第4話・友達
『アデリア。アデリア、目を覚ましなさい』
消えかけていた意識を、穏やかな声がつなぎ止めた。
『だれ……?』
既に現と冥の境を彷徨っているアデリアは、もう声を出す事も叶わなかった。だが呼びかけてきた者にはアデリアの心の声を聞き取る力を持っていた。
『そなたは死んではいけません。可哀相なアデリア! 生きて、ここを出なければ。そなたはまだ死ぬ運命ではない。それを曲げたのは王妃です』
『よく……わからない……でももう、わたし、起き上がれない……さむくておなかがすいて、どうしようもないよ……』
『アデリア、私たちには、衰弱しきって死の淵にあるあなたの肉体を癒やす事は出来ません。でも、そのままにずっと眠らせておく事は出来る。いつか、あなたを目覚めさせてくれるひとが現れる日まで……』
そうなのか、とアデリアはぼんやりと思う。でも、その人に会えるまでずっとこんな寒くて寂しいところで眠っているなんてできっこない。それよりも、もう何もかも忘れて、暖かいところ、光のある天の国に行きたい……。
『あなたはひとりでここにずっと眠っている必要はないのですよ。あなたの身体が死なないように、私たちがここで見守っています。この『七つの宝珠』の力であなたの身体を生かす事ができるから。あなたは自由に思うところへ行けるのです。但し、魂だけで』
声の主は、アデリアの細い首にネックレスをかけた。それによってアデリアは、肉体の目を開ける力がなくとも、その人たちの姿を見る事が出来た。
『あなたたちは……だれ?』
そこには、六つの人影がぼんやりと浮かんでいた。顔かたちはわからないが、いずれも美しい女性だと、アデリアには感じられた。
『王妃エリアナの所業に怒りと絶望を感じた者……。アデリア、今は訳は言えません。でも、あなたは私たちの最後の希望でもあるのです。あなたがエリアナに勝てば、これ以上の悲劇は食い止められる』
『お母さまに勝つ? そんなの無理に決まってるわ。私は宝珠なんていらない。魂だけで生きるなんて嫌。また、亡霊だって言われるのはもう嫌!!』
『あなたに友人を与えましょう。その子が、あなたに力をくれるでしょう』
『友人……?』
『そう、そこにいるわ』
アデリアの閉じた瞳にも、寝台のすぐ傍に、自分と同じくらいの年齢の少女が立っているのが見えた。白い服を着た、アデリアと同じ黒髪の少女。
『あなたは……?』
『私は、フレデリカと申します。アデリア様、私をお連れ下さい。邪悪なる王妃に復讐する為に、私はあなた様にお仕えします』
『邪悪……? お義母さまが邪悪……?』
『そうです、何の罪もない子どもを、自分の欲の為に殺す、邪悪な王妃です。アデリア様、負けてはいけません』
アデリアと同じ黒髪の少女は、静かな口調で告げる。
『私が悪い子だったから、罰を受けているのではないの……?』
『本当に子どもを愛している親ならば、決して罰で子を死に至らしめる事はありません』
フレデリカは哀しげな目でアデリアを見つめた。
『王妃はアデリア様が邪魔だったのです。実のお子様ではないから』
『でも……じゃあ、お父さまは? お父さまも私が邪魔だったの?』
『国王陛下は王妃に騙されていらっしゃるのです』
『嘘よ! お父さまが誰かに騙されたりする訳がないわ。国で一番偉いんだもの』
寝台に横たわったアデリアの閉じた瞳から涙がこぼれ落ちる。お父さまが何も知らずに騙されているなんて信じられない。お父さまは何でも知っていて偉いのだ、そして自分はその娘なのだという事は、誰からも見捨てられたアデリアにとって、生きる事よりさえ重要な矜持だったので、その信念を覆す事は難しかった。
『アデリア、お父さまはあなたを愛してらっしゃいます。ただ、エリアナの魔法でそれを忘れてしまっただけ……』
『あなたたちまでそんな事を仰るの? お父さまが魔法なんかにかかる訳ない……!』
血を吐くような叫びに、六つの人影は顔を見合わせるような仕草を見せる。この姿は仮のもの、じきに声を発する事は出来なくなる。この、絶望しながらも最後の信念を捨てきれない小さな娘を教え諭す時間などなかった。それよりも、もっと重要な、差し迫った事を彼女に伝えねばならない。
