第31話 とうとう童貞を捨てたけど、自分たちの戦いはこれからな件

「さ、今日は落ち着いてやろうね。ちょっとやそっと失敗したって、わたしは魔王のこと嫌いになったり軽蔑したりしないんだからさ」


「うむ、済まぬ。昨日はどうかしていたのだ」


 ここは魔王城の寝室である。今夜こそ……


「俺は童貞を捨てるぞ! ジョ○ョー--ーッ!! てね」


「人の言葉を取るでない。それも漫画の言葉を引用してからに」


 その漫画は前に読ませてもらったのである。かようにスズナにからかわれながらも、今日の余の心は平静である。一度や二度の失敗が何であるか。二度で駄目なら三度、三度で駄目なら四度も五度も挑戦すればよいだけである!


 だが、今度平静でないのはスズナの方であった。


「昨日はわたしもテンパってて気付かなかったけど、魔王、大きくない?」


「ふむ? 他人と比較したことはないのでわからぬな」


「わたしだって他のモノなんて見たことないよ! でも、その、性教育の本で読んだのと比べると、サイズが大きい気がするんだけど……『小さい』って話はどっから来たのよ!?」


 スズナの疑問に、少し考えて答える。


「よく考えてみると、あれはエレーヌ姫が勝手に想像しただけで、別に余の逸物いちもつを見ての感想ではなかったのだな」


「う、げ……」


 顔がひきつったスズナである。


「どうする? やめるか? 余はスズナを傷つけたくはない。余は四百六年も待ったのだ。いまさら数日、いや数か月や数年であっても、遅れたところで、どうということはないが」


 余が心配して尋ねたのだが、スズナは頭を振って答えた。


「ううん、せっかく晴れて夫婦になったんだからさ。ヤるべきことはヤらなきゃね。わたしだって興味はあるし」


 それが強がりに聞こえたので、余は改めて問う。


「怖いのではないか?」


「……そりゃ、怖いよ。だけど、わたしは『勇者』! 『勇気ある者』なのよ!! 魔王の恐怖なんかには負けないよっ!!」


 そう、強がりを言ってから、不意に冗談めかして言う。


「それに、わたしが何とかしなきゃ、世界の危機だもんね……私とヤれなくて魔王がダークサイドに堕ちちゃったりしたらさ」


「ひどいことを言う」


 抗議しながらも、余はスズナの体を抱きしめると、寝台の上に押し倒していった。


 そして、今度こそ余は童貞を捨てた……のである、が……


「いったあぁぁぁぁぁぁぁぁぁいぃっ!!」


「だ、大丈夫かスズナよ。今治癒魔法を……」


「やめてっ! 治癒魔法なんかかけたら、膜まで再生されちゃうじゃない!! また痛い思いさせる気!?」


「お、おう、そうであるな」


「大丈夫、このくらい我慢できるから……続きしよっか」


 そして、余はスズナを深く愛した……のであるが……


「魔王……」


「何であるか?」


「いや、アレって溜めとけるモンじゃないとは知ってるけどさ……でもやっぱり言わせて。三百九十年以上って、溜めすぎだよ」


「済まぬ……」


 窓からさし込む日の光は、黄色かった。


 ……そして、十月十日の月日が流れたのである。


「ううううううっ!」


「頑張るのだ、スズナよ」


 余は、ただスズナの手を握りしめ、声をかけて励ますことしかできぬ。愛する妻が必死に戦っているというのに、何ともどかしいことか。


「はい、吸って、吸って、吐いて、吸って、吸って、吐いて……そうそう、上手ですよー」


「もうちょっといきんで、そう、もう少し、はい頑張って」


 助産師がスズナに呼吸法の指示を出している。医師は医療機器で胎児の心拍などを見ながら、力を入れるよう励ましている。そう、初夜において一発必中してしまったのである。


 曲がりなりにも、日本国内において産科と小児医療では最先端の専門病院である。親子とも特に異常がないスズナの出産において、間違いなどあるはずもない。そう思うからこそ、こちらの世界での出産を選んだのである。そして、この病院では立ち会い出産ができる。余が立ち会えば、万一のことがあったとしても、魔法で何とかできよう……そう思ってはいたのだが、実際に立ち会ってみると男親など何もできぬ。


