信条
コウモリは頭から、かつて虎太郎が被っていた帽子を落としたのだ。
「これって、どういう事?」
持永が言った。しかし、誰もこの状況を理解できてない。
するとそのコウモリは望たちの方へ突進、するかと見せかけて頭上すれすれを飛行し、そのまま向こうへ飛んで行った。
「追うぞ」
おやっさんの指示を聞き、四人は車を駐めた場所へ向かって走る。偶然にも、コウモリが逃げた方向と車を駐めた方向は同じであった。
車を駐めた場所に着くと、そのコウモリは近くにあった大木の枝にぶら下がっていた。しかし、望たちがその場に着くと、再び飛び立った。望たちは透かさず車に飛び乗る。
それから、おやっさんは車を運転しながら、コウモリタイプの
卍
車で追い掛け始めてから何時間経ったであろうか。既に県内から飛び出し、県外に来ていた。すぐそこには海が見えている。コウモリはその海の砂浜の真上で羽を羽撃かせ、周辺をぐるぐると廻っていた。
「何なんだ? アイツは?」
おやっさんが言った。こんなにも逃げ回る
おやっさんがコウモリの
「これは・・・・・・」
おやっさんがその穴に気を取られていると、大きな音と共にコウモリは猛スピードでどこかへ飛び去ってしまった。
「なんだ、そんなにスピードが出せたのか・・・・・・」
呟き、再び巨大な穴の方を向き、そしてこう呟いた。
「あのコウモリ、まさか・・・・・・な」
卍
望、持永、勝也、桐子の四人がおやっさんと供に長崎屋に帰ってきたのは、もう日が暮れた後だった。
「ひとつ、いいですか?」
おやっさんに、勝也が訊く。
「
前にも訊いたような気がするが、もう一度しっかりと訊かずには居られなかった。
「申し訳ないけど、過去の資料によると江戸時代からその存在が確認されている事以外、我々にもよく分かってないんだよ・・・・・・。そもそも何故、『
おやっさんの答えに、やはり、と勝也は溜息を吐く。
「ただ、今日の事で、私にはなんとなく解った気がするよ」
「え?」
と勝也が顔を上げる。おやっさんは持永が持っているつば付きの帽子を手に取り、
「これ、虎太郎くんの帽子で間違いないのかい?」
四人に訊く。
「はい。ここに名前が・・・・・・」
車の中でずっと帽子を眺めていた持永は、名前が書いてあるのを発見していたらしい。持永が指差す先には『飛倉虎太郎』と書いてあった。
「私も、まさかとは思うが、あのコウモリの正体は・・・・・・」
四人は息を呑んだ。しかし皆、なんとなく感付いてはいた。だからこそ勝也が質問したのだ。
「君達は、『ダーマ』というのを知っているかな?」
おやっさんが四人に訊いた。
「ダーマ?」
持永と勝也が首を傾げる。
「難しいんだけど、簡単に言うと、この世界の全ての物体や生物は常に関わり合っている、という法則なんだよ。その大自然の法則によって、我々はこの身体に『魂』を『心』を授かるんだよ」
「えー、というと、つまり・・・・・・、どういう事になるんだ?」
勝也がショート寸前の頭を掻きながら言う。
「つまり、成仏できなかった虎太郎の魂が、ダーマの働きによってコウモリの身体に宿ったと・・・・・・」
桐子の推測に、
「ああ、なるほど」
と、勝也が納得する。が、
「でも、何であんなに大きくなったんだ?」
と、未だ解けぬ謎を口にする。
「それは・・・・・・。はっきりとは解らない。だが・・・・・・」
おやっさんがそこまで言った時、長崎屋の戸が開き、
「虎太郎の未練が、そこまで大きくさせたのかも知れないな」
と、おやっさんが言おうとした事を言われた。その声の主は・・・・・・、
「響尾さん!」
と、望。
「ヒビキくん!」
と、おやっさん。この【ヒビキ】というのは響尾彦七郎に与えられたコードネームである。鎮魂隊の鎮魂部門――妖怪退治をする隊員には、それぞれにコードネームといって、ニックネームのようなものが与えられるのだ。
「この程度の怪我、どうって事無いですよ」
と、松葉杖姿の響尾彦七郎が笑みを浮かべながら店内に入ってくる。
「え? もしかしてヒビキくん・・・・・・」
「はい、病院からここまで、歩いて帰ってきました」
「やっぱり君は・・・・・・」
