棘のある動物(8/8)
「……ケン、オレ、やっぱアメリカに戻るわ」
おにぎりとサンドイッチを二人でひととおり食べ終えたところで、ジョージがポツリと言った。
周囲は会話を邪魔するほど騒がしくなく、孤立させるほど静かでもない。
ケンは続きを待つ。
「……2ヵ月前にさ、会社が倒産してから、オレは何をしてたと思う?」
「倒産だったのか。たしか、航空機メーターを作ってる、でかい会社だよな?」
「そう……アメリカの企業だって日本と同じさ。大きくても小さくても潰れるときはあっという間だ」
カレッジで応用工学を学んだジョージが、エンジニアとして現地企業に就職したのは、日本人学生のサクセスケースだった。アメリカで働きたい留学生たちが就労できずに無念の帰国を果たす中、ジョージは企業のサポートを受けて就労ビザを取得していた。
もらったメールは「仕事を辞めた」の一文だけで、倒産が理由だったことも、ジョージが問いかけてきた2ヵ月間も、ケンはまるで知らない。
「高校のときにお世話になった、ポール・モルガンのファミリーと一緒にいたんだ」
サングラスの内側で大きく開いた目が、向かい合うケンの位置から透けて見える。「びっくりだぜ」という、ジョージ特有の表情だ。
「交換留学のときのホストファミリーか? バージニア州の……」
「そう……気分転換って言っちゃ失礼だが、オレはそこで、ミスター・モルガンの農場仕事をのんびり手伝ってた。楽しい時間だったよ」
ペットボトルの蓋を開け、ジョージは過去を懐かしむ感じで頬を緩めた。そして、広場の先にある子供向けの電動遊具をチラリと見た後でミネラルウォーターを口に含む。
「モルガン氏もうれしかったんじゃないか? ジョージに再会できて」
ゴミになった食べ物の包装をコンビニのビニール袋に戻しながら、ケンは自分が10年前にホームステイしたブラッドベリー一家を想う。大学を卒業するまでメールのやりとりをしていたが、いつの間にかそれも途絶えてしまった。ミセス・ブラッドベリーの焼いたバタークッキーの香りを鼻の奥深い部分がまだ覚えている。
「オレの『里帰り』を喜んで、ミスター・モルガンはバーベキュー・パーティーを開いてくれた。彼は地域の農業ユニオンのリーダーだから、オレのことを全然知らない人間もたくさんやって来た」
再び語り始めたジョージの口調は、まるで違う人格が取り憑いたみたいに厳かなトーンだ。
「野球帽を被った白人のオッサンが……そいつはヘビー級のボクサーみたいに縦も横もでっかい奴で、酔っぱらった状態で現れたんだ。ハナから低俗なジョークを連発して、目の合ったオレに『アーユー、ジャップ?』って近づいて来た」
「めんどくさい奴だな」
「日本人とかアジア系の人間が嫌いなんだろうよ。……で、ひどいスラングで絡んできて、ホストのミスター・モルガンがオレたちの小競り合いに割って入ってくれた」
空になったペットボトルでテーブルの角を軽く叩き、ジョージは、あたかも自分が当事者ではなく、第三者から聞いた話でも伝える調子で、小競り合いが暴力沙汰になり、突き飛ばされたミスター・モルガンが転倒して、ポーチの石段に頭を強打した事実をあっさり告げた。
「ダディは、まだ意識が戻らないんだ」
感情を抑えた乾いた声で、ミスター・モルガンのことを「ダディ」と言い、ジョージはケンから視線を外して、動物舎の方に顔を背けた。
「……ジョージは悪くないだろ」
言った後で、ケンは唾を呑む。ミスター・モルガンの顔も知らないが、話の展開に胸が締めつけられる。
「オレたち家族は車を飛ばして、毎日、病室に通ったよ。食事の前も眠る前も深く祈りながら……それで、2週間が過ぎた夜、ミセス・モルガンが涙をこぼしながら言った。『ジョージ、あなたのことをわたしたち夫婦はとても愛しているわ。でも、この土地からしばらく離れてほしい。あなたを見るとポールの元気だった姿を思い出してしまうの』」
ケンの右手の甲にホクロよりも小さな羽虫が止まり、穏やかに手のひらを返すと、瞬く間に宙に消えていった。
二人は何も言わない。
近くのサル山から、鳥の鳴き声に似た奇声が聞こえてくる。
「ヘイ!ケン!」
近くのカップルが振り向くくらいの音量で、ジョージがケンに呼びかけた。
「隣りの公園の池はボートに乗れるんだろ。調べたよ」
外したサングラスのツルの部分で携帯電話を指し、おどけた顔で櫂を漕ぐアクションをする。
前から後ろに強くひと掻き。
そして、力のある眼差しで「ボートは水の流れがなくたって前に進めるんだぜ」と言った。
おわり
■単作短篇「棘のある動物」by T.KOTAK
短篇小説「棘のある動物」 トオルKOTAK @KOTAK
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