別れの予感は時として

糸目

別れの予感は時として

 私との関係が破綻してしまう事は、もう、火を見るより明らかでした。というか、火なんか見なくても分かりました。あんな火力より、私の暗い炎の方が、ずっとずっと燃え盛っていましたから。

 きっかけは些細な事です。本当に、瑣末な出来事。でも、好き合って一緒に住みだしたとしても、その根底にあるのは他人同士。真っ赤、とは行かないけれど、身内のような気安さなどありません。むしろ慣れ慣れしいなと思うことの方がほとんどで。それならもう、いっそのこと、です。

 そうです。そうなんです。いっそのこと、バスン、と言ってやればいいんです。お前となんか別れてやるわ、もっと良い男がこの世界には数えきれないほどにいるんだからって、もう涙、ザーザー。

 と、そんなこと脳内シミュレーションしまして、大方上手く行くのだろうと余裕をかまし、その中で何気なく、私にも慈悲があったのでしょう。彼に、最後の審判をさせることにしてあげたのです。

「ねえ、たーくん」

「なあに。マチ」

 お互いを愛称で呼ぶ微笑ましさが続くのは、三日だけ。これは私に耐性が無いからなのか。さりげなく名前で読んで欲しいとお願いしたくても、あっちは私をマチマチマチマチ、マチ。何かの呪文のように私を呼ぶもんだから、さすがにやめて、とは言えない。だって、あんなに健気に呼ぶんだもん。冷めかける恋が冷凍から冷蔵に収納場所が変わったような、ささやかな寛大さが生まれて来たのもまた事実なり。

 話の脱線は女の特技。そう、最後の審判の話ね。私、た―くんに差し出したの。右手にキャンディー、そして、左手にはチョコレート。お菓子が詰まった握りこぶしをたーくんの前に突き出した。

「ねえ、キャンディーとチョコレート、どっちが食べたい?」

 その時の私の脳内ランドではわんさかわんさか花輪の準備がされているところでしょう。突き抜けるような喜びに身を投じる為に、極上のベッドをしきつめておきます、はい。

 私はニコニコ顔で待っていました。た―くんの言葉を待っていました。そしてた―くんは言いました。

「どっちでもいいよ」

 ああ、終わった。もう全て終わった。脳内シミュレーションの一番最低プランにと相成りました。そんな花輪さっさと片付けなさい。何が極上ベッドよ。バカにするのもいい加減にして!

「どっちっでもいいて。どっちか選んでいいんだよ」

「うん、だからどっちでもいいよ。マチが好きじゃない方を、じゃあ食べるよ」

「何それ!」

 マチの怒りの炎がメラメラと燃え盛っております。きっと目玉焼きなら簡単に焼けることでしょう。油入らずで出来るのは、おそらく火加減がバカになっているので、消し炭が食卓に並ぶでしょう。

「何それって、何が?」

 たーくん。どうやら自分の彼女が怒っていることにも気付いていない様子。ただ黙って、マチを睨みつけた。

 マチはそれを見て、ペコーン! と新たなるスイッチが入った予感をひしひしと感じていた。つまり別れる道を選ぶことにした。ようやっと、選ぶことを決断した。

「たーくん。話がある」

「そうか。実は俺も、話があるんだ」

「どっちが先にする」

「マチから先でいいよ」

 淡白な会話の応酬は、嵐の前の静けさのせいであるのでしょうか。お互い譲り譲られ、駆け引き攻防が続き、た―くんが先行となりました。というかこれって、ただ、話す順番を決めていただけですよね?

「あのさ、マチ。俺思うんだ」

「待って!」

 せっかく順番を譲られて、やっと喋れると思った矢先の、待って! これほど身勝手な仕打ちが許されるのでしょうか。

「いやえと、俺が先に話せるんだよな」

「でもお願い。その話は、私、うん、耐えられないから、きっと」

「……は?」

「だってそうでしょ。た―くん。私と別れたいんでしょ。知ってる。私邪魔だもんね。ごめんなさい。もう二度と顔を見せないから、うん、じゃあ、そういうことで」

 三年分の同棲生活を送っていたからこそ出来上がっていた生活空間。た―くんはそれらを順繰りにゆっくりと、眺めまわす。

 そして

「マチ」

 自分の部屋に籠り大きなボストンバック二つを脇に抱えて、マチが出て来た。

「マチ」

 マチの目は真っ赤だ。充血だ。どんなに隠そうとしたって、盛大な涙が吹きこぼれていたことが、容易に想像ついてしまう。

「マチ」

「だから、何」

 た―くんがマチにかける言葉。三年ばかりの同棲生活で分かることなんてそんなになくて、でも確実に大きくなっていくものもあって、そしてそれが、自分にとって、何よりも、何もかもよりも、大切なものだと知っていたから。

「マチ。結婚しよ」

 バサリ、バサリ、と大型の鳥の羽音のような音を出しながら、マチの抱えていたボストンバッグが落ちて行く。

「今、なんて言った?」

「だから、そう何度も言わせんな」

「だって、もっと、そういうのって、ちゃんと」

「特別なんていらないよ。マチとはずっとこんなんでいたいから」

 何でもない一言だった。そしてこれはた―くんの本音だったのだろう。マチは涙を流さずに、泣いた。その泣き顔は、世界で一番清らかだった。

「ああそうだ。これ、やりたかったんだ」

 そう言ってた―くんは両手を拳にして、マチの前に突き出す。

「どっちでしょう」

 涙をぬぐいながらの、マチ。

「どっちって何が?」

「だからさ、婚約指輪、どっちでしょうって」

「ああ、そういうことね」

 マチは考える。考えられないなりに考える。そうしてやっと、口を開く。

「どっちでもいいよ」

 た―くん、顔ポカーン。でも、次のマチの言葉でポカーンはニコーに早変わりした。

「どっちでもいいよ。どっちも私の物になるのだから」

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