喧嘩(二)
時子は、家から離れるとまた考え始めた。悩んでる姿が、実に分かりやすい。
優未と明子は、二人して、顔を覗き込んだ。時子は、そんな二人を、最初はあまり気にしていなかったが、自分の中で答えが出なかった事なので、思い切って聞いてみる事にした。
「ねぇ、優ちゃん、明ちゃん。お父さんとお母さんが、喧嘩した事ある?」
二人とも、目を大きくして驚いた。先程の美奈代の会話からは、全くそんな事は感じられなかったからだ。
「南ちゃんのお父さんとお母さんが喧嘩するなんて信じられ無い」
優未は早口だった。優未は、先週の日曜日の午後に、時子の家へ遊びに行った事を思い返していた。美奈代と時次が、仲良く庭の手入れをしていたのだ。その時の笑い声が耳に再生される。
「本当だよ。理由が分からないから、何か、気持ち悪くて」
時子は、事実である事の念を押す。明子は、特に優未より切迫した様子は無かった。それくらい、良くある事だという表情だ。それでも、しばらく考えると、優未と同じく苦い顔に変わる。
「ウチのお父さんみたいに、南ちゃん家のお父さんは、パチンコで財布をスッカラカンにするなんて事無いだろうし。まさか、外に女の人作ったとか?ううん、それも無いよね。ウチのお父さんとは違うしね」
明子はボソボソと独り言みたいに喋る。だが、良く考えれば、明子の家の情報漏洩であった。内容も、大分、飛んでいる。世の中の各家庭の情報は、もしかしたら、こうやって漏れるのかもしれない。
明子の家は農家だった。ブランド野菜を栽培して出荷している為、かなり裕福な家庭だった。明子の父である佑太郎は、一代で事を成した自負がある為か、ハメを外す事が多かった。明子の母である由美子は、その都度、悍ましいお仕置きをするのだ。
明子自身は、その光景にすっかり慣れてしまっていた。喧嘩が日常茶飯事ではある家庭だが、明子はその事を悩まないタイプだった。嫌ではあるが、二人が別れないならばそれで構わない。良く言えば、「人は人、自分は自分」を地でいっているという表現になるのだろうか。キャラメルクラッチを理解している、小学校四年生の女の子というのは、なかなか貴重な存在ではある。
「どうしてだろう?あんなに仲良さそうなのに」
優未は、まだ、腑に落ち無い顔をしている。時子は、悪い事をしたなと思ったのか、明るい声で優未へ返した。
「もう、大丈夫よ。朝も別に変わりなかったし、原因は笑ってしまう様な事かもしれないから。この話は、ここ迄にしよう」
優未と明子はそれを聞くと、明子は納得したが、優未は今だに悩んでる様であった。時子は、それが分かったので、優未と明子と手を繋いだ。三人は、手を振りながら、歩道を歩いて行く。
時子は、優未の方を見てニッと笑う。優未は、その顔を見て笑顔を返した。時子流は、たまに強引ではあったが、二人とも、そんな時子が好きであった。
「南ちゃん、今日は忘れ物無い?」
いつもの優未に戻る。優未は、時子に、毎朝こう聞くのが日課だった。真面目な優未の毎日は、ちゃんとしている。優未の両親の影響が大きいからであった。
優未の家は、両親とも薬剤師である。やや田舎のこの町では、薬剤師の確保は大切であり、給料は破格である。父親である誠司は、町立の病院の近くの薬局で勤務していたし、母親である美里は、個人医院の近くの薬局に勤めていた。二人とも、町の人に顔を知られており、慕われている。優未も、そんな二人を誇らしく思っていた。
優未の家では、家族で作った「聞きたい事ノート」があるのだが、そこへ優未が聞きたい事を書き込むだけで、どんな事でもネットや本で調べ上げて、優未の両親は、優しく教えてくれるのだった。おかげで、優未は、学校の成績がクラスで一番だったし、まだ習っていない事も良く知っていた。優しい両親に作られた、フワッとした柔らかい雰囲気は、男子達にも人気がある。
