第5話
「うーん。うーん。うーん」
僕はアパートで一人暮らしをしている。勿論、犬や猫の様なこうせいねんきん動物は飼っていない。そもそも僕にそんな金銭的余裕はない。
では奇妙な唸り声を上げている正体は一体何なのか。
きっと僕には心当たりがある。
「あのさ、急に唸るのはやめてくれる?」
彼女が唸る理由に興味はないがこれ以上歩き回られると下の大家さんが召喚され兼ねない。僕は彼女をリビングのソファーに座るように誘導させると、
「トイレでもしたいの?」
と最も建設的な質問を彼女した。けれどどうやらそうではないらしい。
「違うよ。分からないかなー」
「うん。全然わからないよ」
理解しようとしていない僕に分かる筈がない。
「ほら、人間ってのはさ必ず死ぬ生き物じゃん。そう考えると何か憂鬱にならない?」
彼女の言うことは正論である。正論ではあるのだがそれは間違っている。何故ならここは僕の家の中だから。大体、人の家に入るや否や急に『死に』ついて語り始めるのは御門違いではないのか。先が思いやられて仕方がない。
「僕らの歳で死生観について考えるのは止めるべきだよ。ほら、君が考えると僕まで憂鬱になりそうだし」
僕は大学のレポートで死生観について一度だけ書いたことがある。何を書いたら良いのか分からなかった僕は『死』とは何かを自分なりに考えて纏めて書いた。自分的には満足のいく出来だった。それでも評価は最低ランク。やはり僕らが語るにはまだ早いのかもしれない。
「憂鬱な人生を送っていると早死にしちゃうらしいよ。前にニュースで見たんだ」
「いらない情報だね。君は人に死の宣告をするのが趣味か何かなの?」
「違うよ。私にそんな悪趣味がある様に見える?見えないでしょ?」
「どうかな。君のその見た目から考えると想像できる範疇だと思うんだけどね」
「照れるな。百合斗君は私をよく見ているんだね。でもあんまりジロジロ見ちゃ駄目だよ」
「自意識過剰だね。取り敢えず君は思考回路を誰かに診てもらうべきだと思うよ」
彼女の思考回路のネジは破損しているのではないかと僕は思っている。今の件もそうだが、話題を急転換させたり知り合ったばかりの人の家に泊まったり。
大体僕の家に泊まって一体どうするらつもりなのか。しかも女性と考えると事は尚更である。お風呂は?服は?布団は?ご飯は?様々な疑問が僕の脳内を埋め尽くす。
「ところで僕の家で何をするつもりなの?」
僕はコートを脱いで喫茶店にいた時と同じ格好になった彼女に恐々しながら聞いた。女性を初めて家に泊める男子の身としては聞いておかなけらばならない。
「えっとね、誕生日パーティーしようよ……」
彼女は体育座りして出来た膝の山に顔半分を隠して照れるように言った。小学生以外の人がやると駄目だな。あざとさが増してししまう。
「誕生日パーティーって…………」
「折角家に来たんだしやろうよ!ねっ!」
そういえば彼女はさっき誕生日だと言っていた。彼女から『お泊まり』の申し出があった時に何かあると疑うべきだったのでは——と今更後悔しても遅い。
決して女性が泊まるからと浮かれていた訳ではないのだ。
「折角ってよく意味が分からないけど誕生日パーティーって一体何をするの?」
「おっ。のりのりだね!そうだな、じゃあ先ず——」
この後の彼女は酷かった。
ショッピングをする。
焼肉か鍋を食べる。
カラオケで歌う。
映画を見る。
ケーキを食べながら恋話をする。
この他にもまだ何か言っていたが覚えていない。覚えるつもりもない。
「で、結局なにをするの?」
こんなに多くのことは出来ないし実行する意思も僕にはない。
「え、全部だよ!」
「無理だよ」
これ全部はどう考えても僕には無理だ。特に最後の方なんて御門違いもいいところ。『ケーキを食べながら恋話』って僕みたいな男と成立しないと思うんだよね。
「私誕生日なんだよ」
「うん。誕生したんだね。おめでとう」
「私20歳だよ。百合斗君19歳だよね」
彼女は年功序列的なことを言いたいのかな。
「そうだね。でもそれは君の方が早く生まれただけだよね。年内に僕も20歳だから」
この後も不毛な会話が続いたのは言うまでもない。結局最後は『誕生日の人が言うことは絶対』という理不尽な理屈で言い包められた。何だか言い包められてばかりな気がする……。可笑しい。
