第九話 最後の手段
俺は宮島の原稿を読みながら、ぼんやりと考えた。
――宮島のあの印象的な瞳が、涙に濡れていたことはあっただろうか?
覚えがない。
よく目があったし、怒られることは度々だったが、泣いているところは見たことがなかった。
泣き濡れた瞳というと、子供の頃に迷子になったという少女の手を引いて歩き回ったことを思い出す。
最初のうち、何かいろいろと話しかけてきた少女は、次第に言葉少なくなると、最後には泣き始めた。
家が分からなくて心細くなったのだろうと俺は思っていたが、最後の手段として駅前の交番に行き、少女の親が迎えに来た時に見た彼女の泣き濡れた瞳は、決して嬉しそうではなかった。
その瞳のことを考えた途端――
胸の鼓動が激しくなる。
昔からたまにある発作だが、今日のやつは変に大きかった。
親に話したらえらく心配されて、大学病院で精密検査を受けることになったのだが、結果は「何もなし」だった。
以来、あまり深刻に考えていなかったのだが、今日はなぜか若干の引っ掛かりを覚える。
高校受験の勉強中に発作が起き、どう考えても直前に記憶していたはずの英単語に全く見覚えがなかったために気が付いたのだが、この発作が起きると直前まで考えていたことを忘れてしまうらしい。
その時もすっかり直前の考え事が何であったのか忘れてしまったものの、何となく違和感が残っていた。普段、そんなことはなかった。
手元にある宮島の原稿に目を落とす。
あの時、辛辣な感想を口にしてしまった自分を後悔した。
小宮山が言う通り、俺は宮島に厳しすぎる。
そして、それは決して宮島のせいではない。俺自身の苛立ちのせいだ。
昨日、小宮山に問い詰められて最後に言おうと思っていた言葉は――
胸の鼓動が激しくなる。
俺は上体を思わず机に付した。
いつになく激しい鼓動に怯む。
誰もいない部室にいるのは不味いかもしれない。
いつまで待っていても部員たちはここには来ない。
そのことが何故か確信できた。
今日の俺はどうかしている。
想いを詰め込むことが出来なかった軽い鞄を手にとると、俺は部室から外に出る。
そして、入口で一礼して全てに別れを告げた。
これで俺の中学生生活は終了である。実にあっけない。
俺は踵を返して校門へと向かう。
三月の昼過ぎにしては、肌寒い風が吹いていた。
この時期でも油断していると雪が降ることがある。
気分的にも寒々しかった俺は、歩きながらコートの前ボタンを閉めた。
だから、校門の寸前までその存在に気がつかなかったのだ。
周囲のざわめきの声に気づき、俺は顔を上げた。
視線の先、校門のところには三つの人影がある。
そして、その姿は中学校という日常空間を背景にするには、異様すぎた。
向って右手側には背の高い人物が立っていた。
身体全体が黒い布で覆われており、手には黒い手袋をつけ、足には黒い地下足袋を履いている。
眼だけが布の隙間から外界を――正確には俺を見据えていた。
黒一色だが、日本の忍者というよりは中東の砂漠地帯に出没する盗賊のような印象を受ける。
向かって左側の背の低い人物は、更に異様である。
身体は銀色のペンキを塗った剣道の防具で覆われている。
同じく銀色に塗られた小手でブリキ製の楯を握り、頭には目の部分だけが刳り抜かれたブリキのバケツを被っていた。
隙間から覗く目が俺を見据え、なりは小さいが一歩も引かない決意が全身に漲っている。
個々の部品は安っぽいが、全体的には前線に立つ雄々しい重装の騎士だ。
そして、中央に立っている小柄な人物は、分かりやすい格好をしていた。
身体を黒い一枚布で覆い、それが小刻みに震えていた。
頭には、表が黒、裏が赤で、つばの広い三角帽子を被っている。
いうまでもなく魔法使いの帽子である。
他の二人と違って顔が剥き出しなので誰だかすぐに分かった。
明らかに宮島で、理由は分からないが顔を真っ赤にして俺のほうを睨んでいた。
ということは、おそらく黒衣の盗賊は小宮山であり、銀色の重装戦士は桜山だろう。
仁王立ちになった宮島が叫ぶ。
「これが最後の手段だからね! しっかりと目に焼き付けて頂戴!」
そして、彼女は身体を覆っていた黒い布を跳ね上げた。
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