『廻る時』
凪慧鋭眼
短編 『廻る時』
時、または時間。
人の、最も思い通りにならないもの。そして当時に憧れを抱かせるもの。
誰であろうと過去にもどれたら、未来が知れたら―――そんな思いを抱いたことがある筈だろう。
時間とは、憧憬を抱かせるもの、それと同時に命そのものだ。
時の流れにより人は、生物は成長し―――朽ちてゆく。
その流れには誰も逆らうことは出来ない、逆らってしまったなら、それは既にナニカなのだ。
生物以外の、忌避すべきナニカ。
時があるから命が育ち、同時に時があるから命は潰えてゆく。
潰えた命は、時が戻らないのと同じように戻ることは無い。
これはそんな当たり前のことに抗った、一人の男の物語―――――
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
八月二十日。
今日も今日とて、殺人的な猛暑だ。
「あー、暑い」
自宅の居間で寝そべる俺は唸るような熱気をその身に感じながら、うんざりするように呟いた。
「暑い暑い言ってるから暑く感じるのよ。まぁ、今年は特別暑い夏だけどそろそろ馴れなさいよ」
自分はうちわで扇ぎながら、親はそんなことを言ってくる。
このやり取りも、もう何度目だろうか。
それを思い出せないくらいに、今年の夏は異常だ。
何でも二十年に一度の異常気象なのだとか。
「………うへぇ」
ふと、壁に取り付けてある温度計を見た俺の口から変な声が漏れた。
思わず出てしまった。それくらい驚きだった。
温度計の針は、なんと四十九度を指していた。そんな温度見たことが無く、うんざりする暑さに拍車が掛かったように感じた。
「……ちょっと、出掛けてくる」
「暗くなるのが遅いからってあんまり遅くなっちゃ駄目よ?」
「分かってるよ。………いってきます」
部屋の中より外の日陰の方が、風のある分涼しいだろう。そう思い靴を履き替え、俺は家を出た。
夏休みに入ってからは外に出る度に親と同じような会話を交わす。今はそれが凄く不快だった。
何度も、何度も、同じ日常。
幾度も、幾度も、繰り返される会話。
何だか時間が進んでないような気がして、そんな馬鹿げたこと有り得るはずないのに。
有り得るはずがないのに、俺は唸るような暑さの中、背筋が寒くなるのを錯覚した。
「っ」
どうしたんだろうか?
自分でもそう思うが、それでも家から離れる足は止まらない。
気付けば走っていた。肌を焼く日差しの中、全力で走っていた。
何かから逃げたくて、でもそれが何なのか分からなくて。
ただただ、焦燥ばかりが募ってゆく。
そんな気持ちから逃げるようにして遠くへ、遠くへ、走った。
気がつくと、知らない場所にいた。
「はぁ、はぁ、こ、こは、何処だ?」
息を切らしながらまわりを見る。
目の前に広がるのは一本の坂道、とても急ですぐに向こう側が見えなくなっていた。
辺りに広がるのは鬱蒼とした木々の群れ、葉と葉が空を覆い隠し日差しが僅かになっていた。
暗い、そして―――寒い。
異常気象どころか、秋の初めのように寒い。
かいた汗が俺の体温を容赦なく奪っていく。
「とにかく、戻らないと」
何だか妙に胸騒ぎがして、戻ろうとした。
だけどそれを口にした瞬間、思う。
戻るって、何処へ?、と。冷静になって、頭も身体も冷えて考えてみれば俺が嫌だったのは暑さだけでは無かったのだろう。
毎日同じようなことしか喋らない親、やる事が無いから生じる変化の無い、停滞した日常。
俺はそれが嫌で嫌で、唸るような暑さよりも嫌で逃げてきたんだ。
そんな風に思い返し、ふと気付く。
俺は何故こんな考え方をしてるんだっけ。確か昔に―――
「うっ!」
突然、頭痛が俺を襲った。
頭が割れるような、鈍器で思いっきり殴られたように痛む。
立てない、
熱を持ったかのように痛む頭に触れる冷たい地面は凄く心地よくて。
少し和らいだ痛みによる安堵を覚えながら、俺は意識を失った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「ここ、は……?」
痛む頭を抑えながら、俺は立ち上がる。そして疑問を覚えた。
何故ならそこが、見覚えの無い場所だったから。
頭痛で倒れ気を失った場所とは似たような、けれども決定的に違う風景が俺を囲っていた。
目の前に広がる急な坂道。しかし周りには草木一本生えてなかった。
代わりに俺を取り囲むのは手作り感満載のアスレチックの集まりだった。
「あ! おにちゃんだ!」
「うおっ! ……えっと、え?」
周りを見ていた俺は背後から掛けられた幼い声に驚いた。
振り向き、見知らぬ子供にお兄ちゃんと呼ばれたことが混乱を生んだ。
「お兄ちゃんって、俺のこと?」
「うん! 遊ぼー!」
「うわわっ!」
おさげを特徴的な女の子は俺と余程遊びたいのか無理矢理連れて行こうとする。
子供でも体重一杯に力を加えればそれなりの力となる。
俺は予想外に強引な誘いに反応出来ず、アスレチックへと女の子に連行されていった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
それから俺は、童心に返ったかのように遊んだ。
俺は子供が好きだ。勿論性的とは別の意味でだ。
無邪気に、無遠慮に、周りを気にせず、他人を気にせず、楽しいという感情を振りまく小さな子供、その笑顔。
それは久しく見ていない仮面の下の
何時も浮かべる愛想笑いではなく、本当の感情。
久しぶりに浮かべる剥き出しの感情表現は、とても楽しく、とても開放的だった。
女の子の勧めてくる遊びは俺が子供の時にやっていたものも多く、ローカルルール等を交えながら楽しく行えた。
幼子とは決して言えない俺が勧められて仕方なく『ままごと』をしたのも、中々に新鮮な体験だ。
けれと、何かか変なのだ。
楽しくない訳では無い。けれども、ならばこの心中に渦巻く得体の知れない焦燥、不安―――違和感は何なのだ。
「新、鮮………?」
「おにちゃん。どうかした?」
女の子が急に手を止めた俺を見てくるが、そんなことに答えられない程の違和感が、俺の中で急速に膨れ上がってきた。
何か、何か大事なことを忘れている! だが、それは何だ? 俺は、今のような体験を過去にしたことがあるのか………?
