政略結婚の末

しきみ彰

第1話

 フェノン国では今、とある貴族の結婚が巷で話題に上がっていた。


 片や、容姿端麗で全てにおいて完璧な、ウルティン公爵家長子ルクスフィルト。

 片や、貴族にしては平凡な見た目を持つ、サクストン公爵家次女アミルメル。


 身分は釣り合っていたが、その見た目や中身はまるで釣り合っていない。

 そう。ふたりの結婚は、政略的なものだったのだ。



 ***



「御機嫌よう、アミルメル様。此度はご結婚おめでとうございますわ」

「ええ、皆様。わざわざお祝いの言葉をありがとうございます」


 アミルメルは、ラシスフィール侯爵家主催の夜会にて、内心げんなりとしていた。顔に出ていなかったのは、今までの教育の賜物と言っていい。彼女は平凡な見目をしているが、中身はまごうことなき公爵家令嬢だった。


 微笑を浮かべ、所作ひとつひとつに優美さを感じさせる動作は、誰がなんと言おうと貴族の技だ。ただ周りに集まってくる令嬢方がここまで多くなければ、アミルメルとて適当にあしらえていたことだろう。


 しかし彼女たちから吐き出される言葉は、丸く包んではいるものの悪意で満ち溢れていた。


 その理由こそ、アミルメルの夫にあった。先日挙式を挙げた彼女の夫は、令嬢方の中で最も人気が高かった、ルクスフィルトなのだ。


 突き刺さる悪意と視線を適当にかわし、時折笑顔で反撃しながら、アミルメルは「政略結婚って面倒臭い」と思う。


 相手ひとつ違うだけで態度が変わるとは、貴族の名が泣けるとも思った。


 そもそも政略上の結婚に、本人たちの意思はない。


 ウルティン家としては、次代に当主として治まるルクスフィルトの権力を万全にしようと考えただけだろうし、アミルメルのサクストン家も、ウルティン家との仲をより強固にするための政略としか考えてない。


 されどそれが悲しいかと問われたら、アミルメルははっきり「それはない」と言えた。


 なんせアミルメルは、公爵家の娘なのだ。しかも次女。既に家を継ぐことが決められた長男は、王家の第四王女を娶っているし、長女も第二王子の元に嫁いだ。結婚などそもそも、貴族にとっては道具でしかないのだ。ならば次女の誇りとして、それ相応に位の高い男のもとに嫁ぐのは、アミルメルの役割と言えよう。

 たとえ美形が多い一族の中でも「平凡」と言われようが、アミルメルは家のことを大切に思っていた。

 彼女は家族からも愛されていたし、家族を愛してもいたのだ。


 まぁ確かに、見目が釣り合わないルクスフィルトのところに嫁ぐことになろうとは、毛ほども考えていなかった。けれども父が決めた結婚に、口を挟める立場にはない。おとなしく頷き密かな顔合わせなどを終え、そして挙式を挙げ終えたらこれだ。図太さが売りのアミルメルとて、さすがに疲れてくる。


 嫁ぎ先のウルティン家は、アミルメルを決して蔑ろにすることはなかった。むしろウルティン家公爵夫人として、それ相応の対応をしてくれた。


 しかし外野がここまで騒ぐとは。


 アミルメルは頭の中で広げた参加者名簿に赤印を付けながら、「政略結婚って面倒臭い」と再度思った。


(というより、わたくしが無能だと思っていらっしゃるのかしら。裏では色々とやっていたのですけれど)


 アミルメルが評価されていた点は、その情報収集能力と分析力だ。平凡な顔をしていると、それに難癖をつけ嘲笑う輩が出てくるのだ。つまり、向こうから弱点をさらけ出してくれるのである。これからのサクストン家のために、父や兄に情報を渡していたのもアミルメルだ。

 つまりこの平凡顔はアミルメルにとって、そこそこ役に立つ道具だったのだ。


 兄は言う。「アミルメルを舐めると、ただでは帰れないぞ」と。


 現にそれで、幾つかの貴族とのお付き合いをやめさせてもらった。向こうは泣いて謝ってきたが、証拠が上がっているため慈悲などない。

 裏では密かに『茨をひそめた平凡姫』と言われていたが、彼女からしてみたら「平凡平凡うるさい」と言ったところだった。


 要注意人物、及び危険人物のピックアップが粗方終わったところで、アミルメルはにこやかに令嬢たちの輪から抜け出す。


「それでは皆様、わたくしこの辺りで失礼いたしますわ」

「御機嫌よう、アミルメル」

「御機嫌よう、皆様」


 笑顔で腹の探り合いなど、日常茶飯事だ。

 毒々しい輪から離れたアミルメルは、疲れた我が身を癒そうと甘いものに手をつけることにした。


 されどそこで、声がかけられる。


「アミルメル」


 刹那、彼女の体に殺気が突き刺さった。

 アミルメルは内心叫び声を上げながらも、にこやかに振り返る。

 そこには、赤い髪をした長身の美男子が佇んでいた。


「あら、ルクスフィルト様」

「やぁ、アミルメル。君のために甘いものを持ってきたのだけれど食べるかい?」

「まぁ。嬉しいですわ」


 視線が一気にふたりに集まり、主にアミルメルにのみ、殺意を含んだ視線が注がれた。

 されどそのやっかみから守るかのように、ルクスフィルトは彼女の手を取る。そしてそっと口を動かした。


「大丈夫か?」

「……はい、ルクスフィルト様。ありがとうございます」


 食べ物が乗った皿を受け取りつつ、アミルメルは頷く。そして周りには悟られぬよう注意しつつ、言葉を交わした。


「ルクスフィルト様。夜会に来る前にお話したことなのですが、どうやら本当のようです。お気をつけください」

「そうか。分かった」


 アミルメルはそっと息を吐き出した。

 彼女がルクスフィルトに対して送った注意勧告は、ルクスフィルトに深く付きまとっている侯爵令嬢のことである。節度を守る者もいるが、度が過ぎる者はどこにでもいるのだ。現にアミルメルとは顔なじみの令嬢たちは、その侯爵令嬢に対して憤りをあらわにしていた。


 アミルメルと結婚した後ですら続くのだ。さすがに限度がある。

 こう言った夫のことを管理するのも、妻の仕事だ。


 彼女はあとどれくらいで夜会が終わるのか、それを考えてくらくらした。

 実を言うと昨日参加者名簿を暗記するのに手間取りあまり寝ておらず、睡眠不足なのだ。その上うるさいやらかしましいやらで今、アミルメルの頭は沸騰しそうになっていた。

 完璧な体調不良だ。アミルメルはその後、気力で夜会を乗り切った。


 しかしなぜか、馬車に乗ってからの記憶がない。

 気がつけば彼女は、ふかふかのベッドの上で朝を迎えていたのだ。









「ルクスフィルト様、誠に申し訳ありませんでした……!!」


 アミルメルがルクスフィルトに発したその日の第一声は、謝罪だった。

 食卓につこうとしていた彼は惚けた顔をするが、彼女にとって大失態も大失態だ。


 昨日の記憶が途中からないことに首を傾げたアミルメルは、自身の世話を焼いてくれているメイドに問うたのだ。

 そうしたら、メイドは顔を赤く染めた。

 そして何やら目を忙しなく左右に動かした後、声をひそめて言った。


『昨夜アミルメル様は、馬車の中で寝てしまわれたのです。そのためこちらまで、ルクスフィルト様が運んでくださいました。……その、横抱きで』


 それを聞いたアミルメルは、少なからず動揺した。

 まず動揺すべき点は、馬車の中で寝たということだ。夫の横で寝てしまうなど、はしたないにもほどがある。

 二点目は、ルクスフィルトの運び方だ。


(横抱きですって……横抱きをされる者なんて、物語の姫君だけだと思っておりましたのに……!)


 アミルメルはこう見えて、なかなか奥手で純だった。そのため、その手のことを知っていても自ら口に出すことはなかったのだ。

 寒いやら暑いやら。彼女が朝から何度、心の中で反省会を開いたことか。


 そのためアミルメルはまず、自身の失態を詫びるためにルクスフィルトに謝罪をしたのだ。


「昨夜は本当に申し訳ありませんでした……! 馬車の中で寝てしまうなど……なんたる……!」

「ああ、そのことか。いい。睡眠時間を削って、名簿を暗記していたんだろう? 疲れて当然だ」

「し、しかし、そ、の……あの……っ。ル、ルクスフィルト様のお手までわずらわせてしまい……っ」

「そうか? 君の体は、ドレスを着ていてもとても軽かったが。ちゃんと食べているのか? アミルメル?」

「た、食べておりますっ!」


 同じ屋根の下で暮らし始めてから早半月。幾度となく会話はしてきたが、このような夫婦らしい会話をした試しは一度もない。どちらかと言えば、主人と秘書のような関係で成り立っていたのだ。

 そもそも政略結婚に愛などないことを承知しているアミルメルは、ルクスフィルトからの思いがけない言葉に動揺する。普段から冷静沈着な彼女にとって、そんな姿を晒すことは滅多になかった。