おやっさんが苦笑しながら言う。
「鍛えてますから」
言う彦七郎に、望が頭を下げてこう言った。
「すみません。僕が、しっかりフォロー出来なかったばっかりに・・・・・・」
「いや、お前のせいじゃない。そんなに気にするなって」
言う彦七郎に望は、まっすぐで力強い眼差しを向ける。
「響尾さん、友達との誤解も解けて、今後もやっていけそうです。だから、修行をさせて下さい。もう一度、鍛えさせて下さい!」
もう一度、頭を下げて言った。
「そうか・・・・・・。しかし、俺の体はこの
彦七郎がそう言うと、
「ヒビキくんらしくないなぁ」
と、おやっさんが言う。
「君は、どんな状況に置かれても対応できるように鍛えてきたんじゃなっかったのか? そうやって、私の後を引き継いだんじゃなかったのか? 今度は君が、望くんを鍛えてやれ。幸い、オオナマズの居場所も掴んである。応援も呼んでおく。ただし、その足でも出来ることがあるはずだ」
言って、おやっさんは彦七郎の方をポンポンと叩く。
「しかし、修行の再開はいいとして・・・・・・、もしかしておやっさん、望にオオナマズの退治をさせるつもりですか? 流石にそれは、早すぎるかと・・・・・・」
彦七郎はそう指摘する。
「いや、早すぎるなんて事は無い。そんな事を言ってる内に、太陽は沈んでしまうよ。むしろ今回こそが、新しい次代を担っていく若者である望くんの初陣に、一番適してるのではないかな?」
言われた彦七郎は息を呑み、
「分かりました。おい望。今までで一番厳しいものを用意しておく。覚悟しとけよ」
と言った。
卍
それから、望の猛特訓が始まった。腹筋、背筋に腕立て伏せ、拳立ては勿論、オオナマズとの戦いに対応する為に海を長時間泳いだり、水中での突き、蹴りなど・・・・・・、かなり厳しいものとなった。
その、猛特訓をすることとなった場所は、この前コウモリを追い掛けてきたあの海岸だ。おやっさんの話によると、そこに彦七郎が敵わなかった大きな鯰――オオナマズが居る可能性大とのことだ。その為、望と彦七郎は海岸の近くにテントを張り、オオナマズが出現するのを監視しながらの修行ということになった。とはいったものの、実際監視をするのは沙駒美とその妹、それから桐子の三人である。
卍
夜中、光一つ無い木々の中で二つの声が会話をしている。いや、本当に二つであろうか。全く同じ声の主が喋っている為、独り言のようにも聞こえる。
「さてと、そろそろオオナマズに暴れてもらいましょうか」
「お前、まだそんなことをするのか。もうやめろって・・・・・・」
「貴方は生みの親としては感謝しているがもう必要ない。私も一人の人間です。貴方の細胞からは生まれましたが貴方とは違うんですよ。邪魔です」
グサッ――
そう言って片方の影がもう片方の陰を手に持っていた奇怪な杖で心臓を貫いた。
「さて、邪魔者は消せましたし、このまま帰りますか・・・・・・」
卍
海岸で修行を始めてから二、三週間経った頃、幸いにして未だにオオナマズは出現していなかった。
「望、もし今オオナマズが出てきたとして、倒せるか?」
休憩中、夕日を観ながら黄昏れている望に、彦七郎が缶コーヒーを差し出しながら訊く。
「あ、いや、まぁ・・・・・・。ありがとうございます」
「なんだ、自信ないみたいだな」
彦七郎も、望の目線の先にある夕日を観ながら喋る。
「もしかすると、オオナマズに加えてあのコウモリも出現するかもな」
振り向く望を横目に、
「そうなったら望、お前が鎮めろ」
と言った。
「響尾さん、僕に、虎太郎を殺せって言うんですか?」
「勘違いするな。殺す、というのとは違う。それに、あれは虎太郎の魂を受け継いではいるが、人間ではない。
「でも、虎太郎が誰かを襲ったていう情報は・・・・・・」
「人間を殺す手段は、襲うことだけではない!」
彦七郎が望に強く語り始める。その声に、望は少し震えてしまった。
「奴等は、存在そのものが害なんだよ! それは、あの大きな体を見れば想像が付く。自然を崩壊させる体だ。以前、ダーマについては話したな? あの体を維持するには、生物であるならばエネルギーが必要だ。人間を喰わないとなると、ターゲットは他の動植物になる。するとその動植物が急激に減る。そして何れ、我々人間の食料にも影響してくるって訳だ」
