第11話

 夜警隊(メレドン)の男たちは、王宮の馬車でレスリンを自邸まで連れ帰った。

 灰色の馬たちは、むっつりと押し黙って、暗雲のように駈けた。

 レスリンを与えられた男は、一言も口をきかず馬車の向かいに座り、剣帯から外した剣を床について、口付けるようにその柄を抱き、嬉しげに苛立っていた。

 彼はじっと、レスリンの顔を見ていた。

 どうしてくれようかと思いめぐらすような表情だったが、その目には好色な気配がしなかった。

 男がなにをするつもりか、分かる気がして、レスリンは絶望して彼と見つめ合った。

 やがて馬車は屋敷に到着し、家族は突然現れた夜警隊(メレドン)の男たちに仰天した。

「夜警隊(メレドン)の者です。レノンと申します」

 男は口をきくのも億劫だという、ぞんざいな早口で、慌てて迎え出たレスリンの父にそう告げた。そして、捕らえられている娘に動揺する父の目の前に、ヘンリックが署名していた紙切れをかざして見せた。

「反逆罪です。一親等までの全員を処刑し、家財を没収します」

 淡々と教える男に、父は不吉な荒い息をした。父が卒倒するのではないかと、レスリンは思った。しかし、駆け寄って助けようにも、自分は両腕を後ろ手に掴まれていて、身動きもとれなかった。

 心配だったが、すぐにその必要はなくなった。

 夜警隊(メレドン)の男が、にわかに剣を引き抜き、目の前にいた父を斬り倒したからだった。

 目にもとまらぬ一刀で、父は腹から喉もとまで斬られ、血の泡をふいて仰向けに倒れた。そして、そのまま動かなかった。男の一撃が、気弱な父を即死させたらしかった。

 レスリンは絶叫していた。まるで他人の声のように、その悲鳴を聞いた。

 男の耳にも、もちろんその声は届いたろう。血脂に曇った剣を握ったまま、夜警隊(メレドン)の男はゆっくりと、レスリンに向き直った。

「他はお前らが食え。女は俺がやる。族長に手みやげを持って帰る」

 連れに采配して、一歩踏み出してくる男から、レスリンはなんとか逃れたいと思った。縛めを振りほどこうとするレスリンを、夜警隊(メレドン)の男たちは、捕らえておこうとはしなかった。

 急に自由にされて、レスリンはよろめいた。夜会服のすそが、足に絡まったのだ。

「逃げろ。追うから」

 血染めの剣を見せて、レノンと名乗った男は命じた。

 命令しないで、身分を考えなさいよと、ほんの少し前の自分なら、そう怒ったかもしれない。

 しかし今では彼が支配者の側で、レスリンはその言葉に震えた。

 足がすくんで、逃げられないでいるレスリンの喉もとを、男の剣が一閃した。渦巻く泡のような首飾りが、糸を断たれて、数知れない真珠と青玉(サファイア)を、床にまき散らした。

 悲鳴とともに、レスリンは放たれたように走り出した。

 裳裾に躓き、何度も転んでは起きあがるレスリンを、男はゆっくりと歩く足取りで、着実に追いかけてきた。

 住み慣れた屋敷が、殺意に追われて駆け抜ける目には、まるで知らない場所のように見える。隠れる場所もない。こんなに狭い家だったかしら。いつも私を守ってくれたのに、もうここには逃げ場がない。

 逃げまどいながら、レスリンは結局、家の南に位置する広間へと出てきてしまった。そこは行き止まりだった。

 貴族の屋敷は、だいたいどこも、南に向かって夜会をするための広間を設ける。その先には、バルハイの海が臨める。美しい断崖からの絶景を眺めて、くつろぐことができるし、夜には色とりどりの行燈(ランタン)を灯して、波濤を聞きながら、踊ることもできる。

 そういえばもう長いこと、この屋敷では夜会が開かれていなかった。この床で踊る者もいなかった。たぶん、自分がその最後の一人だ。夕凪の熱気の中で踊る、気の早い踊り手になる。

