四月十三日:変化

 春香の手中に光の剣が現れる。刃渡り七十センチ。鍔の部分には三センチほどの玉が浮かび、刃と柄はその玉を栗木にして分離している。剣は黄金色の淡い光を放ち、耳を澄ませば刃からは微かに美しい音色が響いている。

 制服のブレザーにローファー。片手には薄っぺらなレザーの通学鞄。学校から出たそのままの格好は怨霊渦巻く正解では異質に映る。

 彼女は高台から怨霊の波に飛び込んだ。足下の怨霊を踏みつけ、怨霊を踏み台にして壁に向かって跳ぶ。

 壁から壁へ跳ねるように進み、時たま、いたずらに剣を振るっては怨霊達を嬲った。

 彼女の剣に触れると、怨霊は切り口から崩壊して消えてなくなる。原子と原子とををつなぎ止める線が切れたかのようだ。

 怨霊は頭上を行く春香を引きずり込まんとして手を伸ばすが、目も眩むような光の一閃が容赦なく伸びる腕を切り落とした。

 春香は真っ直ぐに怨霊の溢れる穴を目指した。

 通りに群れる怨霊に次回を使っている暇はない。今この瞬間も異界に開いた穴からは怨霊が溢れているのだ。後方では杉山と高橋が出入り口に殺到する怨霊に対処しているが長くは持ち堪えられそうにない。

「性に合わねえな。守るってのは……」

 彼女は口中で呟いてスピードを上げた。

 

 広場は黒一色に染まっていた。怨霊が怨霊を押しつぶし、絡まり合い、一つになる。そこでは奇妙な合体と分離が繰り広げられている。高台に立っているにも関わらず、嗅いだこともないような酷い腐臭が臭ってきた。

「……ちっ、気色のわりぃモン見せやがって」

 今からこの中に斬り込むのだと思うと鳥肌が立つ。進んで己の身を汚すような悪徳を感じる。その先に待つのが栄光であったとしても、勘弁願いたいと思うのは自然なことだろう。

 春香は覚悟を決めるように舌打ちをし、広場に向かって飛び降りた。着地点にいた怨霊の顔を蹴りつけ、叩きつけるように剣を振るう。光の刃に焼かれた怨霊が掻き消えて僅かに地面が覗く。

 春香は音も立てずに地面に降り立つと、剣で周りの怨霊を薙ぎ払い、手当り次第に斬り伏せた。その姿は黒い紫陽花畑の中で天女が待っているかの如く優雅だが、人とも鬼と判らぬ女が、人の形をした異形をひたすらに斬っては捨てる光景はやはり悪夢に近い。

 怨霊達は誘われる虫の方に春香に群がるが、彼女はそれが好都合だと言わんばかりに近づく怨霊を片っ端から叩っ切った。

 激しくも静かな死が黒い広場でも猛威を振るう。気付けば怨霊は半分ほどに減り、地面が見えるほどにまでなっていた。

「はん、相手になりゃしないね」

 春香は鼻で笑った。肩は僅かに上下しているが、その顔には余裕が見える。

 春香は怨霊の出る穴の前に飛び移り。止めどなく溢れ出る悪霊達に一撃を見舞う。怨霊は裂け、穴は揺らぎ、怨霊が止まる。

「はああぁあぁぁっ!」

 春香は剣の切っ先を天に向けた。かけ声と共に彼女の髪は淡い藤色に変わり、額と頬に翼にも見えるトライバルな文様が浮かんだ。掲げられた剣の早は長くなり、幅も広がる。卒塔婆にも似たシルエットをした左右対称の幅広の刃は激しく輝き、零れる音は強くなる。

 剣を地面に叩き付けると、空の向こう側まで響くような甲高い鐘の音が異界全体に鳴り響いた。

 切っ先の触れた地面が目映い光を放ち、やがて異界全土に走る通り全体に広がった。

 光の道が異界全体を照らし出す。煙霧は仄かに輝き、通りを行進する怨霊の歪な影が壁に浮かび上がる。

「消えな」

 言葉と共に輝く地面から無数の剣が伸びて怨霊達を串刺しにする。

 異界の通りには光の枝から伸びる黒い花が咲き乱れる。通りという通りを埋め尽くす花はやがて枯れ果てた。

 渦巻くように響いていた怨霊の声が消え、黒い灰に埋もれた、荒涼たる異界の亡骸だけが残った。

 無音無動。

 時が止まったかのようであった。あれだけ吹いていた風は止み、何もない広場には春香だけが彫像の様に立っていた。

 ミシ。と、言う小さな音が異界のどこからともなく零れる。

 やがて上空や地上からいくつのも地鳴りがして、異界全体が小刻みに揺れ始めた。春香の太刀筋に沿って亀裂が走り、やがて怨霊の穴もろとも異界が二つに大きくズレた。

 異界を二つに分ける裂け目は大きくなり、そこから異界に充満していた気質やら空気やらが漏れ出した。

 恐怖にうねる灰が哀れは錆びた機械時計のような甲高く哀れな音を立て、擦れ合う気質煙霧の中で燐光を放つ。

 風に弄ばれながら春香の長い髪は藤色から黒色へと戻る。手にあった剣は消えて彼女はまた一介の学生に戻っていた。

 この位置ならば広場のどこかしらに出ることになるだろう。

 春香は今は何もない、ただっ広い空間を眺めながら異界が溶けてもとの世界に戻ったときに、自分がどこに出現するかぼんやりと考えていた。

 空に浮いていくような浮遊感が身体を抜けると、目の前の世界がぼやける。映画の二重写のように異界から現実世界へと変わってゆく。気付けば春香は風杜公園の芝生を踏んでいた。

 赤紫色の空に澄んだ空気、微かに香る土や草の青臭さ。死も暴力もなく、脳天気で愚かですらある平和さだけがあった。周囲では家路を急ぐ人や、去りゆく昼を惜しむように遊ぶ子供達がいた。

 誰も自分には気付いていない。

 癒衣を追おう。白髪の男のことを聞き出すのだ。それが終わったら長谷達にも聞いてみようか。多少なりともあの男のことは調べが付いているのだろう。

 ――これから忙しくなるな。

 春香の心は高鳴った。こんなにわくわくするのは久方ぶりだった。

 彼女は小走りで公園を去り、住宅街に入っていった。

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白路行 郁良月 @YoshitsukiYu

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