第4話

「すみません、来ちゃまずいとは思ったんですが」

 ヘンリックが居間で酒を舐めていると、ジンに連れられて、夜警隊(メレドン)のレノンが現れた。

 連中には居室には入ってくるなと命じるともなく命じてあった。

 ヘレンは厨房で飯を作ると言っていた。あのあと戻ってきたイルスを着替えさせ、自分もこざっぱりした普段着に着替えると、女は髪を結わえて、さっさと何事もなかったように、つれなく姿を消していた。

「族長。王宮から返信があります」

 気まずげに、レノンは話した。

 寝そべった長椅子の足元に立っているレノンは、アルマの潮が押し寄せる最中だというのに、なんとなく落ち着いた面構えをしていた。

 ヘンリックが即位して間もない頃には、夜警隊(メレドン)の誰よりも血に飢えていて、愛用の剣に血を飲ませることにしか興味のないような奴だったのに。

「いっしょに飲むか」

 なんとなく誘うと、レノンは拳骨で頭を殴られたような、ぎょっとした顔をした。

「いいんですか」

「やることがないんだ、ここにいても」

 正直にそう話すと、レノンはこれから水にでも潜るように、深い息を吸った。そして、隣に空いていた長椅子に、思い切ったように、どかりと腰をおろした。彼が剣帯に吊したままでいた古い剣が、鞘の中で、小さく鳴った。

 ヘンリックは伏し目に、自分のすぐそばにあるエナメル細工で拵えられた長年の相棒の剣を見つめた。

 レノンが襲ってくるとは思わなかったが、武装した相手と丸腰で話すのは、気が引ける。

 使っていた杯を一杯に満たしてから、ヘンリックはそれをレノンにやった。そして自分は、色鮮やかな硝子細工の瓶から、直に飲んだ。

 火酒を飲み干す喉を見せる、レノンの飲みっぷりは上々だった。

「返信はなんと?」

「理由を聞きたいそうです。なぜ戻れないのか」

「適当に言っとけ。酔いつぶれたとか、風邪ひいたとか」

「そんなことは勝手には言えません」

 むっとして答えるレノンは、その返信を受け取った張本人のようだった。誰がこの融通のきかない馬鹿を伝令に出したのか。

 レノンは忠実だった。言われたことを、どんなことでも、そのままやった。女でも老人でも、湾岸の貴族だろうと、ヘンリックが殺してこいと命じれば、嬉しげにとんでいって斬った。

 それでこそ、好敵手(ウランバ)に敗北した狗(いぬ)というものだった。

 夜警隊(メレドン)の連中は、腕に覚えがあって志願した者ばかりで、それぞれに厳密な序列が決まっていた。それは剣によって決定される力関係だ。ヘンリックは彼らのうちの主立った者たちを、すべて一度なりと、足腰立たないほど叩きのめしたことがあった。もちろん屈服させるためだ。

