6-8 二人はこれからなにしたい?

 前方に愛佳と富士彦、後方に未来。普段どおりの逆三角形の陣で、向かった第二調理室前の廊下は騒然としていた。十七時から開催されるパーティを楽しみにする者たちの群れがそこにはあった。

『中に入れない』とか『会長も居ない』とか、現実が耳に入ってくる。冷や汗を体中から流しながら人垣に近寄り、愛佳は顔見知りに話を聞いた。

「あぁ、愛佳ちゃん。あのね、副会長が居なくなったんだってさ」

「え、副会長が? どうして」

「さあ? 私わかんないけど、事件なんじゃないかって。なんかね、数日前から連絡がなくてえ、家にも帰ってないって話だよ?」

 ひょんな返答に肩透かしを食らった愛佳は、狐につままれたような表情で、「ありがと」と話を切り上げ、本拠地に戻るかのようにいつもの少年少女と顔を見合わせた。口には出していないが、ジェスチャーで無理解の意を見せている。

 空気が滞ると、「安藤会長も来ないな。今日は中止か」と、三年の男子が言った。安藤の名を耳にしただけで、心臓が破裂しそうになった。

「調理室の鍵がないんじゃ仕方ないか」

 と二年生の男子生徒が言い、

「先生に借りれば良いんじゃない?」

 と二年生の女子生徒が言い返し、

「会長たちが居ないのに始められないわよ」

 と一緒に居た女子生徒が話に割り込んだ。二年生は全部で六名居るはずだが、本日は三名しか見当たらなかった。

「パーティ自体、認められているものじゃあないからね。残念だけど今日は解散しましょう。二人には改めて連絡を取ってみるわ」

 収拾がつかない美食会を取りなすかのように、三年生の意向によって一時の解散を言い渡された。

 まだ冷めぬ不穏の余韻、がやがやしながら一、二年生は誰もが納得のいかない様子で校舎へととんぼ返りした。

 予期せぬ事態に拍子抜けした愛佳たちも、平坦な明日を祈りながら帰宅したのだ。


 ――翌日。事態は一変した。

 早朝、犬を散歩していた満喫町在住の男性が、雑木林で遺体を発見したのだ。身元はすぐに伊豆伊織(美食会副会長)と判明し、死後三日は経過しており、縄のようなもので絞殺された跡があることから、殺人事件として捜査が始まった。 

 予想を遥か高く飛び越えていった現実の有様。愛佳たちも、斜め上の展開についてゆけなかった。

 未来に電話で伝えられたのは「当面は大人しくしてて」だった。秘密の緊急招集、緊急会議は行われず、空気のまずい休日が続いた。

 遺体発見から一日が経っても、会長の行方不明は、副会長殺害と同じ系列では報道されず、安藤杏は本当にこの世に実在していたのか、不安になった。

 安藤家は、杏の行方不明を知らないわけがない。となると、捜索願を出していないのだ。

 愛佳は思案した、杏の行方不明は警察も認知していたと。そこで不審を抱いた、捜査第一課の若いデカが事件についての真相を暴こうとするが、ベテランのデカに制止される絵である。

『どうして生徒が行方不明なのに、家も学校も非協力的なんだ!』

『お前さん、この町は初めてか? 触れちゃいけねえことさ』

『神隠しとでも言うんですか!』

『そうさ。この町には神より怖い法があるのを覚えときな』

 なんて具合である。

 理由はどうであれ、殺人事件の陰に愛佳たちの件が隠れてくれれば幸いだった。

 春の海が幻聴として聴こえる二十八日、速報が舞い込んだ。伊豆伊織の殺人容疑で、少年一人と少女二人が逮捕されたのだ。

 実名報道されない浮世で、同じ高校に通う生徒たちは、酒井、酒巻、湯川という二年生の犯行を自動的に知った。

 いずれも外の町から通っている生徒で、容疑を認めているという。思い起こすと、パーティ当日に姿を見せなかった三人である。

 被害者に証拠がありのまま残っていたため、滑稽なスピード逮捕となったのだ。報道された殺人の動機は、『同好会間のトラブル』だが、実際は食材になる恐れが実体化し、三人で犯行に移ったと考えるのが妥当だろう。

 前から副会長に言い寄られ、身の危険を感じていたというのは、まさに愛佳たちに似たシチュエーションだったようだ。木偶のようなルックスに迫られては、恐怖心が増すのも頷ける。

