調息

 今、響尾彦七郎は、尋常ではない大きさのナマズと戦っている。

「どういう事だ。いつも戦ってるナマズは人間大のサイズなのに・・・・・・」

 今、彦七郎が戦っているナマズは果たして何メートルあるだろうか。かなり大きい。今まで経験したことのない相手に、彦七郎は苦戦している。彦七郎の体力は限界に来ていた。その彦七郎を、ナマズは踏み潰した。

 と、丁度そこへ応援部隊と望がやって来る。それから望は、彦七郎の下へ駆け寄り、「響尾さん」と叫び続けた。彦七郎は薄れゆく意識の中、その望の声によって、忘れられないあの日の記憶をフラッシュバックさせた。


      卍


 それは昔、彦七郎が家族でキャンプをしていた時の事だった。

「おーい。釣って来たぞー」

 その声に、妻と息子が笑顔で振り向く。妻と息子のいるところまで、ざっと百メートル、といったところか。

 その時だった。奴が現れたのは。突然、空から大きなコウモリが飛来し、妻と息子を襲った。彦七郎は尻餅をつき、呆気に取られていた。

「早く、速く逃げて」

 と妻。

「お父さん。お父さん。お父さーん」

 と息子はずっと叫んでいた。

 呆気に取られ、ずっと尻餅をついている彦七郎にコウモリが襲いかかろうとしたその時、彦七郎の目前に【大きな背中】が立ち塞がった。それは現在、長崎屋の店主を務める【おやっさん】だった。【おやっさん】はそのコウモリを倒してくれた。

 それから、その背中を追い続けた結果、今の彦七郎があるのだ。


 望の声と息子の声が、重なっていた。


      卍


 病院のベッドの傍らで、酷い怪我に加え、酷くうなされている彦七郎を、望は見守っていた。

「や、やめろ。やめてくれ!」

 大声とともに、彦七郎はやっと目を覚ました。

「あ、恥ずかしいところ、見せちまったみたいだな・・・・・・」

 周りを見渡し、状況を理解した彦七郎は望に言った。

「響尾さん、大丈夫ですか?」

「ああ、大丈夫だ。毎日鍛えてんだ。このくらいの傷、どうって事・・・・・・。あっ、イタタタタタタタ。んっあー、痛くない」

 彦七郎が必死に痛みを堪えながら強がる。口で嘘を吐けても、顔で嘘を吐くことは出来ない。この場合、口でも嘘をつけていないが・・・・・・。

「それよりなぁ、望。お前のせいで変なこと思い出しちまったぜ」

「あ、す、すみません」

 望は咄嗟に謝る。

「いや、まぁ、いいんだけどさ・・・・・・。ってかそれより、なんで俺の名字知ってんだよ」

 彦七郎の頭に、ふとそんな疑問がよぎった。普段なら「彦七郎さん」と呼ぶはずだし、第一、名字は今まで隠してきたのだ。望が知っているはずがない。

「あ、その・・・・・・。榎澤さんから、全て聞きました、過去の事・・・・・・」

「なるほどな。あの、このヤロー」

 「なるほどな」で一度天井を見上げた目線が「このヤロー」で再び望の方へ帰って来た。

「すみません。今後は今まで通り『彦七郎さん』って呼びます」

 望の目線は一度床を向き、そして再び彦七郎の方へ戻り、こうも言った。

「でも、呼んでみたかったんです。『響尾さん』って・・・・・・」

「そうか、お前・・・・・・」

 少々の沈黙の後、彦七郎は「分かった」と言った。

「ただ、修行は中止だ」

「え?」

「友達との間に誤解が生じた件についてはどうなった?」

「あ、それが、まだ・・・・・・」

「だったら、まずはそっちを片付けろ。どっちにしろ、俺は今、こんな状態だ」

「分かりました」

 言って、望は彦七郎に一礼し、病室を出て行った。

 彦七郎は、夕日で赤く染まった病室に、一人残された。


      卍


 次の日の午後、持永と勝也に、望と桐子とは鎮魂隊のメンバーであることを話した。おやっさんは普段、隊員のサポートや被害に遭った人達の心のケアなど様々なことをしている。桐子は隊員のサポートがメイン。因みに桐子は、二年前のあの日、大きな蜘蛛と聞いてもしやと思い、彦七郎に連絡していた。虎太郎は死んでしまったが、逆を言えば、あのタイミングで彦七郎が現れて、それ以上の被害が出なかったのは、桐子のお蔭と言ってもいい。そして望は、その事件の後、虎太郎や持永、みんなの為にと鎮魂隊に入ることを決意し、今も修行を続けている。だから普段、望と桐子が長崎屋に二人でいることが多かったのだ。また、夏休みに望と桐子が箱根に一泊したというのも、鎮魂隊の合宿だったのである。合宿なので、当然、二人きり、というわけでもない。その場には彦七郎さんを始め、他の隊員や桐子のような単なるサポーターや望のように修行中の者もいたのだ。

