

「ありがとう」


 ウィルミナの了承を得たハウゼルは小さく頭を下げた。そして一息つくと、寂しげな表情をして空を見上げる。


「……シルウィードも今日でお別れか……」


 その言葉を聞いたウィルミナも悲しそうな顔をした。しかし彼女はハウゼルに何も言わない。ただ俯いているだけ。

 そんなウィルミナを彼はチラリと横目で見ると、視線を戻し小さくため息をつく。


「風は……世界を廻ってるんだよね」

「えっ? ……うん」

「じゃあ、僕が旅して演奏していること、風たちから聞けるね」

「……うん」

「寂しくなんかないよ。寂しくない……。僕は歌を君に、風に乗せて届けるよ」

「あ……」

「あの詩、そんな想いが込められてると思ったんだけど?」


 ハウゼルに指摘されたウィルミナは顔を赤く染めて俯いた。ハウゼルはそんな彼女を見て微笑んでいる。


「僕はあの詩が好きだよ。人の想いを届ける風……。本当にそんな気がしてくる」

「……風はね、人の想いを届けるんだよ。届かないことの方が多いけど……それでも風たちは、人の想いを一生懸命届けようとするの」

「……君の、想いは?」


 ハウゼルは彼女へ身体を向けると、真っ直ぐにその瞳を見つめる。

 空のように美しい青色の瞳。まるで空をそこに閉じ込めたかのような、スッと吸い込まれそうな二つの蒼玉が揺れている。

 彼に見つめられたウィルミナは、恥ずかしさのあまりドギマギして再び俯いた。両の手を膝の上でもじもじさせながら、チラチラとハウゼルを何度も見る。


「わ、私は……」


 声を震わせ、ウィルミナは勇気を出してハウゼルへ告白する。


「は、ハウゼルが……好き……」


 それを聞いた彼は優しく微笑み、そして言った。


「よかった。僕だけじゃなかったんだ」

「えっ?」

「僕も、ウィルミナの事が好きだよ」


 彼の言葉を聞いたウィルミナは益々顔を赤くして縮こまる。そんなしおらしい彼女をしばらく見つめると、ハウゼルは懐から懐中時計を取り出した。そして時刻を確認すると静かに立ち上がる。

 それに気付き、彼女はハウゼルを見上げた。すると背を向けたままの彼が声を発する。


「ごめん、もう行かなきゃ」


 ウィルミナは急に切なげな表情をして立ち上がると彼の背中に声を掛けた。


「また……会えるかな」


 彼女の問いにハウゼルは俯き、少しの間沈黙が流れた。

 草原に吹く風の音だけが時の流れを刻んでいるかのように、静けさに満ちた短い時間。不安に駆られたウィルミナは胸に手を当て、何か言おうと口を開いたが声を飲み、彼の返事を待った。


「分からない……」


 返ってきたのは否定的な答えだった。ウィルミナは前向きな返事を期待していただけにショックが大きいようだ。瞳を少しずつ水分が潤していく。


「僕は歴史を歌い継ぐ吟遊詩人だ。歌を歌い、鳥のように世界を巡って曲を作り、大地に触れ自然を奏でて旅をする。……一箇所に留まる事は出来ない。引退するまでは……」


 ハウゼルの声が震えている。風が寂しげに泣いている。


「そっか。そうだよね」


 納得は出来ない。でも仕方がない。ウィルミナの目にはもういっぱいの涙が溜まっていた。零れないように、泣かないように必死で我慢している。


「でも――」


 そう言って彼は振り向いて言った。


「またきっと会いに来る。シルウィードの風たちに、誰よりも君に、ウィルミナに」


 彼女はその言葉にハッとした。――瞬間、瞳を潤していた涙が流れ落ちる。


「そうだ……君に、預かって欲しいものがあるんだ」


 そう言ってハウゼルはトランクから銀の竪琴を取り出しそっとウィルミナに差し出す。


「でもこれ、宝物――」

「うん。僕の始まりでもある大切なハープだ。だから、君に持っていてほしい。僕がまたここへ戻ってくる約束として」


 彼女は少し悩んだが、やがて決意を固める。ゆっくり頷くと涙で濡れる瞳でハウゼルを見つめ返し、そして銀の竪琴を受け取った。大切に胸に抱く。


「ありがとう、ウィルミナ」


 一言礼を言うと、吟遊詩人は荷物を持って帰り支度を始める。リュートを背負い、ヴァイオリンケースと買い物袋を携えると、切り株の上にトランクを残してウィルミナへ視線を戻す。


「君のうたを歌うよ。君に届くように、風に乗せて、心を込めて」

「……うん」

「さよならは言わないよ」

「……うん」

「それじゃあ、また会おう! ウィルミナ」

「うん!」


 別れを告げたハウゼルは、彼女に背を向けて森へと歩き出す。途中、彼が振り返ることはなかった。ただの一度も……。

 ウィルミナは、彼の姿が見えなくなるまでその背中を見送った。腕にハウゼルの竪琴を抱いて……。



 ――――風が草原を静かに吹き抜ける。

 空を見上げるとゆっくりと雲が流れていく。見上げた拍子に瞳から零れた雫。

 最後に落ちたウィルミナの一滴の涙を風がさらい、舞い上がった雫はどこまでも高く、青く澄んだ空へと溶けて消えていった。

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Peaceful Wind ~風詠の詩~ 黒猫時計 @kuroneko-clock

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