第5話・死ら雪姫の妹
アーデルランド第一王女アデリアの葬儀から十二年が過ぎた。第一王位継承権者の第二王女エイディリアは十五歳。この年、隣国の王子との婚約話が進んでいた。十五歳になればこの国ではおとなの女性として認められる。
エイディリアは3歳の頃から一度も、両親であるエイリス王と王妃エリアナから、城の外へ出る事を許してもらえなかった。
「邪悪な亡霊が、あなたを狙っているのです。この城の周りには私が守護の魔法をかけていますから安全ですが、一歩外に出れば、亡霊はそなたを亡き者にしようとするでしょう」
「なぜ? 亡霊って誰?」
「あなたの姉アデリアです。8歳の時に池で溺れて死んだのです。自分が勝手な振る舞いをしたせいなのに、わたくしやあなたを逆恨みし、亡霊となって徘徊しているのです。でも、この話は誰にもしてはいけませんよ。亡霊など存在する筈がない、と皆に思わせなければ、国の平和が保てません。亡霊の名を口にした庶民は死罪なのです」
エリアナは娘にそんな説明をしていた。
(まぁ、そこまで国の平和に重きを置かれるなんて、お母さまはご立派だわ。本当は、お姉さまのした事で心を痛めておいででしょうに。亡霊なんて、祈祷師に祓ってもらえばいいのに)
エイディリアは母親に似た金髪と青い瞳。蝶よ花よと愛されて育った世間知らずの美しい姫君。両親に溺愛されて育った彼女は、勿論母の言う事を疑わない。
「お姉さまという人は随分身勝手な方だったのね。おかげで私はお外に遊びに行けないなんて」
幼いうちは、ただそんな風に思って、城の中の贅沢だけども代わり映えのしない生活に飽き飽きしながら、外を自由に歩き回れる姉の亡霊を憎んだり羨んだりしていた。アデリアが味わった死の一歩直前までの苦しみなど、この姫君には想像もつかない。城では誰もが彼女の関心を惹き、寵愛を得ようと美辞麗句を並べ、彼女が欲しいものは何でも与えられる。誰からも無視をされ、食べ物も与えられない王女がいて、それが姉だったなどと、思いつく訳もない。
だが長じるにつれ、エイディリアは、母から何度も『亡霊』アデリアの悪行を吹き込まれるうちに、自分こそが、恨みに囚われて彷徨い続ける姉を討伐せねば、という思いを持つようになる。アデリアの悪行、とは、王妃が課す重税に喘ぐ国民を助けたり、兵士による暴行を正している事なのだが、城を一歩も出ず、母の言葉を盲信しているエイディリアには理解出来る筈もない。父は、いつも優しかったがどこか虚ろな感じがあった。魔女である母に操られているからだとは、無論エイディリアは知る由もない。
(お姉さまが私を殺したい位に私を妬んでいる? 私だって、お姉さまのせいで何の自由もなくて、しかも隣の国の会った事もない王子と結婚して女王にならなければならない。私はそんな事まっぴらなのに! それはお姉さまがすべき事だったのに、お母さまに逆らって身勝手に死んだ上に、亡霊となって国の兵士に悪行を行っているなんて、なんて酷いひとなんでしょう!)
姉が死んだ頃にはまだ自分は幼くて、生前の姉の事など何も覚えていない。会わせてもらう機会もなかったのだから当然の事ではあるが、エイディリアの胸の中では、ただただ、姉に対する悪感情が募っていった。
◆◆◆
十五歳の誕生日には盛大なパーティが開かれた。全て、王妃の趣向で整えられた。国の民が不作で飢餓に喘いでいるというのに、近隣の貴族や王族が大勢招かれ、その大勢でも食べきれない程の豪華な料理が次々と運ばれ、贅沢な趣向を凝らした様々な余興が繰り広げられる。主役であるエイディリア姫は、薄絹を何十にも重ねて宝石を散りばめた華やかな青いドレスを纏い、金色の豊かな髪をおとな風に結い上げて、愛らしい金のティアラをつけている。誰もが彼女の美しさを褒め称えたが、褒められる事に慣れすぎている王女は大して感激もしない。自分の為の贅沢な饗宴も、当然のものとしか思わない。勿論、物心ついて以来城から出た事のない彼女は、国の民がこんな料理の数々など見た事もないとは知らない。国の民は皆、同じようにご馳走を食べて彼女の誕生日を祝っているのだろうと思っていた。
隣国の王子も招かれ、エイディリアはその場で初めて自分の婚約者と対面した。
「初めまして、エイディリア姫。隣国スノウランドの王子ルーファスと申します」
純白のマントを羽織った黒髪の美しい王子が流麗な仕草で挨拶すると、特に年配の貴族や女官の間から密かに溜息が漏れた。隣国スノウランドといえば、アデリアの母、前王妃の故郷であり、ルーファス王子はアデリアの母、白雪姫と呼ばれた優しく民に慕われた前王妃の縁者だったので、その面差しにどことなく似ているものがあったからだ。美しい王子、お似合いのお二人、という無邪気な声は、若い層から多く上がった。
しかしエイディリアは、王子に対する興味が薄い。彼女には密かに想うひとがあったからだ。こんな王子なんかどうでもいい、ここから逃げ出して彼とどこか違う国へ行ってしまいたい……婚約者と引き合わされた事で、エイディリアの心には初めて、母に逆らってでも、という気持ちが生まれた。
