Electrical Bitch 5

「仮想現実世界でEBやってると、向こうの世界でお金がかかりすぎて感覚がおかしくなるんだよね。それと同じことを現実世界でやってしまって、生活が崩壊した子はいっぱいいるよ。だから、トップレベルの子達ほど、現実世界では質素な生活をしている。それに、仮想現実世界の自分――といってもアバターだけどさ、それを磨き上げていると現実世界に戻ったときに落差で落ち込むんだよね」

 そこで彼女はいったん言葉を区切ると、窓の外を見つめて溜息をついた。

「こっちの世界じゃ、どんなに投資したところで自分の救いようがない容姿を劇的に変えることなんてできないじゃん? そりゃあ、整形までやっちゃったら別だけどさ、仮想現実世界でやっていることを現実世界でもやろうとは思わないんだよね。むしろ、仮想現実世界がきらびやかになればなるほど、現実世界は元のままにしておきたくなる。実家みたいなものかな。物凄くお金持ってるのに、ワンルームマンションから引っ越さない子は多いよ」

「そうなんだ。でも、少しは贅沢したくなるんじゃないの」

「うーん」

 真凜は腕組みをして黙り込んだ。

 私は何も言わずに待つ。

 しばらくして真凜は口を開いた。

「確かに若い頃は、好きな服を買ったり、美味しいものを食べたり、海外旅行に行ったりしたけど、今はそんな気になれない」

「それはどうしてなのかな」

 ここで真凜は困ったような顔をした。

「――あの、笑わないで最後まで聞いてくれるかな」

「もちろん」

「じゃあ話してあげる」

 真凜は背筋を伸ばすと、丸々とした手を組んだ。

「三十五を越えたあたりから、仮想のアバターと現実の自分との間に、なんだか、何と言えばいいのか分からないけど、違いを感じ始めたの。登録画面を開いている時間は、いつ指名がかかるか分からないから基本は自宅待機状態で暮らしている。指名されたらどんな時間でも、指定された場所に行かなくちゃいけないから、生活時間がめちゃくちゃになる。もちろん、登録画面を閉じとけばいいんだけど、そうするとランキングからはじき出されそうで怖い。一番お客さんが少ない時間は、平日の午前中なんだ。しかも月曜日より火曜日のほうが少ない。みんな、そこで現実と向き合っているんだろうね。EBやってる子の間では『ブルー・チューズデイ』って言葉をよく聞くけど、私たちも現実に向き合う。私も暇だからそうなる。けれど、向かいあうべき現実が超悲惨。運動不足で肥満した自分を直視しなければいけない。じゃあ、現実のほうもなんとかしようと思えるかというと、全然そんな気になれない。なにしろ仮想現実世界の競争であくせくしているのに、現実世界でも苦労するなんて嫌じゃない? だから余計に現実と仮想の格差が広がる。違和感が拡大してゆく。年を取るのもそう。年々、アバターの設定年齢から離れてゆく自分を自覚するようになる。それでも、生きてゆくためには仮想現実世界のブラッシュアップはやめられない。どんどん浮世離れした姿になってゆく。まあ、仮想現実世界だから、浮世離れして当然なんだけどさ。反動で現実世界では何もしたくなくなって、どんどん老化が進む。悪循環だよね。分かってはいるんだけど、どうしても変えられない。どちらかを無理して変えようとすると、バランスが崩れてどちらの世界も崩壊しそうな感じがする。それがとても怖い。特に仮想現実世界で無理をしないとランク外になる。それが怖い。現実世界で無理が出来ない。そうすると本当に逃げ場がなくなってしまう。だから、仮想現実世界では無理を続け、現実世界では何も出来なくなる。若い子ならば結婚して足を洗う夢も見られるけど、四十手前になるとそんな夢も描けない」

「仮想世界で出会いはないの?」

「あっても、現実世界で失望されるだけだよ」

 そう言うと、彼女はテーブルの上に置いてあったスプーンに目を落とした。

 それを取り上げると、彼女は細長いグラスの中ですっかり溶けてしまったモカ・フラペチーノを物憂げに掻き混ぜながら、こう呟いた。

「ときどき、自分がこんな風にこっちの世界で溶け残ってしまったような気分になるんだよね。仮想現実世界じゃ割と名の知れた存在で、知り合いも多いし、馴染みのお客さんだって多い。稼いでるほうだし、銀行の残高だって着実に増えている。でも現実世界に戻ると、薄暗い部屋の中に置き去りにされた肉の塊みたいな自分に気がつく。溶けかかって、もう元に戻しようがない。いまさら誰かが美味しく食べてくれるなんて期待できるはずもない。さらに溶けて、最後には実体すらなくなる」

 スプーンがグラスにあたる音がした。

「どこでどう間違えたのかな。なんだか仮想現実世界のほうが現実で、現実世界のほうが溶け残った仮想に思える。おかしいよね、こんなの。昔の友達に話したら大笑いされそうだよね」

 そう言いながら、彼女はまた幼く見える笑みを浮かべて、涙を一粒だけこぼす。


 そして、私はそれを笑うことが出来なかった。


( 終わり )

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Electrical Maiden Case.1 阿井上夫 @Aiueo

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