二日目

 ウィルミナはハウゼルに誘われた、シルウィードの中央広場へ赴いていた。

 ……ここはいつ来ても人が多い。

 その大半は主に観光客だが、露店も多数出ており、風都に住む人々の憩いの場にもなっていた。

 中央には円形の噴水があり、規則正しく水を噴き上げては下の水溜りへと降り注いでいる。

 そして最も目立つ、広場の最奥には時計台が見える。手前にある階段を登ってその下まで行けるのだが、その階段にまで結構な人数が居座っていた。住民に混じって観光客たちが座って談笑している。

 風詠がいた頃もこんなに賑わっていたのかと、ウィルミナは1人思いを巡らせた。


 広場を見渡した彼女は、ある一角に人々が集まっているのを見つける。何か見世物でもやっているのだろうか、そう思ったウィルミナはその人だかりの方へと歩いていった。

 近くまで来てみると、人々が何かを口走っているのが聞こえた。街の雑踏の中、様々な雑音を潜り抜けて聞こえてきた、人々の会話の中にあって分かった単語。『ハウゼル』

 どうやら彼がここにいるらしい。それにしても、観光客は彼を知っているような口ぶりだ。

 彼女が並んでいるのは、人だかりの最後尾な為その姿を見ることは出来ないが、ハウゼルは間違いなくそこにいる。彼女は彼の演奏まで、風たちとそこで待つことにした。


「大丈夫? ……そう、人が沢山で息苦しいの。でも、彼の歌を聞きに来たんだよね? ……うん、もう少しだから頑張ろう」


 風と会話をしていると、前方から聞き慣れた声が聞こえてきた。


「みなさん、今日はお集まり頂いてありがとうございます」


 ハウゼルの声だ。変わらぬ優しい声で挨拶をし、丁寧にお辞儀をしているのが、目に見えなくても空気でウィルミナには感じて取れた。


「短い時間ですが、どうか僕の歌を、曲を聞いていってください。そして、聞いてくださったあなた方が、何か心に感じてくだされば僕は幸いです」


 言い終えると、少し間をおき曲を奏で始める。

 まず使用した楽器は、昨日ウィルミナも聞いたヴァイオリンだった。観客からはため息が漏れる。曲調はどこかノスタルジーで、まるで中世の街並みを思わせるような、そんな情緒溢れる曲だった。魅せて聴かせる高度な技巧は然る事ながら、一音一音がまるで朝露を纏ったかのように、瑞々しく潤いのある豊かな響きを旋律に乗せている。

 人々は彼のヴァイオリン独奏曲にしばしの間聞き入っていた。やがて曲が終わると、観客から自然に拍手が湧き起こる。


「ありがとうございます」


 ハウゼルは大衆へ礼を述べると、ヴァイオリンをケースへとしまい次の曲で使う楽器の準備に取り掛かる。音符柄のトランクから取り出したのは、銀色の竪琴だ。

 その造りはとてもシンプルなもので、特に目立った装飾などはされていない普通のハープだった。研磨の跡だろうか、小さな擦り傷が所々に付いていて、長年愛用しているのが見て取れる。


 吟遊詩人は六十センチ程の竪琴を膝の上に乗せると弦を爪弾き演奏を始める。ポロロン、と鳴らした一音から、観客はその魅力的なハープの声に聞き入り、恍惚とした表情を浮かべた。

 いつの間にか広場にいた観光客や風都の住人たちも人だかりに並び、ウィルミナの後ろに更に人が溜まっていく。騒がしかった広場の様子は少しずつ落ち着いていった。


 しかし、繊細な音、美しさに感動をするような演奏だと思っていたのも束の間。ハウゼルの奏でるハープは突如、悲しみに満ち溢れた声を発する。

 曲を知らない観客はそれに少し驚いたが、すぐに音に集中し曲を聴く。その悲しい旋律は、人の心の奥深くにある感情を揺さぶり哀しみを呼び起こすものだった。

 演奏を聴いている客は途中から涙を流し、作曲者の心を汲んでか感傷に浸っている。


 ウィルミナも例外でなく、ハウゼルの奏でる悲しげなハープの音に風と共に涙した。

 彼の演奏中、広場は悲しみに包まれた。曲の終わりまでそんな雰囲気が続いていたが、曲の終わりと共に観客からはまた拍手が起こる。ハープでの演奏曲はまだ続くようで、他にもう二曲演奏した。

