書けないカエル

s286

第0話

 陽射ひざしの強さで石の寝所しんじょぬくまってきた頃、そのカエルは目を覚ました。カエルとしての彼は、割と長生きしたほうだろう。鳥類に見つかることもなくこのまま天寿てんじゅまっとうできる日もそう遠くは無いはずだ。

 しかし、彼は自分の生き方に多少の不満を抱いていた。それはメスとの間に子孫を残せなかった事でもなければ、安息あんそくの地をいまだ見つけられないことでもない。むしろ彼はその辺りには何の不満もなかった。異性には蛋白たんぱくだし、一つ場所に縛られないことで色々な土地を見聞けんぶんできたのは良い経験になったと考えている。もっとも地主ぢぬしの大ナマズを怒らせて沼を追われた時は芯から心が凍りついたものだが……。

 彼は、一遍でも良いから小説を書き上げたかったのだ。たとえ万人ばんにんには読まれなくとも結構だから誰かに自分が生きたあかしを残したいと願っていた。

 さて身体からだが温まるまでは動くに動けぬ。彼はしばらくのあいだ石の上で時間を過ごした後、柔らかい葉で包んだわずかな家財道具を頭に縛り付けて動き出した。途中、雨水で口をすすぎ石についたこけを少し口にした。いつの頃からか彼は肉食をやめたのだ。

 川に沿って上流へ向かうと木々がなくなり開けた場所に出てしまった。彼は思う。「こんな場所では鳥に見つかりやすい。まして人間の子供にでも捕らえられたら死ぬまで玩具おもちゃにされてしまう」

 来た道を戻るか腰を下ろして逡巡していると陽射しの心地よさから眠気が強くなってきた。これはイカンと頭を振って気持を引き締めると彼は来た道を戻ることに決めた。どこか適当な場所で川を渡り他所へ行くと決めたのだ。

 カエルの脚では、移動したとて高が知れている。それは彼も長年の経験から知っていた。若い頃、干からびるほど歩いたはずなのに振り返ると昨晩の宿とした溜池ためいけ眼下がんかに見えたときは随分とガックリしたものだ。それ以来、彼は八分目で行動すると決めている。

 川を渡るとその近くに道祖神どうそしん様を祭る小さなほこらが見えた。彼は、日が暮れる前にその日の宿が見つかったことに心から感謝した。石造りの小さなその祠の前で一礼し中へもぐむとすぐに横になった。彼は思う「ここなら雨風は防げるし鳥におびえることも無い。うまい具合に苔もいくらか生えているぞ……おや、思い返せば今日は一行もかけなかったな。まぁ、いいさ今日は大して良いアイディアも浮かばなかったし、今日が駄目でも明日がある」

 彼は緩やかな眠りについていった。

 



 

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