望は歯を食いしばる。
「だから望、これはしょうがないことなんだ。そして、それをするのは、お前が最適だ。やってくれる・・・・・・な? やってくれるな?」
彦七郎は、望の顔を強く見つめる。
望は、今度は手を握り締めて言う。
「分かりました。僕が、僕が持永や勝也、みんなの為にやって見せます。そして、虎太郎の為にも・・・・・・」
その言葉を聞き、少し安心した様子の彦七郎が、再び地平線を見ながら言う。
「あそこに沈む夕日を俺とするなら、明日の朝日は飛鳥望、お前だ」
その言葉を聞き、望は固唾を呑み、先程彦七郎から手渡された缶コーヒーも呑んだ。そのコーヒーは、猫舌の望には呑みやすい温度になっていた。
卍
その日の夜、丑三つ時であった。海岸近くのテントで寝ていた望は突然、沙駒美の妹に起こされた。遂に、あの大きな鯰――オオナマズが姿を見せたのだ。望は彦七郎と共にテントを飛び出した。その背中に、
「応援部隊、呼んでおきます。二人とも、頑張って」
と沙駒美の妹は言う。
「了解。ただ、今日頑張るのは望だけだ」
と、松葉杖を使いながら出来るだけ速く歩いている彦七郎が振り返りながら言った。
卍
望が現場に向かうと、大きな鯰が海から顔を出し、砂浜の方へ向かってくる。体長は五メートル程か。
「望、この日の為に頑張ってきたんだ。気合い入れていけよ」
「了解です」
言った望は一呼吸置き、
「鎮魂行を始めます」
合掌礼をし、オオナマズの下へ走って行った。
望はまず、オオナマズの
「響尾さんの足の借り、返させてもらいます」
と、望はオオナマズの胸鰭をサンドバッグと見立てて回し蹴りを放つ。少しダメージはあったようだが、まだまだのようだ。望は何度も足を蹴ったり突きを入れたり引っ張ったりする。と、修行中の彦七郎の助言が頭をよぎった。
「そうだ、もっと腰を入れなきゃ・・・・・・」
言って、もう一度回し蹴りをすると、オオナマズの胸鰭は千切れた。
「っしゃあ!」
しかしまだ片側だけである。念のためもう片方も・・・・・・。望はオオナマズの攻撃を避けながら、もう片方の胸鰭を狙っていった。
その時であった。何者かが望に体当たりをしたのだ。望はその場に倒れた。
「くっ・・・・・・」
望が見上げたそこには、どこかで見たような顔があった。
「誰だ?」
「困りますね。こんな事をされたら。私達《《》》の実験が台無しになってしまう・・・・・・」
「私達? 実験? 一体どういう事なんだ?」
立ち上がりながら、望が訊く。
「君は、自分自身の意思、気持ち、感覚、いや心と言った方がいいのだろうか。これらのものがどこから来ているのか。疑問には思わないかい?」
「魂・・・・・・、の話ですか?」
「そうそうそうそうそう。そういう言い方もある。私は生まれたときからずっと疑問に思っているのだ。どうして『私』という魂はこの体と一体になっているのか。『私』というものが生まれる前はこの魂、いやこの意思、この意識は何処にあったのか。死んだら何処に行くのか。寝ている時と同じ感覚なのか。『私』が消滅したら、私にとって、世界は『無』になるのか・・・・・・。説明するのはかなり難しい、が解るか? そして、君も不思議だとは思わぬか? 知りたいとは思わぬか? 知りたいなら、攻撃はやめなさい」
「確かに、世の中には不思議なことがたくさんありますね。ただ、あなたみたいな不審者と、語り合ってる暇は無いんです。どいて下さい。」
望は、その『不審者』を手でどかそうとする。
「不審者、ねぇ。確かに、自己紹介を忘れてましたね。私の名前はイブスキ。一流の科学者です」
「イブスキ・・・・・・」
どこかで聞いた名前である様に思えた。
「そしてこのオオナマズは、私の研究成果です。この大きなアルは、私の『意思』で動かせます」
言われてみれば、その大きなオオナマズは動きを停めていた。普通ならこの隙にどこかへ逃げていたり、誰かを襲っていてもおかしくはないはずだ。これも、イブスキの『意思』なのか?