 レスリンは古びた中央広間(コランドル)に倒れ伏した。もう走れなかった。

 追いついてきた男は、追うのに飽きたのか、意を決したふうに剣を構えた。

「殺さないで、お願い、殺さないで……」

 思わず命乞いすると、レスリンの目からは涙があふれた。

 まさか這いつくばって泣き崩れながら、男に懇願することになるとは。どうせこうなるなら、はじめから、ヘンリックにそうすればよかった。彼が族長と戦う前の、あの時に。

 もしもあの時そうしていれば、これとは違う時が流れていたかもしれないのに。

「愛してたの、私なりに。それだけなのよ。お願い、もう彼の邪魔はしないって、約束するから、どうか彼に取りなしてください。愛してくれなくていいの、せめて見逃して」

 泣き伏すレスリンを見下ろす夜警隊(メレドン)の男の目は、とても冷たかった。感情のない獣のような瞳で、男はこちらをじっと見ていた。

「手遅れです、令嬢。お気の毒なので、話しますが」

 寸分の揺らぎもなく剣を構えたまま、男は木訥に語った。

「族長は、憎んでいます。湾岸の貴族たちを。夜警隊(メレドン)にいた時、俺は訊ねられました。制服を着たのはいいが、夜会で満腹した貴族たちが、次の皿の料理を食うために、吐くのを見て、思い出さないかと。子供のころ、貧民窟(スラム)で、一飯にありつけず、飢えて死んだ友のことを」