「よう、南風ぇー」
三人の後ろで声がする。明子は、嫌悪した顔で振り返る。時子と優未は、普通に振り返ると、頬っぺたに絆創膏を貼った広樹と、清潔感溢れる光、眼鏡を拭いている清一が歩いて来ていた。
「うっさい、北風ぇー」
明子が、投げつける。広樹は、ヘヘッとイタズラな笑い声をあげる。
「あんたのせいで、清々しい朝が台無しよ」
明子が、第二投目を投げる。広樹達三人が追い付くと、広樹は明子へ言う。
「おまえらが、俺の前を歩いてたからなぁ、そっくり、お返ししますぅー」
サラッと追い越して、時子達の前を広樹は歩いていく。
「はぁーぁ!?」
明子は広樹の後を追いかけた。二人して早歩きになりながら、言い合いをしている。
「南ちゃん、優ちゃん、おはよう」
「おはよう、ライくん、キヨくん」
時子達は、そのやり取りを横目で見ながら、挨拶し合い、仲良く歩き始めた。
広樹と明子の言い合いは、時子のクラスの名物である。二人は、言い合いをしては、お互い、眉間にシワを寄せ合う。そこを、時子のおとぼけが、有耶無耶にするという関係性であった。
時子が、「南風」と呼ばれているのもそれが理由である。時子の苗字は「南野」であり、おとぼけ風を吹かすので、合わせているのだ。
広樹も、「北風」と呼ばれているのは、同じ様な理由である。広樹の苗字は「北山」であり、あの様な言い合いを吹っかけるのは、大抵が広樹からである為、合わせられていたのだった。
「あっ、その巾着、可愛いですね」
光が褒める。光は、女の子の持ち物や髪型、服を良く見て褒める男の子だった。
常に冷静で、優未と同じく頭が良く、サラッとした茶色を帯びた髪に、大きな目が特徴的で、洋楽、邦楽の音楽を良く聴いている。光は、「ひかる」と読むのだが、ライトの方が格好良いという事で、皆には「ライくん」と呼ばれていた。
家は、小さなCDショップではあるが、楽器も置いてあった。小学校で使うリコーダーは、光の家である店から、小学校に卸されている。
「そうでしょ、南ちゃんのお母さんに貰ったの。上手なんだよぉ、南ちゃんのお母さん」
優未は、愛おしそうに見ながら、声を出す。そのうち、結婚してしまいそうだった。
「優ちゃんも、得意でしょう。この間貰ったぬいぐるみ、妹が気に入って、大切にしてるよ」
光の声を聞いて、優未はようやく光の方を見る。
「本当に?だとしたら嬉しい。あっ、壊れたりしたら言ってね。出来るだけ直すから」
「うん、分かった。ありがとう」
光は、笑顔と一緒に返した。優未は、鼻歌をし始めた。気分の良い時の優未の癖である。
清一は、そんな二人のやり取りそっちのけで、拭いていた眼鏡を掛けると、ポケット図鑑を見ている。生物が大好きな清一は、このポケット図鑑を何十冊か持っている。海、陸、空と分けられているのだが、今日は空の気分だった様だ。図鑑と空を行ったり来たり、視線を動かすのに忙しかった。
「あーっ!!」
時子が、立ち止まる。前を歩く明子と広樹も立ち止まる程の声だった。びっくりした優未が駆け寄る。
「もしかして、忘れ物?」
「うん、うん、イェイ」
時子がピースサインを出す。光と清一は笑っていた。
「南風、ちゃんと先生に言わないと、教科書見せないからなぁ、どわっ!!」
変なチャチャが入っていたので、広樹は明子に蹴られている。広樹と時子の席は隣同士だった。忘れ物が多い時子は、いつも広樹のお世話になっていた。勿論、時子は、毎回先生に忘れた事を言っている。
「よろしく、北風ー!!」
気にも止めない時子の返しだ。忘れ物をする回数が多いので、時子と広樹の机をくっ付ける機会は多い。担任の井上先生の心の中には、前線が出来て、雨が降っているであろう事は、簡単に想像が出来た。
集団登校する場所まで来ると、一、二、三年生はもう来ていた。後は、六年生が一人来るだけで出発である。そこへ、六年生の吉田悟のお母さんがやって来た。
