四日目

 ウィルミナは一人、朝から頭を悩ませていた。

 白を基調とした内装でまとめられた明るい部屋の中央。ウッドテーブルにノートとペンを出し、真剣に詩を考えているようだ。

 一行書いては頬杖を付きその部分を眺める。納得いかないようで消してはまた書いて眺める。そんなことの繰り返しで、一向に前に進まない。


「ふぅ、難しいなー」


 小さくため息をつくと、彼女は椅子から立ち上がり窓の方へと歩いていく。そして外を眺めた。

 視線の先にある切り株に人は座っていない。ハウゼルは今日いつ来るんだろう? そんな思いでしばらく森を見つめていたが、人が来る気配がまるでない事に気を落とし、ため息を吐いたウィルミナはテーブルへと戻っていった。


 それから約1時間。詩を書くと言う作業が特に進展することなく、彼女は頬杖をついて時計をジッと眺めている。


「はぁ~。……無理かも」


 テーブルに顔を伏せて首を左右に振る。チラリと髪の隙間から覗くノートには、まだ二行しか詩が書かれていない。そのまましばらくの間固まっていたが、何かを思い立ったのか、急に彼女は立ち上がると部屋を出てその足で外へ出て行った。


「う、ん~~……はぁ~。やっぱり外は気持ちいいな」


 ウィルミナは大きく身体を伸ばし深呼吸をした。

 草原を流れる風は丘を登り、家の前に立っている彼女の肌を優しく撫でる。


「あ、そうだ。ねぇ、今ハウゼルは何処にいるの?」


 風へと問いかけるウィルミナに、風たちは答えを返す。


「……そっか。今日も演奏なんだ。そうだよね、バードマスター、だもんね」


 呟き森を見つめる。その向こうにあるシルウィードの広場で、今頃沢山の人々に囲まれて演奏しているハウゼルを思う。

 そして視線を家へと移す。昨日ハウゼルと約束をした。自分の書いた詩で歌を歌いたいと言ってくれた彼の為に詩を書くと。

 彼女は決意を新たに真剣な表情で頷くと、一旦家へと戻ってノートとペンを持ち再び外へ出る。そのまま丘を下りると切り株まで歩いていき、切り株の前に腰を下ろす。

 ノートをその上に広げてペンを持ち、そして一度空を見上げた。小さく「よしっ」と呟くとノートに視線を戻し、ウィルミナは詩を考え始める。

 どうやら自然を感じていたほうが集中できるようで、短時間の間に少しずつではあるが詩の行数が徐々に増えていった。


 それから約六時間。

 空はいつの間にかオレンジ色へと染まりつつあった。ウィルミナはと言うと切り株に突っ伏している。どうやら眠っているようだ。静かな寝息が風に乗って聞こえてくる。

 肝心の肘の下にあるノートには、ちゃんと詞が書き込まれていた。どうやら完成したようだ。


 風たちは楽しそうに草原を翔ける。草花がそれを受けて静かに揺れている。オレンジの光に照らされた草原は、やわらかな温もりに包まれた。

 ちょうどそこへ、演奏を終えたハウゼルが森を抜けて草原へと現れる。切り株にウィルミナの姿を見つけたハウゼルは、歩くスピードをほんの少しだけ上げた。

 切り株まで来ると寝ていることに気付いた彼は、彼女を起こさぬよう静かに隣に腰掛ける。手元にノートを発見したハウゼルは、そっと自分の方へノートをずらし、こっそり内容を盗み見た。


 すると人の気配に気付いたのか、ウィルミナが目を覚ます。


「ん、ん~……。あ、ハウゼル」

「あ、ごめん。起こしちゃったね」


 ゆっくりと上体を起こし、目を擦りながらハウゼルへと向き直る。彼の視線がノートへ注がれていることに気付いた彼女は訊ねた。


「あ、読んだ?」

「ちょっとだけ」

「いいよ。もう出来たから」

「では失礼して」


 そう言ってハウゼルはノートを手に取り、詩に目を通していく。


「どう、かな? 初めて書いたからよく分からなくて」

「……うん。僕はいいと思うけど」

「ホントに?」


 詩を読み終えたハウゼルからノートを受け取ったウィルミナは、再度自分でも読み返してみる。


「……なんか、改めて読んでみると、滅茶苦茶だね」

「そうだね」

「ムッ、なんか、面と向かって言われるとちょっとショックかも?」


 ふくれっ面のウィルミナに、ハウゼルは笑って誤魔化した。


「ははっ、ごめんごめん。でも、これが今の君なんだよ。それに、僕は好きだけど」

「えっ?」

「あー、この詩」

「あ……そう」

「君も、だけどね」

「えっ?」

「もちろん、風も」


 そう言ってハウゼルは、草原を一度見渡したのち空を仰ぎ見る。どこまでも高い美しい青空。地上で見るよりも遥かに綺麗だ。それは空が近いからかもしれない。

 そんなシルウィードの空と風、そして風詠の女性。

 ここへ来なければ出会うことも、知ることもなかった。彼は出会えた奇跡を噛み締めるように目を閉じて、大きく深呼吸をする。

 そうして目を開けるとウィルミナへ視線を戻して言った。


「君の為に曲を作るよ」

「……うん」


 声を聞き、彼女は少し照れくさそうに小さく頷いた。


「このノート借りていい?」

「うん、いいよ」

「じゃあ、明日までに曲完成させるよ」

「え、もう帰るの?」

「うん。一人の方が集中できるからさ。ウィルミナもそうじゃなかった?」


 そう言われ、彼女は腕を組んで少し考えてみる。


「う~ん……たしかにそうかも」

「ね? それじゃ、また明日」

「うん、また」


 ハウゼルはウィルミナに手を振ると、踵を返しそのまま森を抜ける。そして彼女はその背中が視界から消えるまで見送ったのち丘を登った。


 地上からかなり離れた上空にシルウィードは浮遊している。その為空気が澄み、空を広く見渡すことが出来るのだ。

 それはこの大地が浮遊石『エアリアルロック』を核としているからに他ならない。浮遊石を含んだ大地は、“何か”の影響を受けて大地という名の鎖を引き千切り浮上する。その“何か”と言うのは今だ解明されてはいないらしい。

 シルウィードが浮遊したのはおよそ三千年前。風詠がこの大地から消えたのは約千年前だと言われている。何があったのかは誰も知らない。考古学者たちは今でもその答えを探求している。

 そして何故、風詠がウィルミナただ一人になってしまったのか……。それは風だけが知っている。しかし風は話さない。だからウィルミナも聞かない。風が答えてくれるその日を、彼女は待っている――。



 遠くに太陽が見える。空は綺麗な橙色に染まり、優しい風が流れる静かな時間。ウィルミナのお気に入りの時間だ。

 少しだけ寒気を帯びた風が丘の上を涼やかに吹き抜ける。空がゆっくりと色を変えていく。美しいグラデーションはその色数を徐々に減らしていった。

 太陽が地平線へ沈むまで、彼女はその少し寂しげな光景を、ただ黙って見つめていた。

 夜が空を覆うまで。

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