第6話・死ら雪姫の休息
「フレデリカ、また兵士が悪さをしていたわ」
忌々しそうにそう言ってアデリアは白く長い髪を後ろに払いのけた。アデリアは、順調に成長していれば十九歳の筈だった。だが、離宮の寒々しい部屋の寝台に横たわったアデリアの身体は、八歳の時のまま。何者かに授けられた宝珠の力で生を繋いでいるこの身体に起こった変化といえば、辛い生の為か、美しかった黒髪が老婆のような白髪になってしまった事くらい。そして、そんな自分の姿をいつものようにちらりと見下ろした、魂だけの姿となったアデリアは、今やフレデリカとの姉妹のような絆の力を得て、実体と同じように地に足を付け、自在に行動する事が出来る。
魂の姿は、普通に成長していればこうなっていたであろうという若い乙女の姿。その長い白髪は銀のように光り輝き、黒く大きな瞳は生への渇望の光を湛えて強く美しく煌めいている。すらりと伸びた手足と引き締まったしなやかな身体。亡き母白雪姫譲りの美しさに、運命への憎悪の炎が彩を添え、誰もが目を惹きつけられずにはいられない――彼女を見る事、見たと認める事は絶対に禁じられているにも拘わらず――ような、美貌を備えた娘。
彼女の『生きたいという思い』の根幹は、自分をこんな目に遭わせた王妃、そして見て見ぬふりをしているに違いない王に復讐する事にある。彼女はもう無力で無邪気な子どもではない。自分には無惨に殺されるような咎などなく、全ては王妃が権力を握る為、自分の実の娘のエイディリアに王位を継がせる為に仕組んだ事だと理解している。そしてもう、父親を慕って泣く弱さもない。彼女を可愛がってくれた優しい父親の記憶は遠くに霞み、王妃の言いなりに自分を捨てた事を許せないと思うばかりだ。二人に復讐する為に、アデリアは武術の腕前を磨いた。離宮に残されていた多くの本を幾度も読み返し、様々な知識も身につけた。アデリアは王妃が魔女である事を確信している。もしかしたら、自分の生母を殺したのかも知れないとも疑っている。
だが、城の周りには結界が張られ、魂だけの存在であるアデリアには近づけない。国王夫妻も妹のエイディリアもあれから一歩も城の外に出て来ず、アデリアには手の出しようがなかった。なので、せめて代わりに、アデリアは王妃の兵を襲った。王妃の兵は何の罪もない民に乱暴をし、少ない食料を搾り取る。アデリアは常に民の味方だった。アーデルランドの民は、本来アデリアが治めるべき国の民なのだから。回りくどいやり方でしか王妃を困らせる事が出来ないのは悔しいが、欠けたもう一つの宝珠さえ手に入れられれば、アデリアは本当の姿を取り戻して、王妃を殺すつもりでいる。
あれ以来一度も、宝珠を授けてくれた人影が現れる事はなかったが、彼女たちが護ってくれている気配は感じる。この離宮に王妃が手を出せないよう、こちら側から結界を張ってくれている。何しろ、生身のアデリアは全く無防備な少女なのだから、それがなければ王妃はさっさとアデリアの肉体の息の根を止めに来ただろう。アデリアはとうの昔に死んでいる事になっているのだから、王妃がアデリアを殺しても問題にはならない。
このように、王妃とアデリアは憎み合い、互いを抹殺したいと願いつつも、双方手を出せないでいるような状態だった。
一方、唯一のアデリアの味方であり友人であり、話し相手として支えになってくれるフレデリカは、8歳くらいの少女の姿のままだった。何故なのかは判らない。フレデリカはどこから来たのか、どういう生い立ちなのか、彼女は何も話さない。アデリアも敢えて聞き出そうとはしなかった。こんな境遇に至ったのだから、それはもしかしたらアデリア自身の経験よりも辛いもの、消し去りたいものなのかも知れないと思ったから。
「民はアデリア様に感謝している筈ですよ」
「ええ、今日はありがとうと言われたわ。小さな、小さな声だったけれど、嬉しかった。でも、同時に悔しい。彼らを自由に、豊かにしてやれない事が……!」
アデリアは俯き、拳を震わせる。そんな彼女の手を、フレデリカの小さな手が包み込んだ。
「彼らはちゃんと生きています。だからきっと、アデリア様が彼らを王妃の支配から自由にしてあげられる日はきます」
「そう……そう、ね。そう信じて、ずっと国中を見回り、民を助けてきたつもり。だけど……あれから十二年も経ってしまった。十二年もあの女は城から出て来ない。寿命が尽きるまで出て来ないつもりかも知れない。そんなに長い間待つなんて……」
「アデリア様、それが、もしかしたら、好機はもうすぐ訪れるかも知れません」
「好機?」
アデリアは顔を上げて不思議そうに幼顔の親友を見た。フレデリカは頷き、
「今日、村で聞いてきたのです。エイディリア姫が十五になり、隣国の王子と婚約したと」