『いつか解るときが来るでしょう……それよりアデリア、この『七つの宝珠』をよくご覧なさい』
いつの間にかアデリアは、自分が自分の寝台の横に立ち、死にかけている自身の姿を見下ろしている事に気付いた。汚れてぼろを纏い、痩せこけて骨と皮ばかりのみじめな娘……誰がこの娘が王女であるなどと思うだろう! 随分長い間、アデリアは鏡を見る事を忘れていた。ぼろぼろのドレスの上に、宝珠のペンダントだけが不釣り合いに美しく輝いている。だが、銀細工の中に七つの宝石が嵌めこまれる作りになっているが、そのうちのひとつが欠けている。
『この穴は……?』
『アデリア、この宝珠は、人間が生きていく為に必要なものを補う力を持っているのです。ここにある六つは、食べ物、飲み物、空気、温かさ、眠り、そして、生きたいと思う心。でも、ある意味、最も重要なものが失われているのです。それを取り戻した時、あなたは生命の輝きを取り戻し、自分の身体で自由に生きてゆけるようになるでしょう』
『それはなに?』
『それは……』
だが、言葉を継ごうとした六つの人影の姿は急速にぼやけ始め、声も遠くなってゆくようだった。
『どうしたの?!』
『時間が……もう……。だけど、ずっとあなたを護っています……』
『えっ、ずっといてくれるんじゃなかったの?』
アデリアの悲痛な呼びかけにも、もういらえはなかった。
『待って! 置いていかないで!』
アデリアにとっては、久方ぶりに話しかけてくれた相手であり、救いの手を差し伸べてくれた存在である。もっと、話を聞きたかった。何もかも訳がわからない。
『アデリア様。皆様のお姿を見る事は出来なくても、皆様はずっとあなたさまを護って下さっていらっしゃいます。この宝珠が王妃に奪われぬよう、魔法の力でこの離宮に誰も入れぬようにして下さっているのです』
フレデリカがそっと声をかけたが、アデリアは激しくかぶりを振って、
『宝珠なんていらない! お父さまにとって私が邪魔なんだったら、もう生きていても仕方ないもの!』
六つの宝珠のうち、紫の石は、不安定な光を瞬かせている。それは、『生きたいと思う心』……いくら食べ物や飲み物があっても、生きたいと思う心がなければ人は生きられない。宝珠がアデリアに力を与えても、アデリアがそれを受け取らなければ何にもならない。
『生きるのです、アデリア様。それがアデリア様の使命。生きて王妃に復讐し、救われた恩を返し、あなたが本来持っていた権利を取り戻すのです。そしてお父さまも』
『お父さまも……?』
アデリアの瞳に微かに光が灯る。フレデリカはそっとアデリアの手をとった。フレデリカの手はアデリアのものよりも冷たい。
『そうです。生きて、王宮での暮らしを取り戻して下さい。あなたにはそれが出来る道が残されているのですから』
初めてアデリアはフレデリカを見た。同じ年頃の、同じ黒髪と黒い瞳を持った少女。友達だ、って言った。友達ってなんだろう? 下働きの子どもと遊ぶ事は禁じられ、厄介者であるアデリアの所へ娘をわざわざ連れてくるような貴族もいなかった為、アデリアは友達というものを知らなかった。
『あなたは……友達?』
『アデリア様がそう望まれるならば』
『友達の手は、みんなこんなに冷たいの?』
この問いにフレデリカは苦笑する。
『いいえ……私も今のアデリア様と同じように、魂だけの存在として動いているのです。……天のお計らいによって』
『私たち、亡霊なの?』
『アデリア様のお身体はそこに生きておいでではないですか。私とアデリア様は、共にある事で力を強める事が出来るのだと、あの方々は仰いました』
フレデリカとアデリアが手を取り合うと、半ば透けていた二人の身体が段々と色を取り戻してゆくようだった。
『フレデリカ、私とずっと一緒にいてくれる?』
『はい、私はその為にここに呼ばれたのですから』
フレデリカが優しく笑むと、アデリアの心の氷は僅かに緩むようだった。
『友達……』
口に出して言葉にすると、紫の石は徐々に安定した光を放つようになってきた。『生きたいと思う心』。一旦は手放しかけたそれが、友達という存在が出来た事によって戻ってきたからだった。
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