終章 家族

 その日、刃兵衛は両親から預けられた金剛丸を掻き抱いてしゃがみ込んでいた。

「よう、坊主。どうした、こんな所で?」

 上から言葉が降ってきたため、刃兵衛は顔を上げてその声の主を見上げる。

 肩の上に少女を乗せ、引き込まれる様な人好きがする笑顔が似合う偉丈夫が彼の前に立っていた。


 それが、綺堂刃兵衛と柴原帯刀の初めての出会いであった。



 文武百官が左右に侍る中、猶子ゆうしである仁兵衛に肩を借り、帯刀は朝議の間に姿を現す。

 皆が平伏する中、帯刀は仁兵衛の先導の元、玉座へと腰を掛ける。

 仁兵衛は帯刀の愛刀である流星剣を掲げ、玉座の脇で片膝立てで控えた。

「皆の者、面を上げよ」

 帯刀は厳かに告げる。「この度は余の不徳の致すところにより、皆に重々迷惑を掛けることとなった。改めて詫びる」

 玉座に腰を掛けたまま、帯刀は深く頭を下げる。

「上様、滅相も無い。斯くなる不覚はやつがれを始めとした旗幟八流の思い上がりにより来したもの。上様が責任を感じる理由は全く以て在りませぬ」

 武官の首座に位置取っている兵四郎が平伏しながら奏上する。

「右近殿の仰有る通り。動き有りと知りながらも、それを見逃していた我ら臣下の不届き故の騒動なれば、殿下がお気になさることなど在りませぬ」

 文官の首座に控えている男も又、平伏しながら兵四郎に続く。

「御事らの言葉は嬉しかれど、余の不徳が消えるわけでは無い。特に、大相国たいしょうこくよ。御事に動くなと命じたのは余である。それを忘れたことにして、御事の罪を問う事は、余の恥を満天下に晒す事と同義である。これからも余を支えて欲しい」

「は、ありがたき御言葉。この明田忠房ただふさ、殿下の御期待を決して裏切る事無きを誓いまする」

 明田一門を率いる長は、身の内から溢れる感動を抑えきれずにそう言い切った。

「忠房の忠勤、嬉しく思うぞ。さて、既に見知っておる者ばかりであろうが、紹介しておく」

 帯刀は仁兵衛に合図を寄越し、立ち上がらせる。「余の猶子である綺堂頼治よりはるである。今日こんにちより、余の名代として、柴原神刀流の当主代行と成す。仁兵衛、ちこう」

 帯刀に呼び立てられ、太刀を両手で捧げ持つと、膝行して近寄る。

 太刀を仁兵衛より受け取り、腰から鞘ごと“鵺斬り”を抜き、

「今日この日より身に帯びよ。初代雷文公の血に恥じぬ働きを期待する」

 と、言い付け、手渡した。

「身に余る光栄に御座います。神刀流の名を汚さぬ様、日々精進していく所存」

 両手で“鵺斬り”を受け取り、今まで腰に差していた小太刀と入れ替える。

「懐かしき小太刀よの。余が御事の免許皆伝代わりに与えたものか」

 手振りで小太刀を渡す様に仁兵衛に伝えた。

 仁兵衛は両手で小太刀を帯刀に捧げる。

「本に懐かしいものよ。出会った時は十やそこらの小僧であったのに、今や余を守り、魔王を討つ良き武芸者に育つとはのお。ところで、余が授けた黄色の柄糸を巻いて居らぬ様だが?」

 黒一色の柄糸を見て、帯刀は顔をしかめる。

「御前試合に勝ち残り、優勝した曉には堂々と名乗り上げて、満天下に黄の柄糸に相応しいと見せ付けようと思っていました故に」

 些か悔しげに、仁兵衛は告白する。

「かっかっかっ、その意気や良し。御事に武芸者としての意地を伝えた事を余は誇りに思うぞ」

 如何にも嬉しそうに、帯刀は高らかに笑う。「柴原の名乗りと柄糸に黄色を用いることを許す。魔王を討ちし勇者に、それを与えぬ程余は愚かでは無い。満天下に、魔王屠りし者たる事をを示せ」

