ストリップ観劇記
りくこ
住吉詣といえば遊女遊びだよね!(確信)
「ストリップ劇場に行ってきた」
―― そんな衝撃的な一文を読んだのは、結婚式で大阪を訪れるちょうど半月ほど前だった。
「
最初の感想は、アホなことを言い出したなあ、だった。
昭和も半ばの製造である私にとって、ストリップといえば日曜の午後に民放ローカルで流されるヤクザ映画に登場する、“ピンクのベビードールで、ぬるぬると踊るお姉さん”以外の何者でもなかったからだ。当然かもしれないが、そうした映画に登場するダンサーは、元々が女優であるせいかダンスの表現者とはとても思えないもので、正直あんまり食指がそそらなかった。小学生女子がそそるもへったくれもない話だが。
が、ずみこは言う、「すばらしかった」。
知人の感想には釣られるのが人間というものである。奇しくも結婚式は住吉大社で行われる。古来、住吉詣といえば遊女あそびである。平安貴族たちは京都から川沿いに参詣するとき、江口のあたりで遊女舟と出会い、舟を止めて彼女らと遊んだという。
ならば、平安クラスタとして先達に続かねばなるまい。
そんな不退転の決意でもって、ずみこを案内に、同行するしゃちの承諾を全く得なまま、私は結婚式前日にストリップ劇場へ赴くことにした。
なお、事情を知らされていなかったしゃちは、仕事から帰宅してツイッターのログを読んで大層驚いたという。前世を海月とするしゃちも、さすがにこの年になってストリップに連行されるとは思わなかったらしい。しかし、流されて日々を過ごす生物なので、特に問題はなかったようだ。
そんなわけで、人様の結婚式に参加するという前日、りく、しゃち、ずみのいい年齢したアホ3人はストリップを観劇に行くことになったのである。
当日、腹ごしらえをした後、劇場に向かう。ショーを待つのは男性ばかり…… 当たり前の光景といえよう。このときの女性陣は私たちのみで、3人の平均年齢を思うと少しセンチメンタルになるけれども、そういうことを考えたら試合終了である。
ずみこが紹介した劇場は、3ステージで1回の形だ。標準料金が3,000円なので、なんだかお得な気持ち。1ステージ1人のタレントさんが登場し、内容はそれぞれ独立している。ちなみに、こうした劇場ではダンサーの女性を「ストリッパー」とは呼ばないそうだ。
さてドキドキの1ステージ目、登場したタレントさんに私たちは声を失った。
なんか…… すごく見慣れたものが……。いやどうだろう、違うかな。いや、あの三角のヘッドセット……???
劇場内は沈黙を求められる。っていうか、おしゃべり厳禁だ。お互い目でアワアワと会話しつつ、「そういう
どうみても
しかも、ご丁寧に刺すしかできねえ系の例のアイテムまで装備している。
ってやっぱりあのヒロインじゃねーか!!!
ていうか流れているこの曲も?!?!!
私の脳は「そうか……、文化の受容とはこのようにして広く社会n」とどうにかして衝撃を受け止めようとしていたが、“レースフリフリひらひら脱ぎ脱ぎ”のイメージからのギャップが大きくて、正直現実を直視できないでいた。そのまま私に還ってしまいそうである。
では、味付けだけをサブカルっぽくしているのかというと、決してそうではないのだ。
そもそもこのキャラクターは、承認欲求の強い少女である。母親に自己肯定感を育ててもらえなかった彼女は、身体と心を削って兵器に搭乗する。自分が自分であるために、鉄の棺桶に入って「自分を見て欲しい」と周囲に認知を迫るのが彼女である。
ステージでは、タレントさんはひとりで緊縛プレイを繰り広げる。まさに作品のなかの彼女がそうであるように。つまり、このタレントさんは自縄自縛というキャラクターの性質を理解したうえで、プレイのなかに取り入れているのである。
タレントさんの身体はダンサーらしく鍛え上げられており、照明によって浮き出される陰影は美しい筋肉が見られた。スレンダーな肢体は少女のいじらしさ、か弱さ、痛ましさを現している。
な、なるほど……。
1ステージ目が終わって、すっかり考え込んでしまった。私の予想とは遥かにっていうか違いすぎて、こっちがファーストインパクトだよっ! という気分だったのだ。
しかし、インパクトはこれだけで終わらなかったのである。
少し時間をおいて、2ステージ目が始まった。暗闇のなか、照らし出されたのは椅子に腰掛けたアンティーク人形だった。
っていうか、これって白ロリですよね?!?!!!