 ひとたび自分を完膚無きまでに撃破した相手に、湾岸の男は一生の敬意を払う。その集大成といえるのが、この部族における族長位だ。

「何も返事する必要はない。俺が行かないと言ったら、行かないんだ」

「そうです。でも奥方が泣いて訊ねられるので」

 俺もほとほと弱りましたという話を、レノンは話した。湾岸の男は女の涙には弱かった。平素ならともかく、この時期に、女が自分に縋って泣くのを、見過ごせる者はいない。

 特にレノンは深情けだから。

 ヘンリックは呆れて、自分の頭を掻いた。

「ほっとけ。後で埋め合わせればいい。なんならお前が行って励ましていいぞ」

「勘弁してください、俺には女(ウエラ)がいます」

 ぎょっとして、レノンは吠えた。ヘンリックは笑った。やっぱりそうかと思って。

「お前もとうとう終わりだな」

「しくじったんです。俺は騙されたんです。石の女だっていうから信じて抱いたのに、孕みやがって」

 よくある話だった。ヘンリックは悔しがる部下を眺めて、微笑した。

「まあいいだろ、お前もいい歳なんだから」

「俺は嫌なんですって。いつも、研ぎ上げたばかりの剣のようでいたいんです」

 やけっぱちのように言って、それからレノンは、こちらを伺うように見た。

「族長が以前、そうだったようにです」

「今の俺はなまくらか」

 率直なレノンに、ヘンリックは微笑みかけた。率直なのと、身も蓋もないのが、この男の良いところで、かつてはそれを気に入って取り立てたのだった。

 レノンは自分が言ったことに困ったらしく、空になった酒杯を弄んで、うなだれた。

「族長」

 消沈した声で、レノンは結局言ってしまうというような顔で話し始めた。

「二股かけるのって、どうやってやってるんですか」

 あまりの質問に、ヘンリックはさすがに耳を疑った。

 とんでもない場所で、とんでもないことを訊くやつだ。それが可笑しくなり、ヘンリックは喉をそらせて笑った。

「お前も試すのか」

「それは無理です。そういうものでしょう。自分が女に捕まってみて、はじめて分かりましたけど。いっぺんに二人は無理です。女(ウエラ)が決まる前なら別に、二人でも十人でも俺には同じだったけど、今は無理だと思います」

 のろけやがってと、ヘンリックは小さく返事をした。レノンは困ったような、短いため息をついた。

「族長、たまには息抜きしたほうが、よかないですか。離宮に通って長いです。もう三期目だし」

「そうだなあ」

「ずっと同じ女にすると、抜けられなくなるから、次は別のにしろって、俺は言われました。そんなことできると、今は思えないけど、女(ウエラ)が産んだら、ちゃんと正気に返れるからって。そういうものなんですか」

 忠告しているのか、相談しているのか、はっきりしない話しぶりで、レノンは訊ねてくる。ヘンリックはそれを笑って眺めた。こいつはほんとに、初めてらしい。

「そういうもんだろ。餓鬼の産声を聞けば、アルマの呪いは解けるんだ」

「じゃあどうして、族長の呪いは解けないんですか」

 いきなり核心を突かれて、ヘンリックは真顔になった。

 こいつの話し方は、太刀筋と同じだなあと、そんなことがふと、頭をよぎる。奔放にちまちま突っついてくるかと思えば、突然、必殺の一撃を見舞ってくる。それを軽く避けられた時の、こいつの顔といったら。いつ思い出しても、いいツラだった。

「さあ、なんで解けないんだろうな……」

 ヘンリックは答え、空になっていたレノンの杯に、酒をついでやった。

 ばたばたと走る音がして、イルスを引き連れたジンが現れた。大人の話を邪魔するべきでないと躾けられていないのか、ジンは気兼ねなく、ヘンリックとレノンの椅子の間に腰を落ち着けた。イルスは連れられた子犬のように、兄貴に従って、そのすぐ傍に座る。

 息子たちは木剣を握っていた。どこかで退屈しのぎに、剣術ごっこでもやらかしてきたらしかった。汗をかいており、髪も引っかき回したようにぼさぼさだ。

 これが王族の子かと、ヘンリックは思ったが、それも仕方がなかった。結局は血筋なのかもしれず、自分やヘレンのような卑しい出の血しか与えられなければ、宮殿に住んで絹をまとっても、猟犬の子は猟犬になる。

 王宮で侍女たちに育てられている、正妃の息子たちを見れば、その差は歴然としていた。

 しかしもう、それはどうでもいい。ジンには野心がないらしいから。

 族長位を狙わないのであれば、野犬のように転がり回って、心おきなく遊んで暮らせばいい。

「レノン、遊んで」

 にこにこと愛想よく、ジンは木剣を見せ、夜警隊(メレドン)の男に指南を求めた。

 それを見て、レノンは微笑していた。

「いいですよ。でも折角だから、族長と対戦したらどうですか」

「ヘンリックは、手加減するからつまんねえよ」

 口を尖らせて言う息子の言葉に、レノンはどこか、ぽかんとした顔をした。それから自分のほうを見るレノンを、ヘンリックは何となく、気まずく見上げた。

「はあ。そうなんだ。族長でも、手加減できるんですね。俺、知らなかった」

 レノンは嫌みを言っているわけではない。ただ驚いているのだった。

 手加減を知らない男ということで、ヘンリックは通っていたし、実際そうだった。気が乗ってくると、それがただの手合わせ(デュエル)であるとか、ちょっとした肩慣らしであるとか、そういうことが頭から抜け落ちる。つくづく好きなのだということだろう。

