間章 舞台裏

 本当に紙一重であった。

 かつての最盛期であろうと、防ぎ得ない一撃を喰らった瞬間、一も二も無く、慌てて核から逃げ出した。この場の特性である気配を読みにくい事が功を奏し、誰にも気付かれる事無く逃げ出す事に成功した。

 反撃の為に取って置いた全ての力を生存に回し、扶桑人共がこの場より消えてから“ゲート”を開いて魔界に帰らざるを得なかった。

──口惜しかれど、滅んでは元も子もないわ。力を蓄え直し、再び現世に返り咲いて見せよう

「うん、それ無理だね」

 軽い口調なれど、怒りに溢れた感情を隠そうともせず、虚空に浮いた男が見えないはずの魔王を見据えて吐き捨てた。

──貴様、何やつ?!

 気配が読みにくい空間とは言え、その場にその男が居る事すら気が付かなかった上、自分の姿を見つけ出している事に驚きを覚えながらも、落ち着いた振りをしながら問い返す。

「あー? 僕の事を忘れたの? 巫山戯ふざけているの、舐めているの、ぶち殺すぞ、クソ魔王! こちとら、リングラスハイムの時から必死扱いて貴様の痕跡を追って苦労してきたというのに、何だ、その態度は!」

 逆上しながら、クラウスは得物を鞘から抜いた。

──リングラスハイム? ……ああ、女帝の小倅か

 魔王は鼻で笑う。

「その小倅に追い詰められたのは何処の何奴だったかね。中々口だけ達者な三下がいるみたいだな」

 丁々発止の挑発を交わし、お互いに相手の様子を観察する。

 そして、先に動いたのはクラウスであった。

「まあ、どうでも良いか。ここで滅ぼす相手に、ぐだぐだ云っている暇は無い」

 魔力の篭もった文字ルーンを刃に刻み込んだ特殊な意匠の幅広剣ブロードソードを天に掲げ、「我が父、雷と知識の神の名の下に、世界に徒なすモノを討つ力を求めん。降り注げ、【雷神の怒りマッドサンダー】」と、奇跡の顕現を祈願する。

 立ち所に虚空より無数の稲光が顕れ、魔王目掛けて降り注ぐ。

 魔王は慌てずに障壁を張り、“門”を開けることで荒れ狂う雷を他の世界に飛ばす。

「【テンペスト】」

 剣のきっさきを魔王に向け、クラウスは力ある言葉を解放した。

──圧縮言語だと?!

 今度はたける暴風を受け流しながら、魔王は驚きを隠せずにいた。

 魔導とは魔界の森羅万象に当たるものであり、それを現世に導くための術が魔術である。

 魔王ともなれば、魔術を用いずとも意志の力で混沌の力を取り出し、ある程度の力を使いこなせる。

 しかし、魔王といえども、莫大な力を導き出すためには魔術言語を用いた術式が必要となる。

 大きな力を使おうとすればするほど、複雑で煩雑な手順が必要となり、魔王でもおいそれと戦闘中に使いこなせる余裕は無くなる。

 当然、魔王よりも力の劣る存在はその傾向はもっと強く、戦闘中に術者が単独で長い詠唱を唱える事は自殺行為と言えた。

 そこで、魔導に優れるとある魔王がいくつかの魔術言語を魔導の法則に従い一文字に取り纏めた圧縮言語という概念を創り出した。

 当然力在る言葉を一つに纏めた為に取り扱いは難しく、一つの文字に内包する魔術言語数は使い手の力量次第になるが、それでも無防備に長々と詠唱するよりは安全に強大な術を展開できるようになった。

 魔導師が並の魔術師十人に匹敵すると言われる所以は、この圧縮言語の存在にある。

「父の力を使いこなせるのです。母の魔導とて僕が使えない理由が無い」

 クラウスは笑いながら、器用にも左手だけで印を切り、「【マキシテンペスト】」と、新たな術を解放する。

 当然の様に、先程よりも文字数が増えた為、暴風の威力は怖ろしい程跳ね上がっていた。

──く、お前の様な慮外者と相手をしていられるか

 魔王はどうにもならぬ圧倒的な力の差を覚り、この場から離脱しようとする。

 “門”を開けて魔界に逃げるともなれば大きな力と時間が要るが、相手から姿を隠す程度の逃亡ならば圧縮言語すら用いずに転移出来ると踏んだのだ。

 クラウスはそれをニヤニヤと笑いながら眺め、止めようともしなかった。

──その余裕、後で後悔するが良い……儂は必ずや……?!

 転移しようとした力がその場で突如霧散し、魔王は余りの展開に混乱をきたす。

「ねえねえ、逃げようと思って逃げられないってどんな気持ち、どんな気持ち? 僕はそんな失敗したこと無いから分からないんだ。教えて欲しいなあ?」

 腹を抱えて笑いながら、クラウスは魔王に嫌味ったらしく問い糾す。「あんたのやったことで腹を立てているのは何も僕の一族だけじゃ無いんだよ? 全方面に喧嘩売りすぎだ。“法”の陣営に対する為の行動だったり、人類種が阿呆なことをしでかしたから、その警告の為に動くのならば兎も角、自分の利にしかならない事を成すが為に現世を混乱に陥れるのを喜ぶ存在が居ると思っているのかね?」

 途中から真剣な表情で糾弾し始めたクラウスの傍に、いつの間にやら楽器を携えた伊達男が弦を爪弾きながら立っていた。

──あ、アルヴィース……?!

