第十話 後に残るは夢の城

 その下にあったのは、

 申し訳程度の布地で出来た水着で、

 言い訳程度に大事な部分だけを覆った、

 女子中学生の貧相な身体だった。


 冷たい風が吹く中、ほぼ全裸に近い宮島=ミルンは痛みすら感じながら、それでもオルフェを見つめていた。

 ――恥ずかしい。

 ――死ぬほど恥ずかしい。

 転生前のミルンの豊満な肉体であっても、魔法使いについての共通認識がないこの世界では、かなり精神的にきつい。

 それなのに未成熟な板状の身体を、校門の前で晒しているのだ。

 事態に気が付いた何人かが携帯で写真をとろうとしているのを、小宮山=キュモンが追い払っていたが、それで追いつかなくなるのは時間の問題である。

 教師が何人か駆けつけてきたところを、桜山=ファランがトタンの楯で防いでいるが、そちらも時間の問題だ。


 彼らは地球に転生した時、性別が入れ替わっていた。

 オルフェが小宮山=キュモンを頼りにしていたのには理由がある。

 オルフェが自分の能力に疑問を抱き、失意のうちに貧民窟を彷徨っていた時、その情けない姿を叱り飛ばし、弱気を笑い飛ばして、彼をそこから引き上げて自信を取り戻させたのがキュモンである。

 以来、二人は実の親子のような関係にあったから、地球に戻ってからもその残滓が残っているのはやむを得ないと、宮島=ミルンも思っていた。

 しかし、性別の違いは厳然たる事実である。

 それで昨日は「一緒にいたい」という言葉を、愛情の告白と捉えて焦ってしまったのだ。

 夜、母親を経由して小宮山=キュモンが伝えてきたメッセージは、

「オルフェはキュモンとファランが付き合っていると理解した。そして、一緒にいたい相手はミルンだ」

 であり、一晩よく考えてやっと宮島=ミルンは納得した。


 桜山=ファランは、ミルン時代からの旧友である。

 物理的な攻撃に対する防御能力が皆無に等しい魔法使いは、それゆえ重装甲の戦士と一緒に行動するのが常である。

 そして、先天的な魔法属性に乏しく、自分の力で成り上がらなければいけなかったミルンは、有力な男性戦士から軒並み断られて、最後に行きついたのが育成学校でも異端扱いされていたファランだった。

 未熟な魔法使いと女の戦士という取り合わせは、どこに行っても笑いの種にしかならない。

 そのような屈辱に耐えながら、二人は協力して力を蓄えていった。

 姉妹のような関係である。

 そのため、宮島=ミルンは桜山=ファランと一緒に行動することが多かったし、思わず性別の違いを忘れてしまうことがあった。

 明け方、宮島=ミルンが謝罪の電話をかけた時に、桜山=ファランはこう言った。

「戦士は魔法使いが復活するまで守るのが仕事だからね。戻ってきてくれて嬉しいよ」

 宮島=ミルンは、一瞬といえども仲間に背を向けた自分を反省した。


 そして今、宮島=ミルンは校庭に仁王立ちしている。

 オルフェは驚いて目を見開いていた。


 その瞳の中にあるのは、覚醒か?

 それともその前段階の、理解か?

 それとも更に前段階の、認知か?


 いずれでもない。

 彼の瞳にあるのは残念ながら当惑である。

 時間が経過するにつれて校門周辺は大きな騒ぎに包まれていった。

 仲間達を信じて最後の手段に出てみたものの、やはりオルフェの記憶が戻る気配はない。

 周囲では携帯電話やデジタルカメラのフラッシュが閃く。

 教師の数も瞬く間に増えていた。

 ――これでも駄目なのか。

 そう思った途端、宮島=ミルンの瞳から大粒の涙が零れだした。

 それは、幼い時にオルフェと別れた時に流して以来、彼にはもう決して見せまい、と誓っていた涙だった。


 *


 俺は宮島の裸体に衝撃を受けていた。

 どこかで見たことがあるような気がして――


 胸の鼓動が激しくなる。


 寒風の中で彼女は痛々しいほどに震えている。

 大きな瞳は俺を見つめており――


 胸の鼓動が激しくなる。


 周囲は大変な騒動になっていた。

 携帯やカメラを手にして写真を取ろうとする者達と、それを追い払おうとして駆け回る小宮山。

 駆けつけてくる教師と、それを手に持った楯で押し返そうとする桜山。

 どこかでこれと似たような光景を――


 胸の鼓動が激しくなる。


 宮島の瞳は時間を追って、羞恥、焦り、恐れ、諦め、と移ろってゆく。

 そして、とうとう瞳からは大粒の涙が流れ出した。

 泣いた宮島は初めて見たような気がして――


 胸の鼓動が激しくなる。


 いやまて、そうじゃない。確かに見たことが――


 胸の鼓動が激しくなる。


 少女の面影が宮島に重なり――


 胸の鼓動が激しくなる。


 殺到した教師たちが宮島を押し潰そうとする中、彼女の瞳は泣き濡れていて――


 胸の鼓動が激しくなったが、宮島の姿はミルンと完全に重なる。

 俺は叫んだ。


「ミルンから離れろ!」


 *


 宮島は、大人たちに押しつぶされながら確かにその声を聞いた。

「オルフェ!」

 そう叫んだ途端に、彼女の皮膚という皮膚から力が染み込んでくる。

 魔法を知らないこの世界の生体エネルギー蓄積量は膨大だ。

 ――出来る!

 ミルンは書物でしか読んだことのない究極奥義を、しかも複数並行で発動させた。

 やり方は理解できたものの、必要なエネルギー量が大魔王クラスの大きさだったので諦めたものだ。

 一つは勿論、異世界への転生門の開錠。

 他のものはすべて、仲間達の装備を作り出すための生成呪文にあてる。

 桜山=ファランが持っていた楯が、重装聖楯『バルモニデス』と化す。

 彼はその場にいた教師たちを軽々と排除した。

 小宮山=キュモンの黒い衣は神速黒衣『ファニス』となる。

 彼女は人々の携帯やカメラを奪い取っては、画像を消去した。

 宮島=ミルンの黒い布は、魔装衣『ダミアン』へと姿を変えた。

 魔装衣は地球上の生体エネルギーを内部に取り込み始める。

 そしてオルフェの卒業証書とその筒は、異次元魔剣『デビル・スレイヤー』と変換された。

「なんだか俺のだけ妙にせこくないか、ミルン?」

「それは言わない約束よ、オルフェ」


 異世界の門が開く。


 地球に残る人々の記憶から、自分達を消去するのは辛かった。

 しかし大魔王の禁呪がなければ、ここにはいない存在である。

 今度は離れ離れにならないように、四人で身を寄せ合った。

 新装備は魔装衣でまとめて小型化し、ミルンの耳の中に入れておく。

 性別も変わらぬように固定するが、ファランは男、キュモンは女の生活に慣れていたので、そのままで構わないと言った。

 光が溢れる。

 その中で、オルフェが急に思い出したように言った。

「しまった、忘れてたよ!」

「何をいまさら、いったい何よ?」

 ミルンの囁くような抗議に対して、オルフェも囁くように言った。

「これじゃあ文芸部は廃部だよ。俺達の夢の城が台無しだ」

「――馬鹿」

 ミルンの吐息のような声とともに、全員が光に包まれた。


( 終り )

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転生者の憂鬱 阿井上夫 @Aiueo

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