驚異のレトロパソコン 最終話


 驚異のレトロパソコン 最終話


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 ――2002年10月


「PC-32シリーズは、当時としては、かなり先進的だったのではありませんか?」


 渡部がPC-32について、そう質問する。


「当時は、パソコンに興味がある人なら誰もが知っているメーカーになったという自負が我々にはありました。32ビットに切り替わる時代だったので、最高のパソコンを開発したつもりだったのです」

「売れ行きはどうだったのでしょうか?」

「発売当初は、かなり反響があって売れましたね。これは行けるという手応えがありました」

「そうだったのですか?」

「ええ、意外でしょう? 翌年に新機種を追加発売したくらいですから……」


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 ――1991年12月13日(金)


 佐藤たちは、PC-32シリーズの反響の大きさに可能性を感じて勝負に出た。

 CPUに25MHzのi486DXと8MBのメモリを搭載したモデルを翌年に追加発売したのだ。


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◆ジェネシス PC-80486(本体・キーボード・マウス) ¥498000-

 ・CPU : GOS32プロセッサ(16MHz)

 ・ROM : 4MB(G-OS32)

 ・RAM : 4MB

 ・RAMディスク : 1MB

 ・インデックスバス : 8ビット

 ・アドレスバス : 32ビット

 ・データバス : 32ビット

 ・DMAC : 8チャンネル

 ・拡張バススロット : 4本

 ・フォントROM : 1MB

 ・CPU : i486DX(25MHz)

  ・RAM : 8MB

  ・ROM : 64KB(G-OS32ドライバ)

 ・ハイレゾリューション・ビットマップ・カラーグラフィック

  ・表示能力 : ビットマップ1120×750ドット・4096色、ビットマップ1120×750ドット・4096色中64色×2画面、ビットマップ1120×750ドット・4096色中8色×4画面(またはモノクロ12画面)

  ・グラフィックVRAM : 1.2MB

  ・ROM : 64KB(G-OS32ドライバ)

 ・サウンド : FM音源+PCM音源

 ・FDD : 内蔵5インチ2HD/2Dフロッピーディスクドライブ(2ドライブ)

 ・インタフェース : パラレルプリンタポート、RS-232Cシリアルポート、キーボード、マウス


◆i486・CPUボード ¥198000-

 ・CPU : i486DX(25MHz)

 ・RAM : 8MB

 ・ROM : 64KB(G-OS32ドライバ)


◆MC68040・CPUボード ¥198000-

 ・CPU : MC68040(25MHz)

 ・RAM : 8MB

 ・ROM : 64KB(G-OS32ドライバ)


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 新たなCPUボードも追加でラインナップされた。

 この頃は、画面解像度が上がり、GUIが普及しはじめた時期ということもあって、CPUやメモリといったリソースがいくらあっても足りないと感じられたのだ。

 そのため、ハイエンド指向は支持されると佐藤たちは考えた。


 しかし、それから一年後の1992年12月11日(金)にジェネシス・コンピュータは倒産した――。


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 ――2002年10月


「それだけ好調だったのに何がいけなかったのでしょう?」

「好調というのは、我々の錯覚だったのだと思います。一部の人がこぞって買ってくれたのを見て、市場全体に歓迎されていると錯覚したのです」

「しかし、それなりに売れていたのなら、急に倒産するとは思えないのですが……」

「それが、91年の半ば頃から急激に売れなくなったのです」

「それは、何故だと思われますか?」

「理由はいくつもあると思いますが、一つは円高で安い海外製パソコンが入ってきたことでしょうね」

「なるほど、価格的に太刀打ちできなかったということでしょうか?」

「単純に価格的な問題だけではなかったと思います。海外製ということで敬遠される方も居られますし、他社さんはもっと高価格なパソコンで互角以上に戦っておられましたから」

「他の理由も教えていただけますか?」

「PC-16シリーズと互換性が無かったことが大きな問題だったと思います」

「互換性を保つことはできなかったのでしょうか?」

「バス・アーキテクチャをもっとシンプルにすれば互換性を保てたと思います」


 そういう案もあったのだ。

 16ビットの拡張ボードと32ビットの拡張ボードが同じスロットに差せるような設計にすることは可能だった。

 しかし、互換性を引きずった構造では、性能がスポイルされてしまうため、それを嫌って全面的な新設計となったのだ。


「何故、そうされなかったのでしょう?」

「性能が低くなってしまうからです」

「なるほど、互換性を取るか性能を取るかの問題だったわけですね」

「商売として考えるなら互換性を取るのが正解だったのでしょう」

「難しい問題ですね」

「それに、倒産したのは資金がショートしたことが直接の原因なのですが、PC-80486の製造を発注してしまったことで資金不足に陥ったのです。それがなければ、あと数年はったかもしれません」


 生産は、5万台単位で行っていたため、5万台分のパーツと組み立てにかかる費用で運転資金がかなり減ってしまった。

 まさか、急にあんなに売れなくなるとは予想していなかったのだ。


「他にも売れなくなった原因はあるのでしょうか?」

「PC-16シリーズを完全に廃止したことも過ちだったと思います」

「どうして廃止されたのでしょうか?」

「先ほども話しましたが、うちは最初に大量生産することでコストを下げています。ですから、古い設計のPC-16シリーズを更に5万台製造するというのはリスクが高かったのです」

