第5話  夏祭りだ。ワッショイ!の巻

『いっちに、さんし。手を上げて。にぃにぃさんし、手を下げて。

 ご・ろく・しち・はち、寝っ転がってゴロゴロ。ご苦労さん。

 手足を伸ばして深呼吸。皆も一緒に深呼吸。

 体操ですよ!おはようさん!』


 ここのは毎朝、近くにある公園でジジババと一緒にラジオ体操をしています。朝が苦手のここのには珍しく無遅刻無欠勤。何故かと言えば、毎日付けている日記に人の役に立ちましたと一度も書いていないからです。ここのの目の前で転んだジジババはいましたが、ここのが助けるよりも早く、高校生のお兄さんが手を差し伸べ、電車の中で席を譲ろうと立ち上がったら、OLのお姉さんが先に譲っちゃいました。その間の悪さに、僕は笑いを堪え、それに怒った大きい人は僕の首を噛む。の繰り返しです。いつもなら、エレベーターの前に立てば待たなくてもドアは開き、電車も丁度いい具合にやって来て乗れます。それに、並んで待つ人気のレストランの席が行くたびに空いて座れるのは、僕が周りの人の運をちょっと頂いて、使わせてもらっているからなのです。その分、ここのが何かをしょうと思っても、大なり小なりしわ寄せは来るのです。

なんとかなりませんか、なりますか、どうでしょう。ということで、ここのは今日も何かないかと思いながら、ラジオ体操をしています。の帰り道。


 二匹のフレンチブルドックに引きずられて、足の悪いジジイの人が通りの向こうからやって来る。おはようの人ですよ!白のショートパンツに黄色のポロシャツを着たここのは、僕を先頭に大きい人を後ろに従え歩いている。もちろん、ジジイの人はここのしか見えない。すれ違う手前で、ジジイの人は立ち止まり、首に巻いたタオルで汗を拭いた。

「可愛い犬ですね。触ってもいいですか?」

ここのは挨拶代わりに声を掛け、ジジイの人の許可をもらうとわんこが怖がらない様にしゃがんで頭を撫でた。

『ジジイの人は可愛くないですよ。』

僕はここのの背中を前足でツンツンつつく。

『もしもしっ。ここの聞いてますか?ジジイの人は頭から血がピューと出て、手はブラブラ、足はヒョコヒョコ。二回死にかけた人ですよ。』

「大丈夫ですか?今日はいつもより暑いから、少し休んでください。その間、わたし、リード持ってますから。」

ここのはリードを受け取ると近くの木陰に案内した。

『もしもしっ?僕の言った事、聞いてますか?聞いてませんか?聞いてませんね・・・。』

僕は半分ふてくされて後を追い、皆から少し離れた所に座った。大きい人は先回りして、頭上に張り出した太い木の上にいる。

「毎朝、散歩してるんですか?」

植え込みのブロックの上にジジイの人がよっこらしょと座ると、ここのも隣に並んで座り、手に持ったリードを伸ばしてわんこを好きに遊ばせた。

「うん、できるだけね。散歩はリハビリの代わりだから。このわんこ達に協力して もらって。私は今年で八十八歳、もう死んでもいいかなと思ったんだけど二度も 生き返って・・・。」

ジジイの人は喉が渇いたのか、首から下げたペットボトルから水を飲みひと息つく。二匹のわんこは、僕の周りをグルグル回って臭いを嗅ぎまくっている。

『ほら、僕の言った通りじゃないですか。』

『シィー。静かに。』

人差し指を口に当てたここのは心の声で僕に言い、僕は二匹のわんこに言う。

『そうです。シィーですよ。静かにしないと僕が怒られます。』

それを聞いたここのは呆れて何も言えない代わりに大きな溜息を付いた。

ジジイの人の話は続く。

「せっかく神様に貰った命、申し訳ないから少しは生きる事に努力してみようかと 思って頑張っている。ところで・・。お嬢ちゃんは早起きだね。」

「はい。毎朝ラジオ体操に行っています。」

「偉いな。私もラジオ体操ぐらいは昔の様にやりたいもんだ。そうだ。目標はラジオ体操が出来る様になること。それがいい。決めた。ありがとう。お嬢ちゃん。こんどはラジオ体操で会えるといいな。さてと、今日は氷川神社のお祭りだ。いつもより足を延ばしてお参りして帰るとするか。さぁ、チビども。出発進行!」

