おかわり

 生まれ持った名前に人生を左右されない二年間が経過した。

 愛佳、富士彦、未来は、二年生に進級する前に美食会を退会した。

 当時、愛佳と未来は憤っていた。食材として人が殺されてしまうのは平気なくせに、明瞭な殺人事件となると、

『こわーい殺人犯が出た同好会なんて居らんなーい』

 と、黄色い声で騒ぎ出し、同好会を辞めてしまう女子たちと同類扱いされてしまったことに、である。

『ああいう女の子たちこそ調理台に寝かしてあげたいねえ』

『まったく、直腸にひき肉詰め込んでやろうか』

『こわーい。俺この人たちが誰よりもこわーい』

 そうはいっても平安を得るためには必要な恥辱である。愛佳たちは、やむなく下馬評を受け流す心を育てた。人生に必要なスパイスなんて当分摂取しなくても良いのだから。


 また、愛佳の過食症は完治に向かっていた。

 治療は生易しいものではなかった。覚悟の上で、満喫町の罪を自分に詰問し、食欲をコントロールした。食べられないように体を縛りつけるのではなく、美食会という過去の汚穢おわいに自分を縛りつけた。ある時は、美食会と過食症を天秤にかけ、どちらが恐ろしいかを問い続けたのだ。

 快方かいほうへ導いたのは、仲間を想い続ける心だった。楽しくも、たまに煩わしい存在は、正真正銘の鮎川愛佳をさらけ出せる場所を作ってくれる。二人のためにも病気を克服しようという決意だった。

「ねえねえ、最後にみんなで思い出の調理場行かない?」

 卒業式当日、愛佳は二人に提案した。悪ふざけではなく、過去の勘定を払うかのような真面目な面持ちで。

「遺恨の調理場だろ。てか鍵は?」

 成長した反面、すっかりやさぐれた富士彦は平然と愛佳の申し出を受け入れていた。

「ああ、あたしが未だに持ってる。なぜか捨てられなくて」

 良くも悪くもあの時と変わっていない未来が、秘密への介入、乖離かいりを行うためのキーをポケットから取り出した。あの件以来、肌身離さず持ち続けていたそうだ。

 卒業式はつつがない進行で終了した。晴れやかな門出に、高校生の涙なんて一滴も流れなかった。

 教室で最後のホームルームを終えた三人は、予定通り調理場へと足を向けた。短い道程は相変わらず涼しく嫌な感じがしたが、二年ぶりに目にする第二調理室は、どこか寂しげで禍々しいオーラが抜けていた。

 もう訪れてはいけないと思っていた。そう戒めていたのだ。綺麗な言い方をすれば、調理場への往訪は己への餞別だった。美食会での地獄を想起すれば、社会で起こる不平不満なんて屁でもないと思えるだろうから。

「ねえ愛佳、富士彦も。どうしてあの時、あたしに付き合ってくれたの?」

「わたしも犯罪に加担しないと、みぃちゃんが発する恐怖を打ち消せなかったから。友人として悔しかった、人生をして守ってくれたみぃちゃんへの執着かな」

「妄想も現実も、すべて俺たちに与えられた代償だった。未来さんを止めなかった俺も同罪なんだよ。怖くてなにもできなかったなんて、子供の言い訳だ」

 右手に調理室、真っ直ぐ進み突き当たりの女子トイレに入ると、ずきずきと疼痛とうつうのように鼓動が高まってくる。ちょっと楽しみだな、やっぱり嫌だな――なんて感じながら、重苦しい鉄の扉を解錠し、三人は軋みと共に中へと目を向けた。


