第八話 行政担当官は、国王と臣民のために誠心誠意奉仕する。
「えっ、何をしているの?」
武闘場を取り囲む外壁の片隅で、柱の陰から家政婦のように成り行きを見守っていたベルファは、急に服を脱ぎ始めたロランドを見て仰天した。
「まあっ、なんですの一体? いくらなんでも非常識じゃありませんか!」
柱の陰でそう
――ロランドについて探ること。
それが彼女に与えられた当面の課題であったから、ベルファはこうして隠密行動を取っているわけである。
ただ、只今現在の彼女はその使命を半分ぐらい忘れていた。
「初めて会った時から『なんて無礼な人なの』とは思っていたけれど、実のところは変態さんだったのね!」
彼女は息を荒げながら囁く。
ベルファはギンズブルック家の令嬢として、幼い頃から賛美と賞賛の視線で見つめられることに慣れていたし、それが当然ことと考えていた。しかも魔法の才能に恵まれていたから実力からしても当たり前と考えていた。
ところがロランドは、初めて会った時に「あ、ずるい」という顔をした。彼女がギンズブルックと名乗った時も「へえ、何それ美味しいの?」風な無反応だった。
ただ、そのあまりの素っ気無さに才気煥発なベルファとしては「ふうん、この人、地方出身の常識のない山猿なのね」と考えて、鷹揚に接したのである。
ところが、彼の配属先は人事第六課だった。
本年度最優秀成績で行政担当官に任命された自分を差し置いて、人畜無害なほどに平凡な彼がギンズブルック家と双璧を成すイアハート家出身のヴィルヌイから、直接の薫陶(実のところ、少しばかり意味合いは異なるが)を受けるのである。
魔法遣い業界界隈でヴィルヌイを知らない者はいない。まあ、意味合いがいろいろ異なるが、知らないものはいない。
さらに、配属式で彼がヤマファの息子であることが判明した。同じく魔法遣い業界界隈で『火焔魔女』ベルファを知らない者もいない。こちら方面の噂は大抵、破壊と恐怖に彩られていたが、とりあえず知らない者はいない。
彼はその両方を手にした(実のところ、ロランド本人がそうしたいと思っていたわけではないが)のである。
――なんて無礼な男なのかしら!
そう怒りを覚えていたわけであるが、その一方で初見の時から一般人扱いされ、その後も特に賛美も賞賛も示されないこの『お預け感』が、ベルファにはたまらなかった。(実に良いという意味で)
そこで眼が離せなくなっていたところに、チェレンボーンからの特命である。表向き沈着冷静に
――任務なのだから仕方がないわ。
そう思いながら、今日も柱の陰から監視していたところ、中途採用面接に駆り出された彼の、唐突な乱暴狼藉に出くわした。これはもう一部始終を見届けるしかない。
これは任務である。そう、正真正銘の任務である。
であるからして、詳細まで観察しなければならない。
「まあっ、なんてはしたないのかしら。お尻が丸見えではありませんか! あの、いい具合に丸い、適度に弾力がありそうで、それでいて硬く締まっていそうなお尻が!!」
彼女は尻フェチだった。
自分の理想像に近いものを見せ付けられ(実のところロランドにそのつもりはないが)、興奮のあまり思わず身体をくねらせながらも、いまだ半分ほどは使命を忘れていない彼女は、一心不乱に柱の影から監視を続ける。
ただ、才気煥発な彼女も隠密行動に関しては初心者で、今自分がいるところが風上であることに気がついていなかった。
*
「はあ?」
ロンドが
最終的にパンツだけを残した姿になると、彼は脱いだ服を丁寧に折りたたんだ。そして、剣をその場に置き去りにして服だけを武闘場の端にいたアリエッタのところまで持ってゆく。
「ちょっとこれを持っていて頂けませんか」
(はい、その……それで大丈夫なのですか)
表情に表れないアリエッタの戸惑いが、言葉に乗って伝わってくる。
ロランドはにっこり笑うと、言った。
「服があってもなくても一緒ですから」
*
ロンドは、ロランドのあまりの乱暴狼藉振りに言葉を失っていたが、我に返るとそのふざけた所業に再び我を忘れかけた。
「こっこっこっ、この野郎――」
しかし、彼も一応は戦場を駆け巡ったことのある者である。それに、ロランドの行動があまりにも常識外れであったがために、逆にロンドの理性が彼を抑えにかかった。
――もしかしてこれが奴のいつもの手段じゃないのか?
