第6話  マンボウでマンボ!水族館の巻

「うわぁ。かわいい!空中で泳いでる。」

頭上を見上げると、キラキラと夏の太陽の光を浴びたアシカが、大きくて透明なチューブの中をクルクル回りながら泳いで水槽に戻って来る。

 リニューアルオープンしたビルの屋上の水族館は、都会のオアシスとして評判の所だ。夏休みも後半に差し掛かった頃、今年は柱さんが留守なので家族旅行の代わりとドライブがてら、ここのとエリさんは水族館にやって来た。もちろん、幽体の僕と大きい人も一緒。願いが届いて?無事にタヒチから帰って来た愛ちゃんのお土産、イルカのプリントTシャツを着たここのは上を向いて燥いでいる。写真が趣味のエリさんは、ひまわりが大きくプリントされたレモンイエローのサンドレスに、細身のジーンズを穿いて、最近買い換えたばかりの新しい一眼レフのカメラを片手にシャッターチャンスを狙っている。

二人がアシカさんに見とれている隙に、僕は、水槽の中を行ったり来たりして忙しく泳ぐ一頭のアシカさんに話し掛けてみた。

『アシカさん。アシカさん。こんにちは。』

『・・・・。』

『やっぱり、アシカさんはただのアシカさんなのですか?』

アシカさんはちっとも僕の言う事に答えてくれない。だけど、水槽の外でアシカさんを追いかけていた女の子が転んで泣き出した途端、アシカさんは立ち止まり心配そうに見ている。ということは、アシカさんは僕の姿が見えないから知らんぷりなのですか?見える人と見えない人がいるのでそれも仕方がない事なのですが・・。

僕はアシカさんの肩らしき所をチョイチョイと触ってみた。ヌルッ!ツルッ!ペタペタペタ?僕の手は・・。ベチャベチャですよ!濡れるのは好きではありません。ごめんなさい・・・。

僕は一歩、二歩と後退した。後ろを振り返ると大きい人がこっちを見ている。僕は慌てて引き返した。あまり離れていると怒られるのです。

 その後、ここのとエリさんはペンギンパレードを撮影したり、ペリカンが大きく口を開けて魚を飲み込む姿に驚いたり、ラッコの海では、ラッコが二頭手を繋いで(本物の海では流されない様に海藻に体を絡ませる。)寝ている可愛い姿に感動している。大きい人は近くの空いたベンチに座ってのんびり欠伸をし、僕はヌルヌルがあまり好きではないので離れて見ることにした。次に、ここのとエリさんは、たくさんのクラゲがゆっくりと泳ぐ透明なドーム型の通路を、楽しそうに見上げながら通り抜け、その後を退屈な僕が歩き、大きい人は僕のその姿が可笑しいのかクスクス笑いながらついて来る。やがて、青く透き通った海と白いサンゴ礁が目の前に広がる、館内の中でも一番大きな水槽の前にやって来た。大小様々な大きさの魚たちが左から消えては右から現れ、アクアラングを付けた係員が水槽の中央で餌を撒くと、その周りをイワシの大群が円を描きながら取り囲こむ。

ここのは床から天井まである水槽に、顔と両手を張り付けて中を覗き込む。僕も隣に行って真似をしてみた。歪んだ視界の中を見たこともない魚が通り過ぎて行く。『プクプクプクッ。プクプクプクッ。退屈な僕はどこかに飛んで行っちゃいましたよ!』

「かな。さっきからなんか言ってるみたいだけど・・・。」

『プクプクプクッ。魚さんがそういうふうに息をしているんです。』

「あっ、そう。」

『スッー、ハァー、スッー、ハァー。』

「今度はなに?!」

『僕の鼻息です。』

ここのは黙ったまま僕をジロリと睨み、小さな溜息を付くと気を取り直して水槽に顔を戻した。僕はそれでも懲りずに息遣いを真似ながら、目の前の魚を前足で捕まえようと次から次へ追いかける。気が付くと、まるでヤモリのように水槽に張り付いて天井近くまで登っていた。どうせ、大きい人以外誰も見ていないし、見えてないので大丈夫だ。

「ねぇ、ここの。私たちこうして水槽の中を覗いてるけど、向こうもこっちを覗いてると思わない?」

エリさんがいつの間にかここのの後ろに立ち、遠くを見る様な目をして呟いた。その言葉に驚いたここのは水槽から顔と手を放し、僕は前足の力が抜けてズズズッーと下まで滑り落ちて隣に着地した。

「わたしたち・・。覗かれてるの?」

直立不動のここのは顔だけ振り向いてエリさんに聞いた。

ここのと僕の知りたいことは同じですか。どうですか?同じですよ!向こうとこっち、住む世界が違っていても、生きていることに変わりはありませんから。

「そうよ。向こう側から見れば変な奴と思われてるかもしれないじゃない?そう思うと、なんか、シュールだなと思うわけ。」

「お母さん。その、なんかシュールだなって、意味わかんないんだけど。」

「つまり、現実的じゃないってこと。」

「ふ~ん。シュールか・・・。」

ここのは小声でもう一度呟いた。

シュールですよ!覚えましたか?どうですか?忘れないうちに日記に付けておきましょう!覗かれていても気にせず良い子の皆さん、毎日が勉強ですよ。僕も?ですよ。おいおいおいおい!

