第八話 誰もいない部屋
語尾に「式」がつくものが苦手な俺でも、卒業式だけは話が別だ。
普段は右から左に聞き流している校長の話ですら、何故か素直に聞くことが出来るのが実に不思議である。
ただ、多分数日後にはすっかり忘れているだろう。
文芸部の活動に対して何かと批判的だった形式主義者の教頭の顔も、今日で見納めかと思うと実に感慨深い。
同時に、二度と見なくて済むかと思うと大変嬉しかった。
体育館に並んだ同級生達は皆、神妙な顔をしている。
そのうちの何人かは、真面目な顔を入学してから初めて見たような気がした。
陳腐な言い方だが「大人へと向かう階段を一つ上ったような気分」である。
ついでにレベルが上がって、新しいスキルでも目覚めてくれないものだろうか。
式典が終わって教室に戻る。
担任から卒業証書を受け取り、その後に続く話に全員で涙した。
俺はこのようなイベントには付き合いが良い。
荷物は既に持ち帰っており、何も残っていない。
いつもより軽い通学用の鞄に、卒業証書を入れた筒と、一緒に貰った記念品を放り込む。
鞄には夢を詰め込むだけの余裕が残っていた。
すべての予定が終了し、名残惜しそうな同級生の顔を見ながら教室を出る。
どうせ二時間後には「お別れ会」でまた会うことになっていた。
廊下を進みながら思う。何だか今日は一言多い。
いつもであれば気楽に進むいつもの経路を、今日は重い足取りで進んだ。
目的地につき、大きく息を吐くと入口の扉を開いた。
文芸部の部室には誰もいなかった。
昨日の夕方以降、部員を誰一人見ていない。卒業式の時も姿はなかった。
せめて、最後に部室で待ち受けてはいまいかと思ったのだが、それも見事に肩透かしをくらった。
落書きに埋もれた部室の古い長机を撫でる。
思えば中学校の楽しい思い出の殆どが、文芸部の活動に結びついていた。
お気楽な隠居生活のつもりが、思った以上に忙しくて充実した日々になった。
「有り難う。楽しかった。さようなら」
礼と別れの言葉が言いたかったのに、誰もいない。
宙ぶらりんの気持ちががらんとした部室の中で揺れていた。
――誰か来るまで待つべきか。
いや、そうではなかろう。
下級生は卒業式が終了した時点で今日の予定が終了していたから、俺に会いたければここに来ていたはずだ。
だから、会いたくないということだろう。
昨日の出来事のどこに、俺が嫌われる要素があったのかが全然分からなかった。
宮島は俺が本当のことを告げる前に、逃げてしまった。
電話もメールも繋がらない。
小宮山と桜山は、何か二人で企んでいたことに気がついたので、昨日こう訊ねた。
「ひょっとして付き合っているのはお前たち二人なんじゃないか?」
一瞬、小宮山と桜山は想定外という顔をしたが、
「あ、そ、そうですね。そうなんです。私達は付き合っていましてね。あははは。最後に誤解を解いておこうかなぁと、ねえ桜山君」
「そ、そうです。そうなんです。僕は小宮山さんと付き合っていますから、宮島さんとは何の関係もないんです」
と、一所懸命にその事実を主張し始めた。
なんだか見ていて可哀想になってきたので、それで無罪放免にしてやったものの、そのことが影響して俺と顔を合わせづらいのだろう。
部室の床に紙が一枚落ちていたので、何となく拾い上げた。
宮島が書いた小説原稿のうちの一枚である。
俺から引っ手繰った時に、一枚だけ落としてしまったものらしい。
もう一度読んでみる。
大魔王の声が途切れ、同時に地球へ向う門が開く。
ヒロインが痣だらけの手を一所懸命に伸ばして、主人公の名を叫ぶ。
主人公も手を伸ばして叫ぶ。
「俺が忘れるなんてありえない。特にミルンのことは絶対忘れない、忘れられない!」
最後に主人公が見たものは、泣き濡れた彼女の瞳だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます