僕の中の悪意
秋田川緑
僕の中の悪意
悲しいことに僕は神様だった。
多分、生まれつきだったのだと思う。僕が生まれた瞬間から、急に僕の家が裕福になり始めたと言うのだから。
自覚もあった。
最初は、僕が公園で同じクラスの理穂ちゃんと遊んでいた時のことである。
「あっ! ミーちゃんが!」
ミーちゃんと言うのは僕と同じクラスの理穂ちゃんがつけた名前だった。
子猫である。
親猫のいない野良で、周辺住民から可愛がられて生きている、まだ独りで生きていくには難しい小さな命。
そのミーちゃんが車に轢かれてしまったのだ。僕らの目の前で。
その残酷な状況に対し、当時7歳の僕らに何が出来ただろうか?
いや、何も出来るはずがない。
僕は呆然としていたし、理穂ちゃんは泣いて願うことしか出来なかった。
『生き返って』と。
その言葉を聞いて、僕は、本当にそうなれば良いと思った。
理穂ちゃんが願ったそれが叶えば良いと、思ったのはただのそれだけだった。
その瞬間である。
タイヤに腹を潰され、口から血を吐き出していた子猫が柔らかく光ったと思うと、次には何事も無かったかのように起き上がった。
ミーちゃんはヨチヨチとこちらに歩き、泣いていた理穂ちゃんに擦り寄る。
その体には傷さえ見えなかった。
『生き返った』
この話を両親にしたが、彼らは子供の作り話だと信じようとはしなかった。
理穂ちゃんの両親もそうだったらしい。
だが、僕は本能で理解した。
これは『僕の起こした奇跡なのだ』と。
僕は『他人の願いを実現させる』と言う超能力を持っている。
●
「ねぇ、神様。今日、コンビニ寄りたいんだけど」
「止めろよ。神様って呼ぶの」
僕と理穂は、中学の三年生になっていた。
あれから八年。
僕が奇跡を起こせるというのは二人だけの秘密として扱われていた。
使ったことも、ほとんど無い。
昔、理穂に一度聞いた事がある。
『何か願い事があったら叶えてあげるよ』と。
でも、理穂は首を横に振った。
『神頼みだなんて、本当に自分の力じゃどうしようも無くなった時にするものだと思う。自分で出来ることは自分でしたいから』
彼女はそう言うことを実践するタイプの友達で、そう言う幼馴染だった。
少しガサツに成長して、女の子らしいところはほとんど残っていないのだけれど、それでも彼女のすごく真っ直ぐなところは、異性としてたまらなく好きな部分だった。
今日は、ちょっと冒険しようと思う。
「理穂。僕たち、いつも一緒にいるけどさ。その、付き合ってるって思われてるらしいんだけど」
「えっ、ちょっと困るな、それ」
少し傷つく。
「不純異性交遊だなんて言われて、内申に響きそう」
続けて言われた言葉に、少しだけ救われた。
「僕は別にかまわないよ。そう思われても」
「何を言ってるんだよ、この神様は。馬鹿じゃないの? 今年は受験で忙しいのに、誰かと付き合うなんて余裕、あるわけないでしょーが。あんたは志望校ギリギリなんでしょ? 勉強をしなさいよ、勉強を」
それを言われると辛い。
確かに、僕が理穂と同じ学校に行くためには勉強をしなければならない。
「まぁ、受験さえなかったら、私もあんたに少しくらいは」
「えっ?」
「何でも無いよ」
理穂は慌ててごまかしたが、しっかりと聞いた。
胸がドキドキしたが、それでも踏み込んでそれを確かめないのは恥ずかしいからじゃなくて、そっぽを向いて知らん振りする理穂がとても可愛かったからだと思う。
緊張で喉が少し渇いているけれど、でも、今日はもう少しだけ冒険したい。
「あのさ、理穂。来週、映画でも行かないか?」
「映画? あのさぁ、勉強しないとって言ったそばから何を言ってるんだよ」
「息抜きだよ。公開期間もうすぐ終わっちゃうじゃん? あの『全米が泣いた』って奴」
「ああ、あれか」
理穂はしばらく考え込んだ後、言った。
「良いよ。私も面白そうだなって思ってたからさ。しかし何が全米が泣いただよな。全米ってなんだよ、嘘つけってんだ」
