第九話 とはいえ、行政担当官も人の子である。

 大陸の北方、永久凍土の地下に眠る『物語保管庫』には、日々新しい物語が供給されている。

 これは、各地を放浪しながら物語を収集している稀少部族「物語保管人」から水晶盤通信によってもたらされるものだが、物語保管庫に登録される前に必ず保管庫管理人ガリレウスが眼を通すことになっている。

 その日、管理人補佐官であるアムネリアは、管理人ガリレウスが水晶盤を見つめて難しい横顔を見せていることに気がついた。

「どうかなさったのですか?」

 アムネリアが彼の背中にまわって穏やかに声をかける。

 すると、ガリレウスは水晶盤から顔を上げ、彼女のほうを振り向いて苦笑した。

「お気を使わせてしまったようで申し訳ございません。なかなか興味深い物語だったものですから、つい本気で読んでしまいました」

 彼が手元にあった水晶盤を持ち上げてアムネリアに示したので、彼女はガリレウスの後方右側からそれを覗きこむ。

 報告者はキルフェウス――確か今回はヴェルシア王国滞在中のはずだったな、とアムネリアは思い出す――で、彼が送ってきた物語の舞台は、まさしくそのヴェルシア王国が舞台だった。

 読み進めてゆくにつれて、アムネリアの表情が先程のガリレウスと同じように難しいものになってゆく。

 途中で、彼女は息を小さく吐くと、

「これは驚きましたね――」

 と呟いた。

 彼女は、その白磁のように肌理きめ細やかな白い顔をガリレウスに向けて、言う。

「――交族人狼変化クロストライブ・ワーウルフ・ミューテーションは、ただの伝説か噂のたぐいと思っておりました」

「そんなことはありませんよ、アムネリア――」

 ガリレウスはいつものような柔らかい微笑を浮かべ、遠い眼をしながら言った。

「――私が保管庫管理人を拝命して以降、今日までの五百四年二ヶ月三日の間に、交族人狼変化に関する物語は、今回のものを含めて三つ報告されました」

「五百年で三つですか? 随分と稀少な事例に思いますが、実際にあるのですね」

 アムネリアが感心したようにそう言うと、ガリレウスは少しだけ表情をかげらせた。

 珍しい表情である。しかし、アムネリアはその点を指摘せずに静かに待つ。

 さほど時間をおかず、ガリレウスはちいさく息を吐いた後で、こう言った。

「ただ、前の二つは割と困難な結末に至りましたね。今回はどうなるのでしょうか」


 *


 ガリレウスのいかにもフラグのような発言の真偽は別にして、その時確かにロランドは困難に直面していた。

 原因は筋肉痛である。

 実際問題、身体の組成を大幅に変換したのだからただで済むわけがない。全身の細胞という細胞が悲鳴をあげているような気分で、それでもロランドはカシヲに介助されながらも、王宮に出勤した。

「それじゃあ、また後で取りに来ますわ」

「その時はもっと動きやすい恰好で来てくれないか」

「構いませんが、身動きできないのが二人になりますが宜しいので」

「その時は、俺が二人とも自宅に送り届けてやるよ」

「いやいや、息子のほうは私がなんとかしますので大丈夫ですが、貴方のほうが心配なんですけどね」

 ゴルディウスとカシヲの胃の痛くなる会話を聞きながら、ロランドは自分の机の前になんとか身体を落ち着かせる。

 同時に、右隣からなんだか変な空気が流れてくるのを感じたので、彼はそちらのほうを向いた。


 アリエッタが、両手の指をしきりに動かしながら腕を伸ばそうとしていた。


 彼と眼が合った途端、彼女は即座にその腕を布の中にしまいこんで、あらぬ方向に顔を向ける。

 ロランドは小さく溜息をつくと顔を前に向けたが、恐らくはアリエッタが先程と同じような動きをしているはずだ。その気配を感じる。

 左のほうではゴルディウスとカシヲが愛想良く笑いながら、

「もう片方の眼もり貫いてやる」 

「それはこっちの台詞セリフだ、お前の眼を代わりによこせ」

 という、殺伐とした会話を繰り広げている。

 ロランドは、今度は大きく息を吐いた。


 *


「こんな報告書、上にはあげられないよ」

 ロランドが全身の痛みに耐えながら作成した報告書を、ヴィルヌイが軽やかに机の上に投げた。

「なんでですかぁ、それが事実なんですよぉ」

 ロランドは情けない声を出しながら食い下がる。

 しかし、ヴィルヌイは常のような人の悪い笑顔を浮かべると、言った。

「だって、証拠品がないじゃないか。お前が言うところの魔剣は、お前が機能停止させた後で粉微塵になってしまっている」

「うっ……」

「それに、勇者候補者のロンドも『眼が覚めたら何も覚えていなかった』というじゃないか。魔道具による記憶封印かもしらんが、無理にこじ開けるわけにもいかん」

「うっ……」

「怪我をした兵士達も、まあまあ軽症にちょっとばかり毛が生えた程度だったし。なにしろ誇り高い王国近衛軍の兵士だから、不平不満は出てこない」

「うっ……」

「見事なものじゃないか。あれだけの大騒ぎの結果、何の証拠も残すことなく綺麗さっぱりサヨウナラだ。事実、君の兄が仕組んだことだとしたら、私は大いに感心するよ」

「……」

「どうした? ぐうの音も出なくなったのか?」

 ヴィルヌイがロランドのほうに顔を突き出す。

 するとロランドは、残った力を振り絞るようにして言った。

「課長ぉ――兄を人事第六課にスカウトすることだけはぁ、ご勘弁願えませんかねぇ」


 *


 昼休み時間のことである。


 ベルファは食事を終えて執務室に帰ろうと廊下を歩いていたところで、前方からよろよろと歩いてくるロランドに会った。

「どうしたのですか、ロランド」

 彼女は何も知らない風を装って、彼に話しかける。

 ロランドは顔を上げて、苦しそうな表情をベルファに向けながら言った。

「いや、実は昨日は一日中、書庫の中で人事各課の書類整理の手助けをしていたので、すっかり筋肉痛になってしまいました」

「まあ、軟弱だこと。それでも王国行政担当官なのかしら」

 ベルファは小さく笑うと、ロランドの右隣を通り抜ける。

 すれ違ってすぐ、後ろからロランドの声が聞こえてきた。

「あ、それでですね、ギンズブルックさん――」

 彼が杓子定規な声でそう言ったので、ベルファの背中が伸びる。

「はい、なんでしょうか?」

 緊張のあまり後ろを振り向くことの出来ないベルファに対して、ロンドは次のように言った。

「昨日、武闘場で見たことは、一切、誰にも、言わないで置いて頂けますか。両課長も合意のことですし――それがしが困るので」

 最初のところの、いちいち区切る重苦しい言い方からで繰り出されたセンテンスが、ベルファの背中に次から次へと矢のように突き刺さる。

 とどめのそれがしで、額から出た冷や汗が頬を通じて流れ落ちてゆくのを感じた。

 しばらく硬直した後、ベルファは、

「あの、何のことで、しょうか。私と、いたしましては、その、事情がまったく、理解――」

 と、たどたどしく言いながら振り向く。


 しかし、そこには既に誰もいなかった。


( 終わり )

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ヴェルシア王国総務省人事局人事第六課行政担当官の日常 阿井上夫 @Aiueo

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