 顔を真っ赤に染めて涙目になるアミルメルに、ルクスフィルトは笑う。それを見た彼女は、違った意味で頬に熱がこもるのを感じた。


「君が俺の妻で、本当に良かったと思ってるよ、アミルメル。さぁ、食べよう。冷めてしまう」

「は……っ、は、いっ!」


 動揺しすぎたためか、アミルメルは長い裾に足を取られつまづいてしまう。

 そんな彼女を、ルクスフィルトは軽々と支えた。それを見たアミルメルは、動揺とときめきで身を震わせる。

 出会ってから半月。

 アミルメルは段々、ルクスフィルトのことが好ましく思うようになっていたのだ。



 ***



「……というわけなのですが、ルクサーヌお姉様。わたくし、どうしたら良いのでしょう……?」

「もはや夫婦なのだから、どうこうすることもないのではなくて? アミルメル」


 午後。

 アミルメルは、ルクスフィルトが仕事で王城へと向かうついでに同じ馬車を活用し、以前から会う予定となっていた姉の元へとやってきていた。


 アミルメルの姉は、現在軍事で活躍している第二王子の妻だ。必然的に、住む場所は王城の近くになる。


 ルクサーヌの腕には、ひと月前に産まれた赤子がいた。

 彼女はその子をあやしつつ、動揺しまくりの妹の話を根気良く聞いていた。


 そもそもアミルメルは昔から、恋愛感情を持つことがかけらもなかった。それは公爵令嬢であるための、一種の防衛策と言えよう。愛や恋をしたところで、それが報われることはほとんどないのだ。


 ならば初めから、恋など知るべきではない。


 心のどこかでそう思い込んでいたアミルメルは、政略結婚をするまで恋愛に無関心だった。

 そのツケが、今に回ってきているのだ。

 ルクサーヌは顔を赤く染めた妹を見て、ふふふ、と微笑む。


「いい兆候ね、アミルメル。あなたときたら、恋愛に関してはひどく奥手だったのだもの。ルクスフィルト様に感謝しなくてはね」

「お、お姉様……! し、しかしわたくしたちは、あくまで政略結婚で……」

「あら、アミルメル。始まりが政略結婚だからと言って、その後に恋をしてはいけないと誰が決めたの?」


 姉の最もな言葉に、アミルメルはなすすべなく口をつぐむ。

 そんな妹にたたみかけるように、ルクサーヌは言った。


「それにね、アミルメル。ルクスフィルト様のほうから、あなたに寄り添って来ようとしているのよ? 遠慮などしなくていいの。あなたは黙って受け止めて差し上げなさい。それが女というものよ」

「ですが……」

「ねぇ、アミルメル。政略結婚にだって、愛はあってしかるべきよ」


 ルクサーヌはそう言い、愛おしそうに我が子を撫でた。

 母親からの愛撫に、赤子は嬉しそうに手をパタパタと振る。


「確かに家同士が組んだことかもしれない。だけれど、わたしたちだって人間よ。好きな人と寄り添いたいに決まってるわ」

「……はい」

「だからね、アミルメル。ルクスフィルト様は、そんな距離を縮めようとしてくださっているのよ。恋愛なんて甘いものじゃなくてもいい。ただ一緒にいて落ち着ける。信頼できる。そんな家庭を作ろうとしてくださっているの」


 あなた以外がそれを受け止められるはず、ないでしょう?

 言外でそう伝えるルクサーヌに、アミルメルはハッとした。そうだ。ルクスフィルトからの優しさを受け取れるのは、妻であるアミルメルだけなのだ。


 そう悟った瞬間、彼女の胸にすとんと何かが落ちる。


 アミルメルはひとつ頷いた。


「ありがとうございます、お姉様。わたくし、少しずつでもいいので、ルクスフィルト様のことを知ろうと思います」

「そうよ、アミルメル。まずは知ることから始めなさい。だってルクスフィルト様は、あなたが徹夜していた理由を知っていたのでしょう? なら、そういうことなのよ」

「……! は、はい!」


 まさかそこを引き合いに出されるとは思っていなかったアミルメルは、少しばかりどもった。しかし来たときよりずっと良い顔をして出て行った妹に、姉は困ったように吐息を吐き出す。


「あの子ったらほんと、そういうところは奥手なんだから」



 ***



 それからアミルメルは、ルクスフィルトのことを知るために使用人に対して聞いて回った。

 結果分かったのは、彼は外でも中でも評判の良い人間だということだ。


 料理人は彼の好きな食べ物、嫌いな食べ物を教えてくれ。

 メイドたちは口々に、飴と鞭の使い分けが上手いと絶賛した。

 庭師は手入れをした庭でよく茶会を開き、花について褒めてくれると喜び。

 執事は仕事においては余念がない方だと関心する。


 数日かけて調べたことを紙に書き綴り、アミルメルは庭のベンチでほくそ笑んだ。


「確かに、相手のことを知るのは楽しいですね……」


 ひとりごちると、ルクスフィルトの好きな食べ物と嫌いな食べ物を見て笑う。意外にも甘党で、辛いものが嫌いなどという情報は、彼の人間らしさと可愛らしさを表していたのだ。