 美食会については報道されず、必要以上の捜査も入らなかったのは町の圧力が働いていたからだ。

 例の調理場が明るみに出なかったのは、町の法を盾にし、学校ぐるみで隠した賜物か。調理場が調べられれば、まるで魚の鱗のように、証拠がぼろぼろ出てくるに決まっている。

 杏の一件と、伊豆伊織の事件。明確に違ったのは、法に背かず食材として片づけたか否かである。どんな理由にせよ、愛佳たちは《五大の罪》に守られたのだ。

 翌日、午前。

「ダ、ダメだ! 家でじっとなんかしてらんない!」

 愛佳は自室で叫ぶと寝巻を脱ぎ捨て、適当なワンピースにコートを羽織り、財布と定期券だけを持って、髪も縛らずに家を飛び出した。一分一秒でも家に居られなかった。とにかく気が気ではなく、街をうろつきたかったのだ。

 環状線に揺られ、当てもなく下車しては雑踏に紛れた。途中、まったく無計画にピアスの穴を両耳に開けた。体に穴を開けるなんて今までは考えられず、避け続けていたアクセサリーだったが、一度開けてしまえば『恐怖』が『別の感情』に変わった。

「そうか。一回やっちゃえば……なんでも」

 もしこれを体中に開けたら、どれほどの快感を得られるのだろうか。愛佳は調理場から引きずった興奮状態によって、全身が熱くなっていた。

 今だけは――あの二人に会いたくなかった。


 冬休み中、様々な憶測が飛び交いながらも、学校は静けさを取り戻した。一人の生徒が行方不明のまま。

 十二月三十一日。三人は満喫町に居た。プライベートで顔を合わせるのは、一件を越えて以来である。体内に異物が残っているかのような胸のむかつきは、なぜだか治まってくれなかったが、一般の生活はどうにか送っていた。

「もうダメかと思ったんだけど」

「俺たち生き残った?」

「まだ、なんとも。けど、杏の調査は全然されてないみたい。町の人間は、人を捌く資格を持ってる旧家に感謝はするけど、事情にまで口を出さないのが掟だから。いや、本音は誰も関わりたくないってわけか」

 本日は年越パーティを開くため、駅で待ち合わせをしたあと、昼は日常を満喫し、夕方から光田宅へ向かった。

 駅から徒歩で十五分、見えてきたのは二階建ての一般的な家だった。未来の父、母、祖父が暮らす素朴な家庭に、言い知れぬ安堵を覚えた。

 案内された未来の部屋は、実に女の子らしい部屋だった。

 カーテンは淡いピンク、布団はペールトーンで、クローゼットは丸みを帯びた白い木製のデザイン、コタツが部屋の中央に鎮座し、デスクの上にはノートパソコンがスリープ状態で置かれている。窓辺では、ハイドロカルチャーに植えられた多肉植物が、ちょこんと居座っていた。

 愛佳は未来の部屋に、あることないことを期待していた。例え普通が出てきたとしても、五感を通して味わう光田家にエキサイトする自信があったのだ。

「あれから二人が恋しかったなあ」

「てか、やっぱマズイですって。男の俺が女子の部屋で年越はダメですって」

「今更なに言ってんの?」

「今更なに言ってんのフジさん」

「いや、あれは非常事態だったし。あれとこれとはワケが違うってマジで」

「黙れ。それに富士彦なら大丈夫でしょ」

 何が大丈夫なのか明確にしないまま、富士彦も納得しないまま、話題は転換した。しかるべき話題にシフトさせたと言うべきか。

「あれから会長さんの続報が入ってこないね。家族は捜索願を出さないのかな?」

「愛佳、小声で話さないと顔にカラシ塗るよ」

「みぃちゃん本当にやるからヤダ……」

 凶暴化が進んでいる未来はさておき、苦言は尤もだった。人間という生き物はどこで聞き耳を立てているかわかったものではない。各々はコタツに足を入れ一息吐くと、声のトーンを落とした。

