第5話 旅人
満月の月明かりが降り注ぐ村の広場の真ん中で幼い日のおれが立っている。あぁまたこの夢だ。俺がすべてを無くした日、その場所で全ての音は静止していた。動くモノは幼き日の自分と眼前に佇む巨大な影だけであった。
「人の子よ、この日のことはすべて忘れるがいい」
その言葉と共に、暗闇から金色の眼がゆっくりと現れる。すると暗示をかけられようにゆっくりと意識を失ってしまうのを感じる。いつも同じ夢を見る癖に、その影の輪郭は曖昧で何一つ確かなものがない。
待ってくれ、お願いだ、皆を助けて!そう幼い自分はいつも願っていたが、しかしその願いが叶うことはない。影は遠く離れていき、ヨゼフは暗い意識の奥底へとただただ落ちていく事しかできなかった。
俺まだ生きてる・・それが意識を取り戻した時にヨゼフが最初に感じた事だった。身体を動かそうとしたが、身体を少し捻じっただけで全身に激痛が襲った。あまりの痛みに声なき声が漏れる。
「お兄さん、動かないほうがいい。肋骨が何本か折れてしまっている。両手もその様子じゃ当分は使えない。適合者とはいえその傷が癒えるには時間がかかる」
不意に隣から声が聞こえた。声の主のほうを見ると、この辺りでは見かけない格好をした人が立っていた。全体的に緑を基調とした服装をしており頭には茶色の帽子をかぶり大きな鳥の羽を一枚飾り付けている。
その肌は透き通るように白く、声は鈴が鳴るかのごとく軽やかだった。その姿はまるで教会に置いてある絵画のように綺麗で一瞬見とれてしまった。
「なにガン見してんだ、男に見惚れられる趣味はねえぞ」
「……は?」
一瞬どこからその声が聞こえてきたのか分からず、思わず聞き返してしまった。
「全く、恩人に対して礼もなしか。こいつこのままここにほっていくか」
「やめとけ、どのみち道案内がいるだろう。せっかく拾ったんだ。女と間違われたぐらいで拗ねるな」
まだ現状を把握出来なかったが、他にも人がいるのかと周りを探すも先ほどの声の主以外には誰もいない。
辺りもまだ暗く、焚火の火でなんとか周囲の様子が分かる程度である。その暗闇から大きな影がこちらへ向かってくるのが分かった。
「俺の名前はカーズ。こいつはジン。吟遊詩人だ。よろしくな」
影から現れたのが馬だと気付くには一呼吸置く必要があった。それ程にその馬は大きすぎる。いやその前にまずこいつ今・・・
「う、馬がしゃべったー!!!!」
余りの事態の連続に何が何だかわからず、ただヨゼフの叫びだけが草原に響き渡っていた。
「それで少しは落ち着いたか」
巨大な馬らしきものに促され、水を一杯貰う事でなんとか少し冷静さを取り戻すことが出来た。だが今の状態は余りにも理解が追い付かない。
レッドリンクスとの死闘に敗れるも、最後の止めをさす前に鬣付はなぜか去っていった。そして意識を取り戻したら、性別不明の得体のしれない人物と喋る馬に拾われていた。
「おい、俺は男だ。今度間違えたら本気で置いていくからな。お前の主人はしつけがなってないんじゃないか?」
そういってジンは目線を斜めに向ける、つられて同じ方角に目を向けると申し訳なさそうに尻尾を丸めているポーラの姿があった。
「ポーラ、無事だったのか!怪我は大丈夫なのか?」
慌ててポーラのほうに駆け寄ると、腹部には手当がしてあるのが分かった。その様子をみると危険な状態ではないらしい。ポーラの無事に心から安堵していたヨゼフだが、ポーラの表情がなにかとても申し訳無さそうに見えた。
「で、お前は俺達になにかいうべき事があるんじゃないのか?」
その言葉を聞き、やっと自分のすべきことに事に気付いたヨゼフは命の恩人である旅人に遅ればせながらのお礼と謝罪を伝えるのであった。
吟遊詩人の馬車に乗せられ、羊達を避難させていた小屋に向かった後ヨゼフ達はヨゼフの住む村へと向かっていた。ジンと名乗った吟遊詩人達はダラスへと向かう途中なのだそうだ。
その道中丘の上の目立つ位置に倒れていたヨゼフを見つけ助けたとのことだった。近くにはレッドリンクスの死骸があり、その毛皮は高く売れるので捌いて持っていこうとした時にポーラを見つけ、治療を施してくれたらしい。
しかし、そんなに簡単に獣魔に近づいて危険ではないのかと聞くと、なんでも吟遊詩人の信仰する神獣は旅人自身に加護を与えるので獣魔に襲われることはないとのことだった。
確かに吟遊詩人はこの世界で唯一、庇護地域間を行き来出来る存在ということは知っている。ヨゼフも何度かその姿を町で見たことがある。だがヨゼフが今まで見た吟遊詩人はそのすべてが団体で行動していた。
そして数台の馬車には香辛料や武器などの多くの品が運ばれており護衛の兵士らしき人物も多くいた。ゆえに彼らは吟遊楽団と呼ばれている。ヨゼフはその全員が楽器を持ち演奏していたので行商と演奏を同時に行うものだと思っていた。
しかし、ジンはたった一人で旅をしている。(喋る馬は一匹いるが・・)しかも獣魔が生息しているかもしれない地域を演奏しながら旅をするなど自殺行為そのもののように思える。その疑問が顔に出ていたのか、ジンは笑いながらこう答えた。
「俺は神に愛され過ぎた男なんだよ。だから嫉妬されないように一人で旅をしてるのさ」
そう言われて納得をしてしまう容姿をジンはしていた。肌は雪のように白く、銀色の長髪は高級な油がしみ込んでいるかのように艶やかだった。顔はまだ幼さが残るような顔立ちをしており、中性的な雰囲気を醸し出していた。それは正に神の寵愛を受けたというにふさわしい美しさだった。
ただカーズ曰くジンは女性と間違われるのを嫌うらしい。それ故に初対面の時はかなり険悪な態度をとっていたのだ。だがただでさえ中性的な容姿をしている上に身長もヨゼフの胸の辺りぐらいまでしかない。ヨゼフが190㎝だから160㎝ぐらいだろうか。それを男性と断言しろとは難しい話である。
「旅慣れているとはいえ初めてくる道ではどこに町があるかもわからなくてな。兄さんの町まで案内しておくれよ」
こうして奇妙な吟遊詩人に助けられ、俺は故郷への帰路へとつくことになった。荒れ果てた道での馬車の上の振動は傷に響いたが、ジンの口ずさむ歌の数々は今までのどんな演奏よりも心惹かれるものであっという間に時が流れていった。
ジンの吟遊旅行記 ~伝説の歌い手と呼ばれた男~ @ku-jyann
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