 ふと回想するように、男は遠い目をした。

「そして、そうなるかもしれなかった、自分のことをです」

 静かにそう話し、男はまた、ひどく冷たい目でレスリンを見た。

「俺は、思い出します。だからあの人に、ついていくことにしました。貴女は貴族で、族長の愛を得るには、生まれた時から、すでに手遅れだったのです」

 そうだったのねと、レスリンは男の話に納得した。

 じゃあ、初めから、彼は、私のことが嫌いだったのね。だからこんな、ひどいことが、平気でできるのよ。

 男が剣を握る手に、力をこめるのが見えた。

「反逆者に死を」

 そう告げる男の声には、憎しみがこもっていた。

 振り下ろされた男の剣は、レスリンの首を狙った。

 しかし一刀では、首は落ちなかった。

 悲鳴は出なかった。もう声が出なかったからだ。

 代わりに吹き出した血が、青かった夜会服を染め変え、レスリンは悶え苦しむような舞踏を踊った。

 男は舌打ちして、もう一度剣を振り上げた。

 そのとき唐突に、夕凪が終わった。

 吹き込む海風とともに、甘い声で鳴く海猫たちの歌声が、レスリンの耳に届いた。

 はじめて会った時、ヘンリックはあれに餌をやっていた。思えばあの姿を見た瞬間、私は恋に落ちていたわ。彼の手から餌をついばむ、鳥になりたかった。

 風鳴りとともに、男は渾身の剣を振り下ろした。

 自分の首が、古びた白い床のうえを転がっていくのを、レスリンは最後に感じ取った。

 そのあとに続くのは、突然の静止だった。

 私、死んだのだわ。なんてことかしら。

 不意に引き離された自分の、首を失った体が、眼下に見えるのを、レスリンは感じた。

 血を浴びた男は、顔に飛んだ返り血を拭いながら、レスリンの首を拾いに行った。彼がそれを、ヘンリックのところに持っていくつもりなのだと、レスリンには分かった。

 私の死に顔は、美しかったかしらと、レスリンは心配になった。随分泣いてしまったし、きっとお化粧も崩れて、ひどい顔をしているのだわ。

 恥ずかしいわ。

 せめて死に化粧をしてと言いたくて、レスリンは男に追いすがろうとした。

 しかしその場に釘付けになったように、レスリンは動けなかった。

 みゃあみゃあと甘く鳴き立てる海猫の声が、ひどく耳についた。

 そうだわと思いついて、レスリンは鳥に呼びかけた。

 海猫よ、私を食べて。骨まで全部、お前たちのものにして、その翼で、あの人の所に、私を連れて行って。

 すると夜の風に乗って、海猫は羽ばたき、テラスを抜けて、血に染まった夜会の広間に舞い降りてきた。

 やつらはなんでも食べます。気をつけないと、貴女も食べます。

 あの時ヘンリックはそう言った。冗談なのか、本気なのか分からない、真顔で。

 そして微笑んでくれたわ。あの時のあなたの顔、とても素敵だった。私ほんとうに、嬉しかった。

 あの人はお前たちにも、微笑みかけることがあるのかしら。

 レスリンは自分の身をついばむ海鳥たちに、ぼんやりとそう問いかけた。

 もしそうなら、私もお前たちの仲間に生まれればよかった。

 満腹して飛び立つ翼に連れられて、レスリンはバルハイの海へと舞い上がった。

 血筋の死に絶えた屋敷から、灰色の馬が引く馬車が、走り出ていくのが見えた。王宮へ帰る者たちだった。

 駿馬たちは風のごとく駈けたが、海猫の翼にとって、王宮への道はほんのひと飛びだった。

 レスリンの首を持った男は、夜会で踊る人々の間を抜け、並み居る貴族たちを避けもしない、まっすぐな足取りで、壮麗なテラスで待つヘンリックのもとへ急いだ。

 夕景の海を背にして、ひとりで待っていたヘンリックに、男はレスリンの首を差しだした。

 ああ、見ないでと、レスリンは呼びかけたが、首をかしげて眺めるヘンリックの目は、じっと無遠慮に女の死に顔を眺めた。

「うまくいきませんでした」

 怒ったように、夜警隊(メレドン)のレノンは報告していた。

「一刀でやるには、力より、思い切りがいるさ」

 レスリンの首を見つめたまま、大礼装のヘンリックは教えていた。

「次はうまくやります。誰をやればいいですか」

 せっつく口調で、レノンは訊ねていた。ヘンリックはそれに、苦笑していた。

「そう、がっつくなよ。お前もよくよく好きだな」

 そう言って、ヘンリックは群れ飛ぶ海猫のほうへ、手を差し伸べた。その指には、血の滴るような肉が握られており、レスリンは深い食欲を覚えた。

 舞い降りて、その指をつつく勢いで餌をはむと、それを見つめて、ヘンリックが薄く笑った。その目には憎しみはなかった。ただの、くつろいだ表情だけが、彼の顔を覆っていた。

「お前らに餌をやる俺も、大変だよ」

 同じ笑みを、夜警隊(メレドン)の男に向けて、ヘンリックはぼやいた。

 そして、また、自分の首を見つめる男を、レスリンは見下ろした。

 私を憎まないで。

 一番でなくていい。少しでいいの。私を愛して。

 そう呼びかける声は、みゃあみゃあと鳴く、甘い海猫の歌だった。

「この女も、貴族でなければな。綺麗な女だったよ」

 どういう意味か、ヘンリックは独り言のように、そう言った。

 それはどういう事なのと、レスリンは問いただしたかった。

 しかし遠くから、バルハイの聖堂が鳴らす時報の鐘が聞こえ始めた。

 ふとそれに気づき、ヘンリックが目をそらした。彼の目は、打ち寄せる波濤に向けられた。

 レノンは気が抜けたのか、首を捧げ持っていた腕を、だらりと下ろした。

 海猫たちが甘くねだる声で鳴いても、もうヘンリックは餌をくれなかった。何かを思うように、ただ遠くの水平線を、彼は見ていた。

 やがて、風にかき乱されて聞こえてくる鐘が、そっと鳴り止んだ。

 ああ、そうねと、レスリンは目を伏せた。

 私の時間は、もう終わりなのだわ。

 楽しいお喋りでしたかと、いつか彼は私に尋ねた。

 憎い男だった。

 でも、あなたといるときは、いつも楽しかったわ。

 そんな男を、どうやって恨めばいいの。本当に、こんなの、あんまりだわ。

 私はもっと、ちゃんとあなたを愛せばよかった。その機会がまだ、与えられていた時に。

 でももう、さよならなのね。

 ヘンリックは振り向き、レノンの手からレスリンの首をとりあげた。彼はもう一度、じっとその顔を見た。そうひどい死に顔ではなかった。レスリンはほっとした。

「さようなら、レスリン様」

 小声で話しかけてから、ヘンリックは首を波濤の先へと投げ捨てた。

 波打つ海に呑まれながら、レスリンは消え失せた。

 海猫たちは、甘く歌いながら、ねぐらへと飛び去っていった。


《完》

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カルテット番外編「海猫の歌」 椎堂かおる @zero

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