 ブースの入り口付近が騒がしくなり、旗を持ったツアーコンダクターに引率されて団体客がやって来た。。水槽の中の魚を指差して隣同志でお喋りしている。

皆さん、皆さん、後ろからこんにちは!向こうを覗いてますか?覗かれてますか?シュールですよ!ご存知ですか?ご存知ないですよ。なんか嬉しくなった僕はピーンと立てたシッポでリズムを刻みその場でグルグルと回った。大きい人はエリさんの肩に乗り、呆れた顔で僕を見下ろしている。水槽の中では優雅に泳ぐマンタの背に係員が捕まり手を振るパフォーマンスが始まった。それを一目見ようと観客が周りに押し寄せる。余りの混雑に写真撮影を諦めたエリさんは、一足先に次のブースに向かったここのの後を追う。


 ここのは何十種類の色鮮やかな小さい熱帯魚が群れを成して縦横無尽に泳ぐ水槽の前にいた。ガラスを指で小さく叩くと魚が反対側に逃げる。ここのはそれが楽しくて何回も繰り返し叩いている。それと対照的なのは隣のカニとエビの地味なブースだ。カニはいるがエビらしきものは一匹もいない。どちらかと言えばこっちの方が身近に感じる僕は水槽に近づいた。

「世界一大きくなるタカアシガニと世界一重いジャイアントタスマニアンクラブ。だって。」

興味のなさそうな声でここのが説明書を読んだ。どちらも世界一なので、小さな水槽は二つに区切られている。二匹のカニを交互に眺める僕。その僕をここのがつまらなそうに眺める。

「もう行くよ。」

いつまでも見ている僕にここのは痺れを切らして言った。僕は独り言のように呟く。

『カニさんはカニになると真っ赤になって、足が真っ直ぐになってしまいます。カニさんが真っ二つ!』

「ええっ!」

『カニさんは話し掛けると返事をしてくれますが、カニになると返事をしません。』

「何それ。なぞなぞ?」

『水槽の向こう側はレストランですよ。おいおいおいー。シュールですか?どうでしょう?!』

僕は覚えたての言葉を使ってみた。

「それってただの食いしん坊なだけじゃない?」

『料理好きとも言います。カニを捌くのはチーフでアルバイトはやらせてもらえないんです。』

「チーフって・・・。あっ!この間行ったカニのお店の?」

『いえ、焼肉屋さんです。やっと取れた連休の一日目、チーフは家族と多摩川の河原でバーベキューをしたのですが、つい、職業病が出て、子供に肉の焼き方を注意したために、お父さんとは二度とバーベキューをしないと言われ、仕方なく一人バーベキューをしているのです。』

「もう、カニでも焼肉でもどっちでもいいけど。かなはお店でカニを捌くの?」

『もちろん。僕はアルバイトではありませんから。』

胸を張って答えた僕を後ろから飛んで来た大きい人が待ってましたとばかりに噛んだ。僕たちを引き離そうと手を伸ばしたここの。姿は見えるが実体ではないのでつかめない。エリさんが通路の先で呼んでいる。

お喋りと自慢話はもう終わりですよ。シュールは言えたけど、

カニさんはお湯で茹でないのでここではカニになりません。はいはい。


「一番すごいのがいるわよ!」

エリさんはそう言いながらカメラで驚きと感動の写真を撮りまくっている。

その水槽は横に広くはないが、高さは天井まであり、中にはなんと体長三メートルの魚が動きもしないでずっと一か所にいる。辛うじて息をしているようなしてないような。展示品の説明は「マンボウ」と書いてある。ここのはマンボウを正面から見上げて溜息を付き、平らな体を斜め横から見上げて感心している。僕はその大きさにびっくりして二、三歩後退りした。何しろ、大きい人の大きい顔の時よりも何十倍も大きい。と思ったら、大きい人は最大限まで自分の顔を大きくしてマンボウと競い合っている。同じく平気なここのは、愛ちゃんに見せるんだと言って、水槽越しのマンボウと並んでピースをしながらの記念写真をエリさんにお願いしている。

「かな。何でこんなところにいるの?」

シッポを体に巻き付けて固まっている僕の隣に、気が付くとここのがしゃがんでいる。

『いいんです。ほっといてください。プクプクッ。』

「わかった。怖いんでしょう。」

『いいえ、ちっとも。プクプクッ。』

「プクプクでごまかしている?」

『そんなことは・・・。魚心あれば水心ですよ。マンボウさんが好きになってくれれば僕も好きになりますけど。あっ!』

僕は思わず大声を上げる。今、瞼のある大きな目がこっちを見てウィンクをした。

マンボウさん。僕がそう言ったからといってウィンクして頂かなくても結構なのです。僕と同じでぶきみな事に変わりはないのですから。

「ねぇ、今の見た?ウィンクしたよね。超キュート!愛ちゃんにも見せたかったな。あっ!お母さん、写真撮った?」

僕との話はどこかに飛んで、ここのはカメラを構えたエリさんの所に駆け寄り、ファインダーを覗いている。

『ワォオーン。』

僕はぶきみ仲間のマンボウさんを見上げてウィンクのお返しに僕の得意な雄叫びを上げた。大きい人もつられて僕とのハーモニックス。誰も見えない聞こえない幽体ネコの雄叫びデュオ。水槽の中のひとりぼっちのマンボウさんに届きますように。

関係者以外立ち入り禁止のドアの向こう、プランクトン入りのごはんを大きなボールに用意した飼育員さんの頭の中を覗いたら、曰く、「ジャンプで衝突死」「太陽光で死ぬ」という巷の噂は真っ赤な嘘で、皮膚は弱いですが太陽を浴びても死にませんし、体が大きく小回りが利かないため、水槽の壁に自らぶつけて怪我をすることもありますが、保護シートを張り巡らせて守っています。水族館での飼育は難しく大きく育つのは稀ですが、元気いっぱいで体が大きく成り過ぎたマンボウは水槽から追い出されて海に還されます。ということです。

未来は明るい!いっぱい食べて大きくなあれ。

シッポ、ふりふり。よかったね。マンボウ!

『♪ウゥーッ!マンボッ!♪』

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ねがいがかなう君 @kanau3388

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