「呼び捨ては聞き捨てならんな、恥曝しの糞虫よ」

 誰しもが聞き惚れる様な次低音バリトンヴォイスで吟遊詩人は冷たい視線で睨め付ける。「百年前に滅んでいれば良かったものを面倒事ばかり引き起こすとはな。お陰で六大魔王が三柱も雁首揃える羽目に遭うとは」

「全く、通常業務に差し障るんですよ、この様な異常事態は。ここ百年、東大公家絡みのおかしな事件がどうにも多かったわけです」

 無駄に東奔西走させられた百年分の憤懣を露わにして、クラウスは片手間に魔王周辺に結界を張る。「これ以上逃げられて手間増えるの嫌なので、片を付けさせて頂きます。【マキシマムテンペスト】」

──“十文字テン詠唱カウンツ”だと?!

 圧縮言語による詠唱は、当然文字数が増えれば増える程取り扱いが難しくなる。唯でさえ、一文字に含まれる情報量が莫大なのだ。並の魔導師ならば、五文字までが精一杯で有り、天才と呼ばれる術者でやっと八文字がせいぜいと言われる。人間と魔王の条件は違うとは言え、一文字当たりに篭められる情報量が莫大なために九文字の術式が限界と言われる。六大魔王の中でも魔導を極めていると言われている二柱、第二位の冥界の女帝及び第三位の放浪の吟遊詩人ならばそれを越える大魔導も使いこなせるのでは無いかとは噂されていた。

「ハームの御箱か。ウルシムの【怒れし雷神】と云い、よくもまあ使いこなす」

 呆れた口調で、アルヴィースはクラウスを眺める。「流石はあの二人唯一の血を引く男と云った処か、イアカーン」

「あの二人もいい歳こいていちゃついていないで、仕事して欲しいんですけどね。全部僕に丸投げって、流石にどうかと思いますよ。雷刃らいじん小父さん居なければ、一体僕の仕事量ってどんなモノだったんですかねえ。アル小父さんはこういう時じゃないと手伝ってくれないし」

 余裕の表情で“十文字詠唱”の術とそれを外に逃がさない結界を同時に発動させた儘、最早正体を隠そうともせずに南の魔王イアカーンは軽口を叩く。「それで、今回の演目を特等席から見た感想はどうだったんです?」

「いやはや、いやはや。昨今まれに見る素晴らしい、実に素晴らしいお話だったよ! 我々がついぞ見つけることが出来なかった魔王クソムシをたった一人の兵法者が精神的に追い詰め、そして魂すらも追い詰める! その兵法者は彼の柴原雷刃の唯一の直系。孤児だったところを拾った父親と義妹を救う為に命懸けで魔王に煽動された同胞、それも西中原アルスラント最強を誇る旗幟八流の当主達を薙ぎ倒し、黒幕の魔王をも叩き斬る! ああ、これほど素晴らしい英雄譚サーガは私が自我を得て以来どれだけあったか! この一件を歌にすれば、ウルシムと雷刃の二人に匹敵する好評を博するだろう! ああ、何と素晴らしい事件の渦中に私は関われたんだろう! これだから人を愛することを止められない! 魔術を、魔導を、そして英雄譚を私は飽くなき情熱を以て人類に捧げ続けよう! 何故ならば、私はこの世界を愛しているのだからッ!!」

 アルヴィースは目を爛々と光らせ、凄く嬉しそうに、楽しそうに切々と語る。

「ま、小父さんらしい感想ですね。小父さんの人類種好きは、人間生まれの僕ですら思わず身構えてしまいますよ」

 イアカーンは思わず苦笑しながらも、結界の大きさを徐々に狭めていく。

「君が世界に仇為さない限り、私は手を出す気は無いよ? まあ、この糞虫は本当に困ったものだがね」

 イアカーンに対して親昵しんじつそうな口調だったのが、結界の中で虫の息となっている魔王に対しては嫌悪の情を隠そうともしない冷淡な態度を示した。

「どちらにしろ、これに苦労させられるのは今日でしまいです。全く、リングラスハイムの時に現場に居て見逃すとは、一生の不覚でしたよ」

 イアカーンは溜息を付き、吹き荒れる空間ごと一気に結界を圧縮する。

 逃げ場の無い結界の中、魔王は驚愕と恐怖にまみれた声を上げ、この世から痕跡を一つ残らず消えていった。

「はい、これにて一件落着、ですね」

 晴れ晴れとした爽やかな笑顔でイアカーンは宣言する。

「当然、我らの仕事は闇に葬るという意味で、だが」

 アルヴィースは含み笑いで返す。

「僕たちが目立っても意味ないですしね。それにしても、今回ばかりは東大公家に我々の尻拭いをさせてしまいました。この借りを早めに返せれば良いんですけどねえ」

 深々と溜息を付きながら、剣を鞘に収め、「小父さんはこれからどうするんです?」と、尋ねた。

「何、今回の件を世界中で歌ってくるさ。これだけ素晴らしい話を我々だけの内輪話にするのは誠に惜しい。やはり、英雄は広く知られてこそ価値がある。うむ、君の家系は本当に良き定めを引き寄せる。千の感謝を」

 優雅に一礼すると、アルヴィースは来た時と同じく闇に溶け去って行った。

「小父さんに感謝される時って、何時も面倒事絡みなんですよねえ。さて、僕は後片付けしたら久々に南部域アヴァールの居城に帰りますかねえ。兄さんに仕事押し付けっぱなしですし」

 クスクスと笑いながら、イアカーンも又、虚空へと姿を消す。

 まるで最初から誰も居なかったかの様に、その場には静寂だけが残った。

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