 しかし子供相手に本気になるほど、頭がいかれてはいないらしい。

 少なくとも自分の息子には。

 その事を確かめたのは、ここ最近のことだが。

「いいなあ、そりゃあ」

 頭を掻いて、レノンは呟くように言った。

「俺の子も、男だったらいいなあ」

 イルスから奪った木剣を、ジンはレノンに握らせた。

 息子と部下が遊びの剣に興じるのを、ヘンリックは眺めた。

 木剣をとられたイルスが、愕然という面持ちで、ふたりを眺めている。

 まったく他人の剣を盗むなと、ジンには昔、よく教えたはずなのに。ちびっこいとはいえ、弟のほうにも、男としての面子があるだろうに。ひでえ兄貴がいたもんだと、ヘンリックは呆然としているイルスの立ち上がった姿を見つめた。

「イルス」

 呼びかけると、小さい剣士は泣きそうな顔でこちらを振り返った。

「気の毒だったな。あれが戻るまで、俺の剣を貸してやるよ」

 そう言って、エナメルで飾られた長剣を差しだしてやると、イルスは初め、歯を食いしばったような無表情でいたが、やがて理解ができたようで、小走りに剣にとびついてきた。

 息子の手に剣を奪わせながら、ヘンリックはそれを、微笑んで見つめた。

 イルスは長椅子のそばに腰を下ろし、いかにも大事そうに、身に不釣り合いな長剣を抱きしめた。

 いずれこいつが本物の剣を与えられる頃、いったい自分はどうしているのだろうかと、ヘンリックは思った。そのときもまだ、ちゃんと生きているのだろうか。一人前の男になるこいつらに、手加減しなくてもよくなる時が、いつかはやってくるのだろうが、今はその日が想像もつかない。

 まだまだ時はあるのだから、世間の親父どもがやるように、息子の剣に刻む銘でも嬉しげに考えながら、過ごせばよいのかもしれない。

 しかしそれさえ、ヘンリックには見当もつかない。

 自分の剣には銘がなかった。盗まれてきたものを、さらに盗み取った剣で、それにはまだ銘が刻まれていなかった。誰かが与えたわけでもない剣に、自分で銘を刻むようなことは、ヘンリックは過去に一度として思いつきもしなかった。

 剣になにか書いてあることに、意味があるとも思わなかったからだ。

 そのよく斬れる無銘の剣で、ひたすら血を浴びてきた。

 息子たちの一生が、そのようなものとは全く違えばいいのにと、ふとそう思えた。

 ではそれを願って、そのような銘を刻めばいいのか。

 そんなものは俺らしくないと、夜警隊(メレドン)の連中は爆笑するだろうが。

 それでもいいような気が、今夜ばかりはする。

「父上」

 ヘンリックの剣を眺めて、イルスがふいに話した。

「きれいな剣だな」

「そうか?」

 急にそうしたい気がして、ヘンリックはイルスの頭を撫でた。

「俺もほしいな、自分のが。父上がくれるの?」

 それは湾岸の男として当然の願いだった。ヘンリックは瓶から酒を飲んだ。

「ああ、いつかお前にも本物の剣をやるよ。お前が名前に見合った強い男になったらな、イルス」

「うん、じゃあ俺、青い竜になるよ」

 微笑んで、イルスはそう言った。ヘンリックはそれに、薄く微笑んで答えた。

 初めからそうすればよかったと、後悔が湧いた。

 こいつが小さな海から最初に上がってきた時にも、そうしてやればよかった。

 あれから随分時が過ぎたが、今夜また海から生まれ直したのだということにして、それで勘弁してもらうわけにはいかないか、ちびっこい青い竜よ。

 そう訊ねる目で見つめると、イルスは無邪気に父親の剣を抱いた。

 そして別の部屋から、ヘレンが呼ぶ声がした。

 ごはんよと。

 さあみんな、こっちに来て、いっしょに食べましょう。

 家族揃っての、遅い夕食だった。


《完》

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カルテット番外編「海より来たる者」 椎堂かおる @zero

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