「ねぇ君。名前、教えてもらっていいかな?」
何故だか、無性にそれが気になった。というか何故今まで気付かなかったのだろうか。
女の子の顔は奇妙な、不気味でさえある靄が掛かっていたのに!
「言ってなかったっけ? あたしの名前はくらしますずかって言うの!」
「っ」
靄が消え、少女の顔が現れる。
そばかすが特徴的な、眩しい程の笑顔を浮かべていた。
そして、俺の感じていた違和感が、思い出せなかったモノが掘り起こされていく。
倉島、鈴香。
隣家で育った幼馴染。
小さい頃、よく彼女と外で遊んでいた。
太陽のような笑顔と何時も髪を纏めていたおさげ、頬に散りばめられたそばかすが印象的な女の子。
………十年前の八月二十日午後五時。眼前でぐちゃぐちゃになりながら、トラックに轢き殺された女の子。
俺が、救うことの出来なかった、大切な人。
俺はトラックが山に突っ込んだ衝撃で引き起こされた土砂崩れに巻き込まれ、重症を負った。
その時のショックで記憶を失っていた。
「だとしてもッ!」
何故、何故忘れていたのか。忘れられたのだろうか!
彼女は、俺の初恋の女の子だったのに!!
「はっ!!」
全てを思い出した頭で周囲を見渡し、気付く。
この場所、森の奥にあるアスレチックが十年前、彼女が死んだ場所だということを。
いつの間にか、目の前の少女と同じ目線、そして子供服へと変わった事実に気付き、そして理解する。
「ここは、十年前の八月二十日。ははっ、タイムスリップって奴かよ」
「ゆうくん?」
小さい頃の呼び名を、もう聞くことが出来ない筈の声で呼ばれ泣き出しそうになる。
だが、それも全て後回しだ。俺は、俺の成すべきことを成すッ!!
「今の時間は………ッ!!」
アスレチックの時計を確認し、体が強張った。
長針は四を、そして短針は―――五十九を指していた。
マズイッ!!
「あっ! 猫だー!」
「すずッ! 危ないッ!!」
危機感が起き鈴香の方へ振り向いた時、既にことは動いていた。
あの時と同じ、薄っすらの暗くなりつつあるこの場所でなお黒黒とした猫を追い彼女は車道へと向かっていく。
少し視線をずらせば戦車の如き勢いで突っ込んでくるトラックが視界の端を掠める。
考えるよりも早く、俺は全速力で駆け出した。
『間に、合うか……ッ!!』
黒猫が逃げ出し、それを追う為鈴香も走る。小さい頃から運動が得意だった俺は彼女との距離をどんどんと詰めていく。
ブブーーーッ!!!
「ひっ」
車道に飛び出した鈴香に、トラックから鋭いクラクションが鳴らされた。
その音、そして眼前まで迫った凶悪なまでの質量に足が竦み鈴香は立ち止まる。
既に、猶予は無かった。だから―――
「と、どけえぇぇぇえぇぇッ!!」
「っ。え?」
―――だから、僕には彼女を突き飛ばすのが精一杯だった。
縮こまっていた体を無理矢理突き飛ばされ、鈴香の顔は驚きに彩られていた。
ははっ、こんな時だけれど、間抜けなその顔に思わず笑いが込み上げて来る。
あーあ、思い返せば結局、告白出来なかったなあ。
鈴香、将来可愛くなったんだろうな。一目で良いから、見てみたかっ――――
十年後。
「お姉ちゃん! あーそーぼっ!」
「え? お姉ちゃんって、私のこと?」
END
『廻る時』 凪慧鋭眼 @hiyokunorenre
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