冬の市場へようこそ

 結婚式を終えて、それからこまごまとした用事を済ませてフレン夫妻がミュシャレンのファレンスト邸へ戻ってきたのは冬の気配が色濃くなった晩秋、いや初冬の頃だった。


 外は冷たい風が人々の外套やスカートの裾をひらりふわりともてあそぶように吹いていくが、室内は暖炉に炎がともっているおかげで暖かい。


「もう、すっかり冬よね」

 オルフェリアは私室でペンを走らせていた手を止める。

 一人つぶやいて、窓の外へ視線を向け、葉が落ちて寂しくなった木々を見やる。


「お嬢……いえ、奥様。少し休まれてはいかがでしょうか」

 ちょうどいいタイミングでミネーレが部屋へ入ってきた。

 彼女はまだオルフェリアのことをお嬢様と呼びたいのか、たまにこっそり寂しそうに瞳を伏せることがある。


「んー、まだ平気。もうちょっとで書き終わるから」

「あまり根を詰めないようにしてくださいね」

「わかっているわ」


 オルフェリアは頷いた。

 今オルフェリアが書いているのは結婚のお祝いを贈ってくれた相手へのお礼状だ。


 ミュシャレンの屋敷にも少ないくない結婚祝いが届いていたからだ。大半はフレンの仕事相手、取引先などだが、オルフェリアあてにもいくつか届いていてびっくりした。


 オルフェリアが首をかしげるとフレンが苦笑して教えてくれた。

 たぶん、と前置きをして。新しくメンブラート伯爵になったリュオンがオルフェリアのことを大好きなのは上流層には知られていて、将来のことを見越してオルフェリアのご機嫌を取っておきたいと思っているのだろう、と。年末恒例の王家の晩餐会には今年リュオンと一緒に出席をすることになっているオルフェリアである。将来の小姑(!)へ今から印象を良くしておこうと、リュオンと年のころが釣りあう令嬢を娘に持つ両親たちは早くもオルフェリアを囲い込もうと画策をしているということだ。


 理由はどうあれ、贈り物を頂戴したからにはお礼状をしたためなければならない。

 ということでオルフェリアはフレンを見送ってからせっせとお礼状づくりに励んでいるのだ。


 ひと段落ついたところで、部屋を出て階下へ向かう。

 つい最近までフレンの屋敷だったのに、現在はオルフェリアの住まいでもあって、それがまだどこか恥ずかしくて。


 たまに朝起きると、どうして今自分はここで寝起きしているんだろうと思うことがある。そういうときは隣のフレンにぎゅっと抱き着いて頭を撫でてもらう。そうすると心が落ち着いて、ああここがわたしのいる場所なんだなと実感する。そのことがとても嬉しい。



「年末の市場マーケット?」

 夜の寝台の中。

 寒さから身を守るように二人は互いの肌を近づける。

「うん。そろそろそんな季節でしょう?」


 乱れた呼吸を整えたオルフェリアは瞳にかかった夫の金茶色の髪を後ろへやりながら話を先へと続ける。一度ことを終えた夫の淫靡な残り香にオルフェリアはつい頬を赤くする。

 フレンはオルフェリアの頬に手のひらを添えて顔を近づけてきた。そのまま瞳のすぐ横に口づけをされて、オルフェリアは目を細める。唇はすぐに離れていく。


「今年は、あと……五日後だったかな」

「一年って早いわよね」

「ほんとうだね」

 二人は近しい距離でくすくすと微笑んだ。

 去年の今頃の二人の距離感を思い出すと、今のこの近い距離が不思議に思えてくる。


「また行きたいわ」

 オルフェリアは素直に口にする。

 冬の日の外は寒いけれど、年末のわくわくはいくつになってもオルフェリアの胸を弾ませる。


 新しい年を迎える高揚感とか今年一年の恵みに感謝をしてたくさんのごちそうが食卓に並ぶ夕食会。王家の晩餐会は憂鬱だけれど、その練習で今年もオートリエの屋敷に何度か招待をされている。