「そのオオナマズが研究成果? どういう事ですか? 何の目的で・・・・・・」
「いや、だから最初にいったじゃないですか。私は、ずっと疑問に思っていると。人間の意思、意識、認識、心、魂はどこから来るのか、と。そして私は考えたのです。我々は二つの認識を持つことは可能かどうか・・・・・・」
望の問いに、イブスキは嘲笑しながら答えた。
「その為に、今までこんな事を・・・・・・。あなたのせいで、今まで何人の人が犠牲になったと思ってるんですか! 虎太郎だって・・・・・・」
望が怒鳴る。が、イブスキはケラケラと笑い始めた。
「流石に人殺しまではしませんよ」
「現に何人も死んでるんです! 虎太郎だって、あなたが殺したんじゃ・・・・・・」
「違いますよ。それは
「は?」
思わずそんな声が望の口から出る。
「今回、私が創ったのは・・・・・・、『サイキ』とでも言っておきましょうか」
「同じじゃないですか・・・・・・」
「いや、私の『サイキ』は作る息と書いて『
「ふざけるな」
望がイブスキを殴ろうとすると、その腕を、いや両腕を何者かに抑えられた。左右を確認すると、そこには・・・・・・。
卍
響尾彦七郎は、少し離れた場所から望の戦いを見守っていた。望は、オオナマズの片方の胸鰭は千切る事が出来たようだ。するとその時、望の動きを誰かが封じ、その誰かと望が喋っている。
「誰だ、アイツは?」
不審に思った彦七郎は、松葉杖を使って必死に望の下へ行くのだった。
卍
一方その頃、沙駒美の妹が読んだという応援部隊は、予期せぬ足留めを喰らっていた。
「こちら応援部隊! すみません。大量の
何十匹か判らぬほどの
「このままでは、そちらに向かうどころか、我々がここで・・・・・・」
「そんな・・・・・・」
しかし、俯く妹の携帯を無理矢理奪い、沙駒美が叫ぶ。
「馬鹿者! こっちでオオナマズと戦ってるのはね、まだ何の戦績もない少年一人だけなの! あんた達が寝言言うな! 死んでも応援に来なさい! それに、オオナマズはあんた達が持ってる‘アレ’が無いと鎮められないんだから・・・・・・」
「りょ、了解です!」
言ったか言わぬかのその時、
「ちょ、ちょっと待ってください・・・・・・、あの人は、あの人がいました! 今、あの人がそちらに行きました!」
「あの人? 誰なの?」
咄嗟に沙駒美がその名を聞く。そう、あの人とは・・・・・・。その名を聞いた沙駒美は驚愕した。
卍
「こ、この人達・・・・・・」
自分の両腕を掴んだ人の顔を確認した望は、恐怖で震えた声を出した。
「そう、この人達は、私達《《》》・・・・・・」
望が見た顔は、全て同じ顔であった。
「
駆け付けてきた彦七郎が言った。
「これはこれは、まだ生きていたのですね」
イブスキが言う。
「指宿、お前どうして? 今まで何処に行ってたんだ?」
「はて、何のことでしょうか?」
「覚えて、無いのか?」
その場に三人も居るイブスキであったが、誰も反応しない。
「そいつらは、お前の事を知ってるはずねぇよ」
望の後ろから、四人目が現れた。
「久し振りだな、彦七郎」
「おやおや、こちらも生きているとは・・・・・・」
「すまんな、お前がやったのもお前らと同類って訳だ」
一人目のイブスキの言葉を、今現れた四人目が返す。
「一体どういう事だ」
彦七郎が問う。
「こいつらは、俺のクローンだ」
四人目が言う。
「クローン? どうしてそんなことを」
「目的は、昔と変わらない。この世の
「なら、なぜ急に行方をくらました?」
「お前と一緒に居るのが辛かったんだよ」
言われた彦七郎は動揺が隠せないでいる。
「彦七郎、お前は、奥さんと子供を、ある日突然、コウモリ型の