 仁兵衛は一礼すると、再び脇へと下がった。



「ふむ、父御ててごと母御はこの先に行った、と。伝来の太刀はお前さんに預けてとな? ……なにやらきな臭いのお」

 帯刀は暫し考え込み、「光、少し降りていなさい」と、肩に載せていた娘を地面へと降ろした。

 光は慌てて帯刀の後ろに隠れ、恐る恐る刃兵衛を眺める。

「それでは、様子を見てくるかね。悪いが、少年。うちの娘を見ていてくれぬかね。この通り人見知りな上、恐がりでね。まあ、お前さんになら預けても大丈夫だろう。……光、すぐに戻ってくるから、このお兄ちゃんとお利口さんに待っているんだよ」

 娘の目線までしゃがみ、髪をぐしゃぐしゃと撫でる。

 髪をぐしゃぐしゃにされた事に怒りながらも、頭を撫でられている事には喜びを覚え、光は複雑そうな顔で父親を見た。

「すぐに戻る。良い子にしているんだぞ」

 立ち上がりながらも頭を撫で、「それでは、少年。娘を任せた」と、颯爽たる後ろ姿で先へと進んでいった。



「さて、頼治に“鵺斬り”を授けた事で分かったと思うが、この度の傷、思わしくない」

 帯刀の話を聞き、辺りは騒然とする。

 魔王を討った後、仁兵衛と慶一郎は急ぎ怪我人を寺院に連れ込み、組合の酒場に駆け込み天神地祇の強い加護を受けている神官僧職を呼び集めた。

 幸いな事に、沙月の呪いは魔王が消えた事で影響は失われていた。肉体の方の損傷も、奇跡による治療で事なきを得た。

 一方、帯刀の方はそうもいかず、諸々の理由があったとは言え、武芸者としての働きはほぼ不可能になっていた。

「柴原神刀流の継承は、頼治ならば問題は無い。されど、東大公の職務とはそれだけではすまぬ。内々の事と、商いに関する事は従来通り大相国に任せておけば問題なかろう。何せ、今まで余は口出しすらしておらなかったからな」

 自虐じみた諧謔を口にし、帯刀は豪快に笑い飛ばした。

「御冗談を。殿下程、東大公家の台所事情に詳しい大王おおきみは今までかつて顕れておりますまい」

 追従などでは無く、心の奥底から本気で思っている事を明田忠房は平伏しながら奏上する。

 爽やかな笑みを浮かべ、

「権太にそこまで云われると面映ゆいものがあるの。褒め言葉は素直に受け取らせて貰おう」

 と、臣下を敢えてあざな呼びで帯刀は言祝ことほぐ。「然るに、軍務は別である。今が平時であらば、頼治でも十分であろうが、残念な事に乱世である。故に、余が最も頼り置く者に全権を委ねねばなるまい」

 その言葉を聞き、誰しもが一人の男に視線を遣った。

「右近衛大将殿。御事を置いて他は無し」

 いみなであるたすくでは無く、敢えて官職に敬称を付け、帯刀は兵四郎に呼びかける。

「はっ、上様の御信任、ありがたき幸せ! されど、僕は既に老いさらばえておりますれば、長らく役目を務められませぬ」

 兵四郎は見栄など張らずに、正直に奏上する。

「知った上での頼みである。少なくとも、余が東大公を務め終わるまでは付き合って貰わん。頼治」

 傍に侍る仁兵衛を呼び、三方に乗せた采配を持たせる。

 仁兵衛は捧げ持ったままきざはしを降り、兵四郎の前に恭しく三方を置いた。

「近衛大将軍に任ず。乱れた軍紀を立て直し、綱紀を粛正せよ」

 誰しもが予測していたこととは言え、場が騒然とする。

 将軍の役に就く武官は数多おれど、それを統べる大将軍ともなれば、時代に一人居るか居ないか。本来ならば東大公が兼任するべき役職で有り、これを受けると言うことは、最も時の東大公より信を受けた武将と言えた。