そうに決まっている。
いや、それしかない。
でなければ、こんな馬鹿げたことをする人間はいない。常軌を逸した行動により相手を激昂させた上で、その隙を狙って攻撃するつもりだろう。
――危うく相手の策に乗ってしまうところだった。
*
ロランドが再び武闘場の中央まで歩み寄る頃には、ロンドの表情は落ち着いたものに変わっていた。
ロランドは首を
「お待たせしました」
と声をかける。
それに対してロンドが、
「もうこれ以上は待てないぞ。準備完了ということでいいのか?」
と余裕を見せる。
ところがロランドは、申し訳なさそうな表情になってから、こう言った。
「それがですね。最終的な準備がまだ終わっていないのですが、その前に質問がありまして」
ロンドの神経がまた途切れそうになるが、彼は辛うじてそれを
「うっ、むっ、まあ、聞いてやろうじゃないか」
ロランドはその様子を見て更に首を傾げると、言った。
「その剣、何時、何処で、誰から手に入れたものですか?」
「うっ……」
ロンドは言葉に詰まる。
それに対してロランドが畳み掛ける。
「最近ですよね多分。しかも相手の顔は覚えていない。でなければ、私の顔を見た時に貴方はもっと驚いていたはずだから」
「な、何を言っているのかね、君は?」
「しらばっくれないで下さい。とても重要なことなのです」
少しだけ怒ったような口調で、ロランドが詰め寄る。
ロンドは、剣を受け取った時に言われた言葉を思い出していた。
「この剣を何時、何処で、誰から貰ったのかは絶対に言ってはいけません」
頭まで黒い布で覆い隠した状態で、相手は冷たい声でそう言った。
「もしもそれを言ってしまったならば、私は貴方を草の根を分けてでも探し出して、制裁を加えなければならなくなります。その剣の力を知れば、私にその実力があることが貴方にも理解出来るに違いありませんから、どうかお願いしますね」
言い方は丁寧だが、内容は残忍である。
ロンドはその時のことを思い出すと同時に、背中が震え上がる感じがした。
「ああ、もう、五月蝿い! 俺はもう待たないぜ!!」
ロンドは剣をロランドに向けて構える。
それを見たロランドは、
「ああ、僕はこれだけはやりたくなかったんだよなぁ。そりゃあ行政担当官たるもの、上司命令は絶対だしさぁ、国王と臣民のために誠心誠意働かなくちゃいけないとは思っているんだけどさぁ、今後のことを考えるとこれだけはやりたくなかったんだよなぁ――」
と嘆き、大きな溜息をついた。
直後、その武闘場にいた者全員が”風”を感じた。
まるで場内の空気が一斉にざわめくような、感触。
中心に向かって何かが凝集してゆくような、気配。
その先にロランドがいることを、全員が理解する。
「ああ嫌だなぁ。僕はこんなことにならないように随分と注意していたのにさぁ」
ロランドの嘆き声が場内に響き渡る。
「でもさぁ、今回の件は俺のせいでもあるんだよねぇ。それで怪我人まで出ちゃってさぁ」
彼を中心として風が
「ここまで来るともう、最後の責任はやっぱり俺が取らなければいけないと思うんだよなぁ」
圧力が高まる。
「だからさぁ――」
ロランドを中心として、視界が歪む。
「――以降は
そして、全員の耳を
誰もが耳を押さえながら、ロランドのほうを見つめる。
その中で、彼の姿が膨れ上がったかのように見えた。
いや――「かのように」ではない。
明らかに膨れ上がってゆく。
口から咆哮を上げながら、ロランドの身体が次第に膨れ上がってゆく。
それは空気によって膨れ上がる風船のような柔らかさではない。
周囲の何かを取り込んだことで内部から押し出されてゆくような堅い動きに見えた。
