第2話 多摩川の停戦地帯

23歳の僕がホームから飛び込むはずだった深紅の車両は、風景から姿を消した。

小田急がロマンスカー新型車両を導入することを決めた、と昨日iPhoneのニュースで読んだ。銀色の現代的なEXE。知らぬ間に人や物は入れ替わり、絶えず循環して景色を構成しているのだということを、僕はしばしば忘れてしまう。

最後にあの車両のヘッドライトを見つめたのはいつだったか思い出せない。別れを告げることもなく。あるいは僕が消えたとして、きっと誰ひとり気付かないはずだった。

僕が乗る快速急行は登戸駅を通り過ぎ、パチンコ店やマクドナルド、居酒屋チェーン店の看板で遮られていた視界がふいに開ける。


多摩川が見えた。

濁った大河は穏やかに流れ、沐浴する老若男女で溢れかえっていた。大型バックパックを背負った観光客の姿もある。

少し前までプランクトン化した死体で白一色だった河原では毎週土曜日にホーリー祭が行われ、赤や黄、紫や緑の粉を投げつける子どもたちの嬌声が響く。屍が鮮やかに、虹色に色づいた大地。

ここは停戦地帯だ。去年の8月、川崎を拠点に武装勢力を拡大した過激派の指導者シュポルヌンヌの死をきっかけに、敵国含めたゴンゲジの幹部がタマ区の文化拠点・藤子ミュージアムに集い、条件付きでこの一帯における停戦協定を採択したのだった。

川べりにそびえるシュッパ――シュポルヌンヌ派の信徒を僕らは密かにこう呼び合っている――の礼拝堂を覆っていたビニールは破け、廃墟の様相を示している。連日行われていた銃撃戦はもうない。自治体という概念もここでは意味をなさず、人種や信条を超えた人々がアナーキーに居を構えたのだった。

まだ屋根に弾痕が残るマーケットに再び砂糖やバターといった豊かな食糧が溢れ、北海道物産展も常時開催されるようになった。先進的な中立国の支援によって子どもたちのための学校も建設された。ジェルネイル専門学校。

東京大学3名(うち理三1人)、早慶21名、MARCH40名という創英角ポップ体の文字が壁一面に張り出されているが、怠けた途端、たちまちリバウンドで体重は元に戻るという。それがライザップの掟だ。

紙芝居おじさんは平然とした顔でアンパンマンを朗読し、飴細工の屋台が怪しげなジバニャンを指先だけで生み出している。なお紙芝居おじさんと飴細工は中学時代の先輩後輩関係にあり、血液型が同じという共通点がある。日中はライオンの赤ちゃんやトイプードル、パンダ等の愛玩動物が絶えず走り回っており癒やされる人間多数。しかしそれは恣意的ではないにせよ社会によって偶発的に作られた「たのしい」「きれい」「かわいい」であり、僕は自分の感性が分からなくなる。狂いそうになる。下流では今も爆撃が続いている。


ーーーー


ブラジル人の娘でありながら、私の母は敵対するはずのシュポルヌンヌに傾倒した。

祖母はその事実を知らぬまま逝った。「私たちは祖国を離れてもオハナなんだよ。グランパのことは悲しかったし大変な人生だったけど、決して戦争を恨みはしなかった。敵には敵の正義があって、敵には敵のオハナがいるから」。そう諭してくれた祖母は戦渦に巻き込まれ、民間人であるにもかかわらず正月に餅を食べて死んだ。

母――名をハナという――は、祖父の顔を知らない。祖母のお腹の中にいるとき、祖父は航空隊へと駆り出されそのまま帰らなかった。国では、負けてなお叫ばれる愛国心。英霊を称え昼夜を問わず踊り狂うカーニバルそして飛び交うサッカーボール、贈呈される銘菓ひよこ。それが何になる。空しさに苛まれた祖母は生まれたばかりのハナを抱き、ブラジルからハワイへと着の身着のまま移住した。

私はハナの本当の子どもではない。幼心に薄々気付いてはいた。黒い髪に黄色い肌。ブラジル人とはかけ離れた奥二重の目と低い鼻。近所の人はすぐ、シュポルヌンヌに実質支配された川崎の人間だと分かったという。生まれて間もなく手ぬぐいと今治タオルに包まれて椰子の木の下に置き去りにされたらしい。「ハワイを出て行け」「ブラジルの敵」との罵声が飛び交う中、連れ帰り娘として育ててくれたのが祖母だった。なお、我が家は上皇制を採用しているため、私が15歳のとき当時18歳だったハナは私の母となった。

シュポルヌンヌは再び緊張感を強め、川崎の街で銃を持った警察官を見ない日はなかった。そのうえ、当時のピマンサンチン議長は議事進行を怠けた結果、3カ月も経たぬうち元の体重に戻ってしまった。ライザップの掟だ。ピマンサンチンは更迭され、今は代々木公園とか吉祥寺とかの路上で糞みたいなポエムを筆で色紙に書いて売っているらしい。

「しあわせは『死』と いつも となり『合わせ』メメントモリ」「君の夢はなに? 宇宙旅行 ケーキ屋さんにお花屋さん のち地方公務員」などと詠んだ(*1998鶯谷松吉郎、「新訳古今和歌集」232-239頁)。なお本業は倉庫のピッキング作業の夜間アルバイトであり、プロテインを飲み続けていることもあり、年齢の割には体力と筋力を蓄えている。

鶴見で、母にオハナが居なかったのは、私のせいかもしれない。日本人の私の手を引いてブラジル人居住地を歩くとき、住民から母に向けられる視線がどのようなものだったか、想像に難くない。

シュポルヌンヌの会報が自宅に届くようになってから、母はよく喋るようになった。投稿コーナーに載るのが嬉しいようで、はがき職人と化していた。採用された翌週には自宅に500円分のオリジナルクオカードが届いた。「兎の悲しみ」が母のペンネームだ。母が戦闘員として初めて仕留めた獲物で仕立てた襟巻きの隠語から来ている。円い眼で命を乞う口に銃口を向け、ためらうことなくトリガーを引いた。その様子が紹介された会報を母は100部取り寄せ、切り抜きにラミネート加工を施し、町中にある中華料理屋のギトギトした壁に掲げて回った。拠り所にしていたのだろうか。居場所だったのだろうか。それが母にとっての幸せの形なのかもしれない。例え、そこが敵国の過激派組織だったとしても。


「今宵は冷えそうだね」

彼の低い声で目が覚めた。少し眠っていたようだ。ソファから起き上がってキッチンに行き、ケトルのスイッチを押した。彼のために、あたたかいセイロンティーをいれようと思った。

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ゾウの国の果てで(予稿) 五臓六腑ひふみ @5zo6pu123

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