望は、最初は指宿が何者なのか判らなかったが、二人の会話を聞いている内に思い出した。そうだ、榎澤さんが言っていた。彦七郎さんは元々生物学者で、昔は榎澤さんと彦七郎さんと、それから指宿という人と研究をしてたって。そしてその指宿は、人工的に創られた妖怪――作息を発生させることが出来る‘一本ただら’杖が完成するとと暫くして行方不明になった、と。
「だから、私は研究室を出て行ったんだ。研究チームの中心である私がいなくなればこれ以上の事は出来ない。その代わり、私一人で研究を続け、彦七郎の為にも、榎澤たち研究チームのみんなの為にも、この地球の為にも、私が再生を倒す、そう決めたんだ。だから、あの
「コウモリ型の
彦七郎は辺りを見回す。が、
「どこにもいないじゃないか」
「いや、いるんだ。すぐ近くに・・・・・・」
そう言った時、どこからともなく、あのコウモリが現れた。
「あの再生は、私が倒す」
「指宿、しかしあれは俺の妻子を殺した
「構わない。どんな再生であれ、存在そのものが害だ。生きていちゃいけないんだ!」
言うと、長い間じっとしていたあの巨大なオオナマズがコウモリの方へ動き出す。上空にいるコウモリに、何らかの攻撃を与えるのかと思われた。が、オオナマズは指宿を突き飛ばした。
「どう、して?」
突き飛ばされた指宿が言う。
「どうして? それはこのオオナマズの意識が、私のものでもあるからだよ」
クローンのイブスキが言った。
「正義の味方、みたいなこと言いやがって。よくそんな嘘が言えたもんだな」
イブスキが指宿の胸ぐらを掴む。
「どういう事だ。嘘って何だ?」
その光景を見た彦七郎が言う。イブスキは振り返り、
「今コイツが話した事は、全て嘘だ」
と言い、話を続ける。
「まず、コイツが研究室から出て行ったのは、お前と一緒に居るのが辛かったからじゃない。邪魔だったからだ。本来、コイツがしたかった研究をしたくても出来ない。時間も無ければ鎮魂隊本部から許可が下りるはずがないからだ」
「本来したかった研究? それって・・・・・・」
「そう、それがこのナマズだよ。同じ意識を二個体が同時に持つことが出来るか否か。そしてその実験の一部として、私達の存在がある」
「違う! 違う違う違う違う違う違う! そんな事、考えるはずが・・・・・・」
「考えたんだよ! その証拠に、クローンである私の心には、昔からその考えが住み着いてる」
「そんなはずは無い。クローンとはいえ、別個体だ。そんなはずは・・・・・・」
「自分自身の、心の奥底に訊いてみるんだな」
イブスキは言い、手に隠し持っていたナイフで、指宿の腹を刺した。
「オリジナルのあなたは、邪魔だ。障害でしかない」
口から血を吐き、その場に倒れた。
「指宿! 指宿!」
彦七郎はすぐに指宿の下に駆け寄る。
「指宿さん、後は僕に任せて下さい。あのコウモリは、僕が鎮めます。当然、指宿さんのクローンとナマズもね」
言いながら望は、二人の指宿に掴まれていた両腕を、彦七郎から教わった技で指宿の手を自分の腕から離し、両方に肘打ちと裏拳の二連チャンをすると、二人のイブスキは頭を抱え、痛がっている。それから望は体制を整え、拳を構える。オリジナルの指宿を刺したイブスキはそれを見るなり、余裕そうな顔をする。拳を構えている望の後ろには、巨大なオオナマズがいるからだ。イブスキはオオナマズの意識を使い、望を襲わせる為、オオナマズを望の背後に近寄らせていく。
「の、望! 後ろも警戒しろ!」
午前四時。辺りの様子は真っ暗でよく判らないが、微かな街灯と、長年の戦いで身に付いた予感と気配から、彦七郎は感じ取り、望に向かって叫んだ。望が後ろを振り向くと、口を大きく開けた巨大なオオナマズが目の前に迫ってきていた。