大体何で誕生日パーティーを僕の家でやるのか。いや、そもそも論として何故僕なのか。後で追求しなくてはならないことが山ほどある。
「よし!決定だね。夜まではまだ時間があるけど何しようか?」
時刻は15時を過ぎた辺り。夜まで時間は結構ある。いつもなら休日のこの時間帯は昼寝をするので
「寝るとかどう?」
僕は名案を提案したのだが、どうやら彼女には意味が通じなかったらしい。
「え?」
「うん?」
「いきなり寝るとか……。百合斗君も積極的なところあるんだね。ちょっと意外……」
全然違う。間違った解釈はやめて欲しい。あと、襲われるのを危惧してわざとらしく身を固めのもやめて欲しい。
いつかとは思っていたが遂に彼女の頭のネジが全部吹っ飛んだのかもしれない。
「ごめん何を言ってるのか分からないよ。話の脈絡を考えたら睡眠の意味って分からない?」
「うん、分からない。分からないから違うことにしよう。そうだなー、百合斗君は趣味とかないの?」
『ない』と言ったら話が終了して昼寝出来るのだろうか。恐らく答えは否であろう。だからと言って彼女の問いに簡単に答えてしまっては再び新しい質問に襲われかねない。家を飛び出して逃げることも可能だが彼女を僕の家に取り残すのは得策とは言えない。万が一鍵を閉められたら万事休すもいいところだ。
ここで少し自分について紹介しても悪くないのかもしれない。
「さっきも言っけど本を読むことかな。後、これは趣味って言うこのか分からないけど——」
「うんうん、いいよ!言ってみて!」
「感想を書くことかな」
「え、感想って、何の感想を書くの?詳しくご教授願おう!」
「ほら、僕は『春風おさめ』の本が好きって言ったでしょ?実はその本を読んだ後に感想を書いて送っているんだ」
彼の本の最終ページには『感想を受け付ております』という旨が書かれいる。僕はそこに書かれた宛先に読んだ感想を書いて送っている。勿論、感想を送ってもそれに対して返信が帰って来ることはない。ただ僕が自発的に行っていることだから。
「へぇーそれ面白そうだね!今度私も書いてみようかな!」
「いいと思うよ。書くときは日本語だよってことだけアドバイスしてあげる」
「それはどうもありがとうだね。お返しって訳じゃないけど私も百合斗君に良いこと教えてあげるよ」
どうせ大したことではないだろうに満面な笑みを浮かべる彼女はどこか嬉しそうだ。
「仕方ないから聞いてあげるよ」
僕がそう言うと彼女はまた嬉しそうに笑いながら、
「聞きたい?」
と、僕を弄んだ。本当に彼女は面倒臭い。きっと僕じゃない他の人間なら彼女の腹部辺りを殴ってるだろう。
「焦らすのも趣味なの?君という人間は悪趣味の塊だね」
「違うよ。百合斗君は決めつけるのが趣味なんだね」
僕は一瞬不覚にも笑ってしまいそうになった。決めつけるのが趣味ってそれは一体どんな趣味なのだろうか。彼女に説明してもらいたい位だ。
けれど今の論点はそこではない。
「話が脱線しているけど結局君は教える気はあるの?」
「あるよ!これは朗報なんだからね!」
「自分でハードル上げたね。取り敢えず聞こうか」
彼女は軽く咳払いして僕の注意を引いたのを確認すると自信満々に、
「実は明日サイン会があるんだよ!」
と、わざとなのか不確定要素を含ませて言った。
「君は謎々も好きなんだね」
「嫌いじゃないかな。でも百合斗君なら話の脈絡的に分かるでしょ?」
確かに彼女言う通り『春風おさめ』のことを言っているのは分かる。けれど彼女が話の脈絡を意識した質問をすると僕の調子が狂う。目の前で勝ち誇った様な顔をする彼女は図ったのかもしれない。
「そうだね。初めて君と友達になって良かったと思った瞬間だったよ」
「これからもっとそういう瞬間が増えると思うよ」
「それはまた謎々のつもり?」
訝しみながら僕が聞くと『どうだろうね』と言いながら不敵な笑みを浮かべる彼女はやっぱり策士なのかもしれない。
そして僕は明日『春風おさめ』のサイン会に行くことに決めた。一体どんな人なのか。彼は僕が書いた感想を見てくれていたのだろうか。こんなに明日が待ち遠しく感じるのはいつ以来だろうか………………。
僕は思い出せなかった。
「四角い」中の「彼女」 神山ひろ @yuzu7660
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