「なるほど……。一ファンとしては、残念で仕方ありません」

「他にもデベロッパーを軽視したことも失敗の原因の一つかもしれません」

「例えば、どんなところでしょうか?」

「そうですね……。例えば、デベロッパーに渡すための技術資料を作っていなかったりしました。言い訳をすれば、それほど大きな会社ではなかったので、十分な対応ができなかったということもあります。それまで、自社のみで成り立っていたので、サードパーティの方々の価値が分かっていなかったのです」

「PC-16の頃とは、何が違ったのでしょうか?」

「PC-16は、単純な構造でしたから、CPUボード上のCPUのアセンブラが書ければソフトの開発はできましたし、バスも単純な構造なので拡張ボードなどを比較的簡単に作ることができました。それで、純正オプションの拡張ボードと同じ機能のボードを安く作られてしまい歯噛みしたこともありますよ。しかし、それは歓迎すべきことだったわけです」


 佐藤たちが怒ったのは、ROMの内容までコピーした製品だったからだ。訴訟も検討されたが、時間が取られるのを嫌い、泣く泣く黙認した。

 しかし、佐藤たちにも問題はあった。GOS16プロセッサの仕様を公開していなかったのだ。サードパーティとしては、コピーボードを作るしか選択肢が無かったのだろう。そのうち、GOS16プロセッサのデータシートなどが出回るようになるとコピーボードを作成していたサードパーティもオリジナルの拡張ボードを開発・販売するようになった。

 ユーザーから見れば、高価な純正ボードしか選べない機種よりも安価なサードパーティ製の拡張ボードや周辺機器を選択できる機種のほうが魅力的だ。そのため、結果的にはサードパーティはプラスの効果をもたらした。


「対してPC-32は、バス・アーキテクチャが高機能なチャネルで複雑になっていますし、G-OS32のAPIを公開していなかったので、ソフトの作成も簡単にはできませんでした。後に開発ツールを配布しましたが、後の祭りとなってしまいました」

「構造が複雑になったため、デベロッパーに対してもケアをする必要があったというわけですか」

「はい。あ、他にもPC-32の問題として、ターゲットにするユーザー層が今までと全く違ってしまったことが挙げられます」

「と、言われますと?」

「PC-80、PC-68000とホビーユーザーに支持されていたのに、いきなりラインナップを高価なビジネスモデルのみにしてしまったのは、今までのユーザーを切り捨てて、実績のない全く新しい土俵で戦うことになってしまったのです」

「確かにPC-32シリーズは、ホビー用のパソコンとは言えませんね」

「それまでと同じくらいの価格で販売できれば良かったのかもしれませんが、互換性が無いこともあって見切られてしまったようです」

「もし、佐藤さんがもう一度、90年頃に戻れるとしたら、どうなさいますか?」

「まず、PC-80486は発売しません (笑) そして、PC-68000を生産して販売を続けます。あとは、PC-32の拡張バスに差すことでPC-68000のソフトが動く互換ボードを開発するでしょう」

「なるほど、それなら売れたでしょうね」


 渡部は、話を変える。


「そういえば、PC-68000では、MC68000が採用されているのに、PC-80386では、何故、i80386を採用されたのでしょうか?」

「一番の理由は、調達しやすかったからです。あと、ビジネス向けなら68系より86系のほうがいいと思いましたので……」

「確かにPCのDOSなども移植しやすいですからね」

「ただ、ユーザーからは、68系の32ビットCPUを望む声が多かったですね」

「ユーザーは、PC-68030を望んでいたのですね?」

「そうだと思います。期待を裏切ってしまって申し訳なかったと思います」


 渡部は、姿勢を正した。


「では、本日は、お忙しいところありがとうございました。「ジェネシス PC-16」発売20周年の記事を掲載した12月号が出版されたら1部お送りします」

「ええ、楽しみにしています」

「貴重なお話ありがとうございました」

「いえ、こちらこそ当時の思い出が蘇って楽しかったですよ」


 渡部は、佐藤の家から帰っていった――。


 ◇ ◇ ◇


 22年前、ジェネシス・コンピュータを設立し、12年後に倒産させてしまった。

 倒産した会社は、とある大手家電メーカーに売却され、社員たちも転職した。

 佐藤は、ジェネシス・コンピュータが倒産して引退した。


 あれから10年の月日が流れた――。


 十年一昔というが、ここ10年のパソコン業界の進歩は目覚ましい。

 仮にあのとき倒産していなくても今まで会社を維持することはできなかったのではないだろうか。

 独自技術を捨てて、互換機メーカーとしてなら生き残れたかもしれないが、おそらく自分はそういう判断をしないだろう。

 改めて自分は経営者には向いていなかったのだと思い苦笑する。


 目を閉じると自分が作ったパソコンたちが思い浮かぶ――。


「楽しかったなぁ……」


 思うがままに理想のパソコンを開発する。

 そして、それがユーザーに評価される。

 こんな楽しい仕事が他にあるだろうか? いやない。

 佐藤にとってパソコン開発こそ最高の仕事だった。


 しかし、それは黎明期における混沌とした時代だったからだろう。

 デファクトスタンダードから外れることが許されない今とは違うのだ。


 ――カチッ


 佐藤は、書斎に置いてあるPC-16の電源を久しぶりに入れた――。


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 驚異のレトロパソコン 【完】


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驚異のレトロパソコン 久我島謙治 @kugashima

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