ロランドの周囲では風が巻き上がっている。
その風の動きに合わせるかのように、今度はロランドの全身から毛が生え始める。
毛を生やしながら、ロランドは膨らむ。
続いて彼の顔の骨格が歪み始め、鼻を中心として前方に向かって伸び始めた。
牙が見える。
爪が伸びる。
そして、その姿が風によって舞い上がる砂塵により、人々の視界から一瞬消えて――
晴れた後には、銀色の柔らかそうな毛を全身から生やした狼がいた。
元のロランドの大きさからすれば、三倍近い巨体である。
風が拡散してゆく。
それは熱を失って肌を切るように冷たい。
かつてはロランドであった人狼――毛の色からすると『銀色狼』は、口から盛大に白い息を吐き出しながら重苦しい声で言った。
「ご準備、宜しいかな?」
ロンドはあまりの光景に震えていた。
「いや、その、どうで、しょうか、ねぇ」
彼も人外の相手をしたことぐらいはあったが、ここまで圧倒的な力量差の相手は経験したことがない。
銀色狼が、今度は鼻から白い息を吐く。
「ふむん。まあ良い。貴殿の準備がどうかは
直後、ロンドの視界から銀色狼の姿が消えた。
ロンドの右の耳元で声がする。
「それで、その剣を、何時、何処で、誰から手に入れたのかな?」
ロンドは反射的に声のした方向へ剣を振る。
剣は『閃光の秘剣』の名前に違わない鋭い光を放ちながら、常人の目では追うのも困難な速さで振られ――
誰もいない空間を
「どこを狙っておるのだ?」
左の耳元で声がする。再び声に向かってロンドは剣を振るが、その先に目標物はない。
その遥か先、元の位置に銀色狼は、ずっとそこから一歩も動いていないかのような姿で立っていた。
「いかが致した? 一人で剣の稽古か?」
銀色狼が
事ここに至って、ロンドは再びキレた。
「くっそおおおっ、馬鹿にしやがってえええっ! ふざけんなあああっ!!」
「別にふざけてはおらぬ。貴殿が勝手に一人で踊っただけのことではないか。ふざけているのは貴殿のほうであろう?」
銀色狼が更に
それでロンドは、とうとう最後の手段を使うことにした。
剣をくれた男が「どうしてもという時に使え」と言った言葉を、彼は口にする。
「
途端、今度はロンドを中心とした旋風が巻き起こる。
場内で実技試験の経過を見守っていたドゥーランが、そこで声を張り上げた。
「
しかし、その声は風にかき消されてロンドには届かない。
彼はにやりと笑うと、言った。
「おお、こいつはいいねぇ、最高だよ。今なら俺は誰にも負けない自信がある」
「ふむん、そうかね。では貴殿の最高を見せて頂こうではないか」
「何時までその余裕を見せていられるもんかね。では」
ロンドは銀色狼に向かって駆け出した。
あまりの速度にロンドの身体のあちらこちらが
皮膚がそこら中で裂けて鮮血が噴き出すが、それも無視する。
彼は余計なことを全て忘れ、銀色狼に対して直上から剣を振り下ろした。
「ふむん!」
銀色狼が鼻から鋭く息を吐く。
そして腰を下ろすと直上からの剣の動きに合わせて、両腕を頭の上に振り上げた。
剣と腕の軌道が交錯する。
そして、剣の根元にあった赤い線のところを両掌で挟み込んだ銀色狼は、溜息をつくように言った。
「
瞬間、光が
質量なぞないはずの光から圧力を感じて、その場にいた者すべてが後ずさる。
そんな中、銀色狼は小さく笑って言った。
「ふふ、やはり水晶盤に似た構造を仕込んでいたか。しかも双子なればこその解除設定つきで」
光を放出しながら、剣が少しずつ縮んでゆく。
「う、う、う、う」
ロンドはそう
