後編

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 得意先と御新規店を巡り、予定していた最後の店から一礼して出た。見上げた空はいつの間にか雲の厚みが増して、陽も落ち始めたこともあり、かなり暗くなっていた。


「京都は妙な寒さがあるんだよな。コートを持ってきて正解だった」

 彼は吹いた風に体を小さくする。

「そうですね」

「ん、疲れたか?」

「いえ」


 きっと言葉に力が乗らないせいだろう。

 彼が腕時計を確認する。

 そうか、もうそろそろ合流時間だ。


 ……変わりの誕生日プレゼント、何にしよう。

 

 そんなことを考えていた。


「かさね」

「はい」

「行っても五分しかいられないんだけど、ちょっと付き合ってくれ」

 彼はわたしの返事を待たずに、タクシーを拾おうと手を挙げて道路を見渡す。

 わたしはそれを見て、「はあ……」とだけ返していた。


 タクシーが停まった場所は街からわずかに離れた小高い丘だった。

『展望台まで徒歩十五分』という看板が立っている。


「京都で暮らしてたときに見つけた所なんだ。ちょっと寒いけど、いいところだ」

「展望台までは十五分とありますよ」

「だから展望台には行かないさ。こっち」

「あ、ちょっと! 引っ張らないで下さい」


 わたしは腕をとられて、どこに行くのか訊ねても「秘密」とか「もうすぐだから」と、教えてもらえないまま彼の後に続くしかなかった。



「わぁ……っ」

 わたしは嘆息を上げていた。

「タイムスリップした感覚だろ」


 丘を降りて、タクシーのエンジン音だけがかすかに聞こえるその場所は、眼下に、いかにも京都らしい彩りと構造を、日本が持ち続けている神秘的な風景を見せていた。


 神社や蔵、昔ながらの木造建築がならぶ景色は、貴族に武士に庶民が、それぞれが文化の中心となって築いてきたものが散らばりつつも共生していた。

 教科書の年表から日本の歴史をんでは、この時代に活けたような、同じルーツでも異なる柄が並ぶ懐かしくも不思議な風景であった。



 完全に陽の落ちた京都の空は高い建物がない。

 だから暗闇を受け止めている。

 その大地は昔のまま、提灯の明かりで彩られた木造の景観が、わたしたちの目の前で優しく浮かんでいた。



「あっちの展望台は観光客用でわざと高い所に作ってるらしいんだ。だけど、それじゃあ余計な鉄塔も視界に入るからここの方がいいんだ」

「そうなんですね」


 わたしは煌々と浮かぶ朱色の明かりを眺めながら応えた。


「ここは人も少ないからさ。もっとちゃんと時間があるときに。……また、来よう」


 最後の小さな一言をわたしは聞き逃さなかった。

 つぶやくように言った彼を見上げると顔を背けられてしまった。

 でもこの暗い場所でも、彼のほのかに赤い頬と耳は見逃さなかった。


 ――町の色と一緒ですね――


 きっとこんなことを言ったら、もういやだと言って帰ってしまうかも。

 だからこの、こそばゆい特別は私の胸にだけ秘める。


 ――せっかくならわたしに、まっすぐに向けて欲しいのに――


 とも思ったけど、それはまた今度、言ってみよう。


「さて、余裕もって戻らないとな」

「あ、あのっ……」

「ん?」


 振り返られると、掴もうとして伸ばした手を見られるのが恥ずかしくなった。 なので仕方なく俯いて、裾をちょんとつまむ。


「お、お誕生日……おめでと」

「ああ、ありがと」


 彼の優しい声が耳をくすぐった。

 わたしは彼の目を見ることなく、カバンから包みを出す。


「それで、その、使わないかもしれないけど、これ」

「お、見ていい?」


 嬉しそうな彼の声に心が痛んだ。

 使われることのない手袋を渡すことに、苦い気持ちを抱く。

 俯いたまま頷くと、紙袋を開ける音が生まれる。

 続いて毛糸と紙が擦れる音が耳に入ってきた。


「あ……」

 彼も察したようだった。「それで訊いたのか」

「ごめん」

「謝らなくても。……手袋をしないのは仕事の時だから、昔は必需品だったんだ。ささくれがひどくて。うん」


 取り繕いながら彼はライターを擦って、プラスチックの止め具を器用に外して手袋をはめた。