「あがっ、あががががっ、あぐぁあああああああっ!!」


 野獣の咆吼のような声を上げ、余の手を砕けんばかりに握りしめるスズナ。


「今から麻酔はできぬのか?」


「できますが……どうしますか?」


 思わず医師に尋ねてしまった余であるが、それを止めようとする声があった。


「や、やめて……わたし、このくらい、耐えてみせるから……あががががっ!」


 スズナの意志は固い。胎児に悪影響が出る可能性がある麻酔など使わずとも、余の鎮痛魔法で胎児には無害にスズナの苦痛を取り除くこともできるのであるが、それすら拒否しているのである。出産の苦しみに、ひたすら耐えながら。


『親になるって、それだけの覚悟が必要なことなんだよ』


 麻酔も鎮痛魔法も拒否したときのスズナの言葉が脳裏に蘇る。


 陣痛が始まって、既に八時間。いかに無限の体力を持つスズナとはいえ、これだけの長時間の苦しみは精神を痛めつけているはずである。それでも屈さぬとは、何と強いことか。勇者であるから、というわけではあるまい。世の母親は、この苦痛に耐えて子を産んできたのだ。母親とは、すべて勇者であると言えよう。魔王などと威張ってみたところで、この勇者たちの前においては塵芥に等しい。


 そして、ついに勇者が勝利するときが来た。


 赤子の泣き声が産室に響き渡ったのである。


「出生十九時三十二分、記録しておいて」


「おめでとうございます、元気な女の子ですよ!」


 医師と助産師の声を聞きながら、余は改めてスズナの手を握りしめ、そっとささやいた。


「スズナよ、ありがとう。よく頑張ったな」


「ふふっ、どうってこと、ないよ」


 そして、早くも母親の顔になったスズナが、余に指示を出す。


「ほら、写真撮ってよ!」


「む、了解である」


 余は、産室の脇机に置いておいた電子式写真機を手にとり、さっそく看護師に拭き清められている赤子の写真を撮り始めた。高感度設定ゆえ、発光装置を使う必要はない。


 その間、スズナは産後処置を受けている。治癒魔法を使えば簡単に処置できるのであるが、まあここは医師に任せておこう。


 やがて、母子とも産後処置を終えると、赤子が横になっているスズナの胸に置かれる。口をすぼめ、初乳を飲もうとする娘を愛しそうに抱きながら、スズナが言う。


「生まれてきてくれてありがとうね、真優まゆちゃん」


 女の子であることはわかっていたので、名前は既に決めていた。余の世界においては『魔王女』マユ・スズシロ・バガテル。日本名は涼城すずしろ真優まゆ……結婚時に余は入り婿になったのである。日本への帰化申請も認められ、現在は涼城東湖とうこと名乗っておる。この文字は昔の学者から頂いた。


 娘の名の音は魔王と勇者からマとユを取ったのである。安直と言うなかれ。文字には、真に優しい心を持って欲しいという願いを込めているのだ。


 こうしてカンガルーケアとかいう母子のふれあいを行っていたのであるが、しばらくして助産師が余に声をかけてきた。


「そろそろ、お父さんも抱っこできますよ」


「ほら、抱いてあげてよ、お父さん」


 スズナにも促されたので、おっかなびっくり娘を抱き上げる。


 軽い。


 だが、重い。


「軽いが、重いな……」


「え?」


 腕の中に軽々とした娘を抱きながら、しかし、余はずしりと重き荷物を背負ったように感じていた。


 それは、この腕の中に息づく生まれたばかりの生命いのちへの責任である。余は、この大切な生命を守り育てていかなければならないのだ。


「責任のことよ。これから、長い長い戦いが始まるのだ。この子を立派に一人前に育てるという、な」


「ふふっ、そうだね。一緒に頑張ろ」


「ああ。余とそなたの戦いはこれからなのだ!」


 この日本に長き平和をもたらした徳川家康という権力者が言ったという。『人生とは重き荷を背負って遠い道を行くようなものだ』と。


 余はこれから、この子が独り立ちするまでは、その生命を背負って人生の道を行かねばならぬのである。もとよりスズナも共に歩む道ではあるが、父親の道と母親の道は、また少し違うであろう。これは、余の幼少の頃の三つの夢の最後のひとつ『立派なお父さんになる』をかなえるための道でもあるのだ。


 上等ではないか。人生山有り谷有りという。これから急な坂道もあるであろう。だが、最後までのぼっていってやろうではないか。


 余は、ようやくのぼりはじめたばかりなのだからな、この果てしなく遠い父親坂を!!

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四百年間童貞を守って魔王になったけど、女性との付き合い方がわからない件 結城藍人 @aito-yu-ki

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