ジジイの人はそう言うと元気に立ち上がり、杖代わりの二匹のわんこのリードをここのから受け取った。足取りは前よりも軽く、立ち去る後ろ姿は晴れ晴れとしている。爽やかな風が木々を吹き抜け、ここのと僕と大きい人はその後ろ姿を黙ったまま見送った。


 家への帰り道、ここのは急に立ち止まると、立ち並ぶ家々の屋根の間から覗く、眩しい夏の青い空と白い雲を仰ぎ見た。

『やっと、日記に書けますか?書けませんか?どうでしょう。』

僕は思い切って聞いてみた。ここのは少しの間考えていたが、やがて、何かを決心したのか、晴れ晴れとした声で答えた。

「よーし。書かないことに決めた。他人の不幸を待って助けるんだったら、なん

 か、狙っててわざとらしいもん。」

『じゃぁ、もうラジオ体操には行かないんですか?』

「なんで?行くに決まってるでしょ。毎日行って、約束はしてないけど、あのお爺さんにまた会わなくっちゃ。ねぇ、小判。そうでしょ。」

大きい人は顎を上げ、ちょっと誇らしげに胸を張り頷く。僕の聞いたことが為になったんですね。よかった、よかった。と思ったら、頭を叩かれましたよ。何でですか?調子に乗ってなどいません。僕はどんな時も前向きに生きてるだけですから。

「ヒュー。ドォーン。パチパチパチ~。」

遠くの空でお祭りの合図の花火が上がった。

遠くアフリカにいる柱さんへ。

ここのは毎日立派に育っていま~す!



 三階の窓から、僕たちと同じ景色を見ていたわるものさんは花火の大きな音に驚いてベットの下に潜り込んだ。名前は喜戸。僕がまだ小さかった頃、エリさんの背中に乗って爪を研ぎ、痛い思いをさせたので僕の中では悪者ですよ。そのわるものさんは、どうやら花火の音を雷だと勘違いしたらしい。空からやって来る稲光の後に地面を震わすドーンという音。わるものさんは雷が大っ嫌いでいつもどこかに隠れている。掃除機の音は平気なのに変なのだ。そんなこんなでわるものさんは当分ベットの下から動けない。

 そのベットのマットレスを一枚隔てた真上では、僕の実体が、手足を伸ばしお腹を出して、大の字になりぐっすり眠っている。そこへ、ババァ。名前は黄色。僕の母。大きい人がまだ実体だった頃に甘やかしたため、超わがままに育った大人になれないブリッコが通りかかった。ババァは僕の耳を噛み、起きないことを確かめると手慣れた手つきで僕のお腹を舐めては甘噛みしている。こんな時、実体に戻ると必ずお腹が痛いんです。僕は寝てるし証拠はないし。油断禁物、ババァ大敵。いつもなら、弟の勝つに守りの門番君を頼むのですが、今日は忘れました。仕方ありません。ホントに困ったババァですよ。

 僕は玄関ドアが見えるや否や、大慌てで三階のここのの部屋に飛び自分の体に戻った。大きい人は一階のいつもの定位置パソコンの上に座る。ここのは悩んだ末の自分の決定にご機嫌で、鼻歌まじりで階段をゆっくり上って来る。祭りの合図の花火は終わり、わるものさんはやっとベットの下から這い出して、気分直しのご飯を食べに二階に下りる。ババァは急に僕が起きたので面食らって後退り。方向転換してベットの上から飛び降りたのはいいが、僕の一大事に駆け付けた勝つと鉢合わせ。お互い見合って見合って、結果は・・・。