 先程までの悲愴感漂う空気とは一変して、他の二曲は優雅な曲だった。まるでセイレーンが奏でるハープのような、そんな魅惑的な演奏だ。

 やがて竪琴での演奏が終わると彼は立ち上がり、集まった観客へ向かって声を発する。


「みなさん、僕の曲をお聞き下さりありがとうございました。残念なことに、次で最後の曲となります」


 観客からは「えぇー!」という惜しむ声があちこちで上がる。ハウゼルは少しお辞儀をして話を続けた。


「最後の曲も、今までの曲同様。精一杯演奏しますので、どうかみなさん、楽しんで聞いていってください」


 言い終えるとハウゼルは、壁に立てかけておいたリュートを手に取り、階段に再び座るとそれを構えた。

 複弦七コース、十三弦のリュートを爪弾きまずはイントロから弾き始める。流れるような運指、繊細な高音弦の響き。街の中にいながら、まるで自然の中にいるかのような錯覚を起こす、ハウゼルの奏でるリュートの音。

 そしてイントロを抜けると聞こえたのは声。ハウゼルの声。第一声から人を惹きつける、魅力のある美声だった。曲調と相まって神秘的な空間を広場の一角に作り出していく。

 声が聞こえたのだろう。時計台へと続く階段に座っていた人々も、露天の主たちも、ハウゼルの歌を聞こうと次々に集まってきた。広場はやがて主役の一人しかいない、ハウゼルの独擅場と化した。


 うるさかった広場は静まり、吟遊詩人の声しか聞こえない。目を閉じて声と音だけに集中する者、曲に合わせて体を揺する者。様々いる中で、ウィルミナはただ一人、まるで時が止まったかのように瞬きもせず、ただその場で呆然と立ち尽くしていた。

 このような美しい歌声を今までに聞いたことがなく、例えるなら彼の声が、リュートの音が、それぞれが風と絡み合い自然に溶け込むような、そんな不思議な感覚に、彼女自身自然に身を任せることしか出来なかったのだ。


 歌が終わる頃、ようやくウィルミナの時間が元に戻り始めた。夢見心地な表情を浮かべていたが、拍手の音と共に現実世界へと引き戻される。ハウゼルのライブは大盛況のうちに幕を閉じた。

 彼は大衆への挨拶を述べると、集まっていた人々は1人また1人とその場を離れていく。

 楽器を片付け終えた吟遊詩人は、人の波の中にありながら、他の人とは違った雰囲気を漂わせ、ある種独特な存在感を放つ女性の元へと歩いていく。


「ウィルミナ、来てくれてたんだね」

「あ、うん」

「ごめんね。場所、もっと早く教えてあげられれば、こんな窮屈そうな所で見なくてもよかったのに」


 ハウゼルは少し申し訳なさそうに頭を下げた。


「ううん、いいよ」

「それより、どうだった?」

「……感動したよ」


 彼女の頬に涙の跡を見つけたハウゼルは、なんだか嬉しそうだった。


「ありがとう。風たちも聞きに来てくれたんだよね?」

「うん。みんなよかったって言ってるよ」

「君たちもありがとう」


 空を見上げ、自分には声を聞くことは出来ないが、ウィルミナに付いて演奏を聞きに来てくれた風たちに感謝の気持ちを伝えると、それを見ていた彼女はクスッと笑った。


「ふふっ」

「ん? どうしたの?」

「あなたにありがとうって言われて、風たちが喜んでるの。風はね、人から感謝されるのがすごく好きなんだよ」

「そうなんだ。なら、これからは常に感謝しながら旅をするよ」

「うん、そうしてあげて」


 二人はどちらからともなく笑い、それをやわらかく風が包み込む。小さな幸せな時間が二人の間を流れていく。しばらく会話を楽しんでいた二人だったが、突然ハウゼルは何かを思い出したように声を上げた。


「ウィルミナ、ごめん。楽器の手入れしなきゃいけないから、そろそろ行くね」

「そっか」

「明日も会える?」


 少し照れくさそうに自分へ問いかけるハウゼルに、ウィルミナも恥ずかしそうに答える。


「……うん。待ってる」


 照れ隠しだろうか、二人は互いに俯き少しの沈黙が場を包む。ややあって先に顔を上げたのはハウゼルだった。


「じゃあ、また明日。バイバイ、ウィルミナ!」

「あ、うん。バイバイ」


 手を振り足早にその場を立ち去っていく彼に、ウィルミナもはにかみながら手を振った。やがてその姿が見えなくなると、急に寂しい空気が辺りを漂う。

 広場はいつもと変わらない賑やかさを取り戻している。ウィルミナは気付いているだろうか、自分が今切なげな表情を浮かべていることに。


 気分を切り替え、露天をいくつか見て回った後、適当に買い物をしたウィルミナも帰路へと就いた。

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