突然のロリータ光臨にまたまた動揺する我ら。しかし、やはり口は利けない。人は驚愕したときに声を奪われると、本当にどうしていいかわからなくなるものである。
白ロリは機械のように踊る。それで彼女には意志がないことがわかった。
やがて、白ロリは黒ロリへと変化……。まるで自我の覚醒とともに訪れる厨二時期の到来である。
さきほどまでの表情のない彼女はどこへやら、黒ロリは邪悪な表情で
黒ロリを一枚、また一枚と脱ぎ捨て、自分自身を傷つけるように肉体を曝け出す。ここまで見せていーんですかってくらい! 見ましたが!!
最後に水色の薄物を身につける。白でも黒でもないそれは、昆虫や妖精の羽根のような印象を与えた。
このタレントさんもスレンダーで、特にお尻が素晴らしく綺麗だった。それが衣装から見えたり見えなかったり、ふわふわと行ぎ過ぎるので、もう目がそこに釘付けである。
平安助平親父の代名詞・白河院は、両足も露わに洗濯をしていた下臈の女を見てコロッと惚れたとかいう逸話がある。「この変態ジジイが!」と思っていて正直すまんかった。そりゃ、隠されてる女体美がちらちら見えたら、食いつきますなあ……、ねえ?
身体に羽を纏う彼女は自然体で、誰かの言いなりでも、誰かを傷つける女でもない。ああ、これが彼女の“自分自身”なんだな……、というところでステージが終わった。
プレイ的に言えば、少女から大人の女になるまでの自慰行為を見ているような、自らの性へのナルシシズムを感じた。いや、本当にそうか知らん。見ているこちらが女性だから、そう思えたのかもしれない。
このふたりのタレントさんたちはどこもよく鍛えられていて、アスリートのように無駄のない美しさをもった身体をしていた。遠慮のない裸体を見たら、同じ女性であるがゆえに嫌悪感が沸くのでは? と心配しないでもなかったのだが、まったくの杞憂。肉体の、どの部位であってもそんなものは感じない。むしろ、そう思う方がおかしいんじゃない? そういう目で見るキミが品性下劣なのだよ? 綺麗なものを見たいと思うのは自然な心なんだ。ルネッサンスだよ?
などと、このときは思っていた――。
3ステージ目は連獅子の登場だった。連獅子とは歌舞伎の演目・衣装のことで、正直、私もよく知らないので、詳しくはぐぐってください。
とにかく、その連獅子に扮した女性が踊っていた。伝統演劇の舞台をイメージしているのだろうか……。直前までサブカルワールドにいた私たちにとっては、いきなりのアナザーディメンジョンである。
いや、こちらが本来の姿なのかな??? と思っていると、タレントさんは連獅子を脱ぎ捨て、裃のような衣装に変わった。布の少ない和装奇術師系の服装といえばわかるだろうか? わからんか。まあ、いいや。とにかくそれ。
ステージ奥にいた彼女は花道を通って、その先の丸いターンテーブルまでやってきた。よく見えなかったタレントさんの身体が、ぐっと私たちにも近づく……。なんて……、なんて……。
おっっっっっぱいっっっっ!!!!!
裃の上からでもわかる、その豊かな膨らみはCやDなんて勿体つけたサイズじゃねえ、明らかに畏敬の念を籠めて“巨”と尊称すべきボリュームだ。
ちょっと待って?! 今から? あれ脱いで、さっきみたいな激しいダンスしちゃうの?!?!!
キャ――――ッ!!!
3人に期待と動揺と、やっぱり期待が走る。
彼女は奥のステージに戻ると、ひらひらと扇を両手に持って踊り始めた。
これは、権力者に召し上げられた舞姫だ―― 彼女の踊りには物語があった。
旅の一座として各地を回っていた彼女たちは、あるとき地方の有力者に芸を見せることを求められる。それを生業としているし、武力を持った相手を拒否はできない。無骨な男たちのため、彼女たちは刀や炎を使った危険な演出までして楽しませる。
しかし、歌と舞踊と酒で終りではない。当然のように、彼女は集団の首領の寝間に呼び出される。求められれば一夜の相手もせざるを得ない。そういう存在なのだ。
一応は合意のうえとはいえ、愛のある行為ではない。男は舞姫の豊満な身体を蹂躙し、むさぼりつくす。
ターンテーブルの上でタレントさんは、切なげな風情で自分の肉体を欲しいままにされる無力な女を演じる。
このいっとき、観客は彼女を意のままにする男たちと一体化しているといえる。むろん、私たちも例外ではない。
さっきまで「鍛え上げられた無駄のない身体ガー」とか「肉体と自我の目覚めガー」とかほざいてた脳は、スコーンと思考を手離して、もうタレントさんの身体に夢中である。
とにかく、ほんと触りたくなるような気持ち良さそうな、そんな身体なんだもん!!