グシャ、という音と共に辺りには血が飛び散った。が、オオナマズが喰らったのは望ではなかった。先程、望の攻撃を喰らって、頭を抱えて痛がっていたイブスキだった。オオナマズの体が大きい為、一瞬にしてイブスキは飲み込まれてしまった。その場にいた誰もが「どうして?」という言葉が喉元まで来ているのを感じていたが、声に出すことが出来なかった。しかしオオナマズの食欲はまだ治まらない。続いて、望の腕を掴んでいたもう一人のイブスキも喰らったのだ。望の攻撃も効いていたのか、イブスキにはそれを避ける時間は無かった。二人のイブスキを飲み込み終わると、オオナマズの目線はナイフを持ったイブスキに向かっていた。
「なんで? 何で私を・・・・・・」
やっと声が出せるようになったイブスキは、か弱い声を上げる。
「お前、まさかコイツに餌をやってなかったな?」
もうすぐ息絶えようとしているオリジナルの指宿が、口から血を出しながら言う。
「さっきの発言を、撤回しよう。クローンとは言え、自分とは全然違う。なんてことは無かったな。お前は、私と同じだ。結局、他人を殺すなんて事は出来ない」
「何を言ってるのです! 私だって研究の為なら、やることはやります! 現に今さっきあなたを・・・・・・」
イブスキはオリジナルの指宿に言い返す。そう、今まさに指宿が血を吐いているのは、イブスキがナイフで刺したからだ。
「そう。確かにそうだ。でも、お前は私。私はお前だ。昔から俺は、他人を殺すことは出来なくても、自分自身を犠牲にすることは出来る、らしい」
指宿はそう言って、ふっと笑った。笑うと、気泡が含まれた血が吹き出す。それを聞いたイブスキは、
「なるほど。そしてこのオオナマズは私が餌を与えなかったせいでお腹が空き、親鳥である我々の存在が自分にとって害であると判断した訳か?」
と言い、苦笑いをし、イブスキは自らオオナマズの下へ歩いて行く。ゆっくり、ゆっくり、と。
卍
結局、クローンのイブスキは、全員喰われた。オリジナルのイブスキの息も、いつの間にか止まっていた。俯き加減の望は、堅く握った拳を見つめながら言う。
「悲しい。本当に悲しいよ・・・・・・。だから僕は、人を、ナマズを、生物を、こんな風にしてしまった魂を、こんな風になってしまった魂を鎮めなきゃ・・・・・・。いや、鎮める! ここからが本当の鎮魂行だ!」
言って、望は顔を上げ、目の前に立ちはだかる巨大な蟻を直視する。望はもう一度正面に合掌礼をし、
「鎮魂行を始めます」
と言った。
卍
望はそのまま正面に向かって走り、オオナマズの鰭を手当たり次第千切ったり突き、蹴りを加えたりする。と、そこにコウモリが近づいてきた。コウモリの羽で強風を煽られ、望は数メートル先に吹き飛ばされた。
「くっ、そうか、お前もいるんだったな」
望は立ち上がりながら言う。しかし望への攻撃がこれで終わりなはずはない。コウモリと、ナマズが、望に近づいてくる。望はその二匹に、挟まれる形となった。
コウモリは何度も望を強風で煽り、近づいてくるナマズはその都度咆哮を上げて望を喰らおうとする。望を弱らせてから喰らおうというのか・・・・・・。望の体力は限界に達し始めていた。絶体絶命のピンチ、最早ここまでか・・・・・・。
卍
その光景を見守ることしか出来ない沙駒美、沙駒美の妹、それから桐子の下に、一台のバンが停車した。その車から降りてきたのは・・・・・・。
卍
五・六人の人影が突然現れ、オオナマズの動きを封じた。
「飛鳥望、でしたっけ? 助太刀に参りました。どうぞ、これを」
応援部隊である。彼らは望に‘要石’というものを手渡した。オオナマズに対しては、古来よりこれを使わないと退治出来ないのだ。
「遅いぞ、何をしていた!?」
彦七郎が怒鳴る。
「少し、足止めを喰らいましてね。でも大丈夫です。全て我々が鎮めました」
「ったく、時間掛かりすぎだぜ」
「それだけじゃないですよ。ほら」
応援部隊の隊員が指し示す方向には、五人の影があった。内三人は沙駒美たちである。残り二人は・・・・・・。