「察するところ、安藤家の人も悟ったんじゃない? 資格を持ってる者は、いかなる場合でも自分が食材になる覚悟を持ってるし」

「つまり俺たちも……」

 未来の話を耳にした富士彦が、背を丸めてしおれると、コタツの中が揺れ、誰かの足が蹴られる音がした。

「あたしたちは資格者じゃない。あれは人々の心には記録されない。わかった?」

「まあ、頭ではわかってるけど」

 気持ちを取り持つかのような慰めを聞き、愛佳は蹴られた相手を察した。

「杏は神隠しに遭ったのだ。あたしたちは犯人の名前なんて知らないし、端から犯人は存在しなかったのである。それで良いでしょ」

 言い聞かせる未来は、言い聞かせ続ける困難さを言葉の上で表現している。未来の顔を覗き込んだあと、富士彦はコタツの中に両手を入れ、うつむいてしまった。

「じゃあ、あとは……」

 気にかかるのは理事会である。

 杏の話が事実ならば、資格者が居ない美食会の再建を試みるはずだ。残った二年生から会長と副会長が選出され、次の入学式まで活動は中止になるだろう。のちに続いてゆくのだ、理事会へ加担し続ける負の連鎖が。

「楠理事長のためか。そう考えると胸糞だね」

「でも関係ない、俺たちは退会するんだ。来年から自由を謳歌しようぜ」

「自由は誰にでも与えられるもの。しかし自由を求める以上、人は乗り越えなければならない至難がある」

 どっしりとした口調、厳めしい目つき、若さを強調する綻びを含んだ口元、それらは愛佳がよく知る自信にあふれる未来だった。

「それ、会長さん?」

「いや、祖父だよ。あたしは普通の高校生に戻る……いや、始めるの。もちろんキミたちと……その、これからも一緒に」

 頬の紅潮を隠そうとする未来の仕草を見られる。関係が進展した実感だった。

 愛佳は自ら秘密へ接近し、秘密の恐ろしさを知り、自由を求めた。相応の対価は払ったつもりだ。だからこそ、これからは伸び伸び生きようと思えた。

 カーテン、窓を隔てた向こうでは、住宅街を吹き抜ける風が呻き声を上げていた。皆で、カーテンの隙間からわずかに覗く闇にぼんやり目をやっているうち、風は静まった。

 しんみりした十八時。愛佳が、「あのね……」と発話した。気の迷いがあったが初志を貫こうとした。

「わたし小さい頃、会長さんと知り合いだったの」

 突然の吐露に、富士彦と未来は疑問を表情で示していた。愛佳にとって不確かな記憶だったが、口に出さずにはいられなかったのだ。

 美味い物があれば食べる、好きな番組があれば観る、その原理と同じだ。追想があればここで話す。受け止めてくれる二人が居るからこそ。

「小さい頃、わたしに美食会を教えてくれたのは彼女だった。いつか一緒に入ろうって、わたしは知らないうちに約束を守ってた。偶然なのか、あるいは因果なのか」

「あたしはやっぱり恨まれる運命ってわけ」

 目を瞑った富士彦、目を落とした未来。

「ううん。そうじゃなくて、それを踏まえて聞きたかったの」

 愛佳は、首が千切れそうなほど大きく左右に頭を振った。

 未来の行いを、正当防衛や正義として振りかざすつもりもない。なぜなら弁明しなくても良い人生を歩むからだ。

 高校を卒業し、進学か就職をしても。まだ顔も知らぬ者と恋人になり、結婚しても。あの二日間だけは忘れず、施錠しておかなければならないのだ、満喫町があるべき姿に変わり、自分たちの認知を越える日が来るまで。

 飽食の時代に、唯一の飢えがあるとすれば三人で居られる時間だ。

 近い将来、遠い未来まで三角関係が続いてゆけば良い。変わらない味を求める定食屋のように、ひっそりと。

 オーク材を模した掛け時計が、時を進める合図を一秒ずつ丁寧に告げてくれる。皆の内心を探り出すように、執拗にかちかちと。

 落ち着くどころか、刻みに心を急かされた。愛佳は新年へ踏み出す一歩に影響され、どもりながらも言葉を見つけた。

「ふ、二人はこれからなにしたい? これからの……人生!」

「えーと、とりあえず俺はいつものとこでお茶したいかな」

「ふふっ、賛成。あたしもキャラメルマキアート不足だったし」

 未来が続けて「愛佳も行くよね?」とほくそ笑んだ。釣られて愛佳が頬を緩め、首を縦に振った。言うまでもなく、富士彦も同様の顔をしていた。

 上辺だろうと、心底から湧き上がったものだろうと、三者三様の気色が嬉しくてたまらなかったのだ。

 しばらくして足音が二階へ上がってきた。未来の自室がノックされ、年相応の壮年の声が部屋に届いた。

「みんな、おりてらっしゃい。年越しそば作ったわよ」

 未来の母親の声を耳に、居られる場所――居ても良い場所は現実なのだと、つくづく嬉しくなった。

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