(甘いものが好きなら、今度菓子でも焼いて渡そうかしら)


 近づくにはまず、一歩ずつだと手を握り締め、アミルメルは立ち上がる。これから茶会があるのだ。公爵夫人となった今、そういった催し物には積極的に参加しなければならない。


「ルクスフィルト様のためにも、何か有益な情報を仕入れなくては……!」

「俺がどうかしたのか? アミルメル」

「ひ、ゃっ!?」


 気合を入れた瞬間、背後から声がした。

 驚きのあまり手に持っていた紙を手放してしまったアミルメルは、その紙が背後にいた人物に渡ってしまったことに顔を青くする。


「ん? なんだ、この紙?」

「や、だ、だめですルクスフィルト様! そ、それは……!」

「夫の俺に見せられないもの?」

「お、お……お、夫だからこそ、見せられないのですっ! お返しくださいませ!」

「そう言われると、返したくなくなるな」


『普段は冷静でおとなしいのに、時折子どものような笑顔を浮かべるのよね、ルクスフィルト様』

 瞬間アミルメルの脳裏に、メイドのひとりから言われた言葉が蘇った。


(あ……確かに、子どものよう)


 無邪気に笑う一面に目を奪われ、徐々に熱がのぼってゆく。

 新しい一面を見られたことが嬉しくて、アミルメルは顔が嫌でも緩んでいくのを感じた。

 それを見たルクスフィルトの顔色が変わる。

 そして紙の中を見たルクスフィルトは、ベンチが間にあることなどお構いなしに、アミルメルのことを抱き締めた。


 ベンチに両膝をつく形になった彼女は、目を白黒させる。しかし状況を把握した彼女は、うなじまで赤く染めて唇をわななかせた。


「ったく……なんでこんなに可愛いことしてるんだ、アミルメルは」

「え、か、かわいいです、か……っ? わたくしは、可愛くなどありません、よ?」

「それはない。少なくとも俺は、君以外でこれほどまでに可愛らしい女性を、見たことがない」


 ルクスフィルトが、アミルメルの栗色の髪を掬う。それは平凡顔の彼女が唯一、自慢できるものであった。

 心臓が高鳴るのを止められない。アミルメルはそれが、ルクスフィルトに聞こえてしまうのではないかと思いさらにドギマギしてしまった。

 ルクスフィルトは言う。


「遅くまで、公爵夫人としての仕事をこなし、決して妥協はしない。さらには俺に注意したほうがいい人物まで調べて教えてくれた。君ほど俺に尽くそうとしてくれる人は、他にはいない」

「そ、それは、公爵夫人としては当然の仕事で……」

「睡眠時間を削ってまで、夜会に出席する者を暗記する女(ひと)がか? そんなの、いるわけないさ」


 アミルメルは顔と涙腺が緩むのを止められなくなった。なんせ他人にここまで褒められたことなど、人生で一度もなかったのだ。たいてい付きまとうのは、彼女自身の容姿と身分を比較した悪口だ。

 涙がこぼれ落ちそうになるのを、アミルメルは眼を瞬かせて堪える。


「しかもここ数日、使用人たちに俺のことを聞いてると聞いた。まさか紙にまとめてるとは思わなかったが」

「あ、う……ル、ルクスフィルト様……もうこれ以上、褒め言葉を言うのはやめてください……は、恥ずかしいです……」

「事実さ。アミルメルは妻として必要なものを持っているんだ。褒めて当然だろう? 何度でも言うよ、アミルメル。君が俺の妻になってくれて、本当に良かった」


 こんな幸せな言葉をくれる人との結婚が、政略結婚などと誰が思うのだろうか。

 アミルメルの瞳からぽろりと、涙がこぼれた。


「わ、わたくしも……ルクスフィルト様の妻になれて、良かったと思っております」

「……そうか。なら、お揃いだな」

「は、い。お揃い、です」


 顔を見合わせ、ふたりは笑う。子どものように無邪気な笑みだった。

 こつりと額と額を合わせたルクスフィルトは、涙を拭うように瞼に口付けを落とす。


「政略結婚も悪くないな」

「っ、は、いっ!」






 それから数十年のときが経ってもなお、このふたりは社交界きってのおしどり夫婦と呼ばれることになる。


 夫が現役を退くまで、アミルメルは彼の隣りで寄り添い続けたのだから――

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