ここのがつかさずババァを抱っこして、本棚の上にあるネコベットに乗せて終わりました。

『平和が一番、仕返しは二番。三時のおやつは缶詰だ。決まり!』

「変な歌!」

『さっきのジジイの人の頭の中を覗いたら・・。いいんです。分かる人にはわかる んですから。』

僕はパソコンの裏側に座って勝手に替え歌を歌い、ここのはパソコンで日記を書く。

どうか、エリさんがおやつに缶詰を出してくれますように。

願いを込めて。


「お母さん。この帯どうやるの?」

エリさんの部屋にある等身大の鏡の前で、藍色の浴衣を着たここのは蝶柄の帯と悪戦苦闘している。その足元で、僕はひらひらと宙を舞う帯目がけて飛び掛かる。

「かな!邪魔しないで。ネコの爪が引っ掛かるでしょ。」

『ネコの爪ではなく家族の爪ですよ。外にいるのがネコで家にいる僕は家族ですか ら。』

「はい。そうでした、そうでした!お母さん!まだぁ?遅れちゃうよぉ。愛ちゃんと待ち合わせしてるんだから。」

ここのは大きな声でエリさんを呼んでいる。ママ友たちと焼きそばの屋台を出すという町内のボランティア活動に参加するため、キッチンで材料を準備していたエリさんは、濡れた手をエプロンで拭きながら階段を上がり、ここのから帯を受け取ると、いとも簡単に結んで傍にあった巾着とハンカチをここのの手に押し付け、そのまま何も言わず急いでキッチンに引き返した。

「もしかして・・・。怒ってる?まぁ、いいかぁ。お母さんも忙しそうっという事 で。行ってきまぁす!」

ここのはキッチンでテキパキと働くエリさんの背中に声を掛けると、玄関のドアを勢いよく閉め、カランコロンと下駄を鳴らしてまだ明るい夕方の町に出掛けた。もちろん幽体の僕と大きい人も一緒です。


 氷川神社の参道は色々な屋台が並びたくさんの人で賑わっている。

僕は人混みを見るとつい楽しくなって羽目を外す癖があるのです。綿菓子屋さん、輪投げ、射的、お面に金魚すくい。焼きそば、あんず飴にお好み焼き。どれもこれもやってみたい。ワクワクですよ!

僕があっちこっちに顔を出し迷っているうちに、ここのは大きい人を連れ、参道入り口で幼馴染みの愛ちゃん(幼稚園から一緒)と会った。三つ編みにした髪を赤いリボンで結んだ小柄な愛ちゃんは、ピンクの浴衣に赤い帯が良く似合っている。二人はあちこちから聞こえる呼び込みの声につられて屋台を覗き、迷った挙句、あんず飴を買って本殿に向かった。本殿に続く階段はお参りするために参拝客が二列に並んで待っている。二人の順番が回ってくる間、僕は綿菓子屋さんで綿菓子を作ることにした。

作り方講座の始まりです。ねじり鉢巻きのオジさんと僕は綿あめ機の中にザラメを入れます。次に、綿が絡まりやすいように割り箸を霧吹きで濡らし、すぐに水気を切ります。そして、綿が出てきたら機械の中に割り箸を入れ、円を描くように回し、綿を絡めてゆきます。これで、ふわふわの綿菓子の出来上がり。簡単ですか。どうでしょう。どうでしょう。

「オジさん。これ、ペチャンコだけど・・・。」

女子高生の手には歪に固まった綿菓子が。

「あれっ、おかしいなぁ?今すぐ作り直すから待っててな。」

何度やってもいつものように上手くできない。

「もう、いいよ。オジさん。急いでるから、じゃぁネ。」

「バカ言うな。俺はこの仕事で五十年飯食ってるんだ。はい、そうですかって引き下がる訳にはいかないだろ。金はいいから、もう一度作らせてくれ。」

鉢巻オジさん大丈夫ですか?僕一人で作った方が上手いですから。オジさんはどうぞ、どうぞ、引っ込んでてください。出来たら手だけ貸して頂いて、後は僕が動かしますから・・・。

僕は手際よく割り箸を綿あめ機の中に入れ回し始める。

『お前のほうが邪魔なんだ!』

本殿のここのの隣で見ていた大きい人の顔がライオンの顔の大きさになった。その首がビューンと伸びて、屋台で綿菓子を作る僕を口でくわえ、一瞬でここのの足元に連れ戻す。僕が離れた鉢巻のオジさんの手はスルスルと動き、ふわふわの綿菓子が女子高生の目の前に現れる。

「ほらよ。一丁上がり!」

女子高生は拍手喝采。オジさんは余程嬉しかったのか、次から次へと綿菓子を作り道行く人に配っている。良かった。オジさんは僕がいなくても上手くできたんですね。僕の勝手な思い込みに、隣にいた大きい人は呆れて物も言わず溜息をついた。