「うーん。楽しいけれど、外は寒いよ?」

「あら、わたしたち、来年はロームへお引越しなのよ。寒さに慣れておかなくちゃ」

「それも悩みの種なんだよね。オルフェリアをロームの寒さに晒すことになるなんて」

「あなたと一緒だもの。大丈夫よ。だから、練習も兼ねて遊びに行きましょう」


 フレンはオルフェリアの唇を塞ぐ。自身の唇で。

 お互いに横向きだったのに、すぐに夫がくるりと体を回転させてオルフェリアの上にのしかかる。

 しばらく互いの呼吸をむさぼるように口づけを交わして、彼の顔がそっと離れた。

 ほんの少し、身体の奥がうずく。さきほど、たっぷり彼に愛されたのに。それだけじゃ足りないと言うかのようにオルフェリアの心が夫を欲する。


「私と一緒に出掛けたい?」

「……そりゃあ、もちろん。忙しいと言うなら……ミネーレを連れて一人で行くわ」

「だめ。人の多いところだから俺と一緒じゃないと」

 そんなやりとりも夫婦の他愛もないじゃれあいで。

 フレンはそのままオルフェリアの首筋に顔をうずめて舌を這わせていく。


「スケジュール、調整しておくよ」

「ん……、せっかくだから……去年のように陽が暮れてからがいいわ」 

 顔を上げたフレンが、今度はオルフェリアの細い腰に指を這わせる。オルフェリアは返事の途中で身じろぎをしながらおねだりをする。


「ああ。わかった。でも、あまり長い間は駄目だよ。きみの身体が冷えてしまう」

「そんなに長くはいないわ。広場を一通り見て回って……」

「林檎あめ食べる?」

「いいわね。あ、焼き栗も食べたいわ」


 二人は冬の市場でやりたいことや見たいことを並べ立てていく。

 それからフレンはもう一度先ほどの行為を、とばかりに本格的にオルフェリアに愛撫を始めた。

 途中鎖骨の辺りに唇を這わされて、オルフェリアは「だめ。そこに跡がついたらドレスからはみ出ちゃう」と夫に釘を刺す。


「じゃあどこならいいのかな?」

 色気の混じった声でそんなことを問われてオルフェリアは真っ赤になって瞳を伏せる羽目になる。


「み、見えないところ……」

「見えないところって?」

「あ……だ、だから……」

「オルフェリア。言って」


 真っ赤になったオルフェリアにフレンは容赦ない。

 寝台の中で、彼はたまに意地悪になる。初心なオルフェリアの反応を見て楽しんでいるのだ。それがわかるのに、夜の行為では完全に彼に主導権を握られていて。


「だ、だから……ドレスに隠れる部分……なら……その……たくさん付けてくれて……かまわないから」


 だって、赤い花びらのような跡は彼がオルフェリアを愛しているという証のようなものだから。


「オルフェリア、どこからつけてほしい?」


 ちゅっと胸の頂をきつく吸われてオルフェリアは大きくのけぞった。

 きっと今日の夜もしばらくは寝かせてもらえそうにない。


 そのあとオルフェリアは散々夫にじらされ、彼の望む答えを言わされ、そのあと何度も啼かされることとなった。




 寒い地方に生息するという種類の羊の毛で編まれた暖かな肌着と、柔らかで軽いのが特徴だけれど保温力は抜群だというビャクニャという動物から刈り取った毛で編まれたドレスに同じ生地で作られた外套を着込んだオルフェリアは夕暮れから夜へと変わるあわいの時間に夫と一緒にマーケットへ繰り出した。


「オルフェリア、寒くない?」

「大丈夫」


 オルフェリアはにこりと笑った。

 結婚をしてからフレンはことさら心配性になったかもしれない。所有欲が爆発したというか。人目もはばからず過保護ぶりを発揮するようになった。


「姉上。寒くないですか?」

「ええ。大丈夫」


 オルフェリアは隣にしっかりと陣取る弟に乾いた声を出す。

 どうして、こうなった。

 今日が休息日なのがいけない。まさか弟が自宅へ急襲をかけてこようとは。というかこれはほぼ毎回のことなので今更なのだが。


「オルフェリア、せっかくだから飾りケーキ買ってあげるよ」


 年末の市場マーケットの目玉といえば色々な言葉が書かれた飾りケーキ。保存のきくスパイスたっぷりな固めに焼かれたケーキの上に、砂糖で作られた様々な模様と文字が躍っている。