肉! 肉だよ!! 人類が求めるもの、その究極は肉なんだ!!!
みたいな、理屈を吹っ飛ばした生物として共通した欲求が場を満たし、性別問わずに興奮の渦に巻き込んでいくのだ。
そうはいっても、私たちも女性。彼女の痛々しさに若干胸が苦しくなる。歴史的にいっても、多くの女たちがこんな形で消費されてきたのだ。その事実を同じ女である私たちが娯楽とする胸の痛み……。そして、舞台は暗転。再び現れた彼女は……。
あ、もうこれネタバレになるんで、実際に劇場に行ってみてください。
物語はまだ続いていたのである。舞姫は、性の捌け口にされ、踏みにじられるか弱い存在ではなかった。戦国の世を強かに生き抜く、彼女もまたツワモノだったのである。
いや、舞台が戦国か知らんけど!
とにかく、目論見通りに事を進めた舞姫は、高らかに勝利を宣言してステージから去った。
もう……、もう……。
可能ならスタンディングオベーションしていたね!!
当初はアウェイなんで、周りを窺っておずおずと拍手していた私たちも、最後は割れんばかりの拍手である。
すごい! すごい!! すごい!!!
それしか頭に浮かばなかった。
「本当にいいもの見せてもらった……。下ネタ的意味ではなく……」
私たちは一体何を見たのか? おっぱいを見に来たのか? そうかもしれない。いや、そうだけど。だけれども、実際に体験したのは女体を駆使した文芸であり、文化だった。
しみじみとそう思った。受付のお姉さんと出入り口のお兄さんにお礼を言って、劇場を去った私たち3人は心地良い興奮に包まれていた。
「後白河法皇とかさ……、白拍子大好きだって言うじゃん。この狒々ジジイめって思ってたけど、男装女性の舞い踊りはいいものだわ……。ほんといいものだわ……。ごめんよ、ごっしー」
そう口にすると、目をきらきらさせたしゃちも頷いた。
「昔の人は観音様って言うけど、ほんと拝むわ、あれは拝むわ! うまいこと言うわ」
何を言ってるのかさっぱりわからんが、気持ちは受け取ったよ。
さらに、この体験は私のなかで予想外の結実を見た。
常々、「遊女舟で遊んだって記録があるけど、結構女性陣も同行してるじゃん。その間何してりゃいいんだよ」と不思議でならなかった。男たちだけならまだしも、上東門院・彰子が住吉詣をする場合などは、女たちがメインで男はオマケのはずである。随行の女房たちも多い。我らの国母を放置して、男たちなにしてんじゃい、と疑問だったのである。
違うのだ。
遊女たちは、きっと彰子たちをも楽しませたのだろう。おそらく、その当時に流行った古い恋物語や和歌を彼女たちなりに昇華させて。
それは、小野小町に通った深草少将の説話をもとにした舞だったかもしれない。須磨に流された在原行平と現地の娘の悲恋だったかもしれない。あるいは、古い恋歌に艶っぽい返歌や下の句をつけて寄越したのかもしれない。もしかしたら、自身を光源氏になぞらえて男として返事をする趣向もあったかもしれない。
紙に残った“上品な”文化の周辺にはいやらしい半面魅力的で滑稽で、人の心を掴む豊かな芸能があったに違いない。
芸能の奥深さを感じた時間だった……。
そして、こうも確信した。
「そりゃあ、アマテラスも天の岩戸から覗き込むわ……、これは仕方ないわ……」
そういやそうだ。
何のことはない。すでに千年以上前に記されていた、神代からの真理だったのである。
ただひとつ、後悔があるとするならば……。
ちっ、やっぱり記念写真(別料金)撮ってもらえればよかった!!
ストリップ観劇記 りくこ @antarctica
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