 お参りの順番が回って来たここのと愛ちゃんは、二礼二拍手で手を合わせ、神前に向かって一生懸命お祈りをしている。

『ごめんください。もしもし?』

僕はお賽銭箱の上から本殿に向かって聞いてみた。返事は返ってこない。僕は後ろを振り返りここのを見る。

『ここに神様はいませんけど。』

「えぇ~!」

驚くここの。愛ちゃんが隣でどうしたのと言いたげに顔を上げる。

「ごめん・・。何でもない。」

ここのは小声で謝ると目を閉じて祈る振りをした。

『かな。何で今そう言う事言うのよ!』

心の声でここのが怒る前にもう僕は噛まれています。あの人に・・・。時と場所を考えろと言われましたよ。本当の事を言ったのにどこが悪いんですか!もう、ここから先、おしゃべりはご遠慮だそうです。だから、しばらく音信不通になりますよ。ご心配には及びません。あっ、また噛まれました!僕のおしゃべりは長いそうです。僕と大きい人が境内で揉みあっているうちに、ここのたちはおみくじを引きに隣の社務所に向かった。大きい人はその後を追いかけ、付いて来るなと言われた僕は、仕方なく神社の赤い鳥居の狛犬の上に乗り、ここのたちを待つことに決めた。狛犬の背中は小さくて、僕の体は半分落ちかかっている。

「ねぇ、ここのは何を神様にお願いしたの?わたし、明日から海外旅行に行くから、無事に帰ってこられますようにって、神様にお祈りしたんだ。」

「海外旅行ってどこいくの?」

ここのはそう言いながらも、さっき僕が言ったことを気にしている。ここのの願いは何ですか?愛ちゃんの願いはどこですか?サンタクロースはサンタの人で、神様は神の人ですよ。人は信じたいものだけ信じるものです。自分を信じれば必ず願い事は叶います。ちなみに、僕の名前は願井かなうです。

「タヒチ・・。」

『タヒチはお知合いですか?お知り合いじゃないですか?どうでしょう!』

と、聞いてる傍から僕は噛まれましたよ。瞬間移動のあの人に。何処にいても話し声は聞こえてくるのでつい・・・。僕の質問に知らんぷりのここのは愛ちゃんに聞いている。

「タヒチってどこ?ハワイなら知ってるけど。」

「わたしも。お母さんが、皆が行かない所に行きたいって言うから。」

「そうなんだ。」

「うん。おみやげ何がいい?」

「いいよ。大丈夫だから。そんなに気を遣わないで。」

この神社には願い事を聞いてくれる神様がいないのに、おみやげなんてどうでもよくて、無事に帰って来るという愛ちゃんの願い事の方が大事だとここのは思っている。とりあえず、二人が引いたおみくじが「中吉」だったので一安心したここの。愛ちゃんは交通安全のお守りを買うため遅くなるのでここのは一足先に戻って来た。大きい人はいつのまにか反対側の狛犬に乗っている。

「かな。かなって狛犬に似てない?毛がちょっとカールしてて長いとこが。」

ここのは僕を見上げて言った。良かった。機嫌はだいぶ良くってるみたいだ。僕は狛犬をじっと見て口を大きく開け顔真似をしてみる。

『僕、ぶきみな顔してる?ねぇ、ねぇ、ぶきみ?ぶきみな人は誰ですか?僕ですか?どうでしょう。』

ここのは思わず吹き出した。こんな事で喜ぶなら、僕は名誉挽回とばかりに狛犬の頭に顔を乗せた。その途端、バランスを崩して滑り落ちそうになる。落ちたら振り出しに戻って(実体に戻って目を覚まし、すぐにまた眠って幽体になる。)ここまで飛んで来なくちゃならないんです!そんなこともお構いなしで大きい人は笑っている。

『笑うのはいいんですが、このわんこ、背中が小さいですよ。僕の体が出ちゃうんですけど。』

『じゃぁ、痩せればいいんじゃないか。』

大きい人がボソッと言った。それを聞いたここのはさっきよりも笑い転げている。いつもならあの人は何も言わないのに・・・。ずるいですよ。僕の悪口で笑わすなんて。それじゃなくっても、この頃、エリさんにちょっと重たくなったんじゃない?とか言われて落ち込んでいるのに・・・。

だから、

『僕じゃなくてこのわんこが小さすぎるんですよ!おいおいおい~』

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