「せっかくだから『あなたなんて大嫌い』とか『離縁してください』とか『リア充爆発しろ』とか買って送りつけたらいいんですよ、姉上」

「私は、わたしの可愛い妻に向かって聞いているんだ。その弟くんには聞いていないよ」

 フレンが迫力のある笑顔をリュオンに見せる。

「僕と姉上は一心同体です」

「そんなわけないでしょう!」

 オルフェリアはたまらず突っ込みを入れる。


「リュオン。お小遣いあげるからちょっと、一人で遊んできなさい。なんなら汽車に乗ってきたらいいわ。ほら、銀貨一枚あれば相当に遊べるでしょう」


 オルフェリアは小さな子供をあやすお母さんのような口調で外套のポケットから小銭入れを出して、銀貨を取り出した。

 それをリュオンの手のひらに置こうとすると、彼がはっきりと頬を引きつらせた。

 はっきりと邪魔者扱いをされたのが悔しいらしい。というか、邪魔者以外の何物でもない。


「姉上! 僕は姉上と一緒に楽しみたいんです。だって、姉上もうすぐロームへさらわれてしまうでしょう」

「さらわれるとは人聞きが悪い言い方だね」

 フレンがさらりと口を挟む。

「だから、今年くらい一緒に年末の雰囲気を楽しみたいです」

 リュオンはフレンの苦情をさらっと無視して続ける。


「小さいころからトルデイリャスでよく一緒に行ったじゃない」

 対するオルフェリアは投げやりだ。

「あれとミュシャレンとでは別物です」

「ああ、もう。面倒な子ね」

「なんと思われてもいいです」

 リュオンは開き直った。


「とにかく、わたしとフレンの邪魔をしたら本当に怒るわよ」

 オルフェリアの静かな怒りを肌で感じ取ったリュオンは今度は小さく「はい」と頷いた。

 心の中ではまったく同意していなかったが。

 オルフェリアは小さく嘆息して、しょうがないかとあきらめた。


 フレンも同じ心境の様で、互いに目配せをする。そういう夫婦間の息の合ったやり取りを近くで見せつけられるリュオンの心は現在進行形で吹雪が吹き荒れるのだが、他の人々からはもれなくさっさと姉離れしろと突っ込みを受けることになる。


「せっかくだから今年は飾りケーキ買ってもらおうかしら」

「何がいい?」

 リュオンが二人の会話の邪魔をしようと口を開きかけたとき、オルフェリアにきっと睨まれた。仕方なくリュオンは押し黙る。


「そうね……あ、あの。あなたが選んで……?」

 可愛らしく頬を染めるオルフェリアにフレンがふっと微笑んでざっと品物に目を走らせる。


「じゃあ、『私の愛おしい人』にしようかな。それとも『私の子リスちゃん』とか『私の子ウサギちゃん』とかのほうがいい?」

「えっと……」


 結局どれも意味は大して変わらないのではとか、愛おしい人だと直接過ぎるかしらとか頭の中で色々と考えてしまい、なかなか返事ができない。

 もじもじし始めたオルフェリアである。


「じゃあ全部買おうかな」

 フレンが弾んだ声を出す。


 店主に頼み屋台から吊り下げられている飾りケーキを降ろしてもらうよう頼み始める。

 え、ちょっとと止める暇もなくフレンは会計を済ませてしまった。

 それから別の屋台を冷やかしながら散策を続ける。


「あら、焼き栗があるわ」

「オルフェリア食べたい?」

「ええ」

 焼き栗も冬の名物だ。焼きたてほかほかの焼き栗を紙袋に入れてもらえば簡易湯たんぽのできあがりである。


「リュオン殿もどうぞ」

 フレンはリュオンにも同じ紙袋を手渡す。

「……」

「リュオン、お礼くらい言いなさい」

「……どうも」


「オルフェリア、剥いてあげるよ」

「姉上、僕が剥きます」

 相変わらずフレンに対抗するリュオンである。

 オルフェリアは苦笑を漏らす。

「もう、いっぺんに二つは食べれないわよ。それにリュオンは剥くの得意じゃないでしょう」


 オルフェリアはリュオンの持つ紙袋から焼き栗を一つ取って、真ん中をぎゅっと押した。ぱかりと開いた栗を取り出して「ほら、口を開けて頂戴」と慣れた手つきで弟の口の中に放り込んでやる。


「ああ……」

 つい、毎年の癖で弟の世話を焼いたオルフェリアにフレンがなにやらうめき声を出す。

 口の中の栗を咀嚼して飲み込んだリュオンは勝ち誇った顔で「ふふん」と胸を反らせた。


「いいだろう」

「オルフェリア、俺以外の男になにかを食べさせるとか。そんなの駄目に決まっているだろう!」

「え……だって。弟の世話をしているだけよ? 小さいころからの癖だもの」


 弟の世話という言葉にリュオンはショックを受けているが、フレンはそこには気も止めずにオルフェリアに向き合って「弟だろうが息子だろうが駄目だ。きみは俺の可愛い妻なんだから。俺以外の男にそういうことをしたら駄目だ」と言い募る。


「息子は除外でしょう」

「息子だって男には変わりないだろう?」

「あ、あなたね……」

 まだ生まれてもいない息子に対抗心を燃やされてさすがのオルフェリアも若干呆れる。


「ふっ。まだまだ青いな。僕は小さいころからずっとオルフェリア姉上に大切に可愛がってもらっていたぞ」

「リュオン、こういうときにまぜっかえさないの。べつにあなただけじゃないでしょう。フレイツにだって同じことをしていたもの」


「ふうん、フレイツにも……ね」

 フレンの声がいささか低くなる。

 結婚してから過保護になったな、とか思っていたが案外やきもちやきのようだ。


「ファレンスト、男のやきもちは見苦しいぞ」

「そこはお義兄さまって呼ぶところだろう」

「だれが呼んでやるもんか。一生呼ばないぞ」

 フレンとリュオンがばちばちと火花を散らす。


 なんだかんだでにぎやかな年の瀬の市場巡り。

 その日、屋敷に帰ったオルフェリアはフレンに寝台へと直行させられて。

 散々赤い印を体の隅々につけられてしまったのだった。




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