第7回

 妹は、兄の「呪う」と言う言葉に強く打ちのめされていた。

 兄への愛情ゆえに取った行動が、かえって彼を無間むげん地獄に導いてしまったなんて。

 笑えない皮肉ではないか。

 本当に笑えない。

 絶望にも似た気持ちが、彼女の虚弱な心臓をきつく縛り上げ、その鼓動を不規則に乱れさせた。

 手足が震えて力が入らない。

 こんな悲しい気持ちになったのは初めてだ。

 もう死ぬしかないと思った。

 生き抜こうと言う思いは、完全に途絶えた。

 地下室の薬品棚には、致死性ちしせいの劇薬もきっとあるだろう。それをひと息にあおれば、あっという間に地獄へ堕ちる事が出来る。

 禁忌きんきを犯した自分へのむくい。

 よこしまよこしま相応ふさわしい場所へ。

 終わる事のない悪夢の世界へ、り返される永劫えいごう奈落ならくへ、自ら向かおうではないか。

 だが、その前にやらねばならない。

 兄の遺言は、必ずげねば死に切れない。

 彼の魂だけは、きちんと救って死のう――



 そう言って婦人は、長い息をいた。

 ここまで一気に語って、少し疲れた様子だ。

 顔色もあまり良くない。

 ――ご気分が悪いのですか?

 僕が問いかけると、大丈夫と言って手を振り、再び話に戻ろうとする。

 彼女は……いえ、今更他人の事のように語るのはしましょう。他人のように語っても、余計にさびしいだけですから。犯した罪からは、どの道、逃れられません。

 つぐないで罪は消せない。

 あやまちは、死後でさえ残り続ける。

 ずっとずっと、罪は罪。

 私は――残された兄の骨も肉も、庭の焼却炉に入れて、完全な灰になるまで業火ごうかで燃やし尽くしました。

 そして、その灰を兄の好きだった薔薇園に全ていたのでございます。

 すると、兄の灰を吸った薔薇は、どんな作用かグングンと伸び続けました。

 いつしかそれは庭園全体を、更には館の壁までい登り、私たちの全てを、あらゆる思い出を、記憶も存在も大波のごとおおい尽くしてしまいました。

 そして薔薇たちは、どんな種類も等しく青い花弁はなびらを咲かせたのです。

 いつしか世界は、うつろな青薔薇に染まっていました。

 実際、今こうして、あなたがここへ迷い込むまでは、私自身も青薔薇の一部だったのです。

 ご覧なさい、そう言って指差す窓の外は、あの色取り取りの鮮やかな庭園ではなく、いつしか一面、緑と青だけの寒々しい光景に変わっていた。

 窓の縁まで、青薔薇が押し寄せている。

 あり得ない事に陽光までが青白く輝き、その光は婦人の姿をしっくり包んで、色白の肌や質素なドレスを神々しく照らすのだ。

 もはや私は一輪の青薔薇でした――。

 婦人ははかなげな微笑を浮かべてそう語り、ただこの一つだけをのぞいて、と最後につぶやいた。

 彼女は椅子から立ち上がり、静かに僕の前まで歩み寄ると、四角い小箱を手渡す。

 僕はにわかに鼓動が高鳴るのを感じた。

 ほのかな香りが、箱の中から漂い出す。

 箱を受け取り、恐る恐るふたを開けると、いきなり真っ赤な紙吹雪のようなものが吹き出し、僕は驚いて思わず後退あとずさった。

 吹き出したものは、ヒラヒラと軽やかに空気の流れに乗って、周囲一面に舞い落ちて行く。

 ――薔薇だ。

 真っ赤な薔薇が、僕を取り囲んでいた。

 やがて濃厚な香りが、思考を曖昧にさせる。

 香りは僕の脳髄のうずいの内部まで到達し、僕自身とドロドロに溶け合って、次第に境界も曖昧になって行った。

 意識はゆるやかに遠ざかり、小さくしぼんで――。



 目覚めると、電車はホームに停車していた。

 どうやら目的の駅へ到着したらしい。

 いつ開けたのか、窓が大きく開かれていて、そこから激しく雪が吹き込んでいる。

 あわてて窓を閉じたのだが、吹き込んだ雪がチラチラ舞い落ちて、すでに周囲は雪だらけだ。

 ホームの外は大雪で、狂ったような猛烈な吹雪が吹き荒れている。

 凍えるような冷気に、僕はブルリと震えてコートのえりを立てた。

 電車から降りて改札を抜けると、北の町は空も地面も真っ白で、まるで何もない白紙の世界に降り立ったように見える。

 吹きつける雪の嵐に顔をしかめながら、まだまだ続く長い道程みちのりを、僕は無言で歩くのだった。

 ゴウゴウと吹く風に混じって、歌が聴こえる。

 あれは彼女の歌だろう。

 この真っ白い虚無の果ての何処かで、今も歌っているに違いないのだ。

 つかの間の夢の中に現れたあのはかない世界が、果たして虚構きょこうなのか現実なのか、僕には分からない。

 けれどポケットの中には、確かにあの四角い小箱があって、甘い香りと甘美な幻想を僕に求めていた。

 僕はその幻想に逆らう事は出来ない。

 おそらく僕は、これをあの人に贈るだろう。

 美しい姉の、その唇へ。

 (終)

 

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青い館の神秘 こもり匣 @jet002

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