第3話 桜の木の下で②

 僕は木の陰から顔出した。そこには、木の前でしゃがみ込み、腕の中に顔をうずめている一人の女子生徒の姿があった。

 声をかけようか迷った。声をかけて一体何を話せばいいのか。しかし、ここで見捨てることもできなかった。

「あのー、大丈夫ですか?」

 何かもっといい言葉はなかったものかと言った後、ひどく後悔した。

 彼女は肩をビクッと震わせた。

 そして、腕の中にうずめた顔をゆっくりと上げ、僕を見た。

「え……」

 彼女は黒ぶちの眼鏡を掛けていたが、腕の中に顔をうずめていたせいか、斜めになってしまっている。けれど、彼女は眼鏡が斜めに掛かっていることよりも、この状況を見られてしまっていることに焦っているようだった。

「え……え……」

 彼女はあんぐりと口を開けたまま、その場に尻餅をついた。

「えっと、大丈夫ですか?」

 二回目の「大丈夫ですか」、もっと語彙力ないのか自分!

「平気、です」

 彼女は手の甲で頬についた涙を拭った。未だに眼鏡は斜めのままだ。

「あの、眼鏡」

「え?」

「眼鏡、斜めになってます」

「ああ!」

 彼女は慌てて眼鏡の位置を直した。

「これで、平気です」

 恥ずかし気に彼女は下を向いた。いつの間にか尻餅をついた体勢から、ペタリとお尻や足を地面につけ、正座を崩したように座っている。

 可愛かった。本当にそう思えた。

 長くて黒い髪の毛は胸元の辺りで揺れ、太い黒ぶちの眼鏡の奥には大きくて潤んだ瞳、淡いピンク色をした薄い唇。

「いつからいました?」

「えっと……」

僕は苦笑いを浮かべる。

「私が何か喋ってるときからいました?」

「……いました」

 彼女は頬を上気させ、俯く。

「好きな人でもいるんですか?」

 ここまできたのだ、折角だから聞いてみよう。

 彼女はうっすら笑みを浮かべた。なぜだかそれは冷たい笑みだった。

「いないんです」

「それじゃあ、誰に……」

「恋人ができたこと、ありますか?」

「僕ですか?」

 コクンと彼女は頷く。

「僕は……」

 一瞬、とある少女の笑みが僕の脳裏をよぎった。

「いません。人生で一度も」

「ホントですか!」

 彼女が身を前に乗り出して、僕を見つめる。

 何だか恥ずかしくなって、僕は目を逸らした。

「でも、高校生で恋人がいない人ってそんなに珍しくないと思いますけど」

「そうですけど」

「けど?」

「夢を見るんです」

 彼女は両手を組む。

「夢?」

 何だか話があっちこっちいってる気がする。

「素敵な男性が私の元に現れる夢です。でも、その人は私に見向きもしてくれなくて……私は必死にその人を追いかけるんです。待って、待ってくださいって。もうその夢が、楽しくて、幸せで……」

 楽しいのか、その夢……。

「でも、苦しい。その苦しさが愛おしい」

 彼女は組んだ両手を唇につけながら、まるで僕がここに存在してないみたいに喋って、にっこりと笑う。

「でも現実は、告白する勇気もなければ、告白されたこともありません。恋愛とは縁遠い生き物なのです。この木で告白の妄想をしちゃうくらい。バカみたいでしょ?」

 意外だった。彼女が告白もされたこともないとは……

「あなたは、告白されたことありますか?」

「いや、ありません」

「そうですか――」

 彼女は僕の目を真っ直ぐに見つめる。そしてにっこりと笑う。

「どうしてだろ」彼女はポツリと言う。

「あなたとは何だか、普通に喋れる」

 その時、風が吹いた。これが恋だと教えるような、四月にしては冷たい風。そして、桜の木から落ちてくるピンク色の花びらが、彼女を彩った。

「もう少し、話しますか?」僕は、震えた声で言った。

 彼女は一瞬キョトンとした顔をしてから、優し気に笑った。そして、ゆっくりと頷いた。

「うん」

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神崎先輩は、夢見がち。 @Yotsukado

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