「はっ、平崎祐、命を懸けて望む所存」

 三方を平伏したまま押し戴き、兵四郎は声を張り上げた。

「御目出度う御座いまする」

 末席に位置していた慶一郎が大音声でそう叫び、平伏する。

 居並ぶ全ての武官が平伏し、唱和した。

「次に原義寅よしとら。此度の働き実に見事。並びに、今日までよくぞ庶流とは云え、雷文公直系の血を守り続けてきた。余からも深く御礼申し上げる」

 言葉通り帯刀は深々と一礼する。

「勿体なき御言葉。されど、不要に御座いまする。魔王を討つは扶桑武士の誉れ。為して当然、為さねば恥。雷文公庶子の血を引く方々を代々影から御守りするは、当家初代宗一郎の遺訓。誉められる為に成したことではありませぬ。強いて云えば、友情で御座る」

 東大公のよみする言葉を受け取らず、慶一郎は不敵に笑った。

「ははは、流石は原の当代、小気味良き婆娑羅ばさらの風は今も伝わるか。良い、余が許す。その家風、これからも伝えおくが良い」

「何よりも有り難き御言葉。我が忠義と初代様より連連と伝わりし友情、御期待下さいませ」

 人好きがする笑みを浮かべ、慶一郎は胸を張って言った。

「御事にも黄色を許す。朱は既に有して居ったな?」

「これでも戦場往来多く、一番槍を他者に譲ったことは一度たりともありませぬ」

 東大公家に於ける朱は特殊な色である。

 他の色が柄糸であるのに対し、この色だけは鞘に許される色である。

 当然、他の装備に朱を使う為には、朱鞘を許されなければならない。

 戦働き凄まじき者にのみ許される色、それが朱である。

 帯刀はちらりと兵四郎を見る。

 兵四郎は微かに頷いて見せた。

「余の一存で与えられる恩賞は既に御事は持ち合わせている様だ。恩賞は追って沙汰する。期待せずに待っておれ」

「はっ、有り難き幸せ」

 慶一郎は深々と平伏した。



 刃兵衛が難しい顔をしている所為か、将又はたまた人見知りの激しい光の気性の所為か、帯刀が立ち去った後、二人は微妙な距離感を保っていた。

 それでも、頼まれたからには、刃兵衛は光をそれとなく見守っていた。

 最初は遠間から刃兵衛を見ていた光だったが、突如近づくと、刃兵衛の袖を引いた。

 何事かと光を見ると、そっと飴玉を差し出していた。

「……僕に、かい?」

 光を見て、刃兵衛はそう確認を取る。

 光は一つ頷いてみせると、更に飴玉を載せた手を近寄せた。

 断るのも大人げないと思い、刃兵衛は飴玉を口にする。

「甘いな……」

 想像以上の甘さに、思わず刃兵衛の口が綻ぶ。

 にこりと光は笑い、

「美味しい?」

 と、尋ねてきた。

 刃兵衛はそれに答えず、何となく光の頭を恐る恐る撫でた。

 嬉しそうに光は笑った。


 後に、なんであの時飴玉をくれたのかと仁兵衛が聞いたところ、

「なんだか怖い顔をしていたから、にーちゃに飴玉を上げたら優しい顔になるかな、と思ったのー」

 と、答えが返ってきた。

 幼子に気を遣われる様では全然駄目だったなと思うと同時に、少なくともこの心優しき義妹を何事からも守り切ろうと心に誓った。



「さて、次に此度の騒動に踊らされた者達の処遇だが、旗幟八流の当主で生きている者は出家した上、俗世との縁を切って貰う。猶、玉光明鏡流は旗幟八流より降格、当主多嶋宗秋は切腹、跡取りは改易と成す。兵法の家の者として禄をみながらその任を全うせずとは情けなき限り。それらの仕置きを以て、此度の一件、落着と成す」

 その沙汰を受け、一同は再び平伏する。

 ただし、この場にはそれを受け入れることになる者は唯一人しか存在していなかった。

「さて、遠藤沙月。御事は本来ならば、先の沙汰の通りに俗世との縁を切って貰わねば困るのだが、助命や減刑の嘆願があってな」

 唯一、“義挙”の側に立ちながらも、元通りの席次に座る沙月に対し、困り果てた顔付きで帯刀は言い渡す。

「恐れながら申し上げます、上様」

 上から数えた方が早い席次に控えていた沙月が平伏する。「旗幟八流当主になったばかりだったとは云え、魔王の甘言に乗るなどと云う行為は扶桑武士の範たる者としてあってはならぬ行為。あまっさえ、己の意では無かったとしても内親王殿下に刃を向け、利敵行為を成したことは事実。殿下がもし気にされておられまいと、罪は罪に御座います。以降この様な真似をする者を出さぬ為にも、厳しき沙汰を」

「……余としても、光の側役として御事以上の適任者を見いだせぬから、出家させた上で相談役にするか悩んでいたのだが……」

 何とも歯切れの悪い口調で帯刀は呟く。

「上様?」

 突如ぶつぶつと呟き始めた帯刀を見て、この場で最上位たる明田忠房が周りを代表して恐る恐る呼びかけた。

「魔王の呪いに罹りながらも、魔王に対し立ち向かったことを鑑み、出家させた上、何らかの功績で還俗を許可しようとも考えていたのだが……」

 何故か天を仰ぎ、「俺の苦労を何も考えない有り難い横車を入れて下さった方が居てなあ。うん、こんな阿呆なこと考えていた俺が莫迦みたいだ、畜生」と、荒い言葉遣いでいきなり毒突いた。

「上様?」

 周りが面食らっている中、今度はある意味で一番帯刀に慣れている兵四郎が冷静沈着に呼びかける。

「あー、もう。南の魔王猊下が有り難くも一筆書いて下さったんだよ、お前らに」

 開き直ったのか、地位に相応しくない口調で一気に捲し立てる。「曰く、『我ら南大公家との盟約を重んじ、西中原アルスラントの平和を守るべく、従来通りの家法を選ばれたこと重畳至極。余はそれを嘉し賜う。正しきを成した者に、翠緑の加護在らんことを』だそうだ。もう、嬉しくて涙が出てくらあ」

 書状を読み上げると、それを仁兵衛に渡し、「大相国殿に」と、命じた。

 仁兵衛は再び膝行し、階を降りると、今度は忠房の前に歩み寄り、書状を両手で捧げる。

 それを忠房は平伏しながら両手で受け取り、丁寧に開いて中の文を読む。

「……これは、確かに……。猊下も大盤振る舞いを……」

 帯刀よりも困った表情を浮かべ、忠房は書状を仁兵衛に渡し直す。

「分かってくれるか、大相国殿。もうね、こっちの計画台無しよ? 嬉しいのは間違いないのだが、苦労して頭捻って、何とか今日からも東大公家を回していける様に考えていた余が莫迦みたいよ? 知識神の息子から知識神の加護あれ、って何の呪い? 断れないじゃない。その上さあ」

 自棄になった儘、帯刀は脇から桐箱を三つ取り出す。「魔王討伐に功のあった三人にこんなもの送ってきたんだよねえ。これで沙月ちゃんの罪を問うたら、家が莫迦にされるだけですよ?」