「まぁ、それは、理穂が」
言いかけて、止めた。
理穂が『全米が泣きますように』と願ってくれれば、アメリカ中の人を泣かすことだって、僕には出来る。
でも、彼女は僕がこの能力を使うことをあまり良く思っていないのだ。
時々、自分の能力を恨めしく思う。
君が願ってさえくれれば、僕はなんだって出来るのに。
何にだって、なれるのに。
「……言いかけて止めるなよな、気持ち悪い」
「何でもないよ。僕だって、言えない悩みくらいあるさ」
「ふーん、神様にも悩みかよ」
理穂はツンツンと僕のわき腹を突く。
「やめてよ。くすぐったい」
ふと、理穂が難しい顔をし始めた。
「理穂?」
「あのさ、こんなこと言うと軽蔑されそうだけど、ちょっと悩んでてさ」
「悩み?」
「神様はさ、私が願ったら、私の願い、叶えてくれるか?」
あの理穂がこんなこと言うとはと、驚いてしまった。
その気配を感じたのだろう。理穂は慌てて「ごめん、やっぱいい」と言った。
「良いってこと無いだろ?」
「そうだけどさ」
心底悩んでいる顔の理穂を見ると、彼女の悩みが酷く気になった。
「言ってみれば良いじゃん。叶えるかどうかは聞いてから考えるからさ」
「そう? じゃあ、言っちゃうけど、その、これね。私の悩みって言うか、別の人の悩みなんだけど、同じクラスの高橋っているじゃん?」
「高橋? ああ、弟が入院してる」
「そう、その高橋。高橋さ、なんだかすごい大変みたいで」
「弟さん、大変な病気なんだっけ?」
「そうなんだよ。手術のお金が足りなくて隠れてバイトしてんのは神様も知ってるだろ? 担任も見てみぬ振りしてくれてるあれな。で、こないだお母さんも過労で倒れちゃったらしくてさ」
「それは、辛いな」
「だろ? あ、でも違うからな。好きな男の子だからとか、そんなんじゃなくて、単純に何か出来ないかなって。一応言っておくけど、この間、クラスでこっそり募金やってみたの覚えてるか?」
「総額五百円しか集まらなかったってあれか」
「四百八十九円だよ。そりゃ十円玉と五円玉と一円玉が大量に集まったから、箱の中も少しは賑やかにはなったけど」
「高橋は喜んでたろ」
「そうだけど、私達に出来ることって、あまりにも小さすぎてさ。少し悔しいけど、高橋が何か願っているなら叶えてあげられないかなって、ちょっと思ったんだ」
理穂が僕以外の男の役に立ちたいだなんて思うのは、正直面白くなかった。
でも、願いを叶えてなんて言うから身構えたのに、まさか他人の願いを叶えて欲しいだなんて。
まったく理穂らしい。
「良いよ。理穂がそう言うなら。あいつが自分の願いを叶えられるようになれば良いって、僕も思うよ」
「ほんと?」
正直、何でも良い。
それよりもその時は、来週の映画のことが楽しみだった。
でも、僕はすぐに後悔する事になった。
見知らぬ他人の願いを叶えてあげるなんて、気安く思うべきではなかったのだ。
●
僕が理穂に言った「みんなに付き合っていると思われてる」と言うのは嘘じゃない。
理穂が男みたいな性格なので羨ましがられてはいないのだけれど、それでも、通学路で待ち合わせて一緒に学校に行くというのが毎朝となれば、そう言われても仕方がないと思う。
もっとも、僕も理穂も、僕の秘密を共有している仲間であり、互いを知りすぎた幼馴染なので、付き合うとかそう言った事は、あまりにも二人の関係とは遠すぎた事のように思うのだけれど。
それでも僕達は好き合っている。
確認はしていないけれど、お互いがずっと片思いで。
……そう思っていた。
翌朝、僕は理穂が待ち合わせ場所に現れないので、一人で学校に行った。
違和感を感じたが、一人で歩く通学路が新鮮だからとかそう言った事では決して無い。
気にしないで歩いたが、どうにも悪い予感がしていた。
「ねぇ信じられる? 高橋と理穂がお付き合い始めたって!」
教室の手前である。
言葉はしっかりと聞いたが意味が分からなかった。
高橋と理穂が、恋人?
「おめでとう!」
「おめでとう! 高橋君!」
人だかり。賛美の声を掻き分け、教室に入る。
なんなのだろうか、これは。どうして、誰も彼も、それが当然だと、理穂と高橋を祝福しているのだろう。
悪い悪夢のようで、僕は机に手を着いた。理解は後からやって来る。
「高橋、お前……」
話しかけた僕に、高橋は言った。
「君には悪いと思ってる。こんな時にって思ったし、好きになったのも最近だよ。でも、理穂さんも俺のこと好きだって言ってくれたし、支えてくれるって言うから」
何が起きたのかと思うと同時に、昨日の会話を思い出した。
『高橋が何か願っているなら、叶えてあげられないかなって』
『理穂がそう言うなら、あいつが願いを叶えられるようになれば良いと、僕も思うよ』
確かに僕はそう言った。そう思った。
高橋の願いは、これか?
理穂を、そんな目で見ていたと言うのか?
「理穂、本当なのか?」
「昨日言ったじゃん。高橋君が好きだから彼の力になりたいって」
『好きな男の子だからーとか、そんなんじゃなくて何か出来ないかなって』
それは『高橋のことが好きなわけじゃないけど』と言う意味では無かったのだろうか。
分からない。理穂の言葉も、何も。
「チューしろ! チュー!」
空気の読めないクラスの男子が騒ぎ立て、理穂と高橋は顔を真っ赤にしながら、それでも二人はお互い見つめ合った。
多分、高橋だ。
高橋が、僕が目の前にいるにもかかわらず、理穂とキスをしたいと願ったのだろう。
いや。これは、僕がここにいるからなのか?
高橋は、僕が目の前にいるから、あえて見せ付けたいと、そう願ったに違いない。
場が静まり返り、二人はそっと顔を近づけた。
それは、優しい、生まれたての恋人達がするキスだった。
そこから先は辛い日々しか覚えて無い。
高橋の母親は突然に回復し、不自然な大金が転がり込んで弟の手術も成功した。
理穂と高橋の交際は順調で、二人は毎日いちゃついている。
なるほど。
高橋が願った願い事は、全て実現するようになったらしい。
そして理穂が変わっていく。
普段着がジャージだったのに、短いスカートを履いて、髪の毛も伸ばしたいと言っていた。
言葉遣いもまるで女の子だ。きっと、高橋の趣味なのだろう。
変えられていく理穂を見るのが悲しくて、僕は目を閉じた。
でも、二人の噂は僕の耳に届いてしまう。
「高橋と理穂が薬局にいたってさ。レジで買ってたって。ほら、あれ買いに」
「じゃあ、あの二人、もうそこまで? まだ一週間経ってないぜ?」
精神は、すでにどん底まで落ちて行ってしまっていた。
それでも理穂が幸せならと無理やりにでも思い込み、明日からは頑張ろうと強く思いたかった。
でも、次の日、理穂が変な歩き方で歩いて「血も出たし、予想以上に痛かった」と話しているのを聞いて、とてもじゃないがそんなの無理だと思った。
こんな酷い世界なんて滅びてしまえと何度か思ったが、地球は変わらずに回り続けている。
僕は、自分の願いを叶える事が出来ない。
……彼女と出会ったのは、そんな絶望の最中だった。
●
「はじめまして。神様」
場所は理穂と行くはずだった映画館で、時間は放課後である。
その時、すでに上映は始まっていた。あたりは暗く、スクリーンに映った男達が英語で話し合っている。
音楽は無い。
「とりあえずここを出ましょうか」
彼女が急に僕の腕を掴み「立ってください」と続ける。
「誰かさんと約束してた映画を公開最終日に未練がましく観るなんて、惨めでしょう?」
その通りだったが、なぜそれを、と言う言葉が出てこない。
僕は立ち上がる。
そのまま明るい光の下に連れ出されたが、歩いている間、彼女がどうして僕に話しかけててきたのかをずっと考えていた。
彼女の着ていたのは見たことのある制服で、すぐに近くの女子高の物だと思い当たる。
美人だ。でも、顔に見覚えがない。
背は高く、髪の毛はサラサラとしていて胸元まで伸びているが、その毛先が触れている胸が大きく主張していて、目のやり場に困った。
「あの、僕のこと神様って言いましたけど、あなた、誰なんですか?」
「貴方に近しい人種ですよ」
意味が分からないが、彼女はまるで気にした様子も見せずに続けた。
「ある日、願ってみたんです。自分と同じ能力を持つ人間がどこかにいるなら、知りたいなって。そしたら私とは少し違うけど、似た能力を持つ人間がいることが分かった。もう、何年も前。そして、その人を密かに見ていました。でも、どう見ても私と同じようには見えなかった。ちっとも願いを叶えている様子が無かったので」
「あの、何を?」
「分かりませんか? 私が見ていたのは貴方ですよ。他人の願いしか叶えられない、不完全な人。可哀想な人」
彼女が僕を掴んでいた腕を離して、手を掲げる。
「私は『他人の願い』ではなく、『自分の願い』を叶えることが出来る超能力を持っています」
細い指が音を鳴らしたその瞬間、廊下の照明が全て消えて、周囲が真っ暗になった。
非常口のランプも消えているので、本当の闇だ。
慌ててスマートフォンを取り出し、電源を入れる。
「私が消しました。何もかも自分の思うままに出来ると言うことがどういうことなのか、これが出来ない貴方なら分かるでしょ?」
言葉が何も出てこない。
スマートフォンの頼りない光で彼女を捜したが、光は全て闇へと吸い込まれるようにして消え、見つけることは出来なかった。
彼女は、笑いながら言葉を続ける。
「落ち着いてください」
瞬時に明かりがついて、眩しさにまた驚く。
彼女は近くにあった映画の巨大ポップスを撫でていた。
「『全米が泣いた』ですって。嘘ばっかり。でも、私はその気になれば実現させられる。全米を泣かす事だって、滅ぼす事だって出来る。誰の助けもなく、願うだけでね」
……今、分かった。
全て理解した。彼女は、僕の上位互換的な超能力を持っている人間で、僕に会いに来たのだ。
「それで、何のために話しかけて来たんですか?」
「貴方を笑いたくてって言ったら、怒ります?」
「怒りませんよ。でも、出来れば放って置いてください」
「それもそうはいかないのです。私には貴方に接触する理由が出来たから。面白いと思う以上に。あの高橋を何とかしないといけない」
「高橋?」
「そう。貴方が貴方の幼馴染と馬鹿なことをしたせいで、高橋は『自分の願いを叶えることの出来る人間』になってしまった。私と同じ能力です。貴方よりもずっと使い勝手の良い能力。でも、これは危険な力なんです。同じ能力がある私には分かりますが、この力はその気になれば人だって簡単に殺せる。自然災害だって思いのままです。でも、力の本質を本能的に理解して生まれた私や貴方ならこれを自制できます。が、高橋は違う。高橋は元々一般人です。自覚もなければ自制心も無い。何か間違いを起こす前に始末しなければならないと思います。でも、どういうわけか、私がどれだけ高橋の死を願っても何も起きません。高橋は殺せませんでした。同じ超能力を持つ人間には力の相殺が起きて干渉出来ない、と言うのが、この現象に対する私の結論です。だから、私は貴方の協力を求めています。そのために会いに来ました」
彼女はにこりと微笑んで、とても物騒なことを言う。
「一対一で力の相殺が起きるのなら、二人分の力で協力すれば殺せるかもと、そう思いませんか?」
その声は軽やかに透き通ってはいたが、言葉は悪魔のような邪悪さだった。
正直混乱している。
「……例え高橋が何か間違いを起こしたって、僕とあなたが一緒ならなんとか出来ませんか。殺すなんて、そんな」
彼女は少しだけ考えて、それから答えを出す。
「何かあってからじゃ遅いと思いますよ? 高橋が何かの弾みで『世界なんて滅べば良い』なんて願ったりしたらどうします? 私が願ってもアイツは死なないんです。世界が滅ぶんですよ? 対応が少し遅れて、本当に滅んだらどうしますか?」
「それは」
「それに、すでに手は打ってしまいました。私は今日、直接あいつの死を願っても殺せないならと、他を対象にして願いました。目星をつけたゴロツキ共に『こいつらが高橋を殺せますように』と。もう、向かっています。でも、今のままでは失敗すると思っている。上手く行く気がしないんです。だから、貴方からの後押しが欲しい。協力してください」
「後押し?」
「私の願いを叶えてください。それだけです。今のままじゃ、高橋が抵抗して生き延びてしまう。いつでも良いですよ。貴方から想い人を奪った高橋が死にますようにと、私は願っています」
その一瞬、高橋に対する嫉妬が甦った。
本当に一瞬だったと思う。
高橋に対する、殺意の肯定。
「……ありがとう。今、私の中に実感が現れました」
「ち、違う、今のは」
「もう遅いです。高橋は死にます。お疲れ様でした。それで、もし、良かったらこの後、私とこの映画を」
とっさの判断だった。すでに、僕は手に持っていたスマートフォンで理穂に電話をかけている。
コール。
『……ッ……ッ』
「理穂! 高橋と一緒か?」
『か、神様? 助けて! 高橋君が!』
「分かってる! 良いから願え、早く!」
『ッ、神様! 高橋君を助けに来て!』
「君! 余計なことしないで!」
目の前の女が僕に手を伸ばして来た。が、それよりも僕の変化の方が早い。
瞬間移動。
僕の目の前の景色は一瞬にして変わる。
線路の高架下。理穂と、高橋を囲んでいる四人の男達。
そして、高橋は……
「間に合わなかった?」
高橋は死んでいた。
体中に突き立てられた刃物。流れる血。
駆け寄った理穂が、呆然としている僕の胸を殴った。
強い力ではない。だが、とても痛く感じた。
「は、早く生き返らせて! ミーちゃんの時みたいに! 早く!」
無理だった。
理穂の願いを聞いていながらも、それを叶えてあげようという意識が湧いて来ないのだ。
全部、あの女のせいだ。きっと、あの女の願いが僕の邪魔をしている。
「何、やってるの? 何で、何も起きないの?」
「出来ないんだ」
「出来ない? 何言ってんの? そ、そっか! そうだよね! 本当は、高橋君のこと憎んでたんだよね! 私と恋人になったから! それで無理だって言ってるんでしょ!」
……やっぱり、僕の気持ちを分かっていたのか、理穂。
悲しくなると同時に、高橋に対する感情を否定することが出来なくて、僕は何も言えなかった。
そのせいで高橋は死んだも同然なのだから、何かを言えるはずが無い。
「このままにしといた、絶対に許さない」
軽蔑の視線。
理穂を奪った高橋は死んだ。
でも、こんな結果を僕は望んでいない。
何か、打開策を考えなければ。
と、その時。状況をひっくり返すことの出来る手段が閃いた。
出来るかは分からない。でも、もう、これしか考え付かない。
「理穂、今は説明できない。説明する時間が無いんだ。だから頼む。願ってくれ」
「何をよ!」
「もう一度やらせてくれ。僕が過去に戻ってやり直すように、願ってくれ! 数分で良い。これしか方法が無いんだ」
理穂の沈黙。そして言葉。
「分かった」
瞬間、僕は淡い光に包まれ、時間の逆行を目にする。
突き刺さる刃。泣き叫ぶ理穂。捕まる高橋。
そして、時間は高橋が男達に声をかけられるところまで戻った。
成功だ。
だが、すでに男達は高橋の服を掴んでいた。もう、一刻の猶予も無い。
「理穂! 願ってくれ。この男達を叩き伏せれるだけの力を僕が持つように!」
だが、そう言った瞬間、男達の一人が理穂の顔を殴りつけた。
「させない!」
視界にあの女の姿が現れた。怒りの形相で僕に叫ぶ。
「高橋を殺さないとまずいって言うのが、どうして分からないんですか!」
その声の途中、男達の一人が懐からナイフを取り出し、高橋の腹を刺した。
二度、三度。
「止めろ!」
僕は駆け出す。
自分でも驚くほどのスピードで。
どうやら、殴られながらも理穂が願ってくれたようだ。
だが、男達が黙ってはいるはずがない。
全員が戦う姿勢を見せて、あの女が笑う。
「とことん邪魔をすると言うのなら、予定変更にします。とても残念ですよ。この後、お付き合いして、幸せな家庭でも築けば貴方の子供を生んでみるのも面白そうかと思ってたのに。貴方には痛い目に遭ってもらいますよ。私が願えば、貴方の能力とイーブンです。抵抗してくださいね。賞品はその女の命です。貴方が負ければ死んでもらいます。幸い男も数人いますしね。死ぬ前に酷い目にも遭ってもらいましょうか。ボロボロに負けた貴方の目の前で、女として生まれたことを後悔させてやりましょう」
「……させるかよ」
僕は戦わなければならない。負けることは、決して許されない。
「来い!」
僕の言葉に応えるように、ナイフの鋭い光が走った。
顔を上げた理穂の悲鳴。
だけど、僕にはその軌道が読める。
殺意は、黒い意思の線となって走っている。
瞬時に男達のナイフを叩き落とし、蹴り飛ばした。
喧嘩は素人のはずだったが、僕は理穂の願いによって強化されている。
だが、相手は戦い慣れしていた。
間合いのつけ方、暴力を使うことへの遠慮の無さが、僕の優位性を消しにかかって来る。
骨の折れる音、血の臭い。痛み。
やがては一人倒れ、二人倒れ、三人が倒れた。
僕はまだ立っている。
だが、その時には僕の受けたダメージも甚大な物となっていた。
ヒューヒューと喉から出ている音。
右腕の指は、全てひしゃげて曲がり、耐え切れないほどの痛みを放っている。
胸の骨も痛くて、呼吸が苦しい。
もしかすると、肋骨にも何かが起きてしまったのかもしれない。
顔も殴られすぎていて、頭もフラフラとしていた。
こんな状況で立っているのが不思議だったが、思い直す。
理穂だ。
理穂が、僕に戦えと願っている。
だから、戦える。
僕は願った。
彼女を守りたい。負けるわけにはいかない!
「うおおおおおおおお!」
僕は吠えた。
瞬時に光が瞬き、高橋を刺した男のナイフが、僕の首の皮一枚を切って、外れる。
僕の反撃は体当たりだ。
肩が相手の腹部に衝突し、四人目が大きく吹っ飛んで、背中から派手に着地した。
男は立ち上がらない。
「僕の、勝ちだ」
例の女は混乱した有様を見せていたが、僕と理穂に見つめられると歯を食いしばり、現れたと同じように姿を消した。
そして、それが僕の意識の終わりだった。
●
それからどれくらいの時間が経ったのだろうか。
気がつくと病院の一室で、すぐそばに見舞いに来ていたらしい理穂がいた。
あの時に殴られた里穂の顔が腫れていて、僕はそれを可哀想だと思った。
「顔、痛くないか?」
不意に発した僕の言葉に、理穂は酷く驚いている。
「こ、こっちのセリフだよ、そんな顔で。気がついたの? 大丈夫?」
「高橋は?」
理穂は表情を暗くすると、首を横に振った。
「そんな」
「ね、ねぇ? 悪いのは、あの女なの? ちゃんと願いが叶わないのって、あの女のせいなんでしょ? 言ってたこと、普通じゃなかったもん。そんな怪我までして。私、ちゃんと願ったのに、あんたまで、そんなになって。右手、もう、前みたいに動かせないかもって、お医者さんが」
確かにまともに動かせる気がしなかった。
でも、今は右手なんて良いんだ。
理穂に、謝らなければならない。
「ごめん。何も出来なかった」
理穂が僕の顔を抱きしめた。
正直、すごく痛い。
でも、それでも今は、それが心地良い。
理穂の涙が、僕の顔に落ちる。
「戦ってくれたでしょ? 私を守ってくれたでしょ? 自分を責めないで」
胸が顔に触れているが、顔に痛覚しか存在しないような状況なので、それを確かめることが出来ない。
ただただ、理穂の心臓の音が聞こえた。それが、本当に嬉しかった。
理穂は涙を拭うと、言う。
「ごめんね。私も、悲しくてつい」
「良いんだよ。本当に辛いのは理穂だろ? 泣いて良いから」
「うん」
それから少しの間、話をした。
理穂は語る。
高橋を刺した男達がみんな捕まったこと。でも、何も覚えていなかったこと。
僕は話した。
あの女のこと。願いの相殺のこと。そして、これからのこと。
話の途中、理穂が思い出したようにして「忘れてた。お医者さん呼んでくるね」と言って出て行き、病室は僕だけのものとなった。
静寂。と、僕のすぐ近くに気配が現れた。
あの女だ。
女は、僕をじっと見つめていた。
「僕を、殺しに来たのか?」
「いえ。それはまだ決めてません。ただ、どうもすっきりしないので、確かめさせてください」
「……何を?」
女が僕の目を覗き込んで来て、言う。
「わざとですよね、それ?」
「わざとって?」
「とぼけないでください。思えば最初から違和感があった。なんで高橋はあっさり刺されて死んだんですか?」
「僕と君の力が拮抗して、それで相殺されたんじゃないのか? あいつを守る力なんて、どこにも働かなかった」
「違います。あの場には三人いた。私と君、それから高橋の三人です。高橋は『自分の願いを叶えることの出来る能力』を持っていたんですよ? おかしいじゃないですか」
「……」
「三人いて、どうして高橋が刺されて死ぬんですか? 高橋だって死にたくないはずです。だったら答えは一つ。貴方は時間を戻しても、私の、高橋の死への願いに加担していたままだった。そうでもなきゃ説明がつきません。今もです。貴方は高橋を生き返らせようともしてない。先ほどまで、私が高橋が蘇りませんようにと願っていましたが、この結論にたどり着いたので願いを撤回してみました。予想が外れて蘇っても、また殺せば良いと。でも、生き返りません。試しに、私から彼が蘇るようにとも願ってみました。それでも生き返りません。相殺されてます。これが答えです。しかし、違和感は他にもあります」
「……何だよ」
「どうして貴方が勝ったんですか? あの時、イーブンと言ったでしょう? 対象は違えど、お互いの能力がぶつかったのなら、相殺されて願いなんて無効のはずです。貴方の方の願いは聞いていましたから、ちゃんとあの四人が貴方よりもさらに強くなって叩きのめすようにと私の方で願いました。それで相殺です。相殺のはずだったんです。そして、ゴロツキ四人に刃物ですよ? 能力が相殺されて何も無い状況なら、貴方はほんの数秒でやられてしまっていたはず。なのにあの場では貴方だけが強くなって、貴方が勝った。私の願いは叶わずに、貴方が叶えた願いの方が優先されてしまった。正直、意味が分かりませんでした。だから仮定したんです。もしかしたら、私の願いの方はかき消されてしまったのではないかと。同時に願った場合、貴方の『他人の願いを叶えてあげる能力』の方が優先されて、願いが発現しちゃえば私や高橋の能力なんてまるで歯が立たないんじゃないかと」
「なるほど」
「それでですね。はっきりさせたいのは、そもそも貴方があの女に願えと言った内容がおかしかったからです。どうして『男達を叩きのめせる力を与えてくれ』だったんです? 『男達を気絶させろ』でもなく、高橋の生存でもなく、『戦える力を与えてくれ』だったんです?」
「必死だったんだ。君が来るのは分かってたし、正攻法なら相殺されるかもって思って、それで」
「なるほど。それは理にかなっている。でも本心としては違いますよね? なら、聞きますが、その怪我は何なんです? あの時、貴方の方にだけ願いの発現が起きていた。だったら、一方的にあっさり勝つことも出来たはずです。貴方は自分が怪我を負わなくてはならない理由を思いついた。だから自分のさじ加減で自由に戦える内容を願わせたんです。そうですよね? 力を与えられても、手を抜くことは出来ますから。……たいした役者ですよ。苦戦して、精一杯やって、大怪我までして。それでも高橋を助けられなかったと、そう演出して殺したんですからね。結果、悪者は私、ただ一人。幼馴染があなたに優しくなったようで、何よりです」
「……」
女が懐から刃物を取り出した。
「何も言わないところを見ると、図星ですか。なら、やはり始末することにします。これでもかなり迷っていました。実は、何年も前からずっと見ていて、その、貴方の事、好きになっていたので。でも、貴方は私を見てくれない。だから、今からこれを貴方に刺して、殺します」
鈍く光るナイフ。