「望ー。負けるなー」
「頑張って!」
「勝也! それに持永まで・・・・・・」
望は驚きの声を上げる。
「応援って、そういう応援かよ・・・・・・」
彦七郎は呆れた声を漏らす。
「そうだ。僕は思い出したよ。僕はみんなの為に強くなって戦うんだ。そして、みんなの支えでここまで来れたんだ」
望は言って、もう一度立ち上がった。しかしそこに、またコウモリによる強風が・・・・・・。
「僕は、何度だって立ち上がる」
そう言う望の体は、少しふらついていた。望の言葉とは裏腹に、確実に動きが鈍くなり、弱ってきた望に、今度はコウモリが、全速力で近づいて来る。遂に狩る時が来たようだ。
「虎太郎ー。ダメだよ虎太郎!」
「やめるんだ虎太郎! 望とは親友だったろ?」
持永と勝也が、コウモリに向かって咄嗟に叫ぶ。が、コウモリと化した虎太郎の魂には、もうその声は響かないのか、スピードを緩めない。
せっかくここまで来たのに、ダメだったか・・・・・・。そう思った望は目を瞑る。ドスッ。鈍い音が、背後で聞こえた。望は目を開けて確認すると、背後には、頭をふらふらさせた巨大なナマズと、近くに倒れたコウモリの姿があった。
「「「「虎太郎!」」」」
その光景を目の当たりにした持永、勝也、桐子、そして望が言った。
コウモリの体は、もう、動かなかった。望も、その光景を見て、金縛りにでもあったかのように、動けなくなっていた。
「望、何をしてる! せっかく虎太郎が作ってくれたチャンスだ。早くあのナマズを鎮めろ!」
彦七郎の指示に背中を押され、望はまた一歩、前に歩き出すことが出来た。
「うをーーーーーーーーーーーー」
望はスピードを徐々に上げていき、応援部隊としてきてくれた隊員達が手で抑え、動きを封じているナマズを、拳で殴ると同時に、その手に持っていた要石をオオナマズの体の中に押し込む。すると、暫くしてからナマズは爆散し、それに続けてコウモリも、かなりの時間差で爆散した。
バケツの水をひっくり返したかのような音と共に、辺りには土塊が飛び散り、枯れ葉が蝶のように舞った。
「全く、人間の悪意とは、どこから来るんだろうな」
ナマズとコウモリが爆散したのを見て、少し安心した彦七郎は、もう息のない指宿を抱え、言った。そしてやがて枯れ葉は土塊と同じように、地に還っていった。
空は既に、明るくなりつつある。
卍
遠い地平線の彼方から、太陽が少しずつ顔を見せ始めている。望は今、それを眺めている。そこに、松葉杖姿の彦七郎がやって来た。
「望、よく頑張ったな」
「はい」
二人とも、お互いの顔は見ず、太陽を見ながら話す。
「でもな、油断するなよ。お前の人生は、まだ始まったばっかりだ。
「はい!」
望は、元気よく返事をした。
暫くして、太陽は顔を出し切った。
「そうだ、そろそろ、お前に鎮魂部門の隊員として、コードネームを授けなきゃな」
それを聞き、望は彦七郎の方を向き、物凄く嬉しそうな顔をする。
「んー、そうだな。何がいいかな」
彦七郎は真剣に考え始める。
「そうだ、アカツキ、なんてどうだ。暁にて戦ったからアカツキ。いや、お前にはまだ格好良すぎるか?」
「い、いや、最高です! ありがとうございます。これからはアカツキ、として宜しくお願いします」
望は彦七郎に頭を下げた。
「おう。今日からお前は、アカツキとして、新たに始まるんだ」
望の意思に、彦七郎は応えた。
――始まりの君へ――
(完)
鎮魂行 京濱高虚 @Kokyo_Keihin
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。鎮魂行の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。