『死ら雪姫』『亡霊』と呼ばれ、誰からも相手にされないアデリアとは違い、普通の子どもの姿をしたフレデリカは、怪しまれずに他の人間に会う事が出来る。尤も、フレデリカの黒髪は、金髪や茶髪の多いアーデルランドでは珍しいものであったので、大人には不審に思われるかも知れないとの危惧から、彼女が接するのは殆どが、近くの村の子どもだった。そこから彼女は、国中で今一番注目を集めているエイディリアの婚約の情報を得てきたのだった。民は、王女の婚約を表面上は寿いでいるが、実際は、結婚式にかかる費用の為に更に税が重くなる事を恐れ、祝う気力もない。そもそも、こんな暮らしを強いる王家に対し、昔はあった敬意や忠誠心は薄れ、ただ兵士に抗う術がないので従っているだけ、王女に至っては一度も国民の前に姿を現す事もなく、彼女の成長や婚約を目出度いと思う気持ちが湧く理由も最早殆どないような状態であった。
「エイディリア……私の妹。もうそんな歳になったのね」
エイディリアには直接の恨みはない。だが勿論、その名が心地よく聞こえる筈もない。王妃が娘に言い聞かせたように、妹が城から出てきたら殺そう、というまでの気持ちはないが、捕らえられれば人質に出来る。
「結婚ともなれば流石に城の中に引きこもっている訳にはいかないでしょう。お披露目がある筈ですわ。王妃もきっと出てきます。この機会を逃さずにはいられないでしょう」
「そうね。ああ、だけど王妃と再びまみえる時、私は本当は自分自身の身体に戻っていたいわ。あとひとつの宝珠……それさえあれば、この小さな身体は甦り、成長する筈。そうしたら、私は堂々と、亡霊などではない、この国の第一王位継承権者のアデリア・アーデルランドだと名乗れるのに!」
「……そうですね」
アデリアの言葉にフレデリカは小さく頷いた。フレデリカの表情がやや翳った事には気付かずにアデリアは、
「もう一つの宝珠を、この十二年、国中を回って探したけれど見つからない。もう一つの宝珠……そもそもそれは、何を指すのかしら?」
『アデリア、この宝珠は、人間が生きていく為に必要なものを補う力を持っているのです。ここにある六つは、食べ物、飲み物、空気、温かさ、眠り、そして、生きたいと思う心。でも、ある意味、最も重要なものが失われているのです。それを取り戻した時、あなたは生命の輝きを取り戻し、自分の身体で自由に生きてゆけるようになるでしょう』
あの時、あの影が残した言葉。食べ物、飲み物、空気、温かさ、眠り、生きたいと思う心。アデリアは宝珠からその力を得て、飲みも食べもせず、凍える事もなく十二年過ごしてきた。小さな身体はまだ生を保っているし、そもそも、それ以外に『生きていく為に必要なもの』なんてあるだろうか? アデリアは色々と考えてみたがどうしても解らなかった。もしかしたらもう一つの宝珠なんて最初からないのかも知れない。儚い希望を与える為のでまかせかも知れない。復讐するという希望がなければ、生きたいと思う心は失われてしまうから。そもそも、あの影達は何の為にアデリアを生かそうとしているのだろうか? いくら考えてもわからない。フレデリカに尋ねても、自分も知らないのだと言う。
「エイディリアが隣の国の王子を婿に迎え入れれば、あの娘が女王になるのかしら……」
許せない、と思う。妹自身には何の罪もないと言っても、彼女が持っている全ては、元々アデリアのものなのだ。城から一歩も出ずに育ったエイディリアが、自分の国の民をアデリア程に愛しているとは思えない。愛しているならば、貧困に喘ぐ民を救おうと動く筈だ。
「私は良い女王になれる筈。痛みを知っているもの」
アデリアの言葉に、フレデリカは頷いた。
「私もそう思います。アデリア様は王女でありながら、辛い体験をなされた……或いは、『死』そのものより辛いかも知れなかった……生きながらに死人とされて」
が、フレデリカの言葉にアデリアは首を横に振る。
「『死』そのものより辛い体験はないと思うわ。私は生きたい。死にたくない。王妃に復讐するまでは! それにフレデリカ、あなたが傍にいてくれる。私が死人ではないと認めてくれるあなたが。私はひとりじゃない」
「そうです。私はずっと、アデリア様のお傍に。復讐の叶う時までずっと……」
「復讐が叶ったら、私は女王になって、あなたは私の妹としていつまでもお城で暮らすのよ。エイディリアなんか妹とは思えない。城から追い出してやるわ」
アデリアの言葉にフレデリカは微笑し、ありがとうございます、と言った。
うち捨てられた離宮の寒々とした一室で、痩せこけて寝台に横たわる少女の身体の傍でアデリアとフレデリカは手を取り合って休息する。宝珠の力で睡眠は必要ないのだが、心を休ませるときが欲しい時、ふたりはいつもこうやって目を瞑る。
三千世界と死ら雪姫 青峰輝楽 @kira2016
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