第3話

 4


 彼女は不思議な人だ。天真爛漫な彼女に不思議という言葉が適切かどうかは定かではないが兎に角そんな感じがする。

 何というか、珍しいタイプの人間だと僕は思っているのだ。


「ねぇ、百合斗君」


 そんな珍しいタイプの彼女は自分の鞄を物色しながら僕を呼んだ。何故下の名前で呼ぶのかは分からない。


「なに?」


「これ返すよ。百合斗君が昨日忘れて行った携帯と本だよ」


「あ、ああ。うん、そうだったね」


「携帯と本の両方を忘れるなんて百合斗君かなり焦ってたんだね。酷いなー」


 そう言えばそうだ。昨日帰ってから本が見当たらないから可笑しいと思っていたんだ。彼女の言う通り僕はかなり焦っていたのかもしれない。


「あ、いや別に。その……預かってくれてありがとう」


「橘君、そんなに好きなの?」


 彼女は何に対して好きと言っているのか。意味が分からない。主語の重要性を彼女に教授したい気持ちを何とか抑えて、僕は一応『何が』と彼女に聞いた。


「その本だよ。喫茶店でも本を読むなんて百合斗君は愛読家なのかなって思ってさ」


「あ、あー。言うほど愛読家でもないよ。でも昨日も言ったけど『春風 おさめ』の書く本は好きだよ」


 今迄、色んな人の本を読んできたつもりだけど僕の性格に合うのを探した結果この作者だった。家にも幾つか彼の本が置いてあるくらいだ。


「へぇー、そんなに面白いんだ。百合斗君がそこまで夢中になる本なら私も興味あるな。あ、勿論百合斗君にも興味津々だよ」


 全然嬉しくない。

 眼鏡をスマートに外してキメて見せるその感じがカンに触ってしまい何かもう駄目だ。

 僕のデータには新しく彼女の最新の情報が追加されてしまった。『彼女はつまらない』と。


「よし。じゃあそろそろ今から本題に入ろうかな」


「————?」


 良くない展開である。

 彼女が突然意味不明なセリフを口にした。意味不目度合いが高いほど彼女の言動には注意しなければならない。


「うん、一体なんのこと?」


 僕が訝しんで聞くと、彼女は待ってましとばかりに


「今日私が百合斗君を呼んだ理由だよ!」


 と、ドッキリ遂行直前の芸人の様な顔をしながら言った。もっとも彼女は直前じゃなくてもニヤつくと思うから無理だと思うけど。言っちゃ悪いが人を騙すのが下手そうだ。


「で、その本題ってなに?というか僕を呼んだ理由が他に合ったのが驚きだよ」


「聞きたいのか青年?」


「いや、別にどっちでも構わないよ」


 本音だった。こういう場合碌なことじゃない確率の方が高いんだから。聞かないほうが吉かもしれない。


「わかった。そんなに聞きたいなら教えてあげるっ」


 日本語が通じなかったのか、彼女は再び得意げに眼鏡を中指でクイッと持ち上げると、


「私帰る家がないんだ。だから私を泊めてよ」


 唐突に宿泊を申し込んだ。人の家に泊まるのには大抵は何か理由があるからなのは理解している。けれど彼女の場合は何かが可笑しい。家がないのは明らかに可笑しい。


「そんなコンビニに行こうよ的な軽い感じで言われても。僕の家は宿屋さんじゃないんだごめんね。大体、そんな嘘付いたら僕が同情するとでも思ったの?」


 仮にそれが本当で僕が一人暮らしだとしても、知り合ったばかりの女性を家に入れるなんて考えられない。況してや泊めるなんて言語道断。であるのだが。


「あれ。そんなこと言える立場だっけ。確かこの世には『お礼』って言葉があった筈だよ。知ってる?」


「うん勿論知ってるよ。でもこの世には『脅す』って言葉も存在するんだよね。知ってた?」


 って言いたいところだが、それを言われればぐうの音もでない。僕が渋々、彼女に『理由は?』と聞くと


「友達だから!」


 と即答した。『当たり前でしょ!』とでも言いたそうだ。


「僕は君と友達になった覚えは————」


「こら!お主!御恩と奉公でござるぞ。拙者は携帯と本を預かって渡したでござろう。故にお主は我に感謝せねばならぬのだ」


 僕の話を遮った彼女は将軍の真似をしているつもりなのか、その口振りが気に入らない。直ぐに御家人による反乱が起きそうだ。大体自分の家がない将軍ってあり得ないと思うけど。


「ねぇ御恩と奉公の意味分かってる?そもそも何で僕が御家人なのか説明して欲しいよ」


「うん!見た目てきに……かな?」


「変な理屈だね。家を提供するのは僕だから君が御家人だと思うけど……」


 この後も説明を続けてなんとか逃れようとしたが効果は全くの皆無だった。最後は結局彼女に言いくるめられてしまった形である。決して僕が押しに弱い人間だからという理由ではない。きっと彼女が強いのだ。いやせこいのかもしれない。


「うむ、よろしい。友達になるきっかけなんていうのは何だって良いんだよ。大事なのはその後。良い関係を築き上げていこうよ」


「言っておくけど納得はしていないからね」


 半ば強制的だったくせに言うことだけは殿様級。彼女には後で奉公を沢山して貰おう。勿論、僕の中では御家人なのは彼女の方である。


「よし!じゃあ、私のことは夏紀でも奈津でも自由に呼んでよ」


「じゃあ夏紀さんで」


「折角友達になったんだからもっと軽い感じでいこうよ」


「そうだね、夏紀さん」


「どうやら百合斗君とはまだまだ距離があるみたいだね」


「そうみたいだね、夏紀さん」


「百合斗君は強情なんだね。私嫌いじゃないよそういうの」


 先ほどから思っていたのだけれど、彼女は何故下の名前で呼ぶのだろうか。幼馴染じゃあるまいし。これが距離を縮める最適方なのだろうか。僕が釈然としないでいると、


「ねぇ。そろそろお店も混んできたしそろそろ出ようか」


 彼女は周囲に気を遣ったのか、辺りを見渡しながら言った。

 時刻はお昼前でお店が混み合う時間帯だ。お腹が空いていた僕は彼女に同意した。


「そうだね」


 きっとこの後は僕の家に行くのだろう。冷静に考えてみると健全な行動とは言い難い。けれどこれは彼女が言い始めたことだ。彼女が行きたいと言うから来るのだ。そうだ、僕が呼んだ訳じゃない……。


「ねぇ、百合斗君」


「なに?」


「私が泊まるからって変なこと考えないでよ」


「さぁ、どうかな」


 彼女が泊まるのを躊躇してくれることに期待して言ってみたが効果は皆無だった。

 修学旅行生の様に『おっ、やるのか?』と悪ノリをする彼女はやっぱり珍しいタイプの人間で間違いなさそうだ。

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