「おはようございます」
集団が一斉に挨拶する。中々の迫力だった様で、悟のお母さんは、最初ビックリしていたが、笑顔で話し始めた。
「おはようございます。ごめんね。ウチの悟は、今日ね、風邪を引いて学校をお休みする事にしたの。だから、もう登校してね。四年生の子達、お願い出来るかしら?」
「はい」
広樹が返事をして、列の先頭にたった。
「ちょっと、何で、あんたが先頭になるのよ」
明子はそう言うと、広樹の後に続く。その後に、一年生が二人、二年生が一人、三年生が三人、光に促されて続いた。
「いってらっしゃい」
悟のお母さんが声を掛ける。皆、それぞれに「いってきます」と言うと、列は進み始めた。集合場所から学校まで、大体七百メートルだ。ガヤガヤな集団が、一列に進んで行く。途中の横断歩道で、六年生のお母さんが、旗を持って小学生を誘導している。そのお母さんが、悟が居ない事について聞いてきた。
「おはよう。あれ?今日、悟君は?」
「おはようございます。悟君は、今日、風邪でお休みです。悟君のお母さんから、直接お聞きしました」
「あら、そうなのね。みんな気をつけて行ってらっしゃいね」
「はい、ありがとうございます」
こういうのは、殆ど光が対応する。お母さんウケが良いのが、理由の一つではあるのだが、この集団の中では、光が発言した方が説得力があったからでもある。
対外的対応が、光は凄く上手かった。店を良く手伝う事も、要因ではあろう。
「おはよう」
「おはよう」
学校が近くなるにつれ、ガヤガヤが大きくなる。横の小道から合流して来たら、挨拶だけをして、二列に並ぶ事無く、小学生の列が一列へと出来ていく。朝の登校の風景は、長い黄色の百足が、徐々に出来上がる様であった。
「井上先生、山崎先生、おはようございます」
誰かの挨拶の声がする。今日、校門に立って居るのは、六年生担任の山崎先生と、四年生担任の井上先生であった。
「おはようございます」
広樹も、先生相手には生意気な態度では無い。挨拶をきちんとしている。山崎先生が、悟君について光に聞いているのを横目に、時子は、井上先生に忘れ物を言いに行った。
「井上先生、おはようございます」
「おはよう、時子さん」
井上先生は生徒を「さん」付けで呼ぶタイプの先生だった。男の先生としては、少し珍しいかもしれない。
「井上先生」
「はい、時子さん。どうしたんですか?」
「国語の教科書を忘れました」
「そうなのですね、もう少し頑張りましょうね」
「はい、頑張ります」
時子は、笑顔で、元気良く答える。井上先生は、忘れ物について、時子を叱った事はあったが、余りに暖簾に腕押しなので、半ば諦めていた。というより、これがこの子の色だと分かり始めている状態であった。その気づきから、井上先生は叱る事が無くなった。月30回、時子は何かを忘れていたのだから、分からない方が可笑しかったのではあるが。
「仕方ないですね。わかりました、広樹さんに、先生にちゃんと言ったという事を伝えて、見せて貰いなさいね」
「わかりました、ごめんなさい」
「大丈夫ですよ、きちんと元気に学校へ来る事の方が大切なのです。では、教室で会いましょう」
井上先生と別れると、時子は、待っていてくれた明子と優未と下駄箱の方へと歩いて行った。
丁度、午前8時である。校門では、山崎先生と井上先生が、歩いて来ている子達に挨拶を続けている。
冬でも、今日は温かい方だった。
用務員さんが、バケツ片手に校庭の見回りをし始めている。雀がチュンチュン鳴いて、電線の上で、歌謡ショーを繰り返す。冬の透き通った太陽が、二宮金次郎の銅像を半分照らしていた。
南風の時子さん 袋小路 めいろ @fukurokouzi
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