「サイズぴったりだ。……どうかな」

「はい――」


 選んだときに描いたシルエット通りだった。

 コートを着た彼の手に、黒の手袋は違和感なく収まっている。


「――いいと、思う」


 似合っているという言葉は、選んだ本人から言うにはすこし押し付けがましい感じがしたのでやめた。


「コートの色とばっちりだ。もしかして、そう思って選んでくれた?」

「……はい」

「結構選ぶのに時間かかった?」

「…………はい」


 俯いた顔に熱がこもる。


「あ、これ値札か?」

「え!」


 確認したはずなのに! 

 わたしは思わず顔を上げた。


「うっそー☆」

「~~~っ!」


 わたしは怒りや照れが入り交じった顔を隠すため、彼に背を向けた。

 その時突然ひゅうと音を立てて風が吹き抜けた。

 肩に乗る髪が後ろに払われる。


 一瞬強くなった風が通り過ぎると、今度は穏やかな風がやってきた。

 どちらも冷たい風だったが、二番目に吹いた風には白く小さなかけら達ががまぎれていた。

 それは空から街へと、無数に流れて落ちていく花びらのようだった。


「雪っ!」

 わたしは胸の前で手のひらを広げた。「慶、雪! 雪っ!」

「うわぁ、予報も当てにならないな」

「予報も予想も、都合のいいようには進みません」

「?」

「自分のこと」


 わたしは空を見上げる。


「……冬ですね」


 風が雪同士の摩擦を鳴らしているのか、京都の夜をさらさらした音色で包む。

 広げたわたしの手のひらに、雪のひとひらがひらりと舞い降りた。

 その結晶は音もなく溶けて、透明なしずくに変わった。

「溶けちゃった」

 わたしはそれを両手で優しくこすり合わせて、体温で空気中へと還し、そこに――ほうっ――と息をかけた。


「手袋、温かいぞ」

「そうですか」

 自分用に買ったものを出そうかな。

 わたしは考える。


「はい、これ」

「へ?」


 彼が左手の手袋を脱いで渡してきた。

 はめてみろということだろうか。

 わたしは左手を通してみる。

 彼の体温がぶかぶかの手袋の中に残っていた。


「右手は、手袋の代わりってことで」


 そう言って彼は手袋をしていない左の手でわたしの右手を握り、コートのポケットへと導いた。


「もう、五分だけ、ここに居ようか」

「……~~……~~」


 わたしは初めて繋いだ手に驚き、声を出せないまま、

 不器用に、こくりと首を動かした。

 そしてお互いに顔を見合わせることがないまま、赤く照らされた街を眺めた。

 彼がわたしの手をくっと握る。


「手袋、仕事の時も使うようにするよ。ありがとな」


 わたしも彼の手を握りかえす。


「仕事の時は仕方ないよね。でも、たまに使ってくれれば、……嬉しいよ」

「ん」


 また静寂が訪れた。


「かさねの手は冷たいな」

「そう?」

「冷え性?」

「……年寄り扱い?」

「そうじゃないよ。今度、かさねの手袋を買いに行こう」


 言葉に詰まった。

 自分用の手袋を出すなら今かなと考える……。


「あの、わたし……」


 言いかけて、わたしはその考えを直前でつっぱねた。

 そして、ポケットの中で彼の手をぎゅっと握って、


「さっきも言いましたけど、わたしも手袋は嫌いなんです」


 と、伝える。


 だって、彼の手がわたしには一番温かい。

 知ってしまったわたしの口は勝手に嘘を繰り返した。


「……そっか」


 それならしょうがないと、彼はもう一度わたしの手を握る。


 舞う雪は積もるほど多くもなくて粒も小さい。

 かけらたちは黒い夜空に漂い、風に乗っては私たちの近くで踊っては、あちらこちらへと飛び去ってゆく。


 気まぐれな白のひとひらが、

 二人の手が潜るポケットの上に静かに乗った。


「冬が、始まりますね」


 2人はポケットに乗る雪を眺めていた。

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誕生日と出さなかった手袋 明石多朗 @T-Akashi

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