「どうかなさいましたか、姫?」
「いいえ……わたくし、疲れてしまいましたの。もう、これで失礼致しますわ」
エイディリアの冷たい素振りに王子は苦笑したが、エリアナ王妃は顔色を変えて、
「エイディリア、折角遠くから来て下さったのに何て失礼な態度を取るのですか! ルーファスさまはあなたの夫となられる方なのですよ。もっとおもてなしをしなさい!」
気分が優れないと言っているのに叱られるのは、エイディリアにとって初めての事であり、母の言葉でエイディリアの王子に対する心証は益々悪くなった。
「でも、お母さま……!」
「エイディリア姫、少しバルコニーで外の風に当たりませんか。そうすればご気分もよくなるかも知れません」
王子が助け船を出す。
「……まあいいわ。ここにいるよりはましですもの」
母に見張られているよりは、と思い、エイディリアは渋々そう答える。
「美しい国、美しい城ですね。しかし、勿論姫のお姿が一番お美しい」
二人でバルコニーに出ると、ルーファス王子が型にはまった世辞を言ってくる。こんなつまらない事しか言えないのか、とがっかりしながらエイディリアが一応礼を言うと、何故か王子はくつくつと笑った。
「何がおかしいんですの?」
この王子はばかなのだろうか、と不審に思いながらエイディリアが尋ねると、王子はようやく笑いを収め、
「いや失礼。なに、褒め言葉ではなかったのに、そのようにおとりになったのが可笑しかったのです」
などと言う。
「ど……どういう意味ですの?」
美しい、というのが褒め言葉ではないとはどういう事だろう? 戸惑うエイディリアに王子は、
「姿の美しさに私は興味はありません。姫、あなたのお姿はとてもお美しいが、心のなかはそうではない。それにこの国も城も、見かけは美しいが、病んでいる」
「まっ……!!」
無礼な言い草にエイディリアはかっとなる。こんな事を言われたのは生まれて初めてだ。
「わたくしの心などどうしてあなたに解るのですか? 今日お会いしたばかりのあなたなんかに! それに、わたくしの国や城を侮辱なさるとは許せません」
「侮辱ではありません。元々豊かな美しい国であったのに、今は疲弊し、間違った事ばかり行われている。あなたはそれを知らないだけと存じてはいますが、王位を継ぐ王女がそれを知らずにいて平気なのがおかしいと申し上げているのですよ」
「わたくしの国が疲弊しているですって? 国民は皆、わたくしの両親の統治のもと、豊かに幸せに暮らしています。見てごらんなさいな、このバルコニーから見えるでしょう。色とりどりの灯りのともった美しい町並み、綺麗な服を着て街を歩いている民たち。どこが病んでいると言うのです?!」
「あなたはこの広い国の中にいて、城のバルコニーから見える部分しか知らない。私はね、密かに旅人に身をやつして、この国中を回ったのですよ。あなたの目に入らない多くの街や村では、重税に苦しみ、ぼろを着てその日の食べ物にも困っている民が大勢います」
「そ……そんな訳ないわ。わたくしのお父さまやお母さまが、民をそんな目に遭わせる訳がありません」
次第にエイディリアは、怒りの裏側に当惑と不安を感じ始めていた。今まで彼女にこんな事を言った者はいない。両親は勿論、信頼している将軍や騎士達も皆が、『民は皆、国王陛下と王妃様に日々感謝しつつ幸福に暮らしています』と言っていたのに。
「贅沢の為に民に重税を課しているのはあなたの母上です。前の王妃さまがご健在だった頃には、国王陛下は善政を布かれていたと聞きます」
王子の言葉にエイディリアは耳を塞ぎ、
「嘘です! あなたは嘘つきです。もしも苦しんでいる民が本当にいるならば、それは……」
「それは?」
姉の亡霊のせいだ、と言おうとしてエイディリアは踏みとどまる。姉の亡霊の事は口にしてはいけないのだ。他国の王子に対してなど、もってのほか。だが王子はエイディリアの呑み込んだ言葉をあっさりと口にした。
「アデリア姫の亡霊のせいだ……そう仰りたいのでしょう?」
「…………! ご存じで……」
「勿論。その噂は、このアーデルランドの国中だけでなく、よその国にまで及んでいます。義理の母に離宮に閉じ込められて餓死した幼い王女の亡霊……人は皆、『可哀相な死ら雪姫』と呼んでいます」
「うそ……そんなのうそよ!」
この時、にこやかな顔で王妃エリアナがバルコニーに出て二人に近づいてきた。二人が長く話し合っているので、仲良くしているのだと思ったようだった。
「あなたが少しでも、真実を知る勇気を持つ姫君ならば、今の話はお母さまにしてはいけませんよ」
笑顔で王妃に会釈しながらルーファス王子はエイディリアに小声で告げた。エイディリアは混乱しつつも、自分でもよく理由が解らないままに頷いていた。こんな話はまったくばかげた作り話だと思いたい……でも、『真実を知る勇気』がない娘、と思われるのは癪だ……そんな気持ちが働いたのかも知れなかった。
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