 すうっと抜ける鼻を突く匂い。ただ、勝手は二年前と同じではなかった。スイッチに手を触れる前に、部屋には明かりが点いていたのだ。

 正面、幾月もの間を隔てて再会した調理台は、あの時と様子が違っていた。台には大きな物体が乗っていた。理解が遅れたが、目を細めながら、寝かされている人間を認識した。

「げっ」

 まず愛佳の目についたのは、ワイシャツの上からエプロンをした女子生徒が、調理台で拘束された食材の肉を削ぎ落す様だった。床では二人の男女が仮眠を取っていた。

 食材――拘束された女子生徒は、五体という原形はあるが、あちこちの損壊が目に余った。そして信じがたいことに、食材は絶え絶えの息をしていたのだ。

 どうして、調理中の現場に遭遇してしまったのだろう――なんて疑問も馬鹿馬鹿しく、調理場で調理人に出会うのは正当な理屈だった。

 調理台についていた女子生徒と目が合った。少女は「見たわね」と、ぼそっと呟くと、山姥のようなしわを顔に作り、三人に包丁を向けてきた。ファーストインプレッションは、

【ホントにあった恐怖映像九十九連発 春の特別編】

 の中の一編だった。非日常は、常人が目撃していれば成り立つのものである。

「お取り込み中かな? ごめんね、わたしら部屋を見にきたの」

 愛佳は苦笑しながら、ひょうひょうと返答に移った。気まずく漂ってしまった温度差も、しっかり吸い込みながら。

「誰! どうしてここを知ってるのよ!」

 普段から三人で成り立っていた会話の旋律に、たった一人の部外者が加わり、平常をちょいとばかり失った。黙り込む三人は、次に誰が会話を連結させるか、目で会話した結果、

「わたしは鮎川愛佳。それよりソレ絞めちゃいなよ、かわいそうだから」

 普段通り愛佳から切り口を見つける手法に出た。

「俺は麩谷富士彦、以前は美食会に居た者だ。生きたまま捌くなんて悪趣味だぞ」

 そうすれば、自ずと富士彦が続くのだ。

「で、あたしが光田未来様。安心して、あんたらなんかに関与しないから」

 最後に、目立ちたがり屋の未来が締めてくれる。普段以上のサティスファクションを覚え、愉悦した三者三様だったが、先方は納得していなかった。

「そんなの信じないわよ!」

 狂ったようなしわがれた声は、濡れ場を見られた恥ずかしさに似て非なり。殺人犯が目撃者を追うかのような、リアルな心情が溢れ出ていた。

「これを見てタダで帰れると思わないで!」

 女子生徒の発狂を耳に、愛佳は三年分の息を吐き捨てた。

 もう訪れないと戒め、最後は調理場に圧迫されながら、精神的外傷にどっぷりと浸ろうと企てていたが、虚しくも現実では別のストレスが溜まってしまった。

 先客によって念願を果たせず、そいつはご丁寧に文句まで垂れ流してくる始末。頭では処理しきれないむかっ腹を立て、温厚な愛佳がついに「どーでも良いよ」と唾棄した。

「どうでも、良い? え……え?」

 鬼の形相をやめ、女子生徒は首を傾げていたが、愛佳は同じトーンで続けた。

「鯛焼きの頭と尻尾どっちから食べるかくらいどーでも良いの」

「だな。ズワイガニと紅ズワイガニの違いくらいどうでも良いな」

「この二人は、あんたたちの所業なんてイギリス料理と韓国料理くらいどうでも良いって言ってるの、わかる?」

 不意の賛同が得られ、愛佳の怒りは瞬時に鎮まり、たまらず表情筋を緩めてしまった。

「えー? でも、わたしは好きだけどなあキムチ鍋とか」

「まあまあ。食文化だけは否定しちゃいけねえな」

「るさい」

 満足した愛佳は、大きく手を掲げて「じゃあね」と告げた。同じように富士彦と未来が、クールに手を振ると、背を向けトイレを通り、第二調理室を通過し、角をいくつか曲がった。

 下駄箱に着く間に、調理場の女子生徒が仲間を起こし、包丁を持って追撃してくるかと思ったが、のどかなものだった。彼女たちは、愛佳たちが調理場の鍵を持っていた――その真の意味を理解したのだろう。

 校外に出ると、愛しい時間を駆け抜けてしまった空腹感に包まれた。予定とは違ったが、これで全課程を修了したのだと。

「いやあ、怖い後輩が居るねえ」

「まったくだな。人食いなんてありえねえよ」

「本当、そんな人間の理性を疑う。さて、高校最後のお茶しようか」

 帰宅の道すがら、三人はへらへらと笑いながら願った。

 人間を解体して、あろうことか食べてしまう恐ろしい人種には、日常生活を送る上では絶対に出会いたくないと。


                                了

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食材の檻 常陸乃ひかる @consan123

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