 そんな話をしている内に、持永と勝也は、最初は信じ難い、という表情をしていたが、だんだんと自分達の思い違いに気付き始めたようだった。

「あの・・・・・・、望、桐子、ごめん。私の勝手な思い込みで・・・・・・。私、望がそんなに頑張ってるなんて知らなかった・・・・・・」

 と、持永が深々と頭を下げる。

「俺も、なんかごめん・・・・・・。学校のみんなには、俺が後でちゃんと言っとくから」

 勝也も深々と頭を下げる。

「あっ、そんな大丈夫だよ」

 桐子が言う。

「なんか、そういうのってさ、私にも解る気がするんだよね。親友でも、恋人でも、ちょっとした事で、すれ違いが起きたり、嫌になったりして、仲が悪くなっちゃうんだよね。そして、何もかもが嫌になって、遂には自分が自分でなくなって、恐ろしいモノに変貌してしまう・・・・・・」

 桐子は、昨晩見た夢を思い出しながら語る。

「私達だって、ちゃんと伝えなかったのが悪かったんだし、お互い様。こっちこそ、ごめんね」

「僕も、黙っててごめん」

 望も、下を向いた。

 暫くして、落ち着いたところを見計らい、おやっさんが提案する。

「さ、じゃあ、もっと信憑性を増す為に、君達に普段の望くんの修行風景を見せに行きますか」

「は、え!?」

 と、望。

 有無を言わせず、四人は車に乗せられ、おやっさんの運転で、望がいつも彦七郎と修行をしている木々の中へ向かった。


      卍


 望とおやっさんは防具を着け、乱取りを行うことになった。乱取り、とは自由に技を掛け、それを防ぎ、反撃する、かなり実戦に近い戦い方をする為の練習方法である。何処からどう飛んでくるか分からない攻撃を、攻撃が来たら瞬時に最善の防御法を判断し、反撃しなければならないのでかなり難しい。当然、攻撃は一度だけでなく、何度も繰り返される。

「望くんは、将来『再生さいき』と戦う為に、日々、ここで鍛えてるんだよ」

 と修行を始める前に、おやっさんが言った。

「さ、サイキ?」

 聞き慣れない言葉に、望が聞き返した。

「あれ? 望くん、知らなかったっけ?」

「はい」

「『サイキ』ってのは普段彦七郎くん達が戦ってる巨大生物の正式名称だ。それを我々は被害に遭った一般市民に対して便宜上使っている。サイキ、再生さいせいと書いてサイキだ。この名称は何百年も前から使われている」

「サイキ・・・・・・」

「昔の人が何故そう呼んだのか、今となっては分からない・・・・・・。ま、たかが名前だ。気にすることはない。さっさと始めるぞ」

 その言葉を合図に、望とおやっさんの二人は合掌礼をし、乱取りを始めた。


      卍


 二・三分程やったところで、再び二人は合掌礼をし、乱取りを終えた。

「望、格好良くなったじゃん見直したよ」

 持永に言われ、望は嬉しくなった。望は持永の笑顔に、笑顔で応えた。

 と、その時、

「あ、アイツは!」

 望が声を上げた。望の目線の先には大きなコウモリがいた。そのコウモリは以前、彦七郎がバケガニと戦った時に逃げられた、何故か三つの耳を持つコウモリである。実は、その後も何度か現れたが、必ず別の妖怪――再生さいきと現れ、その再生さいきと戦って、どこかへ行ってってしまうのだった。

 何をしてくるのかと警戒していると、そのコウモリの三つの内の一つの耳が千切れ、足下に落ちてきた。しかし、よく見るとそれは・・・・・・。つば付きの帽子であった。つまり、つばの部分が遠目に耳に見えていたのだ。

 望、持永、勝也、桐子の四人はその帽子を凝視する。それは、不思議なことに、どこか見覚えのある帽子・・・・・・。懐かしさを伴う帽子だ。帽子の前面に虎の絵が描かれている。

 そうだ、この帽子は・・・・・・、

「虎太郎のだ!」

 四人は同時に声を上げた。

 でも、なんで――。

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