 そのうちの一つを仁兵衛に渡し、開けるようにと目で合図した。

 仁兵衛は両手で受け取ると、その場で封を切る。

「……翠緑の柄糸……」

 ある意味で想像は付いていたが、実物を見て仁兵衛は惚ける。

「そう、柄糸だよ。それも魔王猊下自らが魔力を付与した特別製だよ。どんな加護があるのやら、なあ、兵四郎」

 帯刀は捨て鉢な調子で、いみなでは無く、あざなで呼んだ。

「誠に目出度きこと。知識神様、嵐の女神様、南の魔王猊下の加護があらんことでしょう」

 その魔王猊下より直々に大鎧を授けられている兵四郎は即座に答えた。

「この場に居る全員に翠緑を許しただけでは無く、特に功績のあった三人に自らの力を込めた柄糸を与える。暗に、何かを警告しているのが見て取れるわけだ」

 仁兵衛に再び桐箱を渡し、慶一郎に渡す様指示しながら、笑い飛ばしながらそう言った。

「御家のことに干渉してくるとは、南大公家としては珍しい仕儀ですな」

 長らく南大公家との折衝を続けてきた忠房は思わず首を捻る。

「こちらの意図を読んだ、と云うのもあるのだろうが……。猊下の悪い癖が出たとも云えるな」

 帯刀は思わず溜息を付く。

「と、云われますと?」

 兵四郎は先を促した。

「大団円が好きなのさ、魔王猊下は。めでたしめでたしで終わらない物語を嫌うんだよ。魔王に操られていながらも、命を懸けてまで自分の意志を押し通し、一矢報いた女武芸が報われないことを嫌ったんだろうさ。こちらとしても有り難い話だからお受けするがね」

 戻ってきた仁兵衛に最後の桐箱を渡しながら、嫌味ったらしく、敢えて間違えた言い回しで帯刀は言った。

 それを聞いて、帯刀を昔から知る廷臣ていしん達は思わず失笑した。

「まあ、余としてもこれ以上の戦力低下を望んでもおらなければ、旗幟八流が欠けることも望んでおらん。それに、市井への影響を思えば、遠藤沙月は余が特に命じて内部からの情報を得る為に“義挙”に入り込んでいたとした方が良かろう」

「しかし……」

 反論しようとする沙月の前で、仁兵衛は居住まいを正し、

「此度の戦功、誠に御目出度う御座いまする」

 と、声高らかに言った後、桐箱を捧げ持った。

「御目出度う御座いまする」

 仁兵衛に続き、周りの廷臣も一斉に唱和し、平伏する。

「思うところはあろうが、素直に受けておけ。引け目に思うのならば、今日より挽回せよ。遠藤沙月、魔王討伐、大義であった」

 帯刀はにこりと笑った。



 ぽつりぽつりと、光と世間話をしている内に、あれよという間に時間が過ぎ去っていた。

 流石に何かあったのかと思い始めた頃、苦い顔付きで帯刀が戻ってきた。

「……すまんな」

 懐より何かを包んだ畳紙たとうがみを二つ取りだし、「父御と母御前ははごぜの遺髪だ」と、刃兵衛に手渡した。

 覚悟していたのか、刃兵衛は問い返しもせず、それを素直に懐へと仕舞った。

「御主に仇を討たせようかとも思ったのだが、その余裕が無い相手であった。誠にすまん」

 帯刀は深々と刃兵衛に頭を下げた。

 誰の所為でもないとばかりに、刃兵衛は首を横に振った。

「御主の二親ふたおやが居らねば、この辺り一帯に大きな被害が出ただろう。同じ扶桑武士として斯様な方々の仇を討てたことを俺は生涯の誇りとする」

 嘘偽り無い真摯な表情で帯刀はそう言い切る。「それはそうと、これから行く先に心当たりはあるかね?」

 ぱっと何も思いつかなかった刃兵衛は、素直に首を横に振った。

「そうか。もし良ければ、俺と一緒に来ないか。幸いと云って良いか分からんが、どうやら流派は同じようだ。それに、人見知りが酷い光が良く懐いている。仇を討たせてやることは出来ないが、望むならば御主が二度と同じ思いを抱かぬ様、腕を鍛えてやることは出来る。無理強いはせぬが、どうする?」