「絶望しました? しましたよね? 私の願いでは殺せません。だから、これはただの凶器で、今からするのは殺意の直接的表現です。最後にべらべらとお喋りしたのは、その表情が見たかったからですよ。貴方が私より優れた超能力を持っていても、あなたは助からない。……最後に教えてください。どうしてなんですか? 映画館で初めて声をかけた時、直感で貴方も私を好きになってくれたと思ったのに。遺伝子の相性を見れば、私に惹かれているはずなのに。なのに、私を選ばなかった。何でですか? なんであんなオトコ女が良いんですか? 胸も無い。特別顔も可愛いわけじゃない。しかも高橋に願われたとは言え、他の男に愛を囁いて、抱かれたんですよ? それなのに…… いえ、もう止めます。貴方には失望しましたから」
女の目がスッと細まった。
どうやら。一人語りしている途中で
「さようなら、私が好きだった人。安らかに死んでください」
女が息を止め、次の瞬間、冷たい刃を僕の腹部へ向けて走らせた。
だが、その切っ先は僕の肌で止まる。
それ以上動くことは無い。
「……何で? 刺さらない」
「無駄だ。僕が傷つけられることのないようにと願わせておいた。理穂に。ついさっき」
「何、を」
「この意味が分かるか? お前は僕を殺すことが出来ない。僕に敗北は無いんだ。そして、僕は絶望なんかしていない。これは勝利の確信だよ。能力の優劣なんて僕は知らなかったのに、君が教えてくれたんだ。君よりも強い能力を持っている僕が、君を憎んでいる理穂と一緒にいると言うことがどう言う事かを」
女の表情がサッと変わった。
なるほど。
この顔は確かに見る価値がある。
「な、なんで? ただの、優しいだけの人間だったはずなのに。こんなに用心深い人間ではなかったのに」
「僕は気づいたんだ。何かを手に入れるためには、自分の心でさえも殺さなければならないと言うことを。あなたが僕の前に現れなければ気づかなかった。高橋を殺すことを僕に囁いた、あなたの言葉が僕を目覚めさせてくれたんだ。全て貴女の言うとおりです。あのまま高橋が生きていたら、理穂はずっと高橋の能力に捕らわれたままだったでしょう。怪我のことも正解です。あれは賭けだった。勝算なんてほとんど無かったけど、それでも戦えた。僕には腕の一本なんて簡単に失う覚悟がある。この腕は理穂が願っても治しません。そうしたら、理穂は僕を見てくれる。貴女から守るために負った、治ることの無い負傷に自責の念を感じて」
女が目を見開いて掴みかかってきた。
だが、彼女は僕を傷つけることが出来ない。彼女のどんな力でも、僕を害することは出来ない。
「そう言えばあの時、子供を作るって言ってましたか? 僕と貴女の? ふざけないで欲しいです。確かに、僕らの超能力は不思議すぎる。突然変異としても不自然だ。この遺伝子が組み合わさったらどうなるのかなんて興味があるのは分かりますよ」
「ち、違う、私は純粋に、貴方が」
「迷惑です。どんなに胸が大きくても、理穂に比べたら貴女なんてちっとも魅力的じゃない。お断りします。確かに、理穂は全然女の子っぽくない。言葉使いも悪いし、映画もアクション映画しか観ない。好きな食べ物は特盛りのカツ丼で、スカートなんて履いたことも無かった。胸もぜんぜん無くて、髪も短くて。でも、僕にはそれだって魅力的なんだ。だから理穂が良い。理穂だけで良い。貴女みたいな女が何人いようと、何百人いようとまるで意味が無い。それじゃあそろそろお別れです。僕の方は、理穂の願いを叶えるだけです。貴女の推測通りなら、きっと相殺もされない」
「ま、待って。お願い」
「大丈夫です。殺しませんよ。さっき、理穂が願ってくれました。『あんな奴、消えてしまえばいい』って」
「やめ」
女は言葉を最後まで言うことが出来ずに消滅した。
気配も、いたと言う痕跡さえも残してはいない。
そして、理穂が医者と僕の両親を連れて病室に入ってくる。
「理穂」
僕は好きな女の子の名を呼んだ。
両親や、他人の前でだってかまわない。僕は平気だ。誰に何を思われようと。
理穂。僕は君が好きだ。
もう、失敗しない。君を手に入れたい。
これは、僕の中で目覚めた悪意であり、君への執着であり、愛なのだ。
<了>
僕の中の悪意 秋田川緑 @Midoriakitagawa
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