Real Sexless 5

 この不安は彼女に限ったことではないし、実際はもっと深刻な状況に至っている。

 なぜなら、仮想現実世界が現実感を増すに従って、部分的には現実世界よりも都合の良い生活を送ることが可能になっているからだ。

 以下、恰好つけて取り繕っても分かりにくいだけなので、少々下世話かつあからさまな表現になることをお許し頂きたい。

 現実のセックスライフよりも仮想現実でのセックスライフのほうが、シャワーやティッシュといった前後の面倒な手続きが必要でない上に、妊娠を目的としていない夫婦には避妊すら不要となるので極めて都合が良い。

 さらに、必要な感覚を多少非合法な手段ではあるが増幅することが可能である。どんな早漏であっても仮想現実世界では支障とならないし、どんなに不感症であっても感覚パラメータを操作してしまえば、至高の快楽を得ることが可能である。

 仮想現実世界での夫婦以外の第三者とのセックスが、不倫を理由とした離婚の有効な訴訟理由となりえるかどうかは、いまだ結論が出ていないが、

「アダルトビデオで興奮するのと何が違うのか」

 という意見は根強く残っている。

 ともかく、現実世界で夫婦であっても、性生活にお互いに満足していたとしても、それが現実のものであるとは限らない。

 非公式ながら、夫婦の一割がいわゆる「Real Sexless」であるという調査結果も報告されており、その数値は年を追うごとに上昇しているとも言われている。

 八重子の場合は単に、現実の夫婦生活が不在のままで仮想現実の夫婦関係を構築してしまったことと、現実が余りに過酷であったことから、その闇が際立ってしまっただけなのだ。


 平日の昼下がり。八重子は震える両のてのひらで卓上に置かれたティーカップを包み込むと、絞り出すような声でこう言った。

「私、本当は夫の帰国が怖くて仕方がないんです。私はまだ彼の本当の姿を子の目で見ていないのではないか、実際に一緒に暮らして、もし何か利害が相反する問題が生じた時に、彼はマンションの他の入居者と同じように自分勝手な主張を始めてしまうのではないかと思うと、怖くて仕方がないのです」

「でも、学生時代からの長いお付き合いなのでは」

 私がそう訊ねると、彼女は下を向いたまま頭を振った。

「それが仮想現実に思えて仕方がないんです。あれは私がいる時にだけ彼が使っていたアバターであって、本来の彼の姿はもっと別なものではないかと思ってしまうのです。流石に彼が実は女性とは思いませんけど」

 最後の台詞は彼女なりに折り合いをつけようと頑張っていることを示しているのかもしれないが、成功しているとは言えなかった。

 それに、彼女にはもっと深刻な問題があると私は考えている。

 そして、それを今彼女に突きつけることが正しいかどうか、私は迷っていた。


 彼女は既に仮想現実世界の現実に毒されてしまっている。

 現実世界にバイオレンスコードは存在しないのだから、知らない人間にはもっと慎重になるべきなのだ。


( 終わり )

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Electrical Maiden Case.2 阿井上夫 @Aiueo

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