第一話 海辺の町 三
だからだろう。
以前の良平であれば、変わった光景が目に入ったとしても、それに近づくほどの好奇心を持つことはなかったはずなのに、その時だけは夜中に遠くで揺らめいている街灯に誘われた蛾のように、それに近づいてしまった。
そして土曜日の午後というのは、暇な高校生が道を誤りやすい時間じゃないかと思う。
*
その時、良平は海岸線に沿って伸びる県道を自転車で走っていた。
先週会った時、みのりは、
「来週は電車で千葉の親戚の家に行く」
と言っていた。千葉県民が「千葉」とだけ言う時は、千葉市を指している。ならば間違いなく泊まりだろう。
――土日ともみのりの相手をしなくてよいのは久しぶりかもしれない。
そう考えて、良平はなんとなく気分が楽になった。
みのりが嫌いだというわけではない。
素直で良い子だと思うし、普通に可愛らしい女の子だとも思う。
ただ、空気のように黙って一緒にいられるほど親しいわけではないから、会ったら何か話をしなければならない。
しかし、話をするにしても日常の話題では世界が狭すぎて話が弾まない。
けれども、そこから少しでも外れると、みのりが理解できずに困惑するから、そのぎりぎりの線を狙う必要がある。
逆説で語られる間柄というのは楽ではない。一緒にいると、主に良平の気苦労が大きかった。
だから、みのりには悪いと思いつつ、なんとなく気分が軽くなったのである。
その一方で、やることが何もないという
高校の図書館で借りた本は、前日の帰りに電車の中で読み終わっていた。もっと分厚い本を借りてくればよかったと思ってみても、後の祭りである。そもそも持ち運びが嵩張る本は、遠距離通学のお供になりえない。
そこで、しかたなく町の図書館に行こうと思い立ち、自転車に乗って家を出てはみたものの、小学校の図書館に毛が生えた程度の町営図書館に期待するところは何もない。
良平は、海に浮かぶ浮きのような気分で自転車を漕いだ。
「どうして田舎の公共施設は不便なところにあるのか」
と、八つ当たりのようなことを考えてみる。それが一般的に当てはまる命題かどうか、良平には分からない。
「学校から家に帰る途中、最初のうちは潮の香りがするのに途中で何も感じなくなるのは何故だろうか」
というテーマで哲学的な思索に
自転車を漕ぎながら、溜息をつく。
「それにしても田舎の公共施設はどうして不便なところにあるのか」
と、四回目の問題提起をしたところで――それが目に入った。
海岸線の道路から山に向かって二百メートルほど上った先に、いつ死んでもおかしくないような老婆が申し訳程度の雑貨を置いた店があった。
良平も小学生低学年の頃に二回ほど、ご近所の大冒険を兼ねて顔を出したことがあったが、別に買いたいものは何も置いていない店だった。
そんな家が、なんとなく華やいで見えた。
最初のうちは理由が全く分からなかったが、暫く見つめているうちにやっと良平はその理由に気がつく。
二階の窓辺に下がっている洗濯物の色合いが、とても鮮やかなのだ。
決して老婆が切ることはないであろう、ピンクや淡い緑の布地が風にひらめいている。くすんだ色をしていたカーテンも花柄のものに変わっており、全体的に生き生きしていた。
建て直したわけではなから、建物そのものは老婆と同じぐらい死にかけのままである。それでも、寝たきり老人が上体を起こしたぐらいの変化が見られる。
良平は特に考えもなく、その家のほうに自転車を向けた。
山に向かう坂道をゆっくりと上ってゆく。
胸がどきどきするが、それが坂道によるものなのか、それとも生き返った家によるものなのか、あるいは全然別の何かによるものなのか判然としない。
ただ、なんとなくどきどきした。
今思えば、それが有名な虫の知らせだったのかも知れないが、人生経験の短い良平には馴染みのないことだった。
仮にそれが貴方の運命だとしても 阿井上夫 @Aiueo
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