「まったく、人騒がせな魔法道具であるな――兄者」
銀色狼が呟く。
そして――剣は微塵に戻る。
光が消え、武闘場には虚脱した雰囲気だけが残された。
*
「終わったようだな」
ヴィルヌイが
「ああ。あ、いや、それはどうかな――」
ドゥーランが曖昧な言葉を
「――あれ、お前のところの新人だろう? どうやって執務室まで連れて帰るんだ?」
「どうやってって――」
そこでヴィルヌイが振り向いて、ゴルディウスのほうを見る。
ゴルディウスは笑いながら両手を振ると、
「いや、あれは俺の手に負える代物ではないですよ。桁が違いすぎます」
と、銀色狼に敬意を表するように言う。
ヴィルヌイは溜息をついた。
「ああ、私も想定外だったよ。何かあるとは思っていたのだが、まさか
全員が黙って見つめる中、銀色狼は武闘場の真ん中に黙って立っている。
そして、その大きな背中に向かって――
アリエッタが歩み寄った。
(ロランドさん?)
アリエッタの声に、銀色狼の背中が微かに震える。
(ロランドさん? もう終わったのですから、元に戻ってもよいのではありませんか)
アリエッタのその声に、銀色狼はゆっくりと振り返る。
「アリエッタ殿、
(何も言わなくても大丈夫ですよ、ロランドさん。そこにいつもの貴方がいらっしゃるのでしょう?)
「
(いらっしゃるのでしょう?)
「――僕は、とても疲れました」
そして、アリエッタは見た。
銀色狼が身体のバランスを崩して、ゆっくりと地面に倒れこむところを。
彼女は思わず彼を支えるために走り寄るが、間に合わない。
彼女の視線の先で、巨大な銀色狼の身体が大きく傾いてゆき、そして――
次第に縮んでいった。
(えっ!?)
驚くアリエッタの目の前で、銀色狼の身体は急速に萎んでゆく。
そもそもが人型なのだから元に戻るだけのことなのだが、しかし、それだけではなかった。
銀色狼の身体は萎むが、全身を覆っていた銀色の毛はそのまま残される。
先程までの銀色狼の身体であれば表面積が大きかったので、それなりにまばらに生えているような雰囲気だったが、それが萎むと当然のことながら毛は密集することになる。
そのため、だいたい元のロランドの大きさまで戻った上で、気を失って地面に倒れこんだ時には――
実に良い具合に「もふもふ」の状態となっていた。
(あはん)
アリエッタは思わず変な声を漏らす。
彼女の系統は基本的に身体中が鱗で覆われていたから、対極にある全身を毛に覆われた「もふもふ」な生き物に弱い。
この「弱い」というのは苦手という意味ではなく、逆に「可愛い」と本能的に思わずにはいられない、という意味である。
(むふん)
地面に横たわったロランドを見つめるアリエッタの鰓は、大きく開いた。
表情筋のない蜥蜴系統にとって、最も分かりやすい感情表現である。
アリエッタはロランドの身体によろよろとした足取りで近づくと、震える手でその体毛を撫でる。
(うわわ)
想像していたよりも遥かに柔らかく、心地よいその感触。
彼女は我を忘れて、ロランドの身体を撫で回し始めた。
「お――い、アリエッタ。そろそろロランドを医務室に運ぼうと思うんだがなあ」
ゴルディウスがそう声をかけるが、彼女は手触りを楽しむことに一所懸命で、何も聞こえていない。
「お――い、アリエッタ……」
ゴルディウスは声をかけるのをやめて頭を掻く。
――まあ、しばらくこのままにしておくか。
アリエッタのこんなに楽しそうな姿は、そうそう見られるものではない。
ゴルディウスは苦笑した。
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