 暫し悩んだ後、刃兵衛は縦に振った。

「そうか。俺の名前は柴原帯刀だ。これは娘の光。一応、柴原神刀流の次期当主と目されている。お前さんは?」

 破顔すると、帯刀は刃兵衛に名を尋ねた。

「綺堂刃兵衛」

「じんべえ? ふむ、刃、か。少し物騒だな。武芸者としては相応しいが、お前さんみたいな若い者が最初から名乗るには難有りか。……そうだな、雷文公様の諱にちなんで、仁兵衛、など、どうだ? 慈しみや思いやりを意味する字だ。何、剣の道を極めたならば、又刃に戻したければ戻せば良いさ。活人剣で治国平天下など笑い話だが、だからといってあやめるだけが道では無い。今からどう生きるか決めつけることも無いだろう?」

 帯刀は人好きのする笑みを浮かべる。

 刃兵衛は少しの間考え込み、にこにこ笑っている光を見遣ってから、大きく頷いて見せた。

「そうか、気に入ってくれたか。それでは、これから宜しくな、仁兵衛。俺を越える腕に育ってくれよ」

 楽しそうに笑うと、光を肩の上に乗せ直す。「……遺髪はお前さんに渡したが、遺体はこの先に埋めた。挨拶してから出発するとしよう。望むのならば、近くの街に埋葬し直す様計らうが?」

 帯刀の提案に、やはり又考え込んでから、首を横に振った。

 父と母から死して屍拾う者無しと常々言われていたことを思いだしたのだ。

「そうか。それも又兵法者としての心掛けよ。されど、お前さんはちゃんと祀ってやれ。扶桑武士の意地もあろうが、お前さんを守りたくて二人は死出の旅路と分かりながら勝負を挑んだのだ。魔王と差し違えることを、な」

 帯刀は静かに告げる。「良いか、兵法者足ろうとするならば、現世に仇為す魔王は必ず討て。それだけが、この地における我ら扶桑人の存在意義よ。我らは誰かに云われてやるのでは無い。我らが我らで有り続ける限り、この世に仇為す事を為す阿呆共を討ち払う。其を忘れたとき、我らは扶桑人では無くなるだろう。今は分からずとも良い。何時か、それを理解するときが来たのならば、俺の言葉を今一度思い出せ。扶桑人は徒人ただびとで非ず。世界の守り手、竜の末裔なり。故地を追われた我らに安住の地を与えた聖皇への恩義果たすべし」

 仁兵衛は帯刀の言葉を黙って聞いた。

 ふっと笑い、帯刀は仁兵衛の頭を撫でる。

「今は難しく考えないで良い。俺の見立てが正しければ、お前さんは絶対にそのことと向き合う瞬間が来る。なるべくならば、平坦な道を歩ませてやりたかったが、お前さんは絶対に難儀な道を選ぶ。それを踏破するだけの力は絶対にくれてやる。……まあ、無駄死にだけはするなよ」

 ぽんぽんと頭を軽く叩き、帯刀は歩み始めた。

 仁兵衛は金剛丸を背中に背負うとそれに続く。


 それが、綺堂仁兵衛と柴原帯刀が師弟の誓いを交わした瞬間である。

 今の仁兵衛の原点で有り、彼が竜として目覚めた場面でもある。

 その時、その瞬間、仁兵衛の生き様が決した。



 後の世に、東大公家中興の祖と呼ばれる皇頼治こと綺堂仁兵衛の最初にして最後の御前試合の物語は斯くして終わりを告げる。

 東大公家主催の御前試合をよく知る通はこの話を以て、本戦より予選を小馬鹿にする者を笑い飛ばす。

 あの柴原仁兵衛は決して本戦に出ることは無かった、予選を見ずして兵法者の腕を語ることなかれ、と。 

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御前試合騒動顛末 高橋太郎 @iashi

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