三日目

 この日、いつものようにウィルミナは岬に立っていた。

 風に吹かれて水色のローブが踊る。風と談笑をしているのかと思いきや、どうやらそうではないようだ。今日の彼女の様子はいつもと違っていた。悲しげな表情を浮かべ遠くの空を見つめている。


「……どうして泣いてるの?」


 目を閉じ風の声を聴いた。

 普通の人間には、その音は空を切っているようにしか聞こえない。しかし風と会話の出来る彼女にはそれが理解でき、その傷ましく切なげな声に涙を流すのだ。


「……そう。辛かったね。……ごめんね。私には、なにも出来ない……」


 彼女は自分の無力さが情けないのか、奥歯をグッと噛み締め風の泣き声にじっと耳を傾けている。

 すると突然、森の方から人の声が聞こえた。


「ウィルミナー!」


 ハウゼルの声だ。ウィルミナと昨日ここで会う約束をしていたため、草原までやってきたのだ。

 相変わらず重そうなトランクとヴァイオリンケース、そしてリュートを背負ったいでたちをしている。

 彼女はポケットからハンカチを取り出すと、涙を拭いてから丘へあがった。そしてそのまま草原へと下っていく。ウィルミナが丘を下りきる頃、既に彼は切り株の上に荷物を乗せ終えて、彼女が来るのを待っていた。


「ウィルミナ、今日も遊びに来たよ! って、どうしたの?」


 彼女の頬に涙の跡を見つけ、ハウゼルは心配そうな顔をして聞いた。彼女は空を見上げると静かに口を開く。


「風がね……泣いてるの……」

「風が? ……どうして?」

「帰ってきた子達が言ってる。……また、大勢の人の血が流れたって」

「戦争……?」

「……うん」


 切なげな表情のまま頷いた。その瞳は涙で少し潤んでいる。

 その哀しげな瞳を見つめると、彼は辛そうな顔をして目を伏せた。


「そっか……」


 小さく呟いたハウゼルは切り株の上のトランクをおもむろに開ける。中から銀の竪琴を取り出すと、切り株に腰掛けて構え、弦を爪弾いた。

 ウィルミナはそんな彼の横へ静かに腰掛けると、両足を抱え込むようにして切り株に座り、顔を膝の上に乗せて彼を見る。

 ゆったりとした優しいメロディーを奏でるハープ。まるで風たちの哀しみを癒す子守唄のような旋律。目を閉じて曲を聞き入るウィルミナの周りに、泣いていた風たちが寄り添うように集まっていく。

 風が二人の周囲を取り囲むように包み込み、哀しさと寂しさを感じさせていた風たちは、やがて清々しいものへと徐々に変化していった。

 演奏が終わる頃、彼女の沈んだ気分も取り払われたようで、風たちも次々に空へと帰っていく。ハウゼルを見つめていたウィルミナは、空を見上げると静かに口を開いた。


「あなたの演奏は不思議ね。さっきまで泣いていた風たちが、気持ちよさそうに空へと帰っていったわ」

「よかった。この曲はね、大昔の吟遊詩人が風をテーマにして作った独奏曲なんだ。本来はリュートで弾くものなんだけど、アレンジしてハープで弾いてみた」

「そうなんだ。どうりで私も心地よく感じたわけね」


 膝の上の竪琴を切り株の上に置くと、ハウゼルは先ほどの会話で気になったことを問いかけた。


「ウィルミナがさっき“帰ってきた子”って言ってたけど、あれってどういうこと?」


 空を見ていた彼女は、視線をハウゼルに戻すと質問に答える。


「シルウィードはね、風詠の言葉で『風の始まり』を意味するんだ」

「風の始まり……ってことは、ここが風たちの家?」

「うん。大抵の子たちは生まれてすぐにここを出て世界を旅しに行くんだけど、ここから一歩も出ない子もいるんだよ。さっき泣いていた風たちは、世界を巡ってここへ帰ってきた子たち」

「へぇ~。……君と話してるとなんだか楽しいな。風っていう存在のいろんな一面が聞けて。新しい曲のイメージが湧いてきそうだよ」


 そう言うと彼は笑顔を向ける。無邪気な子供のようなその笑顔に、ウィルミナも微笑みを返した。


「そう言えば、ハウゼルはどうして吟遊詩人になろうと思ったの?」


 質問を投げかけると、彼はその瞳を見つめ返し、そして銀の竪琴に視線を移す。


「僕はね、もともとある街で楽器職人の見習いをしていたんだ」

「楽器を作ってたんだ」

「うん、住み込みでね。趣味で弾き語りなんかやってたんだけど、ある日師匠の奥さんにたまたまそれを聞かれちゃってさ。綺麗な声だって褒められて……後日そのことを師匠にも話したらしくて。師匠の前で演奏する破目になっちゃってね」

「それで、どうだったの」

「師匠も褒めてくれたんだ、綺麗な歌声だって。そして、お前は吟遊詩人になったほうがいいって言われた。そんな声を持っていて、こんなところで楽器だけ作ってるなんて勿体無いって……。僕は楽器職人になるつもりだったんだけどね。休日、僕は試しに街の広場で歌ってみたんだ。そしたら思いのほか大勢の人が立ち止まって聞いてくれてさ。泣いてくれてる人なんかもいて……。その時に思ったんだ。こんな僕でも人を感動させられるんだって」

「それで吟遊詩人になったのね」

「うん。この銀の竪琴はね、師匠と奥さんが門出を祝って、僕の為に作ってくれたものなんだよ」


 ハウゼルは大事そうに膝の上にハープを寝かせると、感慨深げに見つめてはその鏡のように磨き上げられた美しいボディに触れている。


「素敵な話ね」

「僕の宝物なんだ」


 二人はハープを見つめている。いろんな想いが詰まった美しい銀の竪琴。製作者の、所有者の、そして音色を聞いた世界の人々の……。沢山の願いや想いをその身に受けて、このハープは今ここにいる。

 しばらく竪琴を見つめ物思いに耽っていたが、ハウゼルは何かを閃いたようにハッとして彼女を見た。


「ウィルミナ」

「何?」

「歌、作ってみない?」

「……歌?」

「そう、歌。風詠の、君の歌を」


 真剣な眼差しで見つめるハウゼル。彼女はその視線を逸らすことなく見つめ返す。


「でも私、歌なんか歌えない」

「大丈夫。歌は僕が歌うよ。君には詩を書いて欲しいんだ」

「詩を?」

「うん。君のうたを、僕は歌いたい」


 いつになく真剣に自分へと訴えかけるハウゼルに、彼女は少し戸惑いの表情を浮かべる。少し考えた後、ウィルミナは彼に返事をした。


「うん、分かった」

「ホント!?」

「でも、うまく書けないかもしれないよ?」

「いいよ。君が思ったまま書いて欲しい。僕が曲をつけるからさ。記念だよ」

「分かったわ」


 やった、と拳を握りポーズをすると、ハウゼルは急に立ち上がって伸びをする。そして大きく深呼吸をすると彼女へと向き直った。


「じゃあウィルミナ、詩、よろしくね」

「あれ、もう帰るの?」

「ううん。今日も街で演奏するんだ。ありがたいことに、なんか昨日のが評判よかったみたいでさ」


 そう言うとハウゼルは照れくさそうに頭をかいた。


「そっか。なら仕方ないね」

「ごめんね。詩、楽しみにしてるよ」

「ちょっと、ハードルあげないでよ」

「あはは、ごめんごめん。じゃあ、また明日」


 ハウゼルは手早く荷物を持ち準備をすると、ウィルミナに手を振って森へと駆け出す。その背中を彼女は少しつまらなさそうな顔をして見送っている。


「ハウゼルは忙しい人だね」


 そう風たちに言葉を投げかけると、風の中にハウゼルを知るものがいた。ウィルミナはその風と言葉を交わす。すると風はそれに答えた。


「ハウゼルって、下界じゃそんなに有名なんだ」


 風によると、ハウゼルは世界に認められた数少ないバードマスターらしい。その演奏技術はもちろん、歌唱力も伴わなければなる事すら出来ないとされる、吟遊詩人のマスタークラス。

 彼は世界を旅し、その美しい歌声と自然に溶け込むような演奏で、人々を魅了し日々ファンを増やしている。片田舎ではどうか知らないが、都会で彼の名を知らないものはほとんどいないそうだ。


「ん~。ますますハードル上がっちゃったよ」


 ハウゼルがそんなすごい人物だとは知らず、詩を書くと安請け合いしたことを少し後悔しているようだ。

 小さくため息をつきながら、